今日も大したこと出来ず。1日が終わる!−12月2日 [「沖縄狂想曲」]
障害を背負ったこと=まだ笑っては話せない。−12月2日 [闘病日記]
脳梗塞で文字の読み書き、出来なくなった。そのリハビリとして、このFacebookを毎日、多めに書いている。すると「監督は記事、いっぱい書いているな。病気は完治だな!」と記事自体を読まないで、そんな判断をされたりする。
脳梗塞で文章が3行以上、読めないーとお伝えしても、長いコメントが来る。「〇〇さん困ってますよ。応援に行ったらどうですか?」とのコメントまで来る。その方が困っているのは知っている。が、僕はようやく外出できるようになったばかり、駅まで行くのが精一杯だ。
「まだ手術が済んだばかり」と返答すると「あーそうだったね!(笑)」と返事。ネット上の友達なんて、そんなもの。再起不能になる可能性がある病気をしても、そのツイートや記事を読んでいても、すぐに忘れてしまう。
脳も、目も、もう良くなることはない。心臓は昔のようにはならない。が、手術で血管が詰まることは無くなった。言葉もだいぶん、戻って来た。でも、仕事以外の友人とは、もう少し距離を置く。「完治したんだろ?」とか言われても、まだ言葉を返せない。
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ヘルパーさんに感謝。−12月2日 [闘病日記]
スタッフ&配給会社に感謝!ー多くの人に支えられている。−12月2日 [「沖縄狂想曲」]
今回の「沖縄狂想曲」本当に多くの人に助けられている。これまで僕は基本的な部分は、ほとんど自分でやっていた。もちろん、スタッフがいなければ映画は出来ない。
が、僕が企画し監督した作品。ある意味で僕のわがまま。それを映像化するのに、安いギャラでスタッフにあれこれ、やってもらうのは申し訳ない!という思いが強かった。
だから、出来る限り1人でやる。でも、今回は心臓が弱り、脳梗塞。文字の読み書きも出来ない。喘息で呼吸困難。流石に編集はスタッフに頼んだ。完成後も、いつもは率先して宣伝作業をする。
でも、今回は配給会社にかなりおまかせ。マスコミ試写にも参加できなかった。なのに、皆、本当に頑張ってくれている。自分の仕事でないことも、やってくれている。トラブルもあるが、本当に助けられている。ありがたい。
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宣伝業務がスタート。あれこれバタバタに?ー12月2日 [「沖縄狂想曲」]
映画監督って、映画が完成した後は何をしているの?ある人に「どうせ毎日、酒でも飲んで遊びまわっているんだろう?」と嫌味を言われたが、とんでもない。
映画公開に向けて、やることは山積み。まず、ポスター、チラシ制作。デザイナーや宣伝会社と打ち合わせ。デザインを決める。キャッチコピーや解説文も確認。どんな写真を、どの写真を使うか?決める。
予告編は業者が作ること多いが、僕は自分で編集。それで宣伝費が少し浮く。さらに映画館で販売するパンフレット。これは配給会社と、ライター。そして監督の3者で打ち合わせ。方針を決める。
上がった原稿は全てチェック。そして、公開の2−3ヶ月前からはインタビュー取材。マスコミ関係の取材を受ける。テレビ出演やラジオ出演もある。「ドキュメンタリー沖縄戦」の時、大阪では1人1時間。10人の取材。2日間受けた。もちろん、全てノーギャラ。
そんな風に監督業。映画が完成すると宣伝員になる。他のスタッフは既に別の映画を作っている。でも、監督は最後まで付き合わねばならない。公開初日には舞台挨拶。その後、地方での挨拶、取材。と続くことも多い。今回もその予感。また、入院するかも?
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器用貧乏。あれこれ出来たことで、脳梗塞?−12月2日 [「沖縄狂想曲」]
学校時代。僕の成績はよくなかった。ま、勉強しないからなあ。国語、数学、理科、社会。みんなダメだった。が、映画の世界で仕事をすると、状況が逆転した。
どれもずば抜けては出来ないが、脚本を書く。監督する。編集する。宣伝する。と、他にもあれこれして、毎回7人分の仕事をして来た。脚本は書くけど、演出はしない人。演出はできるけど、シナリオは書けない人もいる。
が、僕は両方やる。近年はPも兼ねる。学校時代の劣等生が映画の世界では、あれこれ出来てしまう。もう少しいうと、元々は劇映画の監督。でも、最近はドキュメンタリーが多い。そもそもは別のジャンル。でも、OKなのだ。
ま、器用貧乏ともいう。7人分できてしまうから、働きすぎる。今回、心臓が弱り、脳梗塞を起こして、1年近くダウンしている。7人分も働くからだ。おまけにギャラは1人分以下。本来もらう分を製作費に戻していた。
だから、予算以上の映画が出来た。が、同じこと続けると、今度こそ、再起不能。注意せねば。
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トラブルメーカーと呼ばれた私=理不尽に耐えればトラブルにならない?−12月2日 [「沖縄狂想曲」]
僕をよく知る、ある店の人に言われた。「えー、太田さんは温厚だし、話しやすい人なのに、そんなこともあるんですね〜」そう、僕は時々、事件を起こす。
先輩からは「トラブルメーカー」と呼ばれていた。僕としては本意ではないが、問題が起きることがある。ただ、先輩には「太田がトラブルを起こす」と思われている。ある意味正解で、ある意味で誤解。
僕がトラブルを起こすのではない。会社なり、プロデュサーが理不尽なことをする。無理なプロジェクトを進める。多くのスタッフが迷惑。でも、誰も強い立場に対して抗議せず、我慢する。なのに僕は文句を言う。すると相手は怒り出す。責任あるのに怒る。で、トラブルとなる。
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それを傍観していると「太田がまたトラブルを起こした!」になる。が、理不尽をしたのは会社側でありPだ。結果、僕がクビになる。「あいつは面倒だ」となる。けど、僕が揉めた会社は数年で倒産する。いい加減なことをしていると、やはりそうなる。
近年は僕が企画し、仕事をお願いする立場だ。P業もやっている。だから、僕自身がトラブルを起こすことは亡くなった。が、仕事を頼んだ相手が誤魔化し、手抜きすることがある。それも許せない。
その種の人は結局、仕事を投げ出す。僕がそれを引き継いで仕上げる。投げたスタッフにギャラは払ったが、僕の人件費は出ない。仕事をもらうのも、頼むのも。あれこれ大変。
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新作映画ー沖縄の悲しみを伝えるだけでない=沖縄こそが日本の希望なのだ。12月2日 [「沖縄狂想曲」]
僕の新作ドキュメンタリー「沖縄狂想曲」。今回は戦後の沖縄を描いたもの。基地問題を中心に現代までを描いている。
戦後。日本に復帰したとは言うものの。、今も沖縄には米軍基地が多数残り。植民地と変わらない状態である。兵士による犯罪。戦闘機の事故。汚染水問題。騒音。でも、それらの多くは県外で報道されない。
そんな取材を続けていて感じる。住民の被害や苦悩を伝えること。知ること。大切だ。本土の人たちはリスクを沖縄県民に、押し付けるばかり。他人事のように「沖縄、大変だね」と同情するだけ。
だが、本来は多くの日本人が、背負わなければならない部分なのだ。そんな悲しい現実を描いた作品。沖縄の人に見てもらう意味はあるのか?辛い思いを再確認するだけではないか?とも感じていた。
それが編集段階になり、地元専門家の指摘を繰り返し来ていて気づいた。
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ある小説家さんの言葉ー本当にその通りだ。−12月2日 [闘病日記]
10代からお世話になっている、小説家の方がいる。先日、ネット上でコメントをくれた。
「作品に救われるということが、稀にある。今の太田君はまさに、それだろう」
作品は作家が書くもの。その作品に作家が救われる?奇異に感じる人もいるだろう。でも、まさに今の僕はそれだ。と痛感した。作家さんでなければ気づかない視点。
来年公開の映画「沖縄狂想曲」その宣伝活動が始まっている。この作品の完成間際に脳梗塞。そこから長い闘病生活が始まった。その作品に救われるとはどういうことか?
もし、この作品がないとしたら。前作の映画公開終了後に倒れていたら? そこで病気ならどうか? 「僕の監督使命は終えたのかもしれない?」と思ったかもしれない。ボロボロの体で、またゼロから映画を作る元気はない。
この先、どうすればいいのか?と悲嘆にくれたはずだ。が、今は完成した作品があり、映画館公開が迫っている。「早く元気になって、宣伝しなければ!」と思える。映画があるから復活しようと考える。
つまり、病気でボロボロになった父親。幼い娘がいれば「元気になって、この子を育てなければ!」と感じる。が、子供が巣立って行った後だと「もう、俺の役割を終えた。いつ死んでもいい」と思ってしまうのだ。
作家さんのコメント。まさに、それなのだ。作品に作家が救われる。もし、今回の作品がなければ、僕は希望を持てず、未来を不安に思い、病状はもっと悪化していたかもしれない。まさに、作品に救われたのだ。と感じる。
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脳梗塞で脳の一部が死んだ。そこは「書く読む」を司る部分。−12月2日 [闘病日記]
とても困る。だが、なぜか?「書く」は早期に復活した。そのお陰でこのFacebookも毎日書ける。
が、ペンを持って文章を書くと、小学生レベルの文字。そして漢字が思い出せない。パソコンという機械のお陰で、「書く」機能が失われても文章が書けるのだと思える。
言葉を話すことは出来る。それをキーボードで打つことで文章になる。ペンで書くのであれば、そうはいかない。その意味でパソコンという文明の利器に感謝だ。本日はまだ機能が回復しない「読み」の仕事がある。まだ、2行しか読めないのに〜。
山ほどの原稿を読み、内容チェックをせねばならない。新作映画のパンフレット。でも、それは監督の仕事。ギャラも出ない。映画完成以降の作業。監督に人件費は派生しない。だが、宣伝活動は責務。厳しいぜよ。
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おはようございます。今朝は午前5時に目が覚める。ー12月2日 [「沖縄狂想曲」]
最近、こんなことが時々あるが、外はまだ暗い。なぜか?不安感に襲われる。「人生、真っ暗」と感じるのかもしれない。
両目が半分失明。心臓機能が低下。脳の一部も死んで記憶力低下。おまけに60代。今までのように仕事が出来るのか?という不安がより、強調されるのかもしれない。
「人生、真っ暗闇、、、」気持ちが暗くなる。こんな時はすぐに起きず、ベッドで寝たまま。iPadでFacebookをチェック。夜明け前なので、新しいコメントはない。が、昨夜遅くに書き込まれたコメントが少々。
それらを読んでいると、窓の外が少しずつ明るくなる。不安感が少しずつ消える。以前は外が明るくなっていても、起きた時に誰もいないと。(1人暮らしなので当然、誰もいない!)物凄い寂しさと不安感に襲われた。Amazon musicでオリビアの歌をかけたもの。
耐えられない寂しさ。今は不安感。これも病気のせいだろう。でも、少しずつ良くなっている。本日も、あれこれ仕事をせねばならない。
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