太田監督の映画製作日記ーバックナンバーが読めます!三つのブログ [2018]
太田監督の映画製作日記ーバックナンバーのお知らせ
毎日アップしている記事。バックナンバーがブログで読めます。カテゴリー別に分けてあり、検索もできるので便利です。作品ごとになっていて、
●「明日にかける橋」監督日記
企画時からキャスティング、撮影、編集、完成披露試写会、宣伝、全公開、地元公開、そして今週末のアンコール上映まで。その先もお知らせがあるごとに更新します。現在、So-netブログ映画部門で10位。
https://cinematic-arts.blog.so-net.ne.jp
●「朝日のあたる家」監督日記
こちらも企画時から撮影、公開、DVD発売。その後の展開。最近は社会派の記事は全部、こちらにアップ。安倍内閣、トランプ、原発問題、さらには精神病、アッキード事件、ディープステイトの件まで。「朝日」路線の硬派記事を多く掲載。現在、So-netブログ映画部門で16位。
https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp
●「ドキュメンタリー沖縄戦」監督日記
これが最新作。春完成予定のドキュメンタリー映画。沖縄取材、沖縄戦勉強から、編集、この後は試写会、公開まで経過を詳しくレポートします。沖縄問題、戦争のことも綴ります。
https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp
ジャンルを選んでクリックすれば、その記事がズラーと出ます。映画界で仕事したい方。監督になりたい。俳優になりたい。スタッフをやりたい。という人も、現場の様子、作業の流れがよく分かる記事がいっぱい。
映画ファンの方も映画サイトでは伝えない、過酷な現実も掲載しています。もちろん、舞台裏も詳しく書いているので、映画が2倍楽しくなるはず。興味ある方は是非是非、お読みください。
太田監督の映画製作日記ーバックナンバーのお知らせ [2018]
太田監督の映画製作日記ーバックナンバーのお知らせ
毎日アップしている記事。バックナンバーがブログで読めます。カテゴリー別に分けてあり、検索もできるので便利です。作品ごとになっていて、
●「明日にかける橋」監督日記
企画時からキャスティング、撮影、編集、完成披露試写会、宣伝、全公開、地元公開、そして今週末のアンコール上映まで。その先もお知らせがあるごとに更新します。現在、So-netブログ映画部門で10位。
https://cinematic-arts.blog.so-net.ne.jp
●「朝日のあたる家」監督日記
こちらも企画時から撮影、公開、DVD発売。その後の展開。最近は社会派の記事は全部、こちらにアップ。安倍内閣、トランプ、原発問題、さらには精神病、アッキード事件、ディープステイトの件まで。「朝日」路線の硬派記事を多く掲載。現在、So-netブログ映画部門で16位。
https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp
●「ドキュメンタリー沖縄戦」監督日記
これが最新作。春完成予定のドキュメンタリー映画。沖縄取材、沖縄戦勉強から、編集、この後は試写会、公開まで経過を詳しくレポートします。沖縄問題、戦争のことも綴ります。
https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp
ジャンルを選んでクリックすれば、その記事がズラーと出ます。映画界で仕事したい方。監督になりたい。俳優になりたい。スタッフをやりたい。という人も、現場の様子、作業の流れがよく分かる記事がいっぱい。
映画ファンの方も映画サイトでは伝えない、過酷な現実も掲載しています。もちろん、舞台裏も詳しく書いているので、映画が2倍楽しくなるはず。興味ある方は是非是非、お読みください。
2018年 最後のご挨拶 [2018]
2018年 最後のご挨拶
年末年始も編集作業。ようやく変換作業が終わる。これで編集作業に専念できるが、もう大晦日。今年1年を振り返ってみる。2018年は何と言っても「明日にかける橋」公開の年だった。
12月 地元で完成披露試写会
1月〜 再編集
3月 沖縄取材
4月〜 宣伝開始
6月 東京・有楽町スバル座で公開
沖縄取材
8月 ロスアンゼルスの映画祭に出席
9月 地元。静岡県公開
10月 全国公開
11月 沖縄ポスプロ開始
12月 沖縄取材ー編集開始
ほとんどが「明日にかける橋」そして沖縄取材。そして現在は編集作業。これであっと言う間の1年。多くの方々の応援支援で、「明日にかける橋」はヒット。地元TOHOシネマズでは9週間のロングラン。太田組作品の中でも記録的なものとなった。
1番の功労者は地元・実行委員会の皆さん。彼女たちの活躍なしに、記録的なヒットは望めなかった。映画の全国公開で多くの人が遠州の町々の美しさを知ることができた。明日橋を実際に見てみたい!と感じただろう。
さらに多くの友人、知人、地元の皆様。そして宣伝協力してくれた方々。ツイッター、Facebookで告知してくれた方。シェアしてくれた方々。多くの人の力があったことにも感謝したい。そんな皆さんの力があったからこそ映画を全国発信できたのだ。
そして多くの沖縄の皆さんの協力で、2年に渡る取材。来年、春完成を目指して「ドキュメンタリー沖縄戦」を現在編集中だ。本日の大晦日も編集。明日の元日も編集だ。素材は膨大。2月下旬までに編集を完了し、3月には仕上げにかかりたい。それには余りにも時間がない。ひたすら作業を続ける。
多くの皆様。本当にありがとうございました。良いお年を!
「ここ数日、記事が多いなあ。監督、編集サボって記事書いてんじゃない?」 [2018]
「ここ数日、記事が多いなあ。監督、編集サボって記事書いてんじゃない?」
と思っているあなた。大丈夫。編集には「書き出し」とか「変換」という作業があり、セットするとパソコンがやってくれる。30分とか1時間とか。その間にパソコンを操作して、他の仕事をすると作業が止まってしまい、1からやり直しになることがある。
だから、PCには触れない。現在は2台のパソコンを使って作業をしているが、両方で「書き出し」「変換」が続いている。だいたい1件につき30分から1時間。その間に映画を観に行く訳にも行かず。書き出し作業が順調に行っているか?もチェックするには、外出はできない。
そこでノートパソコンを使い、毎日の記事を書いている。長めの記事なら30分くらいでかける。ということで、このところ1日に3つくらいの記事をアップしている。
また、記事を書くのは進行報告だけでなく、自分の考えをまとめるという効果もある。頭であれこれ考えていると、取り留めがなくなることがある。が、文章にして書くには論理性が必要なので、自分の考えての筋が通らない部分、思い込みで考えている部分、見落としている部分等に気づく。
また、文章にすることで「ああ、俺はこんなこと考えていたんだ」と気づいたり、問題の解決法や結論が見えてくることもある。頭で考えると、問題や悩みを「あーーどうしよう? どーすればいいかな〜」と同じことを何度も考えてしまい、堂々巡りになることがある。それを文章にすると、論点がはっきりして、解決に向かうことが多い。
そんな意味で先日から書いている「情報把握能力」これは結構、大きなカテゴリーで、他に考えている問題にもリンクしてくることを発見した。また、そのことについても書いていきたい。「書き出し」の時にでも!
次回作は何ですか?と聞かれる。ホラー? 1980年代シリーズ? [2018]
次回作は何ですか?と聞かれる。ホラー? 1980年代シリーズ?
現在はドキュメンタリーの「沖縄戦」を編集中。来年の春には完成。「では、その次は?」と友人から聞かれた。それはさすがに決まっていない。彼が期待しているのはやはり劇映画。「明日にかける橋」の次はどんな物語を作るのか?楽しみにしてくれているようだ。ありがたい話だが、本当に依頼も何も来ていない。そう話すと
「じゃあ、どんな作品を撮りたいですか?」
と言う。企画だけはいろいろある。これまで地方を舞台にした感動ドラマが多かった。だから、その路線というのが一つ。もう一つにはこれまでになかったタイプの作品。
精神病を題材としたドラマだ。実はすでに3本ほど、そのネタで書いたシナリオや小説がある。が、さすがに町興し映画でそれはできないので、企業映画として作るしかない。ただ、精神病ネタというと、嫌がられるので難しい。そんな一つ。これはまだシナリオにしていないが、境界性パーソナリティ障害をモチーフにした作品を一番やりたい。
これは病気の物語というより、心のあり方を描いた作品。心に秘めた醜さと歪み。嫉妬と愛情。を見つめる映画。近い作品でいうと「危険な情事」「氷の微笑」「ミザリー」というところか? ある意味では「怪奇大作戦」かもしれない。
「えー監督がそんな怖いの撮るの?」
と言われそうだが、以前はホラーも撮っていて、めっちゃ評判が良かった。その泣ける版を目指したい。あと言われたのは
「1980年代」シリーズは続けて欲しいですね!
「向日葵の丘」は1983年年。「明日にかける橋」は1989年だ。80年代は残り8年分ある。とはいえ、当たり年と外れ年というのがあり、やはり83年と89年はドラマテックだった。映画にしやすい。それでいうと、1985年も当たり年。
僕がアメリカ留学した年でもあり、人生の分岐点。同時に日本もバブル時代がスタート。1980年代前半とは違う新しい文化が生まれてくる。音楽シーンも歌謡曲からJpopに展開。アメリカは衰え、日本は活気付いていく。ちょうど今の反対だ。時代としては面白い。が、そこに今を反映できる何かを見つけらければドラマにはならない。
1980年も当たり年。いろんなことが始まった年。僕が高校を卒業。上京して映画学校に通いだした。そうそう、先日見た冨田佳輔君が出演した映画「青の帰り道」で描かれたような青春を送っていた。その映画を見たときも思ったのだが、前々から1980年の青春映画は作りたいと思っている。
当時の僕は下宿アパートという感じのトレイ共同、風呂なしの四畳半の部屋に住んでいた。家賃は1ヶ月1万円。銭湯に通い、近所の大衆食堂でご飯。「神田川」の世界の名残がまだあった時代だ。
映画監督を目指し日本各地から集まった18歳。藤子不二雄ら若手漫画家たちが住んでいたトキワ荘のような下宿アパートがあり、そこに監督志望、俳優志望の男の子たちがいて、映画と恋と、変態(?)と、抱腹絶倒の青春物語。
いつか作りたい!と思いながら、未だに実現していない。が、すでにその手のアパートはなくなり、町の風景も様変わり。今作るとセットとCGで高額の予算がかかるだろう。でも、「事実は小説より奇なり」本当にあった青春物語を話すと評判はいい。
「当時でも、そんな体験をしている若者はなかなかいないよ!」
と言われる。それが映画化できるなら「1980年」はベストかもしれない。もちろん、地方を舞台にした感動物語でもネタはまだある。が、とにかく今は「沖縄戦」を仕上げることが大事。春まではそれに専念だ。
怖い夢を見て目が覚める。まだ、外は真っ暗。夜明け前。 [2018]
怖い夢を見て目が覚める。まだ、外は真っ暗。夜明け前。
だが、もう一度、寝ることもできず、起き出してこの記事を書いている。どんな夢だったか? 詳しくは覚えていないが、変な建物で撮影していて。俳優たちが全然言うことを聞かず、おまけに皆、素人。その上、建物が変で下の階に降りる階段が異常に狭くて、つげ義治の漫画にあったような感じで、次第に建物がから出られらなくなる。
編集のプレッシャーのせいか? 先行きが不安なせいか? 時々、夜中に目が覚めて寝られないことがある。映画界はなかなか大変な業界。華やかではあるが、生活は保障されない。何をすれば成功するか?という定義もない。スタッフはまだ仕事があるが、監督業と俳優業はさらにリスキー。
どちらもブレイクすれば注目されるが、宝くじに当たり続けるようなラッキーがないと続けられない。批判や中傷を受ける。妬みもある。あれこれ事実ではないことも言われる。中堅どころの有名監督は2人自殺している。お1人とは自殺の前年にお会いしていた。映画会社に失望しているとの話を聞かせてくれた。
俳優業も大変だ。精神的におかしくなる人もいる。女優に多いと聞く。繊細でないと演技はできない。でも、繊細だとプレッシャーに弱い。ノイローゼや精神病になる人もいる。僕も何人か知っている。以前は非常に気遣いをするいい子だったのに、今では発言がおかしい。長年に渡り自分を抑え、耐えてきたことで、何かが壊れてしまったようだ。
スタッフでも1人いる。発言がおかしい。もともと映画人はおかしな奴が多いが(お前が言うか?と言われそうだが)風変わりな人と精神病は微妙に違う。勉強すると分かってくるが、興味がない人にはどちらも「変な奴」と思えるだろう。その彼もしばらく仕事がなく、あれこれ奮闘しているのだが、前に進めずにいる。
映画関係に関わらず、世の中はストレスが多い。繊細でナイーブな人には生きづらい世の中。うつ病は「心の風邪」と言われるが、心は歪んだり、傷ついたり、血を流したりする。それは形として見えないだけで、病んでしまう。そんな時に自身を守る働きが精神病ではないか?と思えることがある。
多くの精神病は情報処理能力の欠如。まともに情報を受け取り、把握できなくなることで、間違った判断をする。それに基づいて発言するので、他者から見ると「あの人、何か変!」となる。しかし、まともに現実を受け入れると、心が壊れてしまうので、間違った判断で自分を守っているように思える。
これは精神病だけに関わらず、多くの人にも見られる反応だろう。「政治腐敗が酷い」「また消費税値上げ?いい加減にしろ」と思うが、自分には何もできない。テレビを見ると「アベノミクス。まだ道半ば」「安倍政権支持者。40%」とか言っている。「そんなアホな!」と思っても、そんな報道を受け入れることで「少しづつでも世の中良くなるだろう」と納得しようとする。諦めようとする。
そうしないと心が壊れてしまう。そんな気休めができないのか? 心が壊れた人たちがいる。嘘を言ってでも注目を浴びたい人。尊大な態度で人を踏みつける者。被害者を演じて他者を攻撃する人。周りにいる者は堪らない。
でも、今の時代。正気でいる方が難しいのかもしれない。そんな中でどう生きるべきか? 考える仕事が映画作りだと思えている。
「明日にかける橋」ららぽーと磐田にて 来年1月12日(土)( 1日限り)アンコール上映が決定 [2018]
沖縄戦ドキュメンタリー日記 米軍と日本軍の両方から苦しめられる? [2018]
「沖縄戦」編集スタートしたが、3日目でストップ。毎日外出で作業進まず? [2018]
「沖縄戦」編集スタートしたが、3日目でストップ。毎日外出で作業進まず?
まだまだ上手く使えない編集ソフトのFINAL CUT X。初めてガンダムに乗ったアムロ君の気持ちが分かる。いや、アムロの方が凄い。もう、ブライトが初めてモビルスーツを操縦した感じだろう。まだまだ、把握には時間がかかる。にも関わらず、3日目から毎日外出。
1つは沖縄で入手した大量の映像データを変換せねばならない。1ヶ月以上前に2週間もかけて作業したのだが、全部ダメ。何か分からない入力ミスでアウトになった。原因が何か?まず、専門家に聞きに行く。が、彼も多忙。ようやく時間を取ってもらった。
次に税理士さんに相談。今回の編集は1月2月が決戦だ。でも、申告も2月が締め切り。1人で両方はできない。どちらも大事。その辺をどうしようか? 相談。税理士も最終的な手続きはしてくれるが、そこまでの領収書の整理、貼り付け、エクセルへの打ち込みは全て僕自身がせねばならない。
締め切り日を確認したが、やはり苦しい戦いとなることも確認。その前日は、映画スタッフと打ち合わせ。これは「明日にかける橋」関係。来年1月のアンコール上映のことを伝える。そんなこんなで部屋にいる時間がなく、外で打ち合わせの連続。この4−5日帰宅は深夜。
にも関わらず朝まで「24」を見てしまったり。早く編集作業に戻らなくては! あと、いろんな方からメール連絡を頂いている。早くお返事せねばならない。みなさん。すみません!
「監督ですよね? いつもFacebook拝見していますよ」と言われてビックリ! [2018]
【「監督ですよね? いつもFacebook拝見していますよ」と言われてビックリ!】
先日、沖縄の空港でスタッフを待っていた時のこと。
「太田監督ですよね?」
と声をかけて頂いた。
「Facebookで沖縄に来ていると書かれていたので、多分、ご本人だと思って!」
と。いやいや、ありがたい。そして、少し前に参加させてもらった忘年会。その時も、いろんな方から
「監督。いつも Facebook読ませてもらっています」
とご挨拶頂いた。ふぇー〜僕みたいなチンピラ監督の Facebook記事を読んでくれているなんて〜。嬉しいより恐縮。そんなことをブログに書くと、いつも応援してくれている方が
「太田監督はネットの世界では有名ですよ!」
とコメントをくれた。はあ、そうなの? だって、Twitterのフォロワー数も、 Facebookもお友達数もそんなに多くない。まあ、映画監督という仕事上、面白がって来る人が多いので、カタギの友人なんかよりはフォロワーも、友達も多いが、同業者なら、凄い数の人はいっぱいいる。なのに、このところいく先々で
「Facebook読ませてもらってます」
と言われることが続いた。最近の若い人はよくいう。
「有名になりたい!」
俳優になりたいのではなく、有名になりたいと。でも、仕事をする有名俳優たちを見ていると本当に大変だ。賞賛と共に批判や中傷もやって来る。プライバシーがなくなる。見ていると有名になることの代償は大きい。さらに僕自身、昔から有名になりたい!という思いがない。
ただ、映画監督を続ける上で、有名というのは武器になり得る。「あの監督が新作を撮ったんだって!」とそれだけで話題になる。宣伝になる。映画を見てもらえる。仲のいい俳優さんからもそう説教されたことがある。
しかし、知名度を一気に高めるには、やはりテレビ。全国放送。それには出たことがない。全国紙、有名雑誌、地方紙、地方のテレビ、ネット番組等には何度も出してもらったが、テレビの全国放送はない。なので、やはり知名度は低い。なのにここしばらく、声をかけてもらえたのはなぜか?考えた。
一般の方々。あるいは普通の映画ファンは僕のことを知らないだろう。メガヒット作がないし。それこそテレビには出ていない。「徹子の部屋」辺りに出られれば凄いことになるのだろうが、絶対に声はかからない。ただ、言葉にある通り Facebookの存在がある。それとTwitter。ブログ。社会に関心を持ち、原発や辺野古問題に向き合おうとする人たちの間では、
「お? 面白い奴がいるな? 原発の映画撮ってんだ」
と思って注目してくれている人がいるのだろう。おまけに FacebookやTwitter、ブログは10年近く続けている。というのが、ここしばらくの背景ではないか?
「やったー」ということではない。今でも僕は「有名になりたい!」と個人的には思っていない。映画は大ヒットして有名になってほしいが、僕はいい。けど、先に書いたように宣伝するには監督も知名度があった方が便利なのだ。その意味では嬉しいことだろう。
ただ、このところの反応は結構大きく、個人的に驚くものがあった。なのに僕は結構、好き放題に Facebook記事を書いている。バカなことも書く。マニアでオタクか?という記事もある。多くの人が読んでいることを改めて意識して書かねばならないこと。感じる。(でも、言いたいこと書くけど!)
沖縄戦を見つめると、現代の日本。未来の日本が見えてくる?=米軍の上陸作戦。実は***の建設が目的だった? [2018]
沖縄戦を見つめると、現代の日本。未来の日本が見えてくる?
今回は沖縄戦を描くドキュメンタリー。取材前に勉強を始めると、いろんなことに気づいた。まず、なぜ、沖縄にあんなに米軍基地があるのか? ご存知の通り、太平洋戦争で日本が負けたからだ。興味深いのは、当時の米軍は日本軍壊滅のためというより、基地建設のために上陸作戦を立案している。
米軍が沖縄本島に上陸した地点は北谷、読谷村。島の西側である。そこから近い場所にあるのが、読谷村飛行場。それを奪うことが一番の目的だった。その飛行場がある場所こそが、現在の嘉手納基地である。太平洋戦争時に奪い、占拠したその飛行場に今も米軍は居座り、基地として使用しているのだ。
なぜ、飛行場を一番に狙ったか? それは米軍の目的が最初から日本本土を攻撃するための前線基地を沖縄に作るためだからだ。そんな風に沖縄戦を勉強していくと、単なる過去の出来事ではなく、現在に繋がり。さらには米軍の思惑。日本政府の考えも見えてくる。
日米地位協定、日米安保条約、日米合同委員会、と、そこからいろんなことが始まったこともわかってくる。その意味で沖縄戦を見つめることは歴史の勉強だけでなく、今の日本を、未来の日本を知ることにも繋がる。それを難しい本を読むのではなく、映像を通して分かりやすく描いたのが、僕の新作だ。お楽しみに!
沖縄戦はドキュメンタリーと聞き、「え?」と思う人もいたかな? [2018]
沖縄戦はドキュメンタリーと聞き、「え?」と思う人もいたかな?
ここ数年。僕が監督したのは劇場用の映画。「明日にかける橋」も「向日葵の丘」も「朝日のあたる家」も、劇映画(ドラマ)である。そのせいか「今回はドキュメンタリーなの? 大丈夫かな?」という声も聞いた。
だが、もともと僕の監督デビューは「メイキング」撮影現場を記録したあれ。つまりドキュメンタリーだった。その後、モーニング娘。のドラマのメイキング等を担当。どれも評判が良くて、次々にメイキングの依頼が来た。
が、本当にやりたいのはドラマ。なのに、頑張ってやるほどに、メイキングの評判はよく、依頼が続いた。なので、ある時「もう、メイキングしない!」宣言までした。その後、深夜ドラマの演出などをして、ドラマ監督デビュー。で、メイキングやらな宣言も止めて、テレビ・ドキュメンタリーや大林宣彦監督の映画「理由」のメイキングも担当させて頂いた。(「理由」のDVDに収録されています)
さらには「向日葵の丘」「明日にかける橋」のメイキングも実は僕が編集している。そんなわけでメイキング=ドキュメンタリーは結構得意なのだ。静岡県内のみで放送された「明日」のメイキング。「越後はる香ー16歳の挑戦」このFacebookでも編集過程を連載したが、本当に素材が酷買った。
が、それを編集で何とかした。この10年で一番キツイ仕事で、何度も怒りで神経が切れそうになったが、できたものの評判はかなり良かった。ということで、「実はドキュメンタリーも得意なのです!」ということを書きたかった。「え? 次回作はドキュメンタリー。大丈夫」という方。ご安心を!
居酒屋で誰かが履いて帰った僕のスニーカー。結末編 [2018]
居酒屋で誰かが履いて帰った僕のスニーカー。結末編
沖縄の居酒屋で取材した際。帰りに僕のスニーカーがなくなり、別の古びた靴が残されていた件。店側は返しに来たら電話するとのことだったが、連絡なし。
その間、1週間ほど、写真のサンダル(居酒屋内でトイレに行く時に履くもの)を貸してくれたので、それで各地を取材。(代わりの靴を買いに行く時間なし!)平和記念公園も、インタビューも、一流ホテルのラウンジもトイレのサンダル。
最終日に店に電話したが、未だに靴は返って来ておらず。夜中に国際通りのドン・キホーテで新しいスニーカーを買って帰った。酔っ払っていたので、気づかずに他人の靴を履いて帰ったのは分かる。が、その後、1週間経っても、気づかないということはないだろう。当然、相手が困っているのも想像できるはず。
だが、スニーカーは返って来なかった。「俺のよりいい靴だから、こちらでいいや!」なんて思う人はいないだろう。それなら「間違い」ではなく「泥棒」だ。あるいは日頃はスニーカーを履かないので、居酒屋から帰って、家に脱いだまま気づかないということもあるかもしれない。
何にしても、サンダルで取材は大変。足に負担かかり、コムラ返りになり、夜中に激痛!新しいスニーカーも買わなねばならなかったし、踏んだり蹴ったり。何ともやりきれない結末となった。
「朝日のあたる家」太田監督の最新作はドキュメンタリー沖縄戦、=現在、製作中! [2018]
太田監督の最新作はドキュメンタリー沖縄戦、=現在、製作中!
すでに一部の方には告知させて頂いたが、新作が進行中であること。お伝えする。新作は劇映画ではなく、ドキュメンタリー。太平洋戦での沖縄で何が起こったか? 地上戦はどのようなものであったか?を描く作品である。
かつて公開されたことのない衝撃の事実を伝える作品ではない。だが、多くの日本人は沖縄戦があったことは知っていても、具体的にどうであったか?を知らない。僕もほとんど知らなかった。その歴史的事実を知るだけでも、胸を抉られるような思いの連続。
それをまだ存命中の体験者の方々の証言を中心に紹介する作品である。路線で言えば「朝日のあたる家」と同じ社会派。あの作品はドラマではあるが、劇中のエピソードのほとんどが実際に起こったことの再現。それゆえ、観客の心を揺さぶり、大反響があった。
今回はそれをドキュメンタリーでやる。体験者の方々の話は涙なしで聞けないものが多く、こんな悲惨な事件が当時の沖縄で起こっていたこと。本当に知らなかった。過去を見つめるだけではなく、沖縄戦を見つめることは、現代の日本。これからの日本を見つめ、考えることにもつながる。
来年の春に完成予定。沖縄での取材は2年がかり。先日、最後の取材を行った。これからは数ヶ月に及ぶ編集作業である。完成後は上映会等も予定している。沖縄の現実。多くの人にお伝えしたい。
沖縄から帰京しました! [2018]
沖縄戦ドキュメンタリー進行中。アメリカ軍撮影の記録映像を見続ける。 [2018]
沖縄戦ドキュメンタリー進行中。アメリカ軍撮影の記録映像を見続ける。
ドキュメンタリー映画といっても現場で撮影するばかりではない。今から戦時中の映像は撮れないので、当時の記録映像を入手。それを使わせてもらう。かなりの量の映像があり、その中から選ばなければならない。一体、何十時間あるのだろう?
24時間体制で見ても(見ないけど)「何日かかるのだろう?」という量だ。それを少し前から見続けている。全てアメリカ軍が撮影したもの。しかしまあ、戦争中によくこんなものを撮っていたと思う。今風に言えばメイキング。戦争をしている横で記録班がカメラを回していたのだ。それもマスコミ関係ではなく軍の記録班が撮影している。
当時は16ミリフィルム。35ミリもあるかもしれない。1945年の映像なのに白黒だけでなく、カラーもある。日本側の記録映像は見たことがない。多分、そんな余裕はなかったのだろう。そこからしてもアメリカの国力の大きさを痛感。無謀な戦争であったことを感じてしまう。
沖縄戦ドキュメンタリー取材日が迫る。 [2018]
沖縄戦ドキュメンタリー取材日が迫る。
写真はSDカード。沖縄戦ドキュメンタリーの取材映像が入っている。フィルム時代に比べると、いや、ベーカム時代、ミニDV時代と比較しても、本当に小さい。ポケットに入ってしまう。それだけになくすと怖い。これをなくしたら何日もかけた取材が全て無になってしまう。
その沖縄戦ドキュメンタリーの次回取材が迫っている。宿泊と飛行機は決めたので、あとはレンタカーだ。単にスタッフの人数だけでなく、機材の量も重要なので、カメラマンにも意見を聞く。スケジュールと取材依頼はスポンサー側でしてくれるので、本当に助かる。こちらはインタビュー内容を決める。
今回もいろんな人たちに取材できるので楽しみだが、それまでに色々と資料本も読まなければならない。繰り返し、ドキュエンタリービデオや映画を見ておきたい。