SSブログ

最悪の日 [「沖縄狂想曲」]

330392145_2029191167278043_6655359222175541855_n202-59e8a.jpg


先週から作業を休んでいる。変に頑張るから、回復せずに喘息が良くならないのかも?と思えた。それが数日前から悪化。咳が出る。(発作にはならない)一昨日、相変わらずのお地蔵さん座り、それもかなり姿勢を良くしないと咳が出て眠れない。5分に1回目が覚める。10時に寝てから朝、5時まで7時間の格闘。

気管支の腫れが酷いのか?何か異物が胸に詰まっている感覚。ベッドをやめて、パソコン前で寝てみたり、いろいろするがダメ。疲れてて眠りたいのに寝れない。拷問と同じ。ようやく5時頃眠るが、7時には目が覚める。そんな体力なので、昨日は大変。胃が重い。飲み過ぎた時のようだ。まさに昨年の夏。

だが、あの時のようにベッドに横になっては寝られない。咳が止まらなくなる。食欲なし。トマトジュースを飲んでも胃にもたれる。原因は漢方ではないか?かなりキツイ薬なので、胃がやられる。あと、体力も低下していて内臓機能も弱っているだろう。こんな時はいつもの様に液キャベツ。でも、買いに行く元気がない。おまけに雨!

「体力ないし、無理か・・・」


と思ったけどバイクで近所のコンビニへ。これ飲めば毎回、治りが早い。結局、この日は1日、何も食べず。おまけにロクに寝ていない。まず、睡眠を取り戻そう。寝たいのに寝れない。咳が出なくても寝れない。疲れ切っているのに寝れない。何なんのか?この症状は?発作が襲ってくる恐怖を無意識に感じて、寝るのを自身で拒否?

思いだすのはテレビを見ているコクリとすることカーテンしめて、布団かぶって、準備万端だと眠れない。実践、午後から3時間ほど寝られた。何度も目が覚めるが、寝た気!がする。少し寝たせいか?気管支に異物が入ってる感覚がなくなる。胃も重くない。要は睡眠不足のせいで、体調が悪化。あちこちが悪くなる。

終日。何も食べず、真夜中前にベッドに入るが、1時間ごとに目が覚めてしまう。午前4時にはもう目が覚めた状態。風呂入って、パソコンに向かうが、疲労が抜けておらず。再びベッドへ。咳で30分ごとに目が覚めながら無理して寝る。

今は1日中。咳をしている。4週間、横になって寝ていない。


o0720048014498657971.jpg









nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

先週の終わりからは編集をお休み、静養に専念。 [「沖縄狂想曲」]

337424450_599376482236618_7096572765252956813_n.jpg

 しばらくは咳が出ても、気管支が痛くても編集作業を続けていた。

 が、1ヶ月ほど前から体調自体が悪化し、作業が出来ない。

 風邪で熱があるのにパソコンに向かっているような感じ。頭が働かない。

 そこで先週の終わりから編集をお休みして、静養に専念。

 2〜3日すれば良くなるだろうと考えた。

 ところが、よくなるどころか悪化の一途。昼間も呼吸がしづらく。

 食欲がない。微熱。下痢。呼吸困難。

 横になって寝れないので熟睡できず、体が衰弱しているようだ。

 喘息に一番良くない気温の変化のためと考えるが、かなり具合が悪い。

 思いだすと、沖縄での追加撮影時の状態に近い。あの時は国際通りまで3分なのに

 徒歩で行く元気がなく。食糧を買いにどうにかコンビニまでは行っても、郵便局までは無理。

 あの時期も寒暖の差が激しく。同じ条件。

 昨日、桜が咲いているのを確認。

 春の訪れにより寒暖差がなくなれば、復活できると期待したい。



m_E38381E383A9E382B7iD2.jpg

 
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

もう日本で反戦映画が作れない理由②=政府が怖いだけでない別の問題。(改訂版) [再掲載]

217053915_5782791091795147_6679882492750767760_n.jpg

沖縄戦を題材とした劇映画が作れない理由②=政府が怖いだけでない別の問題。(改訂版)

戦争映画が今、日本で作りづらい状況だ。安倍政権以降。戦争できる国にしたい人たちは「戦争の悲惨さを伝える映画」を作ってほしくないからだ。企業もそんな流れに逆らい、戦争の悲劇を伝えよう!とは思わない。

まして「沖縄戦を映画にしよう。企画を通そう!」という映画会社は皆無。「政権に睨まれないようにせねば...」という意識が働く。沖縄戦こそが県民を捨て石にして、本土を守ろうとした非人道的な戦闘の代表。そんな事実は封印せねば、次の戦争が始めづらいという話を前回書いた。が、本当の意味で悲しみを伝える戦争もの。特に沖縄戦を映画化できないのは他にも理由がある。

まず、金がかかる。戦争ものは高額の製作費がかかるものだが、他の戦闘なら東京に住むスタッフが車で行ける御殿場(静岡県)あたりで撮影できるが、沖縄戦は沖縄ロケが必要。車では行けない。飛行機代。宿泊費がかなり必要。また、沖縄には火薬を持ち込めない規則がある。戦争につきものの爆破シーンが撮れない。そうなると、その場面だけ関東周辺で。あとは沖縄。となると、さらに製作費がかかる。

また「沖縄戦を映画で見たい!」という観客も多くない。というのも関心がないというのではなく、知らないからだ。教科書でも数行。授業ではバタバタ通り過ぎ。終戦記念日のスペシャルドラマでもほとんど取り上げられない。

(その意味で明石家さんま主演の「さとうきび畑の歌」は貴重な作品。でも、今あれを作るテレビ局はないだろう)だから、「見たい!」という前に「知らない」だから、需要のない。おまけに撮影するにもかなりの製作費がかかる。だから企画しないのだ。

ただ、他の戦闘や原爆ものの映画やドラマは製作されている。沖縄戦と何が違うのか? 他の戦闘に関してはアメリカ軍に日本軍が殺される。日本人がアメリカ軍の武器で犠牲になる。という分かりやすい「泣ける映画」パターンになるからだ。もちろん、「アメリカ軍がやったんだ!」と強調しない。どこからか弾が飛んできて当たり、死んでいく。「戦争は悲しいですね〜」と謳う。アメリカの罪は追求しない。多くはそのスタイルだ。

だが、沖縄戦では日本軍が県民を犠牲にする。強制的に軍の仕事をさせる。少年たちを鉄血勤皇隊として戦場に送り込む。住民に死を強要。集団自決させる。という日本人が日本人を踏みつけ犠牲にするという酷い事件が数多く存在する。悲しいですね〜では済まない。許されざる行為。それを映画にしても、観客も嫌な気持ちになる。

「太平洋戦争では日本人は被害者なんだな。戦争はいけないな」とストレートに泣けるが、日本軍が本土を守るために沖縄県民を捨て石にした現実を見せられて、どう思うか? 本当はそんな過酷な現実を見つめることこそが大事なのだが、日曜日の午後。映画館で見たい映画にはなりづらいだろう。

映画会社は社会的な使命を感じていない。お上に目をつけられることはしたくない。本当の戦争の悲劇を伝えて官邸から電話をされたくない。また、過酷な現実を伝える映画は観客も観たがらないだろうと考える。だから、沖縄戦の映画は企画されない。

唯一「ひめゆりの塔」は何度もリメイクされているが、あれはストレートに女子学生達が戦争に翻弄され、アメリカ軍の攻撃で死んでいくという悲劇に当てはまるので映画化されたのではないか? あれはあれで意味ある作品だが、沖縄戦の一部でしかない。

他の戦闘も伝えるべき意義があるのに、映画化されないのは、先にあげた、あまりにも酷い、耐えられない非人道的行為が繰り返されているからだ。そんな現実を伝えることこそが大事なのだが、それをやろうとする映画会社もテレビ局も今はない。

なぜ、今、沖縄戦を伝えるべきか?というと、現在の567対応、オリンピック等が沖縄戦と同じ構図になっているからだ。国民を捨て石にして、政府が自分たちを守ることしか考えていない。国民がどれだけ犠牲になろうと平気。76年前と変わってない。

何が原因か?何がいけなかったのか?歴史から学ぶことができる。今こそ振り返るべき歴史。そのためにも映画化すべき。映画は「人々が見たい作品」を作るだけではなく「人々が見なければならない映画」も作ることが大切。それこそが映画作家の仕事のはず。なのに、それができない現実を噛み締めている。


144698748_4971400386267559_9205383203717573495_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

沖縄戦を題材とした劇映画が作れない理由=政府が怖いだけでない別の問題。 [再掲載]

218922960_5807694015971521_5048993349354774091_n.jpg

沖縄戦を題材とした劇映画が作れない理由=政府が怖いだけでない別の問題。

戦争映画が今、日本で作りづらい状況という話を前回した。安倍政権以降。戦争できる国にしたい人たちは「戦争の悲惨さを伝える映画」を作ってほしくないからだ。だから、最近の戦争映画は「日本兵は素晴らしかった」とか「大和は悲劇のヒーローだ」みたいな作品。反戦映画と謳っていても、ただ、死んでいく人を描いただけで、「なぜ、戦争は始まったのか?」「誰に責任があるのか』ということはスルー。「いっぱい日本人が死んだよー」「悲しいよー」で終わりだ。

そんな時代。沖縄戦を劇映画で描くのはもっと難しい。「ひめゆりの塔」は何度もリメイクされているが、あれは沖縄戦の一部にしか過ぎない。他にも様々な悲劇があるのに、それらが映画化ドラマ化されない。というのは沖縄戦を描くと日本軍の蛮行。非人道主義に触れなければならないからだ。日本政府は沖縄を捨て石にして、県民がいくら犠牲になろうと、本土決戦を準備する時間を稼ごうとした。そのために県民の4分の1が死んだ。

軍は県民の14歳から70歳までを動員。戦争準備等に駆り出した。賃金も払わず、軍の食事、準備、弾薬の運搬、飛行場作り等をさせた。中学生は鉄血勤皇隊として戦場に出された。県民の避難計画はなく、軍が県民を防空壕から追い出す。食料を取り上げる。最終的に邪魔になった県民に自決命令まで出されている。人を人とも思わぬ日本軍の蛮行。沖縄戦を描くとそこを避けて通れない。ももう一度戦争をしたい勢力にとって封印したい歴史なのだ。

実際、彼らが作る教科書からは沖縄戦の記述は5行。集団自決等の事実は全て消しされれ「日本軍はよく戦い。県民もよく協力した」という戦争を肯定するかのような記述。その教科書で高校生に教えようというのだ。そんな彼らが支持する安倍政権。総理が辞めても閣僚の多くはあの団体に所属している。政権だけでなく、企業も、そんな勢力に逆らい、沖縄戦を伝えよう!とは思わない。実際、この数年は終戦記念日前後のスペシャルドラマで戦争ものの数が減っている。

まして映画で沖縄戦に出資しよう。企画を通そうという映画会社は皆無。「政権に、団体に睨まれないようにしよう」という意識が働いている。また、沖縄戦を劇映画にするには金がかかる。他の戦闘なら御殿場あたりで撮影できるが、沖縄ロケハ大変だ。車では行けない。飛行機代。宿泊費がかなり必要。また、沖縄には火薬を持ち込めない規則がある。戦争につきものの爆破シーンが撮れない。そうなると、その種の場面だけ関東で。あとは沖縄。となると、さらに製作費がかかる。

さらに「沖縄戦を見たい!」という観客も少ない。「永遠の」何とかみたいに嘘ばかりでも泣ける映画が見たいと考える。そもそも、沖縄戦に関心がある人が少ない。映画界にもほぼいない。学校でも沖縄戦は教えない。ニュースでも触れない。NHKの上部だけのドキュメンタリー。それも過去に放送したっきり。だから、映画会社も沖縄戦では儲からないと判断。企画しない。でも、だからこそ、沖縄戦を映画化するべきなのだ。

今の時代。567対応、オリンピック。沖縄戦と同じ構図だ。国民を捨て石にして、政府が自分たちちを守ることしか考えていない。国民がどれだけ犠牲になろうと平気。全く同じ。76年前と変わってないことを痛感する。何が原因か?何がいけなかったのか?歴史から学ぶことができる。沖縄戦は今の時代に見つめ直すべき歴史なのだ。

だが、どこの企業も金を出さない。どの作家も興味を持たない。中にはドキュメンタリー映画を撮り、描いてはいけないところまで描いて、スポンサーに嫌われた人もいるようだ。結局、DVDもテレビ放送も止められたと聞く。沖縄戦の真実を描くと、そうなるのだろう。しかし、今こそ振り返るべき歴史。「人々が見たい映画」を作るのではなく、「人々が見なければならない映画」を作る。それこそが映画作家の仕事のはず。なのに、それができない現実を見つめるしかない。



144698748_4971400386267559_9205383203717573495_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

4月になれば病気は? S&Gか! [「沖縄狂想曲」]

336885325_768515491284652_7031435656053517959_n.jpg


インタビュー映像を入れて行くと、ドキュメンタリーらしくなる。

まだ、1人目だが、これが2人、3人になると世界観が広がって行く。

ただ、季節の変わり目。喘息は悪化したまま。

本当に何もできない。息が苦しく。気管支が包丁で刺された後のように痛む。

それさえ治れば、本格的に作業できるのだが、

担当医の話だが、季節の変わり目が危険。その通りになった。

ならば完全に春になり、暖かくなれば症状は緩和するはずだ。

すでに3月下旬。そうなるのは4月か?

ここしばらくまた冬に逆戻り。気温の寒暖差が喘息に良くない。

4月まであと1週間半。

そんな長くは待てないのだが。


0520_otome_B5_omote_02.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「日本人は戦争の犠牲者」?それとも加害者?=戦争映画で描かれないものとは? [再掲載]

スクリーンショット 2021-03-19 9.54.07.png

「日本人は戦争の犠牲者」?それとも加害者?=戦争映画で描かれないものとは?

日本の戦争映画。近年、多いのは「日本人は立派に戦った!」という手の映画。あの作品が代表だが、とても評価できないない。まるで修正された歴史の教科書だ。以前、多かったのは「こんなに多くの人が犠牲になった。もう戦争をしてはいけない!」ーこれはこれで意味あるものだが、言い換えれば「日本人は被害者だ!」と主張している感じもあり、加害者としての日本を描かないと公平でないように思える。

ただ、犠牲を悼み、戦争を繰り返さないということは必要。その意味ではこの手の作品も重要ではある。が、映画は娯楽という面も強いので、加害者として描くより、被害者として描いた方が「観客が泣ける」ということがある。そちらの方が多く作られる。加害者の面を描くと、日本の客が見て辛い気持ちになる。入場料を払ってそんな思いはしたくないので、映画会社もその手の作品を積極的には作ろうとしなかったのだろう。

「ドキュメンタリー沖縄戦」を担当して以来。太平洋戦争には興味を持ち、いろんな映画を見てきたが、感じるのは「悲劇」を強調する作品が多いこと。後者のタイプだ。もちろん、「人間の条件」「戦争と人間」のような加害者である日本を描く作品もあるが、圧倒的に「被害者」としての側面を描く。そして軍目線の作品が多い。軍旗もの的なものだ。

何だか歴史の勉強。「知ってるつもり」戦争編のような感じで、勉強にはなるが、何か他人事、別の世界の物語。時代劇のような自分とは関係のないことに思えてしまう。また、戦争責任も「軍部の暴走」として簡単い節明していることが多い。血気盛んな将校たちを俳優たちは演じているが、その背景となったのが何か?よく分からない。また、日本人が戦争に飲み込まれていく過程を描いた作品も見かけない。

ただ、戦後。75年。終戦から時間が経たないと描けないことがある。例えば家族を戦争で失った関係者が、それを小説にしろ、映画にしろと言われても、最初は悲しみを描くしかできないはずだ。冷静になる時間が必要。しかし、今は時間が立ち過ぎて当時を知る人がいなくなり、それを描く作家がいなくなるという時期に来ている。だから、近年の映画は「戦争への憧れ」で作られるものがある。本当の悲しみを知らないから、かっこよさに惹かれ、美化したものになる。

果たして海外の作品はどうか? アメリカでも映画「グリンベレー」まではベトナム聖戦だったが、そこから「ディア・ハンター」「プラトーン」と悲しみと無意味さを描く作品が出てきた。が、いまだに「ベトナム戦争」の根本的な意味を問う作品は出ていない。そこは日本と同じ。だが、日米ともにそれを描かなねばならない時期ではないか? そんなことをあれこれ考える。



144698748_4971400386267559_9205383203717573495_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

インタビューパートの編集をスタート! [「沖縄狂想曲」]

336885325_768515491284652_7031435656053517959_n.jpg


インタビューパートの編集をスタート!

この数日、体調不良の上、喘息がさらに悪化したので何もできなかった。

が、今日はちょっと調子いいので、

思い切ってインタビューパートの切り出しをやってみた。

意外に行ける。と言うか、

インタビューだけで40人ほどいる。

1日に2人分でも20日。

進めて行こう!時間はもう多くはない。


m_E38381E383A9E382B7iD2.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

病気の苦しみは、やはり他人には理解できないのだろう。 [「沖縄狂想曲」]

330392145_2029191167278043_6655359222175541855_n202-59e8a.jpg


病気の苦しみは、やはり他人には理解できないのだろう。

喘息が相変わらず良くない。敢えて例えるなら胸を出刃包丁で刺され、その傷がまだくっ付かず、癒えていない状態。常に胸がズキズキし、何かにつけ咳が出る。時には咳が止まらなくなり発作となる。1時間くらい咳が続く。掃除も、洗濯も、仕事もできない。

体を温めると咳が出る。冷やすと体調が悪くなり微熱。もう3週間ほどベットで横になって寝てないので、疲労がかなり蓄積。下痢、気力減退、呼吸困難。様々な症状が併発。薬は毎日、服用しているが、すぐに効くものではない。このところ寒いと暖か日が交互。喘息には一番良くない環境。

と言うことを何度も書いているが、コメント欄に「****を過去にしたことはありますか?」と質問。喘息の原因を特定しようと言うのだ。あのね?医者でもない人、僕に会ったこともないのに、なぜ、病人に時間と手間を取らせて答えさえようと言うの?既に病院に行き診察を受けて原因も分かり、薬ももらっている。

あなたが医者で「もしかしたら喘息ではなく**かも!」と言うのなら分かる。が、それも会った事もなく、医者でもない人が聞き齧った病気の情報をもとに、あれこれ質問してくるのはどうなのか? それは親切心から始まったとしても、大きなお世話であり、こちらをイラつかせるだけにしかならない。それでなくても体調が悪いと精神的に不安定になる。

また「お見舞いを送ります」とメッセンジャーをくれる方もいる。ありがたいことだ。会ったことはないが、かなり昔からのFB友達であり信頼できる人。ただ、そのために住所を知らせ、見舞いが届いたらまた返事をせねばならない。喘息で苦しい中、その気力がない。「住所送るくらい!」と思うのはあなたが健康だから。

出刃包丁で胸を刺された状態では、その痛みに耐えるだけで精一杯。ここ数日、編集作業も全くできていない。ようやく昨日は回復の兆しを感じて、作業を再開したら、いろんな人からコメントやメッセージ。親切はありがたいが、回復したわずかな体力と気力を、その人たちの対応やお礼に使いたくない。締め切りが近づく仕事に使いたい。

既に交流がある友人からもお見舞いを頂いているが、そちらには一切、お礼メールはしていない。元気になった時にまとめてお礼させてもらう。そして彼らも、病人が無理を押してお礼を言ってくることを期待はしていない。

だが、お会いしたこともない方から、あれこれ親切にしてもらって、なしの礫では済まない。「いいえ、私はいいんです」と思うだろうが、こちらが心の呵責を感じる。また、住所を連絡せねばならない。メールには一言、お礼や感謝も添えたい。その言葉を考える。そんな行為がストレスになる。元気な時ならいいが、病を抱えて気遣いは厳しい。

取材中はストレスの嵐。ようやく解放、1人で編集!と思ったら、あれこれ心配する人、気を配る人。本来、ありがたいことだが、そのために、病人が時間を取り、対応。言い換えればうつ病の患者に「頑張ってください」(一番いけない励まし)と言って、その患者がお礼メールをするようなもの。

うつ病ならまだ理解される。喘息がどんな病気か?把握している人は少ない。少し前にも飛行機の搭乗前「喘息でマスクはできない」と会社側に伝えたのに、機内でCAがやってきて「1時間経ったのでマスクしてください」と言う。驚愕した。何も知らない者が無知を押し付けて来た。

多くが喘息という病気を知らないので、親切心のつもりで(飛行機会社CAは親切心ではなく、マスクさせろ!という会社方針を必死で守るため)優しい気持ちであったとしても、患者の負担になることに気づいていない。

また、集中力を上げるために、長めの記事を書いてアップすると「あ、監督、元気に書いている。良くなったのね!」と思ったり。パンの記事を書くと「喘息良くなったのね!」と判断。誤解を生むのは僕にも責任があるだろう。ライティングと「編集」で使う脳のパートは同じ。それを活発にする行為なのだが、それは理解できないだろう。咳き込みながら何もできず、トイレに行くだけで息が切れる。呼吸が極めてしづらい状態。それでも編集のために自分を追い込む。

親切心で言ってくれるのは分かる。が、息が苦しいのに返事を書くことはできない。やはり、他人の病気は理解できないのだ。僕も花粉症の苦しみは分からない。毎年、出る症状は微々たるもの。花粉症のひどい友達に、あれこれ頼み事をしたかもしれない。もうFBをしばらくお休みするしかないか?ただ、そうなると「死んだ!」と思われる可能性もある。その辺を考えていきたい。


m_E38393E382B8E383A5E382A2E383ABE6A8AAC.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

他人の痛みは実感できない=病気だけでない。原発も沖縄問題も同じだ!(改訂版) [沖縄の現実]

336181903_741223330928301_3409572436580272358_n.jpg

他人の痛みは実感できない=病気だけでない。原発も沖縄問題も同じだ!(改訂版)

喘息で発作が出るので、ベッドで横にならず座ったまま寝ている。当然、熟睡できず、疲労が溜まっていく。もう2週間もそんな日々が続く。体調自体も良くなく、胃や腸の機能も低下。こんなふうに毎日詳しく闘病記を書いているのに、常連さんから超的外れなコメントが来る。病気に関わらず他人の苦しみは、分からないものなのだ。

逆の話もある。私の花粉症は毎年、極めて軽い。朝、少し鼻水が出る程度。日中、目が痒いことがあるが、すぐに忘れる。特別な対策は何もしない。対して多くの友達は花粉症で苦しみ「目の痒みが耐え難い。目玉を取り出して洗いたいほど!」と嘆く。大変そうだが、実感として分からない。

330393939_125012597035726_4830259189051116199_n.jpg

また逆に、私が胃痛で苦しんだ時も同様。強度のストレスで胃酸が出過ぎて胃自体を傷つける。穴が開きそうな痛み。疼くまり歩けなくなる。そんな時、薬がなければ何か食べることで、胃液を本来の消化に使い、意を守り痛みを止めるしかない。

その場にいた友人に「何でもいいから食べたい....」というと、胃痛経験のない友人は「いい大人が、子供みたいだぞ〜!」と笑っていた。実感できないのだ。

他人の「痛み」「苦しみ」というのはそういうものなのだ。「可愛そう」とか「哀れ」と上から目線で同情することしか出来ない。それは「戦争」「原発事故」も同じ。「気の毒だね」「寄り添いたいね」と言っても他人事。人はどうすれば自身が、その不幸を体験したような気持ちになれるか?

161664574_5181289601945302_2542155290641518553_n.jpg

それを実践したのが映画「朝日のあたる家」である。原発事故に巻き込まれるとどうなるか?を体験してもらうために作った。今、話題の大臣はかつて「原発事故で死亡者は出ていない訳だし、このまま推進すべきでは?」と発言した。が、死ななくても家や仕事を奪われ、家族がバラバラになり、故郷を奪われることをどう思うのか?福島の悲しみを実感していないからこそ、あのような無神経な発言ができたのだ。

高市だけではない。多くの日本人は原発だけでなく、沖縄の現実も実感できない。「基地。大変だね〜」それで終わり。では、どうすれば県民の「苦しみ」や「悲しみ」を痛感してもらえるか? それを実践するのが私の次回作。現在、編集中。自分のことのように怒り、悲しみ、黙ってられなくなる。それを実感してもらえる映画にしたい。

160426668_5174791045928491_1238447821849389945_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画