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当たり前の沖縄戦史ーそれだけで日本人が知らない事実の連続? [沖縄の現実]

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当たり前の沖縄戦史ーそれだけで日本人が知らない事実の連続?

過去の記録を調べて発見した驚愕の事実とか、封印されていた歴史とか、隠された真実とか言う報道やスクープがある。が、今回の「沖縄戦」ドキュメンタリーはその手のものではなく、すでにマスコミが報道、学者が検証した「沖縄戦」の歴史を紹介するものだ。

しかし、取材していると、すでに事実とされ、書籍にも記され、テレビ・ドキュメンタリーでも描かれている史実をいかに多くの日本人が知らないか?を思い知った。もちろん、僕自身が沖縄について何も知らなかった。が、いろんな人に聞いても、ほとんどが知らない。

「酷いことがあった」「大変だった」

と言う印象はあるが、具体的に何があったか?を知る人はほとんどいない。何より学校の授業では太平洋戦争まで行かない。終戦記念日に放送されたドラマを見たとか、「サトウキビ畑の歌」は明石家さんま主演でかなり話題になったが、そうやって沖縄戦の断片を知るしか機会がなかった。

実際、取材して沖縄戦がここまで酷いものだとは思わなかった。もちろん、戦争なのだから、酷いに違いない。が、その在り方が他と違う。まず、日本軍にとって沖縄戦とは、沖縄を守るための戦いではなく、本土決戦までの時間稼ぎのための戦闘だったと言うこと。

「勝たなくてもい。とにかく長引かせて、持久戦に持ち込め!」

それが軍の方針であり、第32軍はそれを実行したのである。そのために子供から老人。民間人が数多く動員され、戦闘に巻き込まれて死んで行った。さらに住民の避難を考えない軍の行動で、また多くの死者を出している。

つまり、日本軍にとって沖縄の人々は本土を守るための捨て石だった訳である。日本政府は沖縄を犠牲にして本土を守ろうとしたのだ。そんな普通の沖縄戦史を見つめるだけで、驚きと悲しみを次々に感じた。そこから、いろんなこと見えてくるはずである。


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なぜ、学校の日本史の授業は退屈なのか? =どうすれば関心を持って観客は映画を観てくれるか?と同じ構図 [編集作業]

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なぜ、学校の日本史の授業は退屈なのか? =どうすれば関心を持って観客は映画を観てくれるか?と同じ構図

昨日は体調が悪く、編集作業はあまり進んでいない。無理して進めて風邪でも引くとそれこそ大変! 早めに終わり、ワイン飲んで、飯食って、横になると0時前に寝てしまった。これはやはり体調悪い証拠。それでもタイムラインに並ぶ素材を観ると作品らしくなってきた。

時系列順だったのを、より見やすくするために、前後を入れ替えたり、別のエピソードを挿入したり。歴史の勉強では絶対にしないことだが、ここは大事。例えばNHKのドキュメンタリーを観ると、非常に時間も、お金も、労力もかけて作られてはいるが、なぜか? 45分の番組なのに退屈して、休憩したくなる。なぜか?

例えば延々と証言が続く。これは退屈する。人は同じ繰り返しが続くと集中力をなくすからだ。

「えー何?」

と思わせる展開をさせることで興味が持続する。学校の授業でもそうだけど、「1573年に織田信長が桶狭間で今川義元軍を奇襲。1582年に明智光秀の謀反で、本能寺の変が起こります」なんて、ダラダラと説明するだけだと、次第に眠くなるもの。その意味で学校の先生というのは努力が足りないと思える。結婚式のスピーチでも、長くて退屈で、

「早く終わらないかな〜」

というものがよくあるが、それも同じ。教師が生徒に、スピーチする人が来賓者に、一方的に事実を語り続けるという形がそうさせるのだ。「え、何で?」と聞く人に思わせることで、人は耳を傾ける。それには謎を提案する。「なぜ、光秀は信長らを裏切ったのか?」とか、結婚式なら...

「しかし、花婿には隠していたことがありました」

とか、「何だろう?」と思う問いかけをする。ドキュメンタリーも同じ。「何で?」と思わせることで興味を持ってしまう。謎の提案以外にも、意外な展開というのもある。「何でそうなるの?」と思わせる手法。あるいは結末を先に見せて「なぜ、こんなことになったのでしょう? 実は...」というところから始める。いろんな手法がある。これらは編集というより、物語手法ともいうべきもので、シナリオ作りと同じなのだ。主人公が撃たれて、血まみれ。

「何で?」「誰にやられたの?」「どうして?」

そこから、過去に遡り、物語が始まる。そんなスタイルもある。謎の人物を登場させ、背景や関係をあえて説明しない。観客は「誰だろう?」「どう物語に関係してくるのか?」興味を持つ。新シリーズの「ゲゲゲの鬼太郎」でも使っている手法。それらを集約していくと、実は「推理小説」の技法でもある。

「なぜ、彼は殺されたのか?」「犯人は誰だ?」「動機は何だ?」

と読者はあれこれ考えながら読む。作者は「謎」「驚き」を用意する。そのことで長い長い小説でも一気に読んでしまう。それは読者に「考えさせるから」「興味を失わせないから」だ。それは映画でも同じ。ミステリーでなくても、文芸作品でも、ホームドラマでも同じ。山田太一さんの脚本作品の多くはその手法で視聴者を釘付けにする。

「この子は何者?」「何でこんなことするの?」「え、この人がお父さん?」「なのに、そんなことするの?」

と謎と意外性で物語を進めながら、家庭問題、社会問題、等に切り込むドラマを作っていた。これが下手な脚本家になると、全てを説明してしまい「この子は高校生です」「同級生に可愛い子がいます」「恋に落ちました」とひたすら説明するドラマにしがちなのだ。

ドキュメンタリーも同じ。その「謎」と「意外性」の演出は大切。それを学校の先生はダラダラ説明を続けるから、退屈する。あの局の番組でもその手が多い。もちろん、他にもいろんな手法がある。ドキュメンタリーも、そんな形で描けば観客を退屈させず、様々な事実を伝えることができるはず。その一つが構成。時間順でない方が興味を引くということもある。それを実践中である。


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ドキュメンタリーには「大切なこと伝えているので、退屈でも我慢してみるべきです!」という奢りはないか? [編集作業]

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ドキュメンタリーには「大切なこと伝えているので、退屈でも我慢してみるべきです!」という奢りはないか?

一昨日から調子が出てきた。基本、編集は時間軸に沿って行う。が、それでは見ていて退屈することもある。同じ事件が続くと「またか?」と思われてしまう。ここがドキュメンタリーのむずかしいところで、まじめな作家なら

「退屈するしないなんて関係ない!これが歴史なんだ。それを忠実に紹介することが大事なんだ....」

というだろう。たぶん、多くのドキュメンタリー作家が近い発想。だが、そこに「これは大事なことだから、観客は退屈でも努力して見るべきだ!」という意識もあるような気がする。原発反対の人たちの中に

「お前は勉強が足りない。もっと原発問題を考えるべきだ」

と説教をする人がいた。せっかく原発に関心を持った若い人は、それで嫌になり関心をなくした話。何度も聞いた。確かに原発問題は大事。でも、それを高く掲げて

「知る努力をすることは当然だ!」

と上から目線で強要するのはマイナスではないか? 学校の授業も同じ。退屈な授業を我慢して、学ぶことが「勉強」という教師が多い。というか、授業自体がそれだ。退屈で、おもしろくない、興味を持てないことを、教師がダラダラ説明する。多くの生徒は勉強が嫌いになる。ドキュメンタリーにもそんな部分がある。だから、客が来ない。敬遠される。

それをエンタテインメントにしたのがマイケル・ムーアだ。面白おかしく見せながら、大切なことを伝える。同じことはテレビにも言える。NHKのドキュメンタリーは時間もお金もかかっているが、退屈なものが多い。しっかり見れば勉強になる。が、集中力が続かない。それを視聴者の気持ちを考えずに、

「これがドキュメンタリーだよ。大切なこと伝えている。退屈でもちゃんと見なくきゃダメだよ」

という上から目線で作られているような気もする。それが民放の情報バラエティ番組。あるいは報道番組の特集を見ていると、分かりやすくて興味が持てる作り方をしている。タレントに進行させる。今の時代と重ねる。今旬の話題から切っていく。笑いの要素を入れる。そんなことで視聴者の興味を引いて、肝心なことを伝える。何が違うのだろうか? たぶん、まじめな作り手や局は

「それでは不真面目だ!」

という思いがあるのだろう。まじめさ=退屈=我慢=見る者の努力を強いる。それがドキュメンタリーだ(あるいは報道だ)。という固定観念。NHKなんてまさにそれ。

「うちは不真面目な番組は作りません」

という社風。学校教育と同じ。そんな姿勢を多くのドキュメンタリー作家も踏襲しているように思える。

もちろん、そうではない若手作家たちが出てきたことで力ある作品が増えてきてはいるが、観客に努力を強いる作品はやはり違うと思う。それでなくても僕はエンタテインメント映画の作家だ。笑って、泣いて、ハラハラして、最後の感動し大切なメッセージを伝える。今回のドキュメンタリーもそのスタイルを大事にしたい。

その意味で時間軸を基本としながらも、時系列を前後させることで見やすくなるはずだ。映画でも起承転結では進めず、結末を見せてから、「なぜ、こんな結果になったのか?」を説明してくる物語がある。「パルプフィクション」なんて、時間軸通りに見せていたら、あれほどおもしろくはならなかっただろう。そんな観点で予定した構成を少し変えて作業を進めている。

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年始年末で200人近い人が「友だち申請』? 誰か裏で宣伝してくれているのか? [2019]

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年始年末で200人近い人が「友だち申請』? 誰か裏で宣伝してくれているのか?

昨年暮れ12月から現在の1月下旬までで「友達申請」が200件近く。とうとう、4000人を超えて、現在4062人。この年始年末の「申請」急増は何だろう? 「沖縄」ドキュメンタリー発表効果? 「明日にかける橋」効果? 誰か知名度のある人がどこかで

「おもしろい監督がいるから友達申請しよう!」

とアピールした? 申請してくれる人たちの年齢層は年配が多い。ということは、沖縄問題を伝えることが要因? でも、若い人も結構いる。こちらは

「俳優志望です」「俳優です」

いう人が多いので、理由が分かる。昨年秋から「俳優にとって大切なこととは?」シリーズを何度も掲載。それをツイッターでも発信したので、探してFacebookまで来てくれたのだろう。

とにもかくにも、嬉しいことだが、Facebook友達というのは5000人が上限と聞く。あと、1000人ほど。何がどうなるか?分からないが、掲載を続けていく。


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「沖縄戦」ドキュメンタリー構成。現代段階では以下のように繋いである。 [編集作業]

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1、プロローグ
2、太平洋戦争の解説
3、米軍、沖縄攻略の計画
4、空襲
5、艦砲射撃
6、上陸作戦
7、アメリカ式戦争
8、南北への進撃
9、嘉数高地の戦い
10、シュガーローフの戦い
11、首里城陥落

ここまでに、以下を挿入する。

a、戦争前の市民
b、対馬丸事件
c、チビチリガマ事件
e、Uさんの体験談
f、Zさんの体験談
g、菊水作戦

証言者が女性、女性、女性と続くこと。似たような事件が連続することは避けたい。いろんな意味で「何だろう?」と観客が思い、退屈することなく、関心を持ち続ける順番が必要。

a、戦争前の市民
6、上陸作戦
7、アメリカ式戦争
8、南北への進撃
b、対馬丸事件
9、嘉数高地の戦い
e、Uさんの体験談
10、シュガーローフの戦い
g、菊水作戦
11、首里城陥落
c、チビチリガマ事件

こんな流れだとどうだろうか? 一度、繋げてみよう。紙の上に書いた文字で検討しても、どーしても違ってくる。映像で見て退屈させず、分かりやすく、見られることが大事だ。


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「明日にかける橋」DVD発売前にサンプル版が届いた。久々に見たら...。 [映画&ドラマ感想]

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「明日にかける橋」DVD発売前にサンプル版が届いた。久々に見たら...。

監督なのでメーカーからサンプルを頂いた。内容が間違いないことを確認するためでもある。間も無く2月2日の発売日だ。一足先に観てレポートしてみたい。

本編はサウンド、編集をかなり直している。それはちゃんとDVDにも反映されていて、劇場版、完成披露試写会版より良くなった。家庭用のAV機器でも問題なく再生できるように、録音もし直したが、それもOK。細かい音まで再現できている。画質も良好。たまにDVDにすることで画質が劣化することがあるが、今回はノープロブレム。

編集時に何百回と観た本編だが、久しぶりに通して観ると、なかなか。劇場で見て気になったところを全部直しているせいか、真剣に観てしまう。何だか人の映画のようにコメントするが、シリアスな物語なのに、暗くなり過ぎず、いいところで藤田朋子さん扮する里美先生が登場。笑わせてくれる。本当に藤田さんならではのキャラ。彼女以外にこの役ができる人はいないだろう。

もし、お笑い芸人さんに頼んでいたら、あのシーンだけ浮いてしまったし、葬儀のあの泣けるシーンも、ああは行かなかった。映画スタートから20分ほどで映画館では多くの観客が涙したあの場面だ。藤田さんだからこそ、シリアスも笑いも演じ分けられたのだ。

そして毎回思うのだが、田中美里さんの母親役も凄い。強い女性の役が多い女優さんだけど「悲しみを表現する役もかなり行けるはず」と、美里さんイメージでシナリオを書き、前回に続いてお願いしたのだが、やはり凄い。もう、哀れな母親にしか見えない。田中美里であることを忘れさせる。そして最後のフライパン。マイフェイバリット・シーンだ。

DVDを見ながら、やはり俳優陣の力を改めて実感。演技を超えているシーンがいくつもあり、それらが感動場面となっている。そして映画を見ながら、それぞれのシーンで縁の下の力持ちとなってくれた地元委員会メンバーの奮闘も思い出す。そのみなさんもあちこちのシーンで出演。ああ、この場面。**さんはこの役だったなあ〜とか懐かしく思う。

そしてラストの花火大会。全てのエピソードが集結して、完結する。花火大会は全編に渡って物語のキーとなる存在であり、これ見たら「絶対に夏の花火大会見に行くぞ!」と思えるだろう。そして明日橋。よくぞあの橋が地元にあってくれた。あの橋を見つけたことで「行ける!」と感じたこと思い出す。

そんなこんなで、あっという間の2時間11分。特典映像の「メイキング」もなかなか。それはまた別の機会に書く。amazonで予約すると発売日の前日に届くことが多いので、お勧め。予約が多いと発売日以降の購入は出荷待ちになるので、予約がお勧め。購入してご覧になった方はぜひ、感想をFacebookに上げて欲しい。


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監督が7倍働けば、製作費3倍効果?! 大切なことは素敵な映画を作ること! [映画業界物語]

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監督が7倍働けば、製作費3倍効果?! 大切なことは素敵な映画を作ること!

編集で3ヶ月。編集室に篭り作業。人とは会わずに、飯も菓子パンやコンビニ弁当。朝から深夜まで仕事。映画の編集というのはそういうものだが、ロケ地の人からこう言われたことがある。

「監督。撮影が終わってから何ヶ月も何をしてたんですか? 海外旅行でも行っていたんですか?」

「編集だよ!」と怒鳴りそうになるが、一般の方は「撮影が終われば映画は完成!」と思う方が多い。ただ、それ以前に海外旅行どころか、国内旅行に行ける余裕も、通常の監督業ではない。監督というのは多くのギャラをもらい、金持ちというのが一般の認識だが、監督業だけで生活できるのは日本で5人ほどだ。

どうも映画業界に対する一般の認識は間違いが多く、そんなことで揉めることがある。スタッフでも、本当に安いギャラで頑張ってくれいる。例えばギャラ100万と聞くと「凄いなあ〜」という人がいるが、撮影1ヶ月。準備2ヶ月。1ヶ月=30万少々。それも技術パートは職人。長年、経験を積んだ技術のある人たち。それがそんな額で仕事している。いや、それ以下で働いていることも多い。でも、100万と聞いたサラリーマンは

「俺は月給50万。映画は100万かあ。いいなあ〜」

と考える人がいる。彼の場合、1ヶ月で50万。その時点でそのスタッフより高額。さらにボーナス。首にならなければ毎月給料をもらえる。映画の場合。撮影が終われば仕事はない。次の仕事まで3ヶ月空けば、その間は無収入だ。もちろんボーナスもない。それを額だけ聞いて羨む人がいる。もっと酷いこともあった。地方映画を撮り、完成した後、ギャラを請求すると、

「え? 監督はギャラを取るんですか?」

と言われたことがある。「わしらだってギャラもらわずにボランティアでお手伝いしたじゃないですか?」ーいつの間にか、僕も地元の人?

「監督はこの街を愛してくれている。だから、わしらの思いに共鳴して映画を撮ってくれた。お金のためではない!」

と思ったらしい。なのにギャラを請求された。

「失望したよ。金のためだったのか? 裏切られたよ!!」

と言われたこともある。映画を撮るのはまずロケ地を好きになるところからスタートするのが僕のやり方。愛がなければその街は輝かない。そんな思いでやる。愛はある。そしてギャラをもらっても赤字になるだけの出費もしている。

そして何より金のためだけなら地方映画は撮らない。あるいは最小限の努力でやる。それは嫌だ。「毎回、最高のものを作ろう!」と思う。でも、終わると借金だけが残る。その支払いでギャラが消えることも多い。なのに「ギャラ取るんですか?」と怒られる。先輩はいう。

「それはお前にも問題ある。そこまで入れ込んで仕事するからだよ。嫌々、仕方なしにやっているポーズを取らないと、付け込まれるんだよ。仕事なんだから、ある程度手抜きしなきゃな」

それができない。全力で倒れるまでやる。因果な性格。そして最終的に「裏切られた。金のためか?」と言われる。いや、その人も悪い人ではない。故郷を深く愛する人。それゆえ

「監督はあそこまで頑張るのは、ワシらと同じ故郷愛があるんだ」

と思い込んだ。純粋な人。でも、映画業界を知らない。大人1人が1年もかかって映画撮って、生活できるのか? 家賃どーすんだ?とは考えないで「裏切れれた!」と言ってしまう...。最近ではそんなことはなくなったが、先にもあげたように映画製作は分かりづらいのだ。

僕の映画は毎回、企業でやれば1億円近い製作費になるものを半額以下で作る。俳優陣のギャラだけでも凄い額になるだけのメンバーが毎回出てくれる。スタッフも第1線で活躍するできる人たち。そんな方々に通常以下の額で参加してもらう。いつも本当に申し訳ないと思う。僕が思い描く作品はまともに撮ると、やはり1億かかる。

それを俳優とスタッフの力で、そして地元の協力で半分以下、3分の1の金額で作り上げる。これも先輩に言われた。

「もらった額から手数料を抜いて、そこそこの作品を撮るのが普通なんだ。でないと相手が勘違いしてしまう。この程度の額で、あれだけの作品ができるんだなって一般の人は思ってしまう。次からも同じ額で同じ規模のものを求められる。さらに額が下げて同じものを作れとも言われる。いいことないぞ!」

そうかもしれない。多くの製作会社は製作費の多くを「手数料」という名目で抜き、半分以下の額で映画を作っている。儲けを出すためだ。会社を維持するためには、ある程度必要なこと。だが、僕は「手数料」は一切取らない。全額、映画に使い、自腹もかなり切る。そして7人分働く。ギャラは1.5人分くらい。まさにブラック企業。でも、そうしないと素晴らしい作品はできない。

「あの額で、よくあれだけの作品を作ったなあ〜」

と言われても嬉しくない。そして「カメラを止めるな」のような超低予算映画の大ヒットは1万回に1度起こるかどうかの奇跡。だから、ある程度の額で、監督が3倍、4倍働けば、脚本も、編集も、宣伝を兼ねれば経済的。誰かに言われたわけでなく、自ら進んでやるので、今流行りの「自己責任」。過労死しても文句は言わない。それで素敵な作品ができればいいと考える。

ただ、申し訳ないのはスタッフの皆さん。毎回、本当に安いギャラで毎回、全力で頑張ってくれている。「監督はいいものを作る。だから、安くても参加したい」ーそう思って頑張ってくれる。だから、いつか、それなりの製作費で、通常の額を払える仕事をしたい。それが目標だ。今回のドキュメンタリーの製作費もかなり厳しい額だが、某テレビ局に負けない作品にしたい。


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間も無く到来する新しい時代。大人はかなり覚悟しないと時代に置いて行かれてしまう? [MyOpinion]

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間も無く到来する新しい時代。大人はかなり覚悟しないと時代に置いて行かれてしまう?

現在、編集作業に使っているFINAL CUT pro Xだが、少しずつ使えるようになってきた。いろんな方のご指導の賜物だが、切ったり、貼ったりに続いて、エフェクトも少し覚えた。昨日は画面を白黒にする効果。タイトルは昨年の内に把握。と言っても分かれば誰でもできることなのだが、「7」と全く違うので、初めてのユーザーより、「7」を使っていた人の方が戸惑うだろう。

ただ、慣れてくると「7」より便利で簡単に作業ができることも分かってきた。やはり大事なのは過去の「経験」や「知識」を捨てて、頭を「初期化」してかかること。「7」時代の経験や知識が余計に戸惑いを招くこと分かる。これは今の時代にも言えることだ。過去の経験を大事にしても、新しい時代には通用しない。むしろ足かせになる。

不況というと公共工事という政府の発想も昭和のものであり、現代には通用しない。実際、あれこれ作っても景気は良くなっていない。編集業でも面白いことがある。昔ならベテランの先輩にあれこれ教えを乞うのだが、編集に関しては、若いスタッフ、後輩に訊く。僕より年上で、先輩で、FINAL CUTを使える人。身の回りにはいない。

人は年を取ると新しいものを受け入れずらくなる。機械だけではなく、方法論や対策も。だから、年寄りがトップにいると組織がダメになっていくのだ。「長老」という言葉。村の一番偉い人という意味。「長じて老いた」最も老いた人が偉いと思われた。長年の経験があるからだ。でも、今は老害であることが多い。新しいものを受け入れることができないからだ。

ここしばらく、FINAL CUTだけでなく、amazonプライム、amazon musicと、これまでになかったものと向かい合っている。新製品というレベルではなく、人の生活を根本から変えてしまうものだ。そのことは少し前に書いた。でも、そんなprimeムービーも後輩たちはすでに実践していた。僕はかなり遅れて参加。そのことを同世代に話したが、多くが顔をしかめ。拒否反応。

「俺はCDにこだわりたいなあ」

とか、

「TUTAYAで何の問題もないから...」

と、誰もAmazonを試そうとはしない。ああ、そんな年齢なんだな。と痛感。けど、後輩たちは

「太田監督、今頃、amazonプライムやって驚いているよ。遅れてるなあ」

と、思っていることだろう。1980年代後半にCDが出てきたとき、友人はこう言った。

「俺はレコードにこだわりたい」

でも、そのレコードがなくなった。ある友人はこう言った。

「CDだ何だって、新しいものをすぐ追いかけるのは主体性がないからだ」

友人が指摘したのは昭和40年代に何かが流行ると、僕も!私も!と同じものを日本人は買いに行った時代のこと。コンバースの靴。Gパン。ヘブンのTシャツ。ダッコちゃん。制服か!というくらいに、あの時代は流行を追い求めた。だが、CDは流行ではなく、技術の革新だった。それを友人は理解できなかったのだ。

そのCDも次第に見なくなり、ダウンロードして聴く形に移行するのかと思いきや、amazon musicの出現。これも流行ではなく、技術の革新だ。車ですら間も無く、大きな変革が訪れるという。そうなると確実に社会が変わる。生活が変わる。

特に電気。孫正義が準備しているモンゴルでの太陽光発電。あれが成功すればアジアのエネルギー問題は解決する。それこそ原発なんて完全にいらなくなる。車も自動運転の電気自動車。原発問題も、公害も、交通事故も無くなるだろう。まさに未来社会。

でも、年寄りは新しいものを受け入れずらい。むしろ拒否する。そんな人たちが原発にしがみついているのだろう。てなことを考えると、FINAL CUTを使いこなせるということは、未来を生きることに繋がる。と思って本日も作業する。


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若手俳優さん。俳優を目指す人たちへの応援ブログあります! [映画業界物語]

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若手俳優さん。俳優を目指す人たちへの応援ブログあります!

このところ若手俳優さん。俳優志望の方からのFacebook「友達申請」が多いので少し書く。

すでにご承知の方も多いと思うが、僕のFacebookにもらったコメントやメッセージにお返事はできない。そのことで過去にいろいろトラブルとなったので、1〜2度お会いしたことがある方でもお返事はしない。

それと俳優さんとも基本、プライベートで交流しない。これも何度も書かせてもらったが、俳優とは距離を置くことでいい仕事ができると考える。仲良くなり、友達付き合いをすることで、馴れ合いになったり、甘えたりしてしまうからだ。例えば、

「仕事が欲しい。最近、依頼がない。そうだ。太田監督に頼もう。新作を撮ると聞いた。監督はいい人だから、きっと役をくれる」

それはもう縁故入社! その役に相応しいから出演を頼む。友達だから出すのではない。でも、その俳優のプライベートを知り、大変な状態を知ると「何とかしてやりたい!」と思ってしまう。だから、最初から親しくならないことが大事なのだ。逆に、親しい俳優がブレイクした。その時に僕が

「あいつが出てくれたら、若い女の子がたくさん映画館に来てくれる。昔から面倒見てたし、特別出演してと頼んでみようか...」

なんて、思うかもしれない。それは監督として情けないこと。シナリオと企画で勝負する。それで気に入ってくれれば出てもらう。それを貫きたい。だから、プライベートでは会わない。

ただ、僕は10代から俳優志望の子たちを山ほど見て来た。売れない俳優も数多く知っている。オーディションを受けても、受けても、採用されない。女優は実力があっても30代になると仕事が激減する。これも以前に書いた。そんな俳優たちを見ていて「応援したい!」という思いがあり、昔は無料のワークショップもやっていた。太田組俳優部を作ろうと、新人を応援していた。

が、僕が応援することで勘違いしてしまう役者。わがままだを言う子。怠ける奴。「とにかく役をくれよ!」とか、「お前誰だ?」という奴。少し褒めると図に乗る若手。些細なことで落ち込み夢を諦める者。結局、誰もいなくなった。僕があれこれ言うことが結果、彼らをダメにしたのではないか?とも考えた。その頃から俳優とは距離を置いた。知り合いのマネージャーに言われた。

「監督の仕事は映画を作ることです。俳優を育てるのは僕らの仕事。それでも1000人1人ですよ。生き残るのは...」
そんなことで俳優たちとは距離置く。同時に、その頃から第1線で活躍する俳優さんたちと仕事をする機会が増えた。何も言わなくても素晴らしい芝居をしてくれる。


でも、僕もいろんな人に応援され、励まされて、監督業をスタートさせた。応援より批判、邪魔、嘲笑する人たちの方が多かったが....だから、余計に若い人にはがんばってほしい。

何か参考になれば、何かのプラスになれば!と、あれこれ記事を書いている。落ちぶれていった若手の話。チャンスを掴んだ子の話。演技って何なのか? 俳優業って何か? 業界ってどうなっているの? ハリウッドは? そんな話をあれこれ書いている。俳優のみならず、映画の仕事を夢見る人たちにはプラスになるはず。

僕の監督した映画は全てブログを書いている。今もアーカイブが見れる。それぞれの「映画業界物語」というカテゴリーにそれらが保存されている。もし、興味があれば読んで欲しい。でも、あれこれ質問はして来ないように! よろしくね。

「明日にかける橋」ー映画業界物語は以下から飛べます。
https://cinematic-arts.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306016276-1



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マスコミ報道はもう信じられない。ネット情報に隠れた真実を探せ? [編集作業]

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マスコミ報道はもう信じられない。ネット情報に隠れた真実を探せ?

HDD作業待ちなので、もうひとつ記事を書く。学生時代は朝起きるとまず、音楽をかけた。部屋にいる間中ラジカセで曲を流す。友人が遊びに来て、ドア前に立ち(当時は薄い木の扉)曲が流れていないと「太田は留守!」と分かるというくらいだった。ウォークマンが手に入ってからは外出時も聴いていた。

それが留学後。帰国して東京で生活を始めてからは、ライター業をしていて編集者から「太田さんは一般常識がない!」と注意もされた、映画以外のことも知らねば....と、朝起きるとテレビをつけるようにした。そして、ビデオデッキで

「ニュースステーション」と「NEWS23」

を録画。必ず見るようにした。311からは

「モーニングバード」と「報道特集」

も録画。週に7番組くらい見ていた。一時は東京新聞も取っていたし。その後、テレビ報道が力をなくし、フェイクニュースの連発。大本営発表になりだしてからは(現在、録画してみるのは「モーニングショー」のみ)朝起きるとiPadでFacebookとTwitterの確認をする。その方がテレビでは報道しないニュースが数多く流れてくるからだ。

辺野古からの声、福島の思い、政権の隠された問題、イギリス、アメリカからの叫び、いろんな情報が溢れている。ただ、どれが真実でどれがフェイクか?分からない。それを「ネット情報は信用できない」というが、テレビ新聞の方がよほど信用できない。また、真実とフェイクが入り混じっていた方が

「見分ける力」=「リテラシー」

が育つ。日本人は「テレビ新聞は客観報道だから」と信頼しているが、そもそも客観的な報道なんてありえるのか? 記事を書くのは人間であり、その人の趣味、好み、主義主張、経験、体験がある。それらが影響しないわけがない。それを抑えて書くことは結局、客観というより概要を伝えているだけになりがち。

むしろ、「私はこの法案に反対です。なぜなら...」という記者と「僕は賛成です。というのも....」という記者。2人の意見を比較することで自分はどちらに賛同するか?を考えればいいのだ。それを全てのマスコミが公正中立なんていいながら報道するから、

結局、何が起こっているのか? 

分からない。興味を持てない。という現状を作っているのだと思える。NHKを中心としたその客観報道が日本の報道をダメにして、国民の考える力を止めているのではないか? 「客観報道だから、それが事実」と思い込む、「客観報道」=「事実」ではない!そんな間違った構図を作りあげてしまったのだ。その意味ではフェイクニュースが混じっている方が、

「あれ、嘘だったのか〜」

と憤る。次からは騙されないように情報選択を考える。ニュースは公正中立だと思うから、見分ける力が養われず、ひたすら信じてしまい、あるいは公正という名の概要のみの報道に興味を持てず、知らない間にいろんな法案が通ってしまい、国民不在の政治が進んで行くのではないか?

その意味でFacebookやTwitterというのは、とても問題あるメディアだとは思うが、様々な情報が流れてくることには意味があると感じている。

ソ連が崩壊したきっかけがビデオだった。アメリカやヨーロッパの日常がビデオ映像で届けられ、いかに共産主義が貧しいか?を多くの国民が理解したことが背景にあると言われる。多くの日本人が某国営放送ばかり見ていて、

「総理はがんばっているなあ〜」

と思い込み、政権を支持してしまうのは、かつてのソ連と同じ構図。そこにネット情報が流れ込むことで、少しずつではあるが、現実を理解する人が増えてくると思える。だが、地方での国営放送の力は巨大であり、未だに「テレビは事実しか伝えない」と思い込む人が多いのも現実。あれ、音楽の話を書こうと思ったのに.....それはまた別の機会にする。


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