もし、神様が本当にいて、こんな風に考えてたらー今回の大病のこと 9月10日 [闘病日記]
もし、神様が本当にいて、こんな風に考えてたら[?]
「この太田って監督は、もう少し経験を積めば、人々のためになる良い映画を作れるんだけど。無茶をし過ぎていかん?。ちょっと思い知ってもらおう」
と、今回の病気を与えた[?]ギリギリで再起不能にならなかったのは、そのせい[?] もし、あのまま突っ走っていたら、本当に再起不能になっていたはず。だから、神様は寸止め[?]それでも両目ともに半分しか見えなくなる。心臓機能の低下。
「無茶な太田監督も流石に自重。1人で何でもやらず、仲間の力を頼りにするだろう。より良い映画ができるはずだ。もし、あのまま行ったら再起不能だってたからなあ」と神様が考えた[?]かもなあ。
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病気になる前ー僕はどんな生活をしていたのか[?] 9月10日 [闘病日記]
矢沢永吉の言葉ーまさかの予言だった[?] 9月10日 [闘病日記]
矢沢永吉の言葉ーまさかの予言だった[?]
彼はこう言った「60代後半になった途端に、いきなりガターと汚ねえ」なので、60代後半には注意しようーと思っていた。ら、僕の場合は61歳でガタッと来た。いや、ガタッと来たーどころか再起不能になりかけた。
健康管理してない私は、5年早く酷い形でそれを体験。これは神様、仏様からのメッセージだと思うようにした。もう少し酷ければ本当に再起不能。本当にギリギリのところで映画監督業を続けられそうだーまだ話からにけどー。最大級の警告だったと考える。
今からでも健康に気をつける。これまでのように何でも1人でやらない。仲間の力を借りる。そして、これまで以上の映画を作る。今回のことは、そのための大いなる勧告だったと思いたい。懲りない私も、流石に思い知ったのだ。
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人生あと20年。ーその間に出来ることは何[?] 9月10日 [「沖縄狂想曲」]
人生あと20年。ーその間に出来ることは何[?]
先日で62歳になったのだが、未だに気分は17歳。ま、結婚していない、子供がいないということで、17歳から成長していないということ、あるとは思うが。
人生80年として、残りはあと20年ほど。20年なんて、あっという間だ。今から20年前を思い出すと、映画監督デビューの2年前。映画「ストロベリーフィールズ」の資金集めに奔走していた。あれから20年かあ。
そのあと書道映画「青い青い空」原発事故を題材にした「朝日のあたる家」常盤貴子さん主演で「向日葵の丘」鈴木杏ちゃんで「明日にかける橋」を監督。さらに沖縄戦ドキュメンタリーを3本。
20年って、長いなあ。人生、もう少しありそうだ。でも、体力がどんどん解いて、老化してくる。目も両方ともに半分失明したし。心臓機能も低下。今までのようには行かない。あれこれ考える夏の終わり。
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この機会に人生を振り返ってみた。あっという間の60年。 9月10日 [闘病日記]
この機会に人生を振り返ってみた。あっという間の60年。
先日、自撮り写真を見たら、明らかに「老人」の顔。えーーと思ったが、先日で62歳になった。当然といえば当然。昔から若く見られたし、気分は未だに10代。ま、子供ということだ。
でも、思い返すと、いろんなことがあった。子供時代は和歌山県。中学、高校は大阪。実家は引っ越して奈良県へ。高校卒業後に横浜へ。19歳で助監督を経験。その後、自主映画。映画監督を目指した。
23歳でアメリカ留学。憧れのジョージ・ルーカス監督が、学んだUSC映画科に合格。が、学生が性に合わず帰国。5年がかりで脚本家に。その後、3年かかって監督デビュー。さらに10年ほどかかり、映画監督デビュー。
その後、18年で5本の劇映画と、3本のドキュメンタリー映画を監督。脚本は全て私。常盤貴子さんや鈴木杏さんにも出演してもらった。でも、無茶し過ぎて、心臓の機能が低下。脳梗塞を起こして、再起不能の危機。そして治療中。そんな人生。あっという間だったなあ。
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人生あと20年なのに、未だに気分は10代の私? 9月10日 [闘病日記]
人生あと20年なのに、未だに気分は10代の私?
涼しくなれば、外に出て近所を歩いてみようーと思っていた。が、本日の暑さではとても無理。何だか、この先も自宅を出れない生活が続くのでは[?]とさえ思てくる。
まだまだ、人生これから?と思っていたが、気づくと62歳。ジジイ予備軍だ。どうも若く見られがちで、この春も「40代[?]」と言われた。アメリカ時代は23歳なのに、ビールを売ってもらえなかった。
おまけに気が若く、未だに「だから大人は信用できないんだよ」と言ってしまう。大人どころか[?]自身がすでにジジイの年齢だ。考えると、80歳まで聞きたとして、あと20年ない。そんな年齢なのだ。あれこれ考える。
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なぜか、疲れていて午前午後と仮眠[?] 9月10日 [闘病日記]
ダウンから3ヶ月過ぎたが、健康状態はボチボチ[?] 9月10日 [闘病日記]
ダウンから3ヶ月過ぎたが、健康状態はボチボチ[?]
本日も午前中に仮眠。ここ3日続けて。少し前は毎日のように昼寝をし、体力が回復して行くこと感じた。が、今は体調が良くないのを回復するため、眠くなるように思える。
来週はMAだというのに、体調が心配になる。食事は皆さんのお陰で、しっかり食べている。本当にありがたい。晴れの日は暑さで、とても外出は出来ない。何度か曇りの日に駅まで歩いてみたが、翌日はダウン。寝込んで3ヶ月が過ぎたので、良くなる時期ではある。
そういえば以前は「外出したい?」という気持ちが全然湧かなかった。が、最近は駅まで行って、コーヒー飲みたい。とか思うことがある。病気だけでなく、暑さ疲れもあるだろう。早く元気になりたい。
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映画を作るとき「毎回、遺作?」と全力投球していたが、 9月10日 [「沖縄狂想曲」]
映画を作るとき「毎回、遺作?」と全力投球していたが、
今回、感じたこと。遺作ならいいが、再起不能になったら[?] 手も足も動かない。車椅子生活。言葉も不自由。それが死ぬまで続く。当然、映画も撮れない。そんな人生をあと20年送ることになっていたら。
いや、あり得ないことではなかった。そうなっていたら、今回。作品を完成させられず、寝たきり生活ーそれは悔しい。いろいろ考えさされた。遺作になればいいが、あと20年。映画が撮れずに障害を抱えて、生きることになったかも。
そう考えると「毎回、遺作」ではなく、健康に気をつけて、極端な無理をせず。人々のためになる映画を作り続けること。大事なのだと思えている。
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