映画がヒットしても監督は儲からない?=でも、宣伝せねば!−8月7日 [闘病日記]
映画がヒットしても監督は儲からない?=でも、宣伝せねば!
配給会社はいつも良くやってくれている。毎回、頭が下がる。低額の宣伝費でも、あれこれ考えて宣伝してくれる。大手の映画のように高額の予算があればいいが、いつも最低額でやってもらっている。
だから、僕も宣伝。もちろんノーギャラ。なので2〜3ヶ月の宣伝期間中。収入ゼロになることも! 本来の監督料を貰えば1年くらい生活できる。が、自身でそれを下げ製作費に回している。だから映画が完成したら、すぐに預金ゼロになる。
ノーギャラで宣伝を続けるので、借金で生活ということもある。また、映画がヒットしても、監督は歩合をもらえない。が、何もしないと映画はヒットしない。そして監督が宣伝するのが、一番効果的なのだ。とはいえ、今回は病気であまり動けない。あれこれ考えねばならない。
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映画の宣伝活動は監督の義務=が、上映終わる頃には借金が残る? [「沖縄狂想曲」]
映画の宣伝活動は監督の義務=が、上映終わる頃には借金が残る?
もし、今回、病気にならなければ、どうしていたか?考えた。まず、「ドキュメンタリー沖縄戦」の公開が来年1月なので、その宣伝準備。ポスターデザイン。チラシの文章。予告編。その辺を全部ノーギャラでやる。
さらに連日、ブログで取材時の思い出話を執筆する。そしてYouTubeで「沖縄戦」特集を収録。配信。ここまで、全てノーギャラ。配給会社から宣伝費はもらわない。それでなくても少ない宣伝費。僕が取ったらさらに少なくなる。
その間、数ヶ月。僕は収入なし。ボランティア?で宣伝活動。公開されれば、舞台挨拶ツアー。交通費、宿泊費は出るが、大物監督みたいにグリーン車なんて乗らない。ホテルではなくサウナに泊まり、各地で宣伝。
だが、映画の収入は監督には入らない。ノーギャラで宣伝。借金で生活。興行収益の歩合もない?いつも映画上映が終わると無一文。このスタイルも、考え直さねばならない...。
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やはり2ヶ月では無理か?=静養生活は続く。 −8月7日 [闘病日記]
やはり2ヶ月では無理か?=静養生活は続く。
まだ、力が出ない。昨日は午後から雨が降り、涼しくなった。「おお、これなら外出できるか?」と思え、窓を開けてベランダに出た。
が、路面を濡らした前が蒸発して、熱帯雨林地方のような空気。んー駅まで30分。体力もたないなあ。と断念。いつも過労になるとそうだが、回復すると「外に出たい!」というエネルギーが溢れる。
それがまだない。まあ、2ヶ月目を終えたばかりだからなあ。元気が戻るのは、やはり3ヶ月目が終わる頃。おまけに猛暑だし。右目もよく見えないし、もう少し静養だなあ。
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病気をして分かったこと=悲しみや不安が日頃の数倍になる? −8月7日 [闘病日記]
病気をして分かったこと=悲しみや不安が日頃の数倍になる?
病気の恐ろしさは、「痛い」「苦しい」ばかりでないことを痛感している。「恐怖」「公開」「不安」というものも大きい。病気で性格が変わるというのも実感できる。
病気になると、感じる力が数倍になるようだ。悲しみも、恐怖も数倍。「もう元気になれないかも?」と不安だけでなく「目は見えるようにならないのか?」という恐怖。「なぜ、俺がこんな病気に、罹らないといけない!」という理不尽感。いろいろある。
「このまま死んでしまうのか?」「障害者になるのか?」「元の生活はもう出来ないのか?」「街を1人で歩くことは出来ないのか?」等の不安が毎日のように襲ってくる。だから、友人の励ましは大きい。不安も数倍だが、その感動も数倍になる。
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「ドキュメンタリー沖縄戦」大阪公開は8月5日から1週間。横浜シネマリンー8/16(水)1日限定( 太田隆文監督の舞台挨拶あり) [MyOpinion]
「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」
あと、大阪で再上映。8月5日から、十三シアターセブンで。1週間上映。
https://cinemarine.co.jp/coming-soon/
横浜シネマリンー8/16(水)1日限定
太田隆文監督の舞台挨拶あり
(この日までに復活します)
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朝食ー昨日からとてもお腹が空く −8月7日 [闘病日記]
残り20年の人生?=もっと早く終わるかもしれないけど! −8月7日 [闘病日記]
残り20年の人生?=もっと早く終わるかもしれないけど!
今、61歳。もう60年以上も生きているんだ。振り返るといろいろあったが、早かったなあ〜という印象が強い。この5年くらい映画制作に追われて、気づかなかった。人生80年としたら、あと20年しか残されていない。
考えもしなかった。同じ歳の友人に言うと「まあ、そうだね?」と他人事のように言う。やはり実感がないのだ。今回の病気がなければ、僕も人生あと20年(もっと短いかも?)の実感なく、毎日を送っていたのだろう。
20年前を考えてみる。2003年だ。映画監督デビューする2年前か...。あの年から今日までと同じ時間で、僕の人生は終わる。あれこれ感じるものある。残りの20年。どう生きるべきか?考えている。
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重い病気をすると、すぐには自分から話せない=現実を把握する時間が必要。−8月7日 [闘病日記]
重い病気をすると、すぐには自分から話せない=現実を把握する時間が必要。
このFBでは病気の状態をあれこれ書いている。が、まだ親しい友人たちにも直接、電話して伝えてはいない。まだ、この現実を自分の言葉で話すのは厳しい。電話であれこれ質問されても、答えるのが辛い。
仕事関係の仲間は、数人だけ電話連絡した。彼らは状況を理解してくれており、あれこれ質問はしない。少しずつ体調は良くなっているが、まだどうなるか?分からない部分がある。
どれだけ障害が残るのか?今後の生活にどう影響するのか?も分からない。仕事はどうにか続けられそうだが、今まで通りには行けないだろう。そんな不安に押しつぶされそうになる時もある。まずはFBで今の思いを伝えるところから。
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