3ヶ月寝込んだー過労は間も無く終了か[?] 後編 9月4日 [闘病日記]
3ヶ月寝込んだー過労は間も無く終了か[?] 前編 9月4日 [闘病日記]
3ヶ月寝込んだー過労は間も無く終了か[?] 前編
今日は9月4日。ちょうど3ヶ月前の今日。6月4日に三重県で講演会。「ドキュメンタリー沖縄戦」の上映後にトークをさせて頂いた。その帰宅後から体調不良が始まった。
最初は脳梗塞の後だったし、新幹線の電磁波で疲労したのか[?]と思ったりした。が、いつもの過労だ。喘息、脳梗塞、心臓病とバタバタで忘れていた。1年の撮影を終えると、いつも過労でダウン。3ヶ月ほど寝込むのだ。
以前は過労も理解されず、疲労と同じと思う人が多かった。が、過労死の過労である。もう本当に何も出来なくなる。家から出られない。1日寝たきりになる。それが脳梗塞の後に来たので参った。ー続く
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脳の障害ー文章が読めない。記憶力が悪い。考える力がない[?] 9月4日 [闘病日記]
脳の障害ー文章が読めない。記憶力が悪い。考える力がない[?]
体調は少しずつだが、良くなっている。が、脳の働きは良くない。8分の1が死んだだけ[?]でも、これだけ影響が出るのだ。まず、記憶力の減退が著しい。言われたことを忘れる。人の名前が思い出せない。
冷蔵庫を開けるが、何を取りに来たのか[?]思い出せない。薬を飲み忘れる。文章は3行くらいしか読めない。ただ、書くー脳は無事だったのか[?]1ヶ月くらい描けるようになった。
でも、長文を書くと「読み」も大丈夫?と思われて、長文のコメントが来る。もちろん読めない。そして考える力も低い。2つ3つの問題が起こるとパニック。思考停止になる。記憶力も時透無一郎ー鬼滅の刃のキャラーレベル。厳しい。
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♬「9月になったのでー。ウオ、ウオ、ウオ、ウオ、お」 9月4日 [闘病日記]
後悔するより、手足が動き、話が出来ることー感謝したい。 9月4日 [闘病日記]
後悔するより、手足が動き、話が出来ることー感謝したい。
一番、辛いのは目が半分しか、見えなくなったこと。過労は月日がかかっても治る。心臓も良くなる。喘息も今は症状が止まっている。でも、両目ともに、もう一生、半分しか見えない。
けど、失明していたら[?]僕は生きる希望を無くしただろう。映画が撮れなくなる。いや、目だけではない。言葉を失っても、監督業は続けられない。俳優やスタッフに演出を伝えられない。監督業は引退。生きる希望を失っただろう。
尊敬する大島渚監督、同じ脳梗塞で引退した。本当に悔しかっただろう。僕も同じ運命を辿ってもおかしくなかった。そう考えたら両目が半分ずつでも見える。手も足も動く。怒鳴ることもできる。嘆くより、この幸運に感謝せねば。
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「何で僕がこんなことに、、、」と嘆くーいや、むしろ僕は幸運なのだ。 9月4日 [闘病日記]
「何で僕がこんなことに、、、」と嘆く[?]ーいや、むしろ僕は幸運なのだ。
ある医療関係の方。こんなコメントをくれた。「監督は凄い。両目共に半分しか見えなくなり、生活に支障を来たしている。なのに、ブログを読んでいると前向き。病状を冷静に見つめようとしている」と褒めてくれた。
いえいえ、結構、弱音も吐いている。ただ、僕の場合。こんなふうになったのは自身の責任。18年間。映画撮るたびに8人分の仕事。そのことで3千万の製作費で、4ー5千万の映画を作って来た。体が壊れて当然。自業自得だ。
それも指示されたのではなく、自分が本当に作りたい映画を作るため。素晴らしいキャストとスタッフと共に撮影した。結果、体が壊れて障害を持った。誰も恨むことは出来ない。全て自分が選んだことだ。
幸運にも、手足と言葉の障害はない。目も半分見える。あの大島渚監督は同じ病気で引退した。僕はまた、映画を作れる。こんな嬉しいことはない。嘆くよりも、感謝の気持ちを持ちたい。
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