太田隆文監督作品、公開の年。ーこの20年。 [My Movie]
太田隆文監督作品、公開の年。
こちらは公開時期だけを記したもの。最初の2作は完成までに4?5年かかっているが、3作目以降は2?3年で準備、撮影、完成。しかし、あっという間の18年じゃあ。
2006年 「ストロベリーフィールズ」全国公開
2010年 「青い青い空」撮影、地元公開!
2013年 「朝日のあたる家」全国公開!
2015年 「向日葵の丘」全国公開
2018年 「明日にかける橋」全国公開
2019年 「ドキュメンタリー沖縄戦」地元プレミア
2020年 「ドキュメンタリー沖縄戦」全国公開(6作目)
2022年 「乙女たちの沖縄戦」全国公開(7作目)
2023年 (長期休養) 「沖縄狂想曲」完成。
2024年「沖縄狂想曲」全国公開
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「沖縄狂想曲」映画館ー情報 4月12日付 [My Movie]
北海道 サリサリ市場
4.20ー26 21日ー太田監督-舞台挨拶
長野 上田映劇 4/19ー25
東京 アップリンク吉祥寺 4・26ー
沖縄市 シアタートーナツ 4/21ー5/14
岡山 メルパ 5・3ー
名古屋 シネマスコーレ 5・11ー24
富山県 ほとり座 調整中
公式HP=> https://okinawakyosokyoku.com
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太田隆文監督作品ー予告編集 「青い青い空」から「沖縄狂想曲」6本を一気見! [My Movie]
太田隆文監督作品ー予告編集
「青い青い空」から「明日にかける橋」4本を一気見!
レンタルは宅配ゲオで!
「ドキュメンタリー沖縄戦」はAmazonプライムで。
「明日にかける橋 1989年の想い出」予告篇!
出演 鈴木杏、板尾創路、田中美里、越後はる香、藤田朋子、宝田明
ロケ地静岡県では9週間の大ロングラン上映!
書道映画ブームの火付け役がこれ。
DVDはamazon、楽天で購入可能。全国のTSUTAYAでもレンタルできます!
予告編=>https://youtu.be/MacNc2k56wQ
監督ブログ=>http://cinematic-arts.blog.so-net.ne.jp
太田隆文監督作品、第2弾(2010)
「青い青い空」予告編
浜松の高校、書道部を舞台にした青春書道映画。
笑って、泣いて、感動。松坂慶子、長門裕之ら大物俳優も出演。
太田隆文監督作品、第4弾(2015)
「向日葵の丘 1983年年 夏」予告編ロングバージョン。
常盤貴子、田中美里、藤田朋子。芳根京子。
豪華キャストのノスタルジー物語。
一緒に高校時代を過ごしたあの夏の日。
忘れられない悲しみが今、感動の涙に変わる。
全国32館で公開。各地で大ヒットした感動作。
太田隆文監督作品。第3弾(2013)
原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」予告編ロングバージョン
山本太郎さん出演でも話題になった。
全国の映画館27館で公開。世界6カ国で上映。
大ヒットした話題の映画。
「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」
初の長編ドキュメンタリー。沖縄戦の真実を伝える。
2020年7月東京公開。その後、全国ロードショー。
予告編「乙女たちの沖縄戦 白梅学徒の記録」(2022)
予告編「沖縄狂想曲」(2024)
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太田隆文監督プロフィール
1961年生まれ。「スターウォーズ」のジョージ・ルーカス監督らハリウッド監督の多くが学んだ南カルフォルニア大学(USC)映画科に学ぶ。
「ストロベリーフィールズ」(2005年 佐津川愛美、谷村美月)
「青い青い空」(2010年 波岡一喜、鈴木砂羽、松坂慶子、長門裕之)
「朝日のあたる家」(2013年 並樹史朗、斉藤とも子、いしだ壱成、山本太郎)
「向日葵の丘 1983年夏」(常盤貴子 田中美里、藤田朋子、津川雅彦、芳根京子)
「明日にかける橋 1989年の想い出」(鈴木杏、板尾創路、田中美里、藤田朋子、宝田明)
帰国後、大林宣彦監督に師事。地方を舞台にした感動作を作り続け、全ての作品は海外の映画祭で上映。大物俳優や国民的俳優が数多く出演。また、太田作品に出演したのち大ブレイクしたのが谷村美月、芳根京子ら。出演はしていないが、最終候補に残った若手俳優も、その後、NHKの朝ドラ等に出演。新人発見の監督と言われる。
2013年には原発事故を題材にした「朝日のあたる家」を監督。山本太郎が出演したことも話題になった。全国23館で公開。世界6カ国で上映された。最新作は沖縄戦を題材とした初の長編ドキュメンタリー作品。
「沖縄狂想曲」ー上映中の映画館 3/8現在 [My Movie]
上映中「沖縄狂想曲」3/1現在
#桜坂劇場(沖縄)3ー15迄
#第七芸術劇場(大阪)3−22迄
#あつぎのえいがかんkiki(神奈川)
#前橋シネマハウス(群馬)
#豊岡劇場(兵庫)※木曜定休
詳しくは公式HP https://okinawakyosokyoku.com
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来年2月公開の映画「沖縄狂想曲 」関連記事はこちらで! ー11月 [My Movie]
公式ホームぺージ=> https://okinawakyosokyoku.com
シネファクトリー => https://www.cinema-factory.jp/2023/11/20/37726/?fbclid=IwAR2TBaDTKooTJ4HcAv1oZAG0QJ_3WnlY8pFj5fl1u6bw1H-ahOGtjdXYh04
映画ナタリー => https://natalie.mu/eiga/news/549843?fbclid=IwAR3yCZJnJ2eznrLwVLI1h-EnZfg8m4xHxQcIgznq_hO6krRQE_cxta4rjrk
映画。com => https://eiga.com/movie/100740/gallery/?fbclid=IwAR1QmNVLpFUdbRr656A6LB3uWAOOaXrkLSr5oACHlaOCaZRLMpGoHpGco78
Yahooニュース => https://news.yahoo.co.jp/articles/5f70e579fd69f75173c723a6be9fd1524e72ac24?fbclid=IwAR2Ssbe6B42Z6zYet4Yl-OO9QQjRqnTq91e7J-wwhuA7kAgUg5sKRNd74cM
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「ドキュメンタリー沖縄戦」シリーズ第三弾「戦後編」 東京公開ー決定!! [My Movie]
「ドキュメンタリー沖縄戦」シリーズ第三弾「戦後編」 東京公開できそう!!
少し先になりますが、とても良い映画館。
情報解禁になったら、またお知らせします!
今回もかなり衝撃的な内容。
ご期待下さい。
予告編−1作目
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「ドキュメンタリー沖縄戦」シリーズ第三弾「戦後編」 東京公開できそう!! −6/22 [My Movie]
「ドキュメンタリー沖縄戦」シリーズ第三弾「戦後編」 東京公開できそう!!
少し先になりますが、とても良い映画館。
情報解禁になったら、またお知らせします!
今回もかなり衝撃的な内容。
ご期待下さい。
予告編
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「ドキュメンタリー沖縄戦」の映画館上映、依頼、今年も来た!-6/20 [My Movie]
太田隆文監督作品NO2「青い青い空」(2010) [My Movie]
太田隆文監督作品NO2「青い青い空」(2010)
青春書道映画。ロスアンゼルスの映画祭で招待作品となる。地元浜松で大ヒットしたが、東京公開数日後に311。全国公開ができずに終わった。そのためにDVD発売もできなかったが、4年後「向日葵の丘」の大ヒットでDVD発売が決定。全国のTSUTAYAでレンタルされた。セルは現在も発売中。宅配ゲオではレンタルあり。
出演、波岡一喜、草刈麻有、鈴木砂羽、袴田吉彦、藤田朋子、芳賀優亜、塩見一生、長門裕之、松坂慶子。
予告編 = https://youtu.be/oQTHivjWTvQ
原発事故の悲しみを描いた話題作。山本太郎・出演映画「朝日のあたる家」予告編 [My Movie]
常盤貴子、田中美里、藤田朋子、芳根京子。 豪華キャストによる感動の映画「向日葵の丘 1983年 夏」 [My Movie]
常盤貴子、田中美里、藤田朋子、芳根京子。
豪華キャストで描く感動の映画「向日葵〓の丘 1983年 夏」
宅配GEOでレンタルできます。
監督ブログ=>https://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp
静岡県西部が舞台の映画「明日にかける橋 1989年の思い出」 [My Movie]
僕の監督作、5本目「明日にかける橋 1989年の思い出」
バブル最高潮だった昭和64年。平成元年である1989年と現代が交差する家族物語。静岡県の袋井市、磐田市、森町で撮影。
DVDはamazon、楽天で購入できます。全国のTSUTAYAでもレンタルできます!
出演 鈴木杏、板尾創路、田中美里、越後はる香、藤田朋子、宝田明
予告編=>https://youtu.be/MacNc2k56wQ
監督ブログ=>http://cinematic-arts.blog.so-net.ne.jp
映画のHPはこちら=>http://ffc2017.main.jp
「明日にかける橋 1989年の想い出」DVDは宅配ゲオでレンタル中! [My Movie]
1989年にタイムスリップ。みゆき、家族を救え!
出演 鈴木杏、板尾創路、田中美里、越後はる香、藤田朋子、宝田明
監督 太田隆文
監督ブログ=>https://cinematic-arts.blog.so-net.ne.jp
Yokohama二十歳前ー1980年、僕は退屈な映画学校にいた...。それから45年。 [My Movie]
横浜二十歳前ー1980年、僕は退屈な映画学校にいた...。それから45年。
Facebookのタイムライン。矢沢永吉の動画が流れて来たので見ていると、横浜時代が思い出された。あの頃、友人から教えられ、彼のレコードを聴き始めた。18歳で高校を卒業した僕は、横浜にある映画学校に通っていた。とてもとても詰まらない学校で、夏休み前に登校拒否。と言うと今風だが、要は同じように学校に行かない連中のアパートにたむろして毎日、宴会をしていた。
大阪の高校時代は映画の話ができるクラスメートがおらず、進学校だったが少年院に通うような3年間。だが、映画学校は映画好きばかり、会うと映画の話で盛り上がる。クラスで顔を会わせると、そのまま飲みに行き映画の話。深夜まで、結局は友人のアパートに泊めてもらう。朝、起きたら、そのまま映画の話の続き。なんてこともあった。あるいは朝まで映画の議論。夜明けと共にアパートに戻り、夕方まで寝ていたり。
高校の3年間。映画の話が存分にできる相手がいなかった飢餓感を取り返すかのように話続けた。多分、友人たちも同じ。日本中の映画少年が横浜に集まって来たかのようだった。ただ、真面目に学校に行く生徒は真面目な映画が好き。ベルイマン、フェリーニ、ビスコンティ、と「キネマ旬報」で評論家がベストテンに選ぶような監督の映画が好き。
対してドロップアウト組はスピルバーグ、ルーカス、ランディスと、エンタテイメント派が多かった。そんなこともあり、学校には行かず、ドロップアウト組の下宿アパートに行き、朝まで映画の話をしていた。そんな1人が部屋に矢沢のポスターを貼っていた。
「成り上がり」を借りて読んだ。テープ借りて聴く。自分でLPを買った。矢沢はミュージシャンを目指し、田舎から横浜に出て来てスーパースターを目指した。共感するものがある。僕らも同じ。田舎から横浜に出て来て映画監督を目指す。当時、ラジオでよく流れていたのが、矢沢の「Yes My Love」だった。
僕らはほとんど学校に行かないで、グータラな生活をしていた。何ヶ月もそんなことを続けていると、流石に話すネタがなくなる。ドロップアウト組は完全に登校拒否状態。僕は時々、授業に出ていたが、夏休み前には「こんな学校で勉強していてプラスになるのか?」と疑問に思えて来た。映画の歴史を学んで何なる?評論家の先生の話を聞いて映画が作れるようになるのか?「ここで学んでも無意味?」と感じた。
実習になっても一部の生徒しか監督はできず。あとの生徒は彼のお手伝い。何のために高い授業料を払っているのか? そんな頃、8ミリで映画を作る学生映画が流行っていた。当時は「自主映画」と呼ばれ、その世界からプロになったのが、大森一樹、石井聰互らだった。日本版のスピルバーグ、ルーカスというところ。映画監督といえばおじさん、爺さんと言うイメージの時代。若い監督の活躍は心が躍った。自分たちも同じようになれるかも?と思えた。
学校に行く生徒たちは「8ミリ映画なんて学生の遊び!」という感覚だったが、僕はとにかく映画が作りたかった。ただ、声をかけてもクラスメートたちはバカにするばかりで誰も参加しない。そこでアパートで毎日酒飲んでばかりいるドロップアウト組に声をかけた。退屈している彼らは「おもしろそー」「やろうぜ!」と手を上げる。それが1980年の10月。そこから僕の映画人生が本格的に始まった。
それからちょうど40年。ここしばらく、いや、この数年、これも違う。2005年からの15年。1本の映画が終わると、編集、仕上げ、宣伝、公開、次がまたスタート。脚本、ロケハン、キャスティング、撮影、編集、仕上げ........振り返る余裕もなかった。それがさっき、矢沢の歌を聴いて横浜時代を思い出した。あの時のドロップアウト組はどうしているのか?
2年目になると、絶望して故郷に帰る者が出て来た。「監督なんて夢のまた夢」と痛感。落ち込んで何も言わなくなる奴もいた。部屋に閉じこもりずっとテレビを見ている奴。ある時、部屋を尋ねるともぬけの殻という者もいた。挨拶もなくいなくなる。あんな悲しいことはなかった。朝まで毎晩語り明かした友が、やがて誰もいなくなった。その後、僕は学生映画の上映会で知り合った大学生たちと8ミリ映画を作り続け、学校は辞めた。その前後にプロの現場で助監督を経験。映像の仕事をチョコチョコするようになる。
仲間の大学生たちも卒業が近づき。映画作りから離れて行く。学生映画ブームも終わりを告げていた。この辺のことは以前にも書いたので簡単に済ますが、また「このままではいけない」と思えて来た。プロの世界で助監督をするのも。学生映画を続けるのも違う。学生映画からプロの監督になった人たちもいたが、僕はその道ではないと感じた。遠回りしよう....。それが後でプラスになる。昔からの憧れであるアメリカに行こうと考え、アルバイトを始めた。
こうして、憧れのルーカスが学んだUSCの映画科を目指して渡米。1985年のことだ。矢沢永吉は翌年「Yokohama 二十歳まえ」というアルバムを発売する。何だか自分のことのような気がした。この続きを書くと物凄い量になるので簡単に続ける。映画科には奇跡的に合格した。が、僕が求めるものはそこにはなかった。6年のLA生活。帰国して新宿でアルバイトしながら、シナリオを書き続けた。
結局、僕は映画監督を目指して18歳で横浜に行き。それから25年後に「ストロベリーフィールズ」という商業映画で監督としてのスタートラインに立つ。それから15年。ふと気づくと夢を達成していたが、満足感は特にない。ハッピーということもない。毎日が戦い。ただ、矢沢の歌を聴いて、長い長い月日が経ったことを実感する。あの頃の仲間はどーしているのか? あれこれ考えてしまう。真夜中、午前0時。。。