J帝国の崩壊ー病気だけど芸能情報もチェック 9月25日 [「沖縄狂想曲」]
J帝国の崩壊ー病気だけど芸能情報もチェック[?]
病人になると、自分のことで精一杯[?] そう思えて、最近は情報収集。と言ってもテレビは見ない。まだ、目が良くないので、次々に変わる映像に耐えられない。
そこでYouTube。以前からよく見ていたものを数ヶ月ぶりに見ている。そんな中、以前はあまり見てなかったが、オリエンタルラジオ中田の番組を見た。「ジャニーズ問題」
なかなか興味深い。内容については、興味あるならぜひ自身で見てほしい。僕は映画の世界で仕事をしているが、ジャニーズとは仕事していない。が、一度だけ、同事務所の「映画を監督しないか[?]」という話があった。
依頼ではない。やる気があるなら、監督として推進したいというもの。光栄なことだが、いろいろ噂を聞いていた。ジャニー喜多川はすでに撮影された場面でも、自身が気に入らないと再撮影を命じる。
監督がOKを出した映像に対して、スポンサーであろうが再撮を命じる。そんな作品に参加したくない。おまけに僕はそんな問題をよく起こす。プロデュサーだろうが理不尽は許せない。今までも、それで何度も揉めた。ジャニーズで仕事すると、同じことになる可能性が高い。
せっかく推薦してくれた先輩の顔も潰す。なので、お断りした。ら、女友達から「もったいないー」と怒られた。が、僕はスポンサーやプロデュサーとよくぶつかり、2度と仕事をくれなくなること。よくある。いや、よくあった。だから、お断りした。
結局、その映画は製作されなかった。その程度の接点ではあったが、ジャニーズ・ワールドに接近したことがある。噂もいろいろ聞いていた。なぜ、その種の事件が報道されないか[?]も疑問だった。が、本人が亡くなり、メリーも死去したことで、ようやく真相が明らかになった。
最初は及び腰だったマスコミも動き出した。これはJ帝国の終焉というだけでなく、ひとつの時代の終わりだろう。芸能界だけでなく、日本自体が大きく変わろうとしているのだと思える。そのことはまた、詳しく書く。
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心が痛む友人の対応ーいい人なのに。でも、本人は気づかない 8月25日 [闘病日記]
心が痛む友人の対応ーでも、本人は気づかない[?]
病気のせいか[?]もともと僕が細かいのか[?]今回の治療期間中。心折れそうなこと何度もあった。ワースト1は医者だが、2番は友人。病人が傷つくことを言う奴が何人もいた。悪い奴らではない。が、分からないのだ。
1つには経験がないので、仕方ない面もある。だが、少し考えれば分かることに気づかない。例えば、治療が始まった直後に「リハビリ頑張ってくださいねー」と言われた。リハビリどころか、まだ病気の原因も分かってない。
検査をしている段階だ。その友人は極端に医療に弱い[?]でなければ、他人の病気に関心ない[?]正解は多分、無知だ。友人は脳梗塞ーと聞き、それで納得。原因が何か[?]ーとは考えず。脳梗塞→リハビリ。というよく聞く流れを想像。納得した。
ただ、こちらからすれば原因も分からず、検査が続く中。「リハビリ頑張ってー」と言われると「興味ないんだな」と、落胆と悲しさが溢れる。「もういいよ。気にしないで」と思えてしまう。
それとも病人になると、そんな風に感じてしまうのか[?]あるいは捻くれ者の僕だけか[?]でも、そんな言葉には心が痛んだ。患者には余計なことを言わず「お大事に」というのが一番なのだろう。
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病人の気持ち。理解が難しいーいや、分からないだろう。 9月25日 [闘病日記]
病人の気持ち。理解が難しいーいや、分からないだろう。
悪意がないのは分かるが、本当に無神経なものもあった。単なる下痢や風邪であれば笑って済ます言葉も、重い病気だと心が折れる。両目ともに半分が失明。喘息で息ができない。心臓が機能低下で20%まで下がる。
そんな時に患者が、どんな気持ちでいるか[?] 気持ちを察するのは難しい。というより、想像できないだろう。反論もできず、塞ぎ込んだ。「もう、やめてくれー、、、、、」という感じ。
悪気がないことが分かると、余計に辛い。その人が悪気なしに言った言葉が2?3日、頭から離れない。病気との戦いだけでなく、無神経な言葉とも、病人は耐えなければならない。僕も初めて知った。
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気づかぬ内に「インディジョーンズ」の新作。公開が終わった。 9月25日 [闘病日記]
予告編ー編集。始めなければあらない。ー映画「沖縄戦ー戦後編」 9月25日 [「沖縄狂想曲」]
さて、明日は入院の日。 9月28日 [闘病日記]
「ドキュメンタリー沖縄戦」シリーズ第三弾「戦後編」 東京公開ー決定!! [My Movie]
「ドキュメンタリー沖縄戦」シリーズ第三弾「戦後編」 東京公開できそう!!
少し先になりますが、とても良い映画館。
情報解禁になったら、またお知らせします!
今回もかなり衝撃的な内容。
ご期待下さい。
予告編−1作目
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久々の新作配信❣️「太田監督、私の映画部屋」 ー「ドキュメンタリー沖縄戦」舞台挨拶@横浜ー2023 [再掲載]
久々の新作配信❣️「太田監督、私の映画部屋」
「ドキュメンタリー沖縄戦」舞台挨拶@横浜ー2023/8 配信スタートです♪
脳梗塞で再起不能?の話。
宝田明さんの思い出。
新作映画の公開予定。
YouTubeにて
youtu.be/FiRIO2t9FVg @YouTube
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病人に言ってはいけない言葉ーまとめ 9月25日 [闘病日記]
病人に言ってはいけない言葉ーまとめ
ここしばらくの友人たちの反応を見て、あれこれ学んだ。結論、医者でないのに、病気や食生活について指示しないこと。病人は辛さを人に見せない。なのに勝手に病状を判断。「もう大丈夫だろう」とか「大したことないな」と思い込み、対応しないこと。
病人は日頃の数倍の感じる力になるようで、無神経な対応に敏感。日頃より傷つきやすい。そして相手に気遣う。間にうけて、いつもの調子で話すと、病人は傷つく。病状については触れない。良かれと思った発言も患者を、踏みつけることがある。
病気になると、想像を絶する不安感に苛まれる。しかし、患者は心配さえまいと、言わない。それに気づかず患者の方が気遣いすることも多い。「ゆっくり休んでください」「元気そうになりましたね」で十分。間違っても「まだまだ、かかりそうですね」などと言ってはならないが大切。
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病人はつらいよー元気に見せると、無神経なこと言い出す人たち 9月25日 [闘病日記]
病人はつらいよー元気に見せると、無神経なこと言い出す人たち
友達に対して、心配させたくない。と、病気が治ったと思われる。病人を傷つける発言を始める。あれこれ病状を聞いてきたり、ギャグにしたりする。
と言って、病人らしく振る舞うの問題がある。心臓機能は低下しているが、酸素吸入する必要はない。両目ともに半分しか見えないが、包帯を巻く必要はない。普通に話すことが出来る。が、まだまだメンタルが弱く、無神経な発言には大いに傷つく。
「顔色、いいから。話ができるから。もう大丈夫だ」それで普通に話されると、病人は傷つく。心配させないように、辛い話や困っていることを話さないと、余計に問題なしと思われる。心配させた方がいいのかも[?] 病人は辛いよ。
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病人との接し方ー良かれと思って相手を傷つけることも[?] 9月25日 [闘病日記]
健康だと病人の気持ちー理解しづらい。気付ける発言[?] 9月25日 [「沖縄狂想曲」]
健康だと病人の気持ちー理解しづらい。気付ける発言[?]
親しい友達から「お前、馬鹿だなー」とか言っても、怒ったりしない。信頼関係があるからだ。だが、相手が悩んでいる時。家族を亡くしたとき。病気のときに、辛辣なこと、批判的なことは言わない。
今、僕は病気で伏せっている。が、電話をするとき元気に振る舞う。すると友人たちは、いつもの感覚になる。中には病状をギャグにする奴もいる。それは笑えない。今もその病気で苦しんでいる。
「それは話したくない」というと角が立つ。少し話すと、友人はあれこれ言い始める。悪気がないのは分かる。いつもの会話だ。が、こちらは傷つく。病状を笑話にされると、心が折れる。元気な人に、そこが分からない。僕も分かってなかった。そんなことを学る。
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僕は心配されないー「あいつは大丈夫」と思われてしまう[?] 9月25日 [闘病日記]
僕は心配されないー「あいつは大丈夫」と思われてしまう[?]
友人が冷たいのではない。「太田なら大丈夫」と思われるのだ。昔、「アメリカのUSCで勉強する?ジョージルーカス監督の後輩になる」と決めた時も、友人たちはキョトンとしていたが、映画科に合格した。
帰国して「映画監督を目指す」と宣言したとき。誰もが眉を顰めた。が、15年かけて監督になった。世間では「どーせ、無理だよ」「夢は所詮は夢」というが、「成せばなる?」と思っている。
が、今回、病気になり、もう6ヶ月も闘病している。外出も出来ない。なのに友人の一部は心配していない。「太田なら大丈夫さ。いつもうまく行く」と思っているらしい。いや、今回はやばいんだよ。
再起不能の一歩手前まで行った。両目ともに半分を失明。心臓機能は20%まで低下した。が、最初に電話した時。目がほとんど見えなくなったが、誰も見舞いには来てくれなかった。大丈夫だと思われたのだ。これは信頼か[?]無関心か[?]考えてしまう。
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まだまだ脳が良くない=人との対応に悩む[?] 9月25日 [闘病日記]
病気でない人との対応ー難しい。その言葉で傷ついてしまう[?] 9月25日 [闘病日記]
病気でない人との対応ー難しい。その言葉で傷ついてしまう[?]
友人に「来月には体調が良くなりそうだ」と話すと「まだ、良くなるとは限らない。長引くかもしれないぞ」と言われた。病人に言うかな[?]そんなこと。ショックを受けた。でも、毒舌な友人ではない。
「あのなあ。病人に対しては、例え回復に時間がかかっても、ーすぐに良くなるよーと伝えるのが、病人対応だぞ」と説明した。ら、「もう、良くなったのかと、思ったから、、、」と言われた。
え[?]矛盾する。「まだ良くなるとは限りない」と言ったのに「もう、良くなったと思ったから」という。が、人の心理とはそういったものだろう。
治療はまだまだ続くが、僕は元気を出して話す。友人と会ったときに疲れた顔は見せたくない。すると友人は元気になったと思い、気遣いを止める。いつもの気分で言われる。病気でない人との対応。難しい。
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言葉で伝えても、人は印象で判断するのか 9月25日 [闘病日記]
言葉で伝えても、人は印象で判断するのか[?]
ある友人に脳梗塞で目がよく見えず、寝込んでいることを電話で伝えた。が、心配すらしてくれない。後で聞くと「声が元気そうだったから」という。「目がよく見えない」「息が苦しい」と伝えたが、内容より「声が元気」だから大丈夫と思ったそうだ。
そういえば昔、映画撮影を手伝いに来たカタギの後輩。交通費を払い。「後で領収書。送ってね」と伝えた。なのに送って来ない。催促すると「ポケットからお金を出したから、ポケットマネーだと思った。領収書必要ないんじゃ[?]」どこから金を出しても、言葉で「領収書、送って」と言ったのに。
「声が元気そう」「ポケットから金を出したから」というだけの理由で、別の解釈をする。なぜか[?] いや、彼らだけではないだろう。言葉で説明しても、「見た目」や「印象」で別の理解をしてしまう。そんな人は結構、多いのかもしれない。
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