ここ数日、体調不良。いつからか?調査−12月8日 [「沖縄狂想曲」]
体調はまだ良くならないのに、仕事はどんどん増える。−12月8日 [「沖縄狂想曲」]
おはようございます。気温は16度。6時半起床。晴れ −12月8日 [「沖縄狂想曲」]
家族のために働く会社員=結果、家族に嫌われ疎んじられる?−12月7日 [「沖縄狂想曲」]
今回の病気。心傷つく発言をしたのは全員、会社員の友人だった?発言を聞いていると、共通点がある。
例えば「完治。おめでとう!」と連絡して来た友人。1回目の手術前だった。手術後ならまだ分かる。さらに手術をしても、治らない部分もある。そこで「おめでとう」と言われても、嬉しくない。
それを手術前に言ってくる。僕は1度も完治という言葉は使ってないし、病気が良くなるという話もしてない。一生治らない障害を背折うこと、分かっていたからだ。
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その理由を聞いた。「元気そうだし。声も弱々しくなし。もう、良くなったと思った。完治したと思ったんだ」との答え。退院した時に言うなら、まだ理解できる。繰り返すが「完治した」なんて絶対に言わない。友人の印象。思い込みだけで、そんな連絡をして来たのだ。
なぜ、そんな発想が生まれるのか? 彼の仕事を考えてみた。彼は会社員。営業担当。よく「上司がバカで困る」とこぼしていた。無理な目標を掲げて、商品を売れと言われる。が、頑張ったから売れるものではない。その内に上司の言葉を聞き流すようになる。
注意されても「はい。わかりました」と答える。大学を出て就職してから、会うたびに無神経になって行く気がした。高校時代の方が鋭かった。映画の話をしても「どーせ、〇〇だろう?」と過去の価値観を当てはめて判断する。新しい映画に興味を持たない。
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無神経な発言が増える。自分だけで分かった気になる。相手の気持ちを考えない。別の友人だが、こんな見舞いコメントが来た。「生きてるだけで丸儲け!」これには激怒した。僕は両目ともに半分しか見えない。脳の一部も死に、一時は言葉が出なかった。記憶力も減退。
そのコメントの意味を考えれば、「脳が死のうと、片目になろうと、心臓が弱ろうと、生きてんだから良いだろう?」と言う意味になる。そんな励ましも、見舞いもあり得ない。「生きてるんだから、文句を言うな」とさえ解釈できる。応援でも、励ましでもない。嫌がらせでしかない。
特に病人は悪く考えるし、すぐに傷つく。嫌がらせでしかない。が、その友人は応援になると思った。悪意はないが、60代の大人が考えれば分かることだ。どれだけ相手を傷つけるか? 別の言い方をすれば「右手がなくても、左手があるから良いだろう? 生きていれば丸儲け」こんな応援は成り立たない。
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60代の大人がなぜ、そんな無神経なメッセージをするのか? 長年のサラリーマン生活で、相手の気持ちを考えること。できなくなっているのだ。深く考えず、応援のつもりでコメントしてしまう。彼も営業部。出来もしない目標を上司に押し付けられ、無神経にならないと続けられないのだろう。
それを30年も続けて、相手の立場を思いやる、想像することが出来無くなっているのだ。だから応援したい友人に、踏みつけるようなコメントを出してしまう。つまり、彼は安定した収入を得るために、機械の部品になったと言うこと。でも、それが会社員という仕事なのだろう。
妻や子が父親を嫌う背景も同じだろう。無神経な発言。踏みつけるような言葉。だが、父親はそれに気づかない。「俺は家族のために働いている」という自負。でも、どんどん家族から嫌われて行く。それが日本サラリーマンの実情かもしれない。
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高校時代の友人。機械化人間になっていた背景が分かった?−12月7日 [「沖縄狂想曲」]
何度、言葉にして病状を伝えても、何を思ったか?「完治。おめでとう!」と連絡してきた高校時代の友人がいる。これから1回目の手術という前だった。
思い出す話。熟年離婚。妻があれこれ悩みや問題点を夫に話す。が、全く聞いておらず。「忙しくて、疲れてるんだよ〜」「明日、早いんだよな〜」と、子供の話、家計の話、妻が抱える問題を話しても聞かない。
ある日。離婚届を突きつけられる。「えーなんで!」という話をたまに聞く。その背景が今回、よく分かった。僕が何度も、病気の症状を説明。一生、治らないところもある。そう伝えているのに「完治。おめでとう!」と電話してくる友人。
無神経な励ましをする奴。「それ見舞いでなく、単なる嫌がらせ」ーという応援をする人。皆、サラリーマンであり、60代だった。悪意はない。だが、30年を超える会社員生活で、感覚が麻痺しているようだ。その構図が熟年離婚と同じ背景だと思えた。
店屋に行っても、ごくたまに無神経な発言をする壮年の店員がいる。昔から商売をしていたのではなく、長年サラリーマンをしていた人だ。定年退職で息子の店を手伝っているとか。会社員は機械の部品になる仕事。相手の気持ちを考えない。
その代償に安定した仕事と給与が与えられる職業。「銀河鉄道999」の世界なのだ。病気をして、そんなことを痛感した。
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反省すべきことがある=無神経なコメントへの対応。病人だと理解できない人たち。−12月7日 [闘病日記]
病気の治療中でも、あれこれ友達に連絡していた。脳梗塞で「言葉」が出なくなったりもしたが、リハビリも必要だと電話でよく友達と話した。だが、何度説明しても、多くが病人であることを忘れるようだ。
「元気そうだから、もう完治したのだろう」と解釈。こんなことを言い出した。「あと1ヶ月、寝込んでればいいのに〜」「もう、完治したよなあ?」「両名が半分ずつしか見えなくても、片目よりはいいだろう?」
冗談にも慰めにもならない。何度、病状を説明しても、完治したと思い込む者。病気を冗談にする者。無神経な言動が頻発した。勘違いはどんどん加速。耐えられないものが増えた。それがあって今は、仕事以外の連絡は取らない。
が、FB、Xはそこまで距離感がないので、昔からの友達のように無神経な発言はなかった。が、最近はそうでもない。何度か会ったことがある人たち。あれこれ無責任な言動が増えた。
病気であるのに何度もコメントしてくる。「〇〇へ行ったらどうですか?」とか駅まで行くのは精一杯。伝えると「そうか、病気だったよね?」と返事。無神経と責めても意味はない。ネットの付き合いなんて、そんなもの。返事するから勘違いが進む。注意せねばならない。
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病院に見舞いに行った時。言ってはいけないこと?−12月7日 [闘病日記]
入院中の友人に何というべきか?「早く良くなってね!」は今イチらしい。「ゆっくり休んで下さいね」がベスト。そして病気のことには、具体的に触れないことが大事。今回のことで友人に病状を報告した時。
「両目ともに半分失明したんだよ」と伝えた。すると「両目ともに半分見えないのは、辛いよな〜」などと言われた。心が痛んだ。目が半分見なくなるのは本当に辛い。それをわざわざ言葉にして、繰り返すのは無神経としか言えない。
病気に触れないことが礼儀。「大変ですね」「お大事に」が大切。今回、いろんな友人の対応を見ていて、その種のルールを破る非常識な発言をする友人。数多くいた。いや、僕も今回のことがなければ、気づかなかっただろう。病気をするとあれこれ学ぶことが多い。
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