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ドキュメンタリーには「大切なこと伝えているので、退屈でも我慢してみるべきです!」という奢りはないか? [編集作業]

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ドキュメンタリーには「大切なこと伝えているので、退屈でも我慢してみるべきです!」という奢りはないか?

一昨日から調子が出てきた。基本、編集は時間軸に沿って行う。が、それでは見ていて退屈することもある。同じ事件が続くと「またか?」と思われてしまう。ここがドキュメンタリーのむずかしいところで、まじめな作家なら

「退屈するしないなんて関係ない!これが歴史なんだ。それを忠実に紹介することが大事なんだ....」

というだろう。たぶん、多くのドキュメンタリー作家が近い発想。だが、そこに「これは大事なことだから、観客は退屈でも努力して見るべきだ!」という意識もあるような気がする。原発反対の人たちの中に

「お前は勉強が足りない。もっと原発問題を考えるべきだ」

と説教をする人がいた。せっかく原発に関心を持った若い人は、それで嫌になり関心をなくした話。何度も聞いた。確かに原発問題は大事。でも、それを高く掲げて

「知る努力をすることは当然だ!」

と上から目線で強要するのはマイナスではないか? 学校の授業も同じ。退屈な授業を我慢して、学ぶことが「勉強」という教師が多い。というか、授業自体がそれだ。退屈で、おもしろくない、興味を持てないことを、教師がダラダラ説明する。多くの生徒は勉強が嫌いになる。ドキュメンタリーにもそんな部分がある。だから、客が来ない。敬遠される。

それをエンタテインメントにしたのがマイケル・ムーアだ。面白おかしく見せながら、大切なことを伝える。同じことはテレビにも言える。NHKのドキュメンタリーは時間もお金もかかっているが、退屈なものが多い。しっかり見れば勉強になる。が、集中力が続かない。それを視聴者の気持ちを考えずに、

「これがドキュメンタリーだよ。大切なこと伝えている。退屈でもちゃんと見なくきゃダメだよ」

という上から目線で作られているような気もする。それが民放の情報バラエティ番組。あるいは報道番組の特集を見ていると、分かりやすくて興味が持てる作り方をしている。タレントに進行させる。今の時代と重ねる。今旬の話題から切っていく。笑いの要素を入れる。そんなことで視聴者の興味を引いて、肝心なことを伝える。何が違うのだろうか? たぶん、まじめな作り手や局は

「それでは不真面目だ!」

という思いがあるのだろう。まじめさ=退屈=我慢=見る者の努力を強いる。それがドキュメンタリーだ(あるいは報道だ)。という固定観念。NHKなんてまさにそれ。

「うちは不真面目な番組は作りません」

という社風。学校教育と同じ。そんな姿勢を多くのドキュメンタリー作家も踏襲しているように思える。

もちろん、そうではない若手作家たちが出てきたことで力ある作品が増えてきてはいるが、観客に努力を強いる作品はやはり違うと思う。それでなくても僕はエンタテインメント映画の作家だ。笑って、泣いて、ハラハラして、最後の感動し大切なメッセージを伝える。今回のドキュメンタリーもそのスタイルを大事にしたい。

その意味で時間軸を基本としながらも、時系列を前後させることで見やすくなるはずだ。映画でも起承転結では進めず、結末を見せてから、「なぜ、こんな結果になったのか?」を説明してくる物語がある。「パルプフィクション」なんて、時間軸通りに見せていたら、あれほどおもしろくはならなかっただろう。そんな観点で予定した構成を少し変えて作業を進めている。

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