埼玉のFM局。番組出演が終わりました。来年1月放送。全国で聞けます。−12月20日 [「沖縄狂想曲」]
映画『ドキュメンタリー沖縄戦』太田隆文監督が語る!!ゼロから沖縄戦を学んだ3年間 [「沖縄狂想曲」]
映画『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』太田隆文監督が語る!!ゼロから沖縄戦を学んだ3年間 活弁シネマ倶楽部#103
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病気をして学んだこと=知らないことは言わない?助言はいらない? 12月20日 [闘病日記]
大病をして感じたこと=素人が具体的なアドバイス、するべきではない? 12月20日 [闘病日記]
病気の話を書くと、あれこれコメントをしてくる人がいる。「お大事に」とか「ゆっくりお休みください」は定番。だが、とても大切だと今回、痛感した。
医者でもないのに、あれこれ提案をする人が時々いる。それがどれだけ鬱陶しく、病人にストレスを与えるか? 今回、思い知った。医学的な知識のない人が聞き齧ったことをコメント。
「〇〇した方が、いいですよ!」
しかし、本人と会っていない。医者でもない。その〇〇が効くか?分からない。危険かもしれない。まともに考えたら危険。病状が悪化する可能性もある。そんなコメントをする人。意外に多いこと、今回は痛感した。
だが、本人に悪気はない。良かれと思ってコメント。反論されると「親切で言ってるのに!」と怒り出す人もいる。だから、病人の方が我慢する。見舞いや応援ではなく、嫌がらせに近い。
今回痛感したが、医師でないものは聞き齧った知識や提案。あれこれ病人に伝える分ではない。聞かれない限り。その種の情報を伝える必要はないだろう。僕の経験から医者でもない、経験者でもない人のコメントは100%役に立たない。そんなこと感じている。
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病気で1年。苦しんだ意味=あと20年。頑張るため?−12月20日 [闘病日記]
この1年。闘病が続いた。今もまだ続いている。いろんなことを経験した。病気がこんなに苦しく大変なものであること。それを全く理解できないで冗談にする友人がいた。逆にあれこれ応援してくれる人もいた。
1人で風呂に入れることの幸せも痛感した。もし、重い障害を追っていたら、風呂に入るのも介護が必要になる。自分で髪を洗える幸せ。湯船に浸かれる幸せ。当たり前のことが、どれだけ幸せなのか?痛感した。
食事の大切さも思い知った。もう60代だ。背が伸びることもない。若い頃ほど食べなくてもいい。そう思って栄養バランスとか考えなかった。それが良くなかった。成長ではなく健康維持が必要だと気づく。
いろいろあるが、人生80年として、あと20年弱。死んだのなら諦めはつくが、目が見えない。歩けない。手が動かない。話せない。今回はそんな危険もあった。そうしたら映画は2度と作れなかった。
あのまま行ってたら、そうなっただろう。それを思い知らせるために神様が仕組んだのが、この病気だったのかもしれない。年の最後にまた、あれこれ考えている。
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この1年を振り返る。無神経な人もいたが、いろんな人に救われた。=12月20日 [闘病日記]
闘病については前回書いた。今回は周りの反応。多くの人がFB上で情報をくれた。脳梗塞なんて初めて。いや、重い病気をしたことがない。医者に行くことすら、ほとんどなかった。だから、病気の時に何をどうすればいいか? が、分からない。
だから、情報はありがたかった。しかし「脳梗塞で文章が読めない」と伝えても、長文のコメントが何度も来る。読み上げソフトを使い読んだ。1日がそれで終わる。が、それらの情報のほとんどが、役に立たなかった。
説明不足。どこに連絡すればいいか?分からない。連絡しても、そのサービスを受けられない。その団体が存在しない。親切で教えてくれるのだが、聞き齧った情報をそのままコメントしてくる人がほとんど。
文字がほとんど読めない中、息をするのも苦しい。そんな状態で読み上げソフトでコメント内容を確認。教えてくれた団体に電話するが、該当せずと言われた時のショック。今日1日、何をいていたのか?
なぜ、もっと正確な情報を、適切なことを教えてくれなかったのか?途中で心が折れて、その後はその種のコメントは全て無視した。それでなくても体調も悪く、心も弱っている。嫌がらせでないことは分かる。
親切なのだ。が、多くが無神経で、無責任。「役所に電話してください」とコメントされても、役所のどこなのか?多くが書いてない。本当に適切で有効な情報をもらえたのは、1カ月以上経ってから。
介護の仕事や脳梗塞の経験者からのコメント。それは本当に助かった。が、それ以前のものは、聞き齧ったもの。あるいは説明不測。なぜ、詳しく知らない人たちが、すぐにコメントするのか?
発病から数ヶ月は激動の日々。行政が対応してくれたのは、連絡してから半年近く経ってから。激動の1年だった。が、それでも多くの人に助けられ、支えられた。
買い物にも行けず、寝たきりの数ヶ月。多くのFB友達が食料を送ってくれた。あれがなければ完全に餓死。本当にありがたかった。そんな1年。これ感謝を込めて映画にせねば!
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闘病だけで終わった、この1年?=振り返る。−12月20日 [闘病日記]
今年もあと10日で終わる。全く実感がない。2023年が終わる。今年は完全に闘病の1年。3月下旬に脳梗塞を起こし、目が見えなくなる。昨年からの喘息はその関連で起こったもの。気づかずに喘息治療を続けていた。
脳梗塞が起きて初めて精密検査。心臓機能が20%まで低下していることが判明。脳梗塞の原因を調べる検査も危険で、出来ない状態。まずは心臓に溜まった水を出すために、薬を飲み続けるところからスタート。
水が心臓から出てから、カテーテル検査。心臓から出る動脈。最も太い3本全てが詰まりかけていることが判明。2回に渡る手術。それは成功したが、脳の一部は死に、両目はそれぞれ半分ずつ失明した。
心臓は現在回復中だが、昔のようにはならない。現在、回復を注視している状態だ。
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病院通いはまだ続くー手術で健康になった訳ではない?=12月20日 [「沖縄狂想曲」]
会社員を続けると、他人の痛みが実感できなくなる?〜厳しい職業。=12月19日 [「沖縄狂想曲」]
片目が失明した人に対して「両目が失明するより、良かったのでは?」なんて励まし方はしない。片目が目なくなることが、どれだけ大変なことか? そんな言葉が慰めないならないこと、分かりまそうだ。
だが、今回、そんな見舞いメッセージを送って来た友人がいる。嫌がらせではなく、冗談でもなく、真面目に励まそうとしていた。それは励ましではなく、嫌がらせであること。気遣い。会社員。60代。
だが、彼はそれが酷い話だと分からないようだった。こう説明すれば良かったのか? 「子供を1人無くした。でも、兄と弟の両方を一気に無くすより良かったのでは?」これが慰めになるだろうか?
皆、60代以上。会社員。批判したいのではない。会社員を長く続けると、人の痛みが想像できなくなる。自身が無神経にならないと、続けられない職業なのだろう。
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ハイエナのような製作会社=昔は搾取されていた。^12月19日 [「沖縄狂想曲」]
もう、10年以上前になるが、その頃は製作会社に企画を映画を撮っていた。通常は会社が金を集めるのだけど、僕がほとんどを集めて脚本、監督を担当。そんな1社。社長が1千万。僕が2千万集めて、映画を作ることになった。
が、社長は大きなことを言っていたが、土壇場で500万しか集められず。その差額を埋めるために、僕の監督料と脚本料をゼロにしてと提案。どうしても、撮りたい映画。了承した。が、要は僕が社長の穴埋めをした訳だ。
金を集められなかったのに、社長はあれこれ文句と口出し。出来た映画は「最低だ!」と酷評。でも、映画はヒット。儲けは全て社長のものにしてしまった。今、考えると本当にバカを見たことが分かる。が、法的には問題ないのだ。
映画界はハイエナばかり。「応援したい!」とか言って近寄り、権利も収入も持ち去る。平気でタダ働きさせる。で、あれこれ勉強した。会社組織を持っている者が権限を持ち、金を握り、収入も持ち去る。
あれこれ勉強して、監督業だけでなく、プロデュサー業も担当することにした。会社形式にした(事務所はないけど)。そのことで会社に搾取されず、意味不明の出資もなくなり、何もしない奴が金を抜き、ただ働きを無くした。
作品を歪める意見を押し付ける老人も、もういない。が、不況にコロナで製作費が集まらず、苦労している。
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