今回、感じたことー命懸けはもうやめて、仲間の力を借りよう。 9月13日 [闘病日記]
今回、感じたことー命懸けはもうやめて、仲間の力を借りよう。
映画製作をするとき、僕は誰より自分のギャラを安くする。7人分働いて1人分以下しか取らない。本来もらうべき額、製作費に戻す。そのことで映画をスケールアップしてきた。
そんなことをしていたので、体を壊し、脳梗塞になり、半年も寝込むことになった。嫁も子供いない。贅沢な生活をしたいとは思ってない。いつ死んでもいいと思っていた。多くに希望を届ける映画、作りたかった。
でも、今回の病気でいろいろ感じた。長生きして、そんな映画を作り続けるのも悪くない。多くの仲間の力をもっと借りれば、命懸けでなくても素敵な映画は作れる。力を借りよう。そして皆が喜んでくれる作品。届けたい。
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一番つらかった時代。高校時代か[?]今回か[?] 9月13日 [闘病日記]
元気になったら、また山本太郎さんの街宣撮影に行きたい❣️ 9月13日 [闘病日記]
♬「10月になれば、おーおーおーおーおお」 9月13日 [闘病日記]
本日も体編集終了。力尽きたが、まだ寝る訳には行かない 9月13日 [「沖縄狂想曲」]
いよいよ最終確認。 9月14日 [「沖縄狂想曲」]
今回の大病。学んだことも多い。障害を描く映画を 9月13日 [闘病日記]
今回の大病。学んだことも多い。障害を描く映画を
僕を応援してくれている人、想像以上に多いと言うこと知った。また映画を撮ること、望んでくれている。それに応える作品を作ること。残された僕の人生の命題だ。
今までは「毎回、遺作」と思っていた。が、体が壊れたことであれこれ学んだ。今後は健康に気をつけて、しぶとく長生きしてやろう。そして、観客が元気になる、勇気が出る映画を作りたい。
そこは以前と同じだが、今回の病気であれこれ学んだ。障害を抱えた人たちが、どれだけ大変か[?] それも思い知った。幸い僕は自分の足で歩くこと出来る。が、もし、車椅子生活になっていたら[?]と考える。そんな映画も作らねばと思える。
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病院の問題ある先生たちー簡単に言うとオタク。対人能力が低い 9月13日 [闘病日記]
病院の問題ある先生たちー簡単に言うとオタク。対人能力が低い[?]
まだ、元気は出ないが、精神的には少し穏やか。何より病院に行くのが精神衛生に一番良くない。心臓内科の先生はギバちゃんに似て好青年だが、脳外科の若い男性とか学科の女性は、話すだけでイラつく。
なぜ、あんな風に患者の心を逆撫ですることを言うのか[?] 簡単にいうとオタク。勉強はできるが、コミュニュケーション能力が低い。彼らと対応すると1週間は落ち込む。
眼科はもう行かなくていいしー「何も出来ない」と言われたしー、脳外科のオタク先生は名前を覚えたので、彼のいない日に行くことにした。思うのだが、やはり病院を舞台にした映画作るべきだ。伊丹十三さんのような感じ。需要あるはず。
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アリ軍団との戦いーその後、部屋への侵入なし[?] 9月13日 [「沖縄狂想曲」]
こんなに応援してくれている人がいたこと。知らなかった。9月13日 [「沖縄狂想曲」]
こんなに応援してくれている人がいたこと。知らなかった。
脳梗塞でダウン。再起不能の直前まで行った。そのことで知ったことがある。本当に多くの人が応援してくれていたことだ。と言うのも、僕は映画監督業をやっているが、さほど有名ではない。
多くが知る大ヒット作を作ってない。映画ファンも知らないだろう。そう思っていたら今回、Twitterで100人を超える人からお見舞いツイートを頂いた。fbでは連日、励ましのコメント。食料を送ってくれた方が何人もいる。
皆、僕が映画監督業への復帰を願い、応援してくれていた。涙が溢れた。こんな僕に声援をくれる人が、こんなにたくさんいるなんて。考えたこともなかった。多くの人が同じコメントをくれた。また涙が溢れた。
「ゆっくり休み、元気になったら、また映画を撮ってくださいね。楽しみにしています」
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