今朝から新作の「沖縄戦 戦後編」MA前バージョンを再確認。 9月11日 [「沖縄狂想曲」]
過労でダウンして3ヶ月が過ぎた。未だ復活は始まらず[?] 9月12日 [闘病日記]
本日は午前中から、編集チェック。 9月12日 [「沖縄狂想曲」]
再起不能になりかけたが、後悔はないー自分の選んだ生き方 9月12日 [闘病日記]
再起不能になりかけたが、後悔はないー自分の選んだ生き方[?]
「何で俺がこんな目に遭うのか?」という話。時々聞く。何も悪いことをせず、真面目に働いていたのに、病気や事故で体が不自由になる。本当にやりきれない。誰を恨めばいいのか[?]上司、会社、社会[?]
僕の場合は誰も恨めない。映画監督業を初めて以来。「毎回、遺作?」と思ってやって来た。いつも全力投球。手抜きなし。毎回、自分のギャラまで映画に注ぎ込んだ。撮影終わると、生活できなくなったことも。
そのツケ、18年目にやって来た。「何で俺がこんな目に?」ではなく、「いつかは、こうなるよー」とさえ思える。しかし、もし、僕が納得できない、与えられた仕事ばかりしていたら[?] 会社や依頼人を恨んだだろう。
でも、僕の映画。全て自分で企画したもの。やりたい映画しか作らない。その意味で後悔はない。好きに作って、体が壊れたのだ。やりたくない仕事をして、こうなったのではない。それに、これで終わった訳ではない。まだ、映画作りは続けられるはず。だから、神様には感謝。
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9月も中旬。なのにまだ暑いぜよ? 9月13日 [闘病日記]
医者の言い方で、患者は安心したり、傷ついたり 9月12日 [闘病日記]
医者の言い方で、患者は安心したり、傷ついたり[?]
そろそろ、3週間が経とうとしている。が、未だにあの眼科の女医の対応。心に傷を残している。聞いたことに答えない。聞いてないことをベラベラ話す。「問題ない」と言っていたのに、突然「左目は半分失明」と言い出す。「聞いてないよー」という感じ。
例えば「ああ、見えずらいはずですね。残念ながら左目も半分失明しています」と言われれば、納得できる。が、「問題はない」と言ってたのに突然「右目は半分損傷」と言いだした。当然、患者は強いショックを受ける。なのに次の話を始める。まるで研究室で、動物実験をしているようだった。
同じ病院の医者でも、脳外科の先生。僕の右目が半分しか見えないこと。厳しい現実を伝えながら、患者が希望を持てる表現をしてくれた。それだけで全然違う。あの女医は勉強ばかりして、患者の気持ちを考えるーこと学んでないのだろうなあ。
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両名ともに半分しか見えないーでも、手も足も動く。話せる。その幸運に感謝。 9月12日 [闘病日記]
両名ともに半分しか見えないーでも、手も足も動く。話せる。その幸運に感謝。
朝、目を開けて一番最初に見えるのは、天井。でも、両目ともに半分しか見えない現実ー思い出す。暗いところは見づらい。視野も半分になった。けど、同時に「もし、失明していたら[?]」と考える。
視野が狭くなっても、どうにか見える現在に感謝せなばーと思える。脳梗塞の後遺症で文章はあまり読めないが、空も街も見ることはできるのだ。手足も動く、喋ることも出来る。
目が半分しか見えない現実より、体の他の部分が無事だったことを感謝せねばと思える。元気になれば、自分の足で街を歩ける。自分の手で食事できる。友達と話せる。それって凄い幸せなのだ、と思える。
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本当に少しずつ、回復している。 9月12日 [闘病日記]
早く目が覚め過ぎて、困る[?] 9月12日 [闘病日記]
説教する大人ー「世の中、甘くないんだよ」その正体は 9月11日 [闘病日記]
説教する大人ー「世の中、甘くないんだよ」その正体は
若い頃、何人かの大人たちから、「現実は厳しい」「お前は甘いんだよー」と説教された。が、彼らの多くは努力が足りなかっただけ。なのに悪いのは自分ではなく「世の中、甘くない」と解釈していたのだ。
夢破れた大人が、夢見る若者に「お前ら現実を知らない」と説教していた。要は「俺は頑張ったけど、世の中は厳しい。だから夢を実現できなかった」と言いたい。それで納得したいので、若者にその解釈を押し付けているのだ。
では、夢を実現できた人は、どうなるのか[?] 甘くない努力をしたと言うこと[?]その努力をその大人は、しなかったと言うことになる。なのに、若い連中に説教している。今、振り返ると「世の中、甘くない」はやはり、自己弁護。頑張る若者を上から目線で説教。自分を慰めているのだろう。
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