脳梗塞直後=目はほとんど目えなかった。=12月11日 [闘病日記]
全画面ピンボケ。車の窓に雨水が流れ落ちて、外が見えない感じだった。文字も読めない。コンビニで商品を見分けることもできなかった。
続けていた編集作業。流石にできない。スタッフに連絡。編集をお願いした。その後、原因は脳梗塞だと分かる。が、病院でも何が出来ると言うことはないと言われた。
このまま目が見えなければ、映画監督業は廃業。他の仕事もできない。でも、次第に目が見えるようになった。が、両目ともに半分を失明。おまけに文字の読み書きが出来なくなった。
失明はまぶがれたが、右目と左目が別々に見える。これで監督業が続けられるのか? 医者に聞いても「わかりません」としか言わない。それでも、ある日。左右の風景がつながった。
ある程度は見えるようになったが、とても見づらい。眼科に行くと、両目ともに半分が失明していることが分かった。これは一生治らない。その原因は心臓の機能低下。20%まで落ちていることが分かる。ここから治療が始まった。
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朝ごはん。ー最近は無神経なコメントなく嬉しい。=12月11日 [「沖縄狂想曲」]
サラリーマンVS映画人。病人への対応?=仕事が気遣いを左右。=12月11日 [「沖縄狂想曲」]
昨日、お会いした映画監督。業界としては先輩だが、実年齢は僕が上。最初に仕事したのは僕が脚本家時代。監督デビューする前。もう30年も前だ。
気遣いがない奴と思っていたが、昨日はあれこれ気遣い。脳梗塞と心臓病を経験したことを説明する前から、あれこれ理解を示してくれた。不思議なもので、イケイケどんどんの映画界の友人はあれこれ気遣いがある。
対してサラリーンマンの友人。詳しく病状を話しても、傷つくようなことを言うことが多い。映画屋の方が粗雑で乱暴なイメージがあるが、逆の対応なのだ。
背景を考えると、映画人はスタッフ、キャストの気持ちを考えねばならない。チームワークが大事。無神経な発言をして、和を見出すと次から呼ばれない。対してサラリーマン。例えば営業の仕事は個人で動く。チームワークは必要ない。
商品の売り込みは、あれこれ気を使うと思える。が、その種の友人に聞くと、「あれこれ相手の都合を考え、気を遣っていたら営業は出来ない」と言われたことがある。与えられた仕事を、あれこれ考えず、こなすのが会社員。
「同僚やお客の立場を考えなくなる」と友人に教えられた。機会相手、商品相手に仕事をしている人たちも同様。相手の気持ちを考える必要がない。それが30年続く。病人の気持ちも想像できなくなる。対して映画人は気遣いの連続。
僕が病気で寝込んでいる時、本当に辛辣なコメントしてきたのは、サラリーマンの友人。実は応援のつもり。でも、応援になってない。中傷でしかなかった。
一方で、気が回らないタイプーと思っていた友人の監督。あれこれ気遣い。決して病人が傷つくことを言わない。どちらが「偉い」ではない。どちらも仕事によって、今の性格になったのだ。そんなこと。感じた。
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