ダウンして2ヶ月と2週間?=復活はいつか? −8月8日 [「沖縄狂想曲」]
ダウンして2ヶ月と2週間?=復活はいつか?
今日も1日が終わろうとしている。午前中は体調悪く、食欲もなく、2時間ほど仮眠。午後から少し調子が良くなり、パソコンに向かった。やはり、夏バテ?それとも台風が近づき、気圧の関係?
ブログはまたまた何本も書いたが、他の仕事をする気力がない。来年公開の新作映画のテロップ、ナレーション書きのため、本編をもう一度見直そうと思っている。が、最初、5分のところで止まっている。
ま、作業をしてくれるスタッフがまだ、他の仕事で忙しい。焦る必要はないが、8月もどんどん進んでいる。月末になればダウンして3ヶ月。復活の日?なのだが、今はまだ2ヶ月と2週目。おまけに脳梗塞に心臓病。本当に復活できるのか?今日は右目が見づらいし。
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YouTube番組ー再開したいが、あれこれ問題? −8月8日 [「沖縄狂想曲」]
YouTube番組ー再開したいが、あれこれ問題?
今は来週の横浜、舞台挨拶に行けるか?健康状態と台風を心配している。が、あれこれ考えることがある。新作映画の仕上げも問題だが、今回は他の件を精査したい。YouTube番組「太田監督 私の映画部屋」を早く再開したい。
が、まだ体力も気力もないので無理なのだが、あれは自宅で収録できる。大病したのでネタもある。新作映画の情報発信もできる。おまけに収入にも繋がる。この部分もありがたい。ただ、まあ、4ヶ月以上休んでいるので、ユーザーに忘れられているかも?
「太田って誰だっけ?」みたいな。また、脳梗塞を起こして、以前のようにしゃべれるか?という心配。人の名前が本当に出てこない。あれこれ心配は尽きない。
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なぜ、人は無責任に応援するのか?=相手を傷つけていると考えない? −8月8日 [闘病日記]
なぜ、人は無責任に応援するのか?=相手を傷つけていると考えない?
医療、介護関係の方からのコメント。とても役立ち、ありがたかった。が、誰もが専門的な助言ができる訳ではない。「お大事に」「ゆっくり休んでください」だけで本当に嬉しい。が、「何かアドバイスせねば!」と、どこかで聞き齧った情報をコメントする人もいた。
酷いのになると「運動も大事ですよ」ーはあ?心臓機能が20%に下がり、喘息で息苦しいのに運動? 僕の記事を読んだ上でコメントしてるのか?と思うような人もいた。外出できないと書いているのに「**へ行ってください。ケアしてくれます」とか、「外出できない!」と何度も書いているだろう?
つまり、ある種の人は真剣に記事を読まず「お、監督、病気。家出れない。だったらネット通販!」という感覚。悪意はないが、親切とも言えない。あえて厳しくいうと、野次馬。そんな人が1人や2人ではない。対応の難しさ。あれこれ感じる経験をしている。
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なぜ、役立つ情報をくれた方=連絡が遅かったのか? −8月8日 [闘病日記]
なぜ、役立つ情報をくれた方=連絡が遅かったのか?
「もっと早く教えてよ〜」という思いもあった。脳梗塞に、心臓病。不安に震えていた。が、答えはすぐに分かった。早くにコメントをくれた人たちは状況を理解せず、思いこみのものばかり。ほとんどが「リハビリ」にすいて、まだ必要のないものばかり。
対して医療関係者、経験者の皆様は、僕のコメントから事態をしっかり把握しようとした。病状は?原因は?治療は?僕の記事も最初は個人的な感想が多く「伝える」という意識は低かったのもある。1ヶ月ほどで、事態が見えてきた。
で、僕が投げかけた質問について答えをコメントしてくれるようになった。つまり、まず情報(経験)をお持ちということ。次に、患者(私)の状態を把握。何が知りたいか?不安なのか?を確認する。それに答える。
それ以外は「脳梗塞」=>「リハビリ」という単純発想で、まだ先の情報をコメントしてきたのだ。あるいは聞き齧った話。さらに「薬、多すぎですよ。1つにしませんか?」などという無神経なもの。それに疲れてしまった。病気するのも、なかなか大変だと知った。
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応援、アドバイスのコメントから感じたこと=現在社会の歪みも見える。 −8月8日 [闘病日記]
応援、アドバイスのコメントから感じたこと=現在社会の歪みも見える。
今回、多くの人が励ましや助言コメントをくれている。本当にありがたい。ただ、書き込まれるコメントが「親切」ではなくなり「嫌がらせ」になることもある。相手の状況を把握せずに、聞き齧ったことをコメントするだけ。親切に見えて嫌がらせになってしまう。
また、親切と思い混んで、あれこれコメントする人も「私は人助けをしている!」「私は役に立つ存在だ」という潜在意識。助言するというより、自己の存在確認=自己確認のためにコメントしている人も、見かけた。
職場で部品のように扱われる。家族で邪魔者扱いされている。「俺だって役に立つんだ!」という存在証明をするために「俺は役立つ人間だ」と確認するために、アドバイスする人もいたようだ。ただ、それはもう親切ではなく、自身の存在証明。社会の一端を見つめた気がする。
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一番作りたい映画=真実の沖縄戦を描く作品? −8月8日 [闘病日記]
一番作りたい映画=真実の沖縄戦を描く作品?
学生映画時代。後に師匠となる大林宣彦監督の「転校生」や「さびしんぼう」のような青春ファンタジー映画を撮っていた。その延長でデビュー作は「ストロベリーフィールズ」幽霊の話にした。
それがプロ監督3本目の「朝日のあたる家」から社会派路線。4作目の「向日葵の丘」は青春ものの延長。5作目の「明日にかける橋」も同様。6、7作目で「沖縄戦」シリーズ。来年1月公開予定の新作ドキュメンタリーも、その延長線だ。
その次の作品はまだ決まっていないが、劇映画に戻りたい。沖縄戦三部作を踏まえた劇映画「沖縄戦」を何としても撮りたい。一時、依頼が来て撮影直前まで行ったが、スポンサーが投げ出してしまった。が、そんなことで終わりにできない。
今、まともな沖縄戦映画を作るのは難しい。昨年公開された「島森の塔」は実在の知事をを脚色。美化し、事実ではない形のドラマ。限りなく「Fukushima50」に近い。スポンサーの都合で事実を曲げることなく、凄惨な現実を伝える沖縄戦映画を作りたい。
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病人へのコメント。どう伝えるのがベストなのか? −8月8日 [闘病日記]
病人へのコメント。どう伝えるのがベストなのか?
今回、いろいろと学んだ。この年まで(61歳!)大きな病気をしたことがなく、入院もしたことがない。映画を1本完成させると、3ヶ月ほどダウンするだけ。
だから、病人の気持ちが分からなかった。今回、それを体験してみて、あれこれ痛感した。例えばコメント。「早く元気になってくださいね」は三角△。病人に努力を強いている。「ゆっくりと休んでくださいね」がベター。僕もそちらが嬉しかった。
ダメな代表は何度も書いたが、医者でもなく、経験もないのに具体的なアドバイスをすること。「**を食べて」とか「**は控えて」とか、専門知識もないのに、聞き齧ったことを書く。病人からすると「お前誰やねん?」と腹立たしいだけ。
知識ある人のコメントはありがたいが、素人が聞き齧ったことを伝えるのは危険でもある。精神的にも塞ぎ込んだりする。専門家でなく経験もなければ「ゆっくり休んでくださいね」で十分。病人は感動し、回復を目指そうと思える。
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体調悪し、脳も機能低下中?=このまま治らないのか? −8月8日 [「沖縄狂想曲」]
体調悪し、脳も機能低下中?=このまま治らないのか?
昼前に仮眠。その後もベッドで横になっていた。完全な病人だ。いや、もう2ヶ月前から病人なのだ。リハビリのために、このFBは大量に書いているが、その他のことをする元気がない。
それと頭が働かない。まあ、脳が大量に死んだので当然だが、リハビリのために発病直後は脳を使うようにした。3ヶ月までが大事という。その期間が過ぎてから過労でダウン。期間を過ぎたので「もう大丈夫か?」と休養していたのがいけないのか?
あれこれ考える力が働かない。今月末には新作映画のスタジオ作業をせねばならないのに、その進行や仕切りが出来るか?心配だ。スタジオを抑え、費用を相談。サウンドや効果を録音。ナレーションの録音もある。僕の頭では難しい。どうしたものか?
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今日は完全に病人に逆戻り。 ー8月8日 [闘病日記]
「3歩進んで2歩下がる!」ー毎回のことだが悔しい。 −8月8日 [闘病日記]
「エクソシスト」「フレンチコネクション」のフリードキン監督が亡くなった。 ー8月8日 [「沖縄狂想曲」]
体調は少し良くなった? いや、まだまだ? −8月8日 [闘病日記]
「コメントはいりません」と書く病気の友人=気持ちがよく分かる! −8月8日 [闘病日記]
「コメントはいりません」と書く病気の友人=気持ちがよく分かる!
入院中の友人。FBで「コメントはいりません」と書くことがある。とてもよく分かる。「仕事関係、友人関係に病状を、知らせねばならない」と思う。だが、記事にすると、応援だけでなく提案、無神経なアドバイスも来る。
普段なら「うるせえ、バーカ!」で住むものでも、病気だとショックを受け、落ち込んでしまう。1日何もできなくなることもある。重い病気をすると「感じる力」が何倍にもなる。なのに病状を理解してない人が、あれこれ的外れなアドバイスをしてくる。
僕の場合。過労で外出できないのに「**へ行けば**してもらえますよ〜」とか、脳梗塞で文字が読めないのに「ネットで買い物できますよ〜」とか、何度も説明したのに、その種のコメントが続く。もう説明する元気もなく、1日暗い過ごしたことも。「コメントはいりません」大切なのだ。
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アメリカ留学時代の友人。見舞いの電話をくれた。ー [闘病日記]
アメリカ留学時代の友人。見舞いの電話をくれた。
僕がUSC(南カルフォルニア大学映画科)に合格する前に、通っていた英語学校の同級生。数年前に帰国。偶然、僕の映画を見に来てくれて、再会。そんな彼と、あれこれアメリカ時代の懐かしい話をした。
もう、35年ほど前になる。その時に生まれた子供はもう35歳。時の流れの速さを感じる。彼は危険なダウンタウンのアパートに住んでいた。が、芸大卒。部屋はめっちゃ、おしゃれだった。
一緒にサンフランシスコまで、行ったこともある。ローリングストーンズのコンサートを見に行った。あと、ジョン・リー・フッカーのライブも行ったなあ。懐かしい話をしていると、元気が出た。友達は本当にありがたい。
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