(応援してくれる皆様へ)ー現在の私の病状&お願い。 [MyOpinion]
今年最後に自分へのプレゼント。ジャーニーのアルバム「夢、夢のあと」〜12月31日 [「沖縄狂想曲」]
大晦日はノンビリしようと思った。が、=12月31日 [「沖縄狂想曲」]
脳梗塞の体験。映画化したい!=笑って泣いて、為になる映画。12月31日 [闘病日記]
伊丹十三監督。「お葬式」「大病人」「マルタイの女」は彼の実体験を映画化したもの。そのスタイルで僕も1本行けそうだ。「脳梗塞はつらいよ」この1年の闘病生活をもとにした映画。考えている。
難病もの。というと本来はお涙頂戴物語。だが、僕の闘病生活。他人が見れば大笑いするだろう。僕自身は悲劇でしかないが、チャップリンの作品と同じで、主人公は悲劇でも、観客は笑ってしまうもの。
また、脳梗塞という病名はよく聞くが、具体的にどんな病気であるか?を知る人は少ない。どんな症状で、どんなに大変な思いをし、どんな治療をするか? 周りはどう対応すべきか?
見ていて笑えるだけではなく、いざという時に役に立つ映画。そして最後には大切なことに気づく。という物語。伊丹十三風の映画。それと良いのは低予算でできること。アイドルや有名俳優が出なくても大丈夫。僕の映画には珍しくテレビでも紹介してもらえる。
よし、来年はこの作品。映画化したい。
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脳梗塞体験を映画化?=これ行けそうな気がする! −12月31日 [闘病日記]
伊丹十三監督。「ミンボーの女」を観たヤクザに顔を切りつけられた事件があった。が、伊丹さん。転んでもタダで起きない!その体験を映画にしてしまった!「マルタイの女」だ。まさに映画監督。僕もそれに学べる、いい企画がある!
今年1年の闘病。それを映画にしたい!題して「脳梗塞はつらいよ」。伊丹監督に習い、今回の逃亡生活をそのまま映画にしたい! まあ、僕自身は人生で最悪の日々だった。が、他人が見れば興味深い体験。
映画になれば、一般の人は大笑いできる。チャップリンの映画も、彼の悲劇を笑うもの。他人の不幸は面白い。そして笑いながらも、身につまされる。自分が病気をした時に、役に立つ情報が満載。見て役立つ映画。来年はこれをやりたい!
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父親たちは心を捨てて、家族のために働く=なのに家族に嫌われてしまう背景?−12月31日 [「沖縄狂想曲」]
今回の闘病で感じたこと。映画関係、サービス業の友人は、あれこれ気遣いをしてくれた。対して無神経な発言、コメントをしてきた多く、いや、ほとんど全部が会社員の友人。それも男性だった。
それぞれの背景を反映していて興味深い。映画やサービス業は職場で、相手の気持ちをあれこれ考えないと、成り立たない職業。対して、会社員は与えられた仕事をこなす。客がどう考えようと、商品を売りつける。あるいは機械相手の仕事だったりする。
つまり、相手の気持ちを考えてはいけない仕事。相手に時間がない、興味がなくても、商品を売り付ける。さらに無理難題を言う上司。それも真面目に話を聞かない。いずれも相手の気持ちを考えない。だが、会社員を続けるには大切なこと。
一人一人の客の思いを考えて、気遣いしていては仕事にならない。そんな生活を何年も続ける。やがて仕事以外でも同じ対応をしてしまう。子供の頃。「大人って何で、無神経なんだ!」とよく思ったが、背景だったのだ。他人の立場を思い遣っていたら、会社員は務まらない。
対して、映画人は相手の気持ちを察しないと仕事にならない。俳優の気持ち。スタッフの思い、お客の印象。スポンサーの立場。それを考え推進するのが仕事。対して会社員は客や上司の立場や気持ちを考えていては、仕事にならないことが多い。
今回、見舞いメールや応援、励ましをたくさん頂いた。その中で信じられないものがいくつかあった。応援ではなく嫌がらせ? でも、本人は応援のつもり。その種のコメントは全て会社員の男性。心を捨てて、歯車の1つになる。それが会社員。その代わり安定した生活が保障される。
だが、そのために妻や子供に嫌われる。無神経、無責任、何様ということを父親は言いがち。その背景にあるのが会社員生活だ。妻や子供の気持ちを考えずに、あれこれ言ってしまう。そんな父親たちの悲劇の上に、日本は経済大国になった。そして今、荒廃の道を突き進んでいる。そんなこと考えてしまう。
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大病を経験したあと。すぐに健康な友人と話すのは厳しい=病人を傷つける無神経な発言?=12月31日 [闘病日記]
体調は少しずつ良くなっている。先日の検査でも回復が進んでいること。担当医に説明された。が、そんなことを書くとまた「完治したんだね〜?おめでとう〜!」と言ってくる友人がいるので注意。
2回の手術で、つまりかけた血管は良くなった。が、両目共に半分失明。脳梗塞で死んで脳の一部は、一生治らない。心臓も昔通りにはならない。が、「経過は良好」と書くと「完治したんだ〜!」と思い込む人が多い。
この先、一生、目が半分しか見えない。凄く不自由。暗闇を歩くのも危険。文章もまだ読めない。脳の働きはよくなりつつあるが、まだまだ記憶力が悪い。思い出せないこともある。それで「おめでとう〜!」と言われても、嫌味にしか思えない。
まして病気をギャグにする友人もいる。冗談でも「また、悪くなって、入院することになるかもなあ〜」と言われると、心が折れる。闘病生活がどれだけ辛いか? 分からないのだ。分かりやすく言えばこうだ。右手を無くした人に「次は左手をなくすかもね〜?」は冗談にならない。
笑って聞けない。特に関西の友人は、その種の危ない冗談を言いがち。それを説明しても、病気経験がない人には分からない。なら、僕が元気になり、笑えるようになるまで、距離を置くことが大事だ。だから、仕事関係以外の友達はまだ連絡していない。とうとう、今年が終わってしまうが、もう少し距離を置きたい。
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今年最後の朝ごはん。=12月31日 [「沖縄狂想曲」]
脳梗塞の後遺症。まだまだ続いている。=12月31日 [「沖縄狂想曲」]
その友人とは夏以来だ。「かなり問題ができるように、なりましたね!」と言われた。夏はまだ脳梗塞の影響で、言葉が上手く出て来なかった。それに比べると、今はかなり話せる。
少し前のFM番組の出演でも「言葉が出ないなんて信じられない」とDJさんに言われた。確かに以前よりは話ができる。が、まだ言葉が出て来ないことが多い。特に固有名詞はダメ。よく知っている俳優の名前も出ない。
映画のタイトルもダメ。過去の出来事も鮮明には思い出せない。60代になっても記憶力は落ちなかったのに。今や「鬼滅」の無一郎状態。その「鬼滅」キャラも脳梗塞前に全員覚えたのに、今はダメ。リハビリはまだまだ続きそうだ。本日は暖房なしでも17度。暖かい。
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いよいよ今日で2023年が終わる。今年は闘病の1年だった。=12月31日 [「沖縄狂想曲」]
昨年の今月発症した喘息からスタート。3月下旬の脳梗塞。それからは地獄の日々だった。目が見えない。息ができない。外出できない。再起不能。映画監督引退の危機。
また、病気で苦しいだけでなく、FB友達の多くから、あれこれコメント。親切なのだが、聞き齧っただけの情報が山のように寄せられた。本当に意味ある情報が届いたのは、1ヶ月以上経ってから。
無神経なコメント。踏みつける意見もあった。それでなくても病気で精神的に追い詰められている時にだ。友人たちからも心配しているのか?嫌がらせなのか?分からないコメントが多かった。
でも、本当に救われる言葉や食料、届けてくれた方々もいる。「学び」と「感謝」の1年だった。さて、来年は復活したい。いきなり2月に新作映画が公開なのだし。
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