食料を頂きました。本当にありがとうございます。 9月16日 [闘病日記]
「その映画。ぜひ、撮ってください」と笑顔で言う人たち 9月16日 [闘病日記]
「その映画。ぜひ、撮ってください」と笑顔で言う人たち
先に書いた話。「〇〇の映画が撮りたいんだー」とブログに書くと、よく来るコメント。「ぜひ、撮ってください楽しみにしています」ー悪意がないのは分かる。が、めっちゃムカつく。という話を書いた。
その人に悪意はない。映画業界が想像できないだけ。分かりやすく例で言うとこうだ。「南極に行きたいんだよなあ」すると「ぜひ、行ってください」と言われるようなもの。
どうやって行くの[?]簡単に行けないでしょう。東京駅から電車出てるの[?]それとも羽田発[?]という感じなのだ。もう本当に不可能を可能にする仕事なのだ。でも、理解されづらいし、それが映画作りなんだ。
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「ぜひ、その映画。撮ってください?」と気安く言う人たち。ムカツのだ[?] 9月16日 [「沖縄狂想曲」]
「ぜひ、その映画。撮ってください?」と気安く言う人たち。ムカツのだ[?]
先に「脳梗塞を在在にした映画。撮りたい」と書いた。同時に「沖縄戦の劇映画を撮らねば」と思っている。どちらも実現せねばならない。が、そう書くと、必ずこんなコメントが来る。
「ぜひ、撮ってください?」
意味は分かる。が、めっちゃ腹が立つ。監督が撮りたいからと、映画が撮れるものではない。低予算映画でも最低3千万円かかる。個人で出せる額ではない。当然、スポンサーが必要。
だが、一般の人はそこまで考えない。監督が「撮りたい?」と思えば撮れると思っている人もいる。「ああ、いいねえ。その映画。ぜひ、撮ってよ」そんな気分なのだ。
素人なので仕方ないが、製作費集めは、どれだけの苦労があるか[?]5年10年かかることもある。それを知ったら「撮ってください」などと簡単にコメントはできない。ま、それが作り手側の使命なんだけどね。
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僕の監督作品。3つのタイプに分類できる[?] 9月16日 [「沖縄狂想曲」]
実体験を元にした映画はヒットする[?] 伊丹十三に学ぶ。 9月16日 [闘病日記]
介護サービスは確立しているのに、知る方法が分からない 9月16日 [闘病日記]
介護サービスは確立しているのに、知る方法が分からない[?]
僕が大いに籠ったこと。
①目がよく見えない。
②過労で外出できない。
③心臓病で暑さは危険。
④近所にスーパーがない。
つまり買い物ができない。さらに
⑤脳梗塞で文字が読めない。
なので、ネットで買い物もできない。おまけに、
⑥家族がいない。
⑦友達も近隣にいない。
部屋に閉じ込められたような状態なのだ。
介護サービスで、買い物に行ってくれる人がいること。聞いてはいた。が、どこに連絡すればいいか[?]分からない。役所に電話しても「一度、来てください」と言われる。
幸い、多くの友人たちが食料を送ってくれたので、生き延びることができた。が、そんな人がいない病人は、どうしているのか[?] どうすれば行政のサービスを知ることが出来るのか[?] 考えてしまう。
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介護の受け皿はあるのに、知らない人たちが多い[?] 9月16日 [闘病日記]
朝起きて、強い孤独を感じる日。 9月16日 [闘病日記]
朝起きて、強い孤独を感じる日。
おはようございます。昨夜はなぜか[?]早い時間に疲れが出て9時か10時頃には寝てしまった。そのため目が覚めるのも早い。午前4時半に、目が覚める。外はまだ暗い。気分も暗くなる。
7?8時間は寝ているのだが、何だか、寂しい気分。部屋には誰もいない。強い孤独感を感じる。もし、夜中に死んで、朝に目が覚めなくても、数日は誰も気づかずにいるだろう。人生って何なのだろう、、、と考えてしまう。
これも病気のせいか[?]こんなこと、考えること。ほとんどなかった。朝、目が覚めたら、今日の仕事を確認。新作映画のストーリーを再確認。問題点をチェック、、、、、。仕事仕事の生活だった。あれこれ考える機会なのだな。
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