絶望との戦いー再起不能であっても、おかしくない?この1年。=12月24日 [「沖縄狂想曲」]
今年もあと、1週間。今年最初に発症した喘息。実は心臓機能低下の前兆で、3回の入院を経験する人生最大の危機。そんな1年だった。
だが、昨年から製作していた、ドキュメンタリー映画「沖縄狂想曲」を完成させねばならず。編集はスタッフにお願いして、療養。それでもMAは参加せねば。だが、目がよく見えない。白杖を付く。体力がない。
そんな状態で作品を完成させた。その後に3回の入院。2回の手術。幸い経過はいいが、両目は半分失明。脳の一部は死んだ。もう治らない。手術した心臓も回復しつつあるが、以前のようにはならない。
そんな治療と入院と並行した映画の仕上げ。治療に専念できたら?とも思う。が、その仕上げがあるからこそ、絶望せずに生きて来れたのだと思える。目が見えない。文字が読めないという絶望感。残る人生を生涯を背負ったまま生きる?
そんな可能性もあった。「この作品を完成させねば!」という思いだけが、自分を支えていた。この先、どうやって生きて行けばいいのか?毎日、絶望との戦いだった。「なぜ、僕が?」いや、これだけは違う。
18年間。無茶な映画作りをして来た僕だからこそ、こうなったのだ。だが、長期に渡る闘病で、どうにか?監督業を続けられそうと分かる。絶望と失望と、見えない希望を探す1年だった。
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やることリスト 12月 [「沖縄狂想曲」]
基本、甘い物は食べない。それが?=12月24日 [「沖縄狂想曲」]
アンパンやアイスクリームも、年に1〜2かいだ。超疲れた時だけ!なのに、このところ甘い物が食べたい。1日1個。あんぱんのようなものを食べる。疲れているせいと、糖分が必要なのだろう。
病気で10キロ痩せた。が、それから数ヶ月。いくら食べても太らない。栄養の吸収が出来てないのか? 物凄い量の栄養が消費されているから? 甘いものも毎日食べている。理由が分からない。それがここ数日。体重が増えた。
病気前は72〜3キロ。病気で一時は61キロまで下がっていた。ここしばらく63キロ。それが現在は64.5キロ。3日ほどで1.5キロも増えた。食事の量は変わらない。甘い物だろう。
しかし、これまで全く体重に反映されなかったのになあ。回復の一つと思いたい。
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最近はFBで、あれこれ無神経なコメントがない が、今度は?=12月24日 [「沖縄狂想曲」]
脳梗塞で字が読めなくなった頃には、「読めない!」と伝えているのに長文を書き込む人が何人もいた。
何度か「今すぐ、病院に行ってください!」とコメントして来た人もいた。こちらは病気で通院中。体も心も弱っているのに、素人のおばさんが何を思ったか?そんなコメント。単なる思い込みだったのだが、こちら精神的に果てた。
ようやく最近は知識もないのに「〇〇してください!」というお騒がせはいなくなった。が、今度はXー旧Twitterであれこれ言う人たちがいる。相変わらず医者でもないのに「〇〇してはいけません」だ。
ここしばらく「おはようございます」とコメントして来た人には返信していた。その内にコメントが来るようになり、僕のツイートにあれこれ意見するようになった。本名も知らない。顔写真もない。年齢も分からない。そんな人にあれこれ指示されたくない。
何よりそんな人の提案や指示を聞いて、その宿品を食べたり、薬を飲んだり、運動をしたり、するのはとても危険。何かあっても責任を取ってくれる訳ではない。多分、聞き齧った知識を押し付けているだけ。なぜ、人は他人にあれこれ言いたがるのか?
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体調が悪いーと書いたら、多くの方が心配。でも、=12月24日 [闘病日記]
病気で感じた日本のシステム=心を捨てて、ロボット戦士になること! [「沖縄狂想曲」]
今回の病気で感じたこと。いろいろある。何度も書いたが、友人たちの反応。驚くくらいに2つに分かれた。映画関係者、商売人の友人は日頃、バカなことを言ってる者でさえ、気遣いを見せてくれた。
対してサラリーマンの友人たち。ほとんどが無神経な対応。例えば手術の直前に「完治。おめでとう!」と電話して来た者もいる。目を半分失明して、脳の一部が死んだとブログで書いても「生きてるだけで、丸儲け〜!」とコメントして来た者もいた。
怪我人を踏みつけるような言葉が多い。だが、彼らに悪意はない。なのだが、いくら病状を伝えても「大丈夫だろう!」と勝手な想像をする。思い病気ということに気づかない者もいた。
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映画界の友人。そして商売をしている友人は皆、ことの重大さを理解してくれた。なのに、サラリーマンの友人たちは驚くほど事態を理解できなかった。理解しても、見舞いコメントが無神経極まりないものだったりした。病人の心を踏みつけるもの。
しかし、誰1人、悪意はない。彼らは相手の気持ちを察する力を失っているのだ。「こんなことを言うと、彼は傷つくかも?」という配慮ができない。あるいは、相手の痛みに気づかない。いつものように冗談にしてしまう。
要は他人の気持ちを察する能力、失っているのだ。上司から無理難題を押し付けられる。不可能な売り上げを押し付けられる。セールスは相手の気持ちを考えていたら、仕事なんて出来ない。あるいは機械や商品相手ばかりで、気持ちを考える必要がなくなる。
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考えるのをやめ、言われたことをするだけの会社ロボットになりきるしかない。想像力や思いやりを持つていたら苦しいだけ。そんな生活が30年。仕事だけでなく、家庭や友達にも同じモードで接してしまう。「無神経ね!」と妻に嫌われ、子供たちに無視される。
そんな父親は会社人生の中で、作られていくのだ。だが、本人は気づかない。感じる力を封印し、遮断しなければ会社員として仕事を続けることは出来ない。心が壊れてしまう。無神経になることで、自分を守って来たのだ・・・。
人間でなく、機械の部品になる。それがサラリーマンなのだろう。大変な仕事だ。戦時中と同じ。心を封印した兵隊になるための軍国教育。サラリーマン戦士を大量に育てるための戦後教育。どちらも心を捨てるところから始まる。
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彼らはそんな国策の犠牲者でもある。ある友人にそのことを話した。「そんなこと言われたら腹立つわ!」と憤る。その通りだろう。国策に乗せられて、ロボット教育からロボット社員にされてしまったのだ。友人に罪はない。そんなことを感じてしまう。
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昨年の12月に書いたブログ=悪夢の始まりは1年前の今頃。 [闘病日記]
「病院に行って11日目。次回は来年の第二週に通院」
このブログを読むと、横になると咳が出て寝られない。なので、座ったまま寝る。座ったままだと、なかなか寝付けない。眠りが浅い。疲れているのに寝れない。
もう、地獄のような日々だった。そう。今回の大病の始まりは昨年の今頃。沖縄取材に行って発症した喘息。そこから地獄の日々が始まった。が、それは単なるプロローグ。
実は喘息ではなく、この時、病院でもらった薬は全く意味がなかった。なのに、数ヶ月使用し続けた。そして3月に脳梗塞を起こし、目が見えなくなる。そこから悪夢が現実となる。あれから1年か。。。
1年前の日記=>https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp/2022-12-30?fbclid=IwAR2P_aNwRJ9wNPX_rxUJrWlq4rsP8T-zV7WgWQP60WvVF7shBSvRQw1HE6E
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クリスマス・イブ。毎年、特別なことはしない。−12月24日 [「沖縄狂想曲」]
僕は捻くれ者なので、ケーキを買ったり、プレゼントをすると、クリスマス商戦に乗せられているような気がする。ま、私は捻くれ者。
と言いながら、昨夜は松田聖子のクリスマス・アルバムと、山下達郎の「on the street coner3」を聴いた。特にクリスマスを祝わないが、クリスマスソングを聴くと、今年も終わりと感じる。
アメリカ留学時代も思い出す。LAの正月は特に何もしないが、クリスマスは盛り上がる。街のあちこちにツリーが並び。クリスマス商戦が盛り上がる。
対して日本はクリスマスで盛り上がり、年末年始でまた大儲けを狙う商売が多い。クリスマスはキリスト教、年始年末は仏教。両方を利用して皆、大儲け!アメリカ人でさえ、新年はおとなしくしている。日本人、たくましい?
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