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「辺野古の座り込みは恥ずかしいからやめて〜」という沖縄のある若い女性。その背景を考えてみた? [沖縄の現実]

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「辺野古の座り込みは恥ずかしいからやめて〜」という沖縄の若い女性達。その背景を考えてみた?

沖縄取材のとき、夕飯の後は明日の準備が終わったスタッフは外出しても構わない。そんな1人が若い女の子のいる店に行ったという。で、こんな話を聞いてきた。

「店で沖縄の子と話したんですよ。で、取材で辺野古も行ったというと、ーあれ恥ずかしいですよね? 基地反対とか言って座り込みをしているでしょう? 沖縄の人ってバカだなあと思われるし、本当に恥ずかしいから辞めて欲し〜いーというんです」

すると、周りの若い女性たちも「そうそう。あれやめて欲しい!」と同意したそうだ。スタッフが何で辺野古に基地を作ることになったのか?知ってる?と聞くと

「知らな〜い。興味な〜い!」

との答え。沖縄では子供の頃に沖縄戦の教育をしっかり受けていると思っていただけに驚いたという。若い女性はこうもいったそうだ。

「反対しているのは年寄りばかり。私たちも一緒だと思われたくない。恥ずかしい〜」

歴史的な経緯は知らない。ただ、座り込みをする人たちの行動だけを見て「恥ずかしい」と言っているのだ。そのことを教育関係者に聞いてみた。

「教育していないというより、教育する人材が減っているんです。当時を知る人は高齢で次々になくなる。若い先生たちは経験もない上に、何かと忙しくて、専門家を呼んで話をしてもらったりする。そうやって形ばかりの平和教育になってしまうことも多いんですよ...」

取材前は沖縄の人は皆、基地反対かと思っていた。が、そうでもないのだ。若い人たちでそんな風に考える者もいる。別に基地の恩恵を受けていなくても、歴史を知らず、見かけだけで「恥ずかしい」という。でも、考えれば原発反対のデモも初期は年配の人が多かった。若い人が多く参加するようになったのは、かなり後から。

地方取材でも反対派はおばさんが多かった。というのは、皆、子供の頃を心配している。自分たちの無関心が原発事故を引き起こした反省もある。対して若い人は東京でも、地方でも原発問題自体に関心を持たないことが多かった。僕の友人でも「明日から戦争が始まるわけではないし」と言っていた。

最近でこそ、原発でも、戦争法案でも、若い人が反対するようになったが、沖縄もこれと同じ構図なのだ。でも、先の関係者が指摘することも重要。教える人材の不足。今回、僕らが取材した体験者の皆さんも80代90代。この先10年20年と語り継げるお歳ではない。

話を直接聞くと、物凄く感じるものがある。が、文献はいくら読んでも伝わって来ない。そんな状況の中で教育現場に立つ人たちの大変さも分かる。となると、僕らが今、製作しているドキュメンタリーはとても大きな意味を持つだろう。いろいろ調べたが、沖縄戦を伝える本は数多くあるが、ビデオは意外なほど少ない。

一つにはビデオソフトからDVDへの移行ができていない作品が多いのだろう。でも、数売れる訳でないのでDVD化できない。手に入るDVDは数が少ない上に何だか、どうなの?というものがとても多い。その意味で今回の作品。多くを伝えることができるはず。「朝日のあたる家」で原発事故の悲しみを描いたように、沖縄戦の悲劇を伝えたい。



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編集作業は孤独との戦い。また、試合前のボクサーの気持ちを思い出す。 [編集作業]

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編集作業は孤独との戦い。また、試合前のボクサーの気持ちを思い出す。

何度も書いているが、編集中は人と会わない。電話もしない。コンビニでも店員さんと会話しない。話をしてしまうと、脳が編集モードから、トーキング・モードになってしまい、作業ができなくなるからだ。

「そんなことある訳ないだろう。おかしいじゃないの?」

そう思う人もいるだろう。もちろん、そうでない人もいる、友人のディレクターは会社に置かれた編集機で、同僚と世間話をしながら作業する。よく出来るなあ〜と思うが、そういう人もいる。当然というか、彼の編集は大したことない。ある巨匠が編集するときは絶対に訪ねてはならない。というのも有名な話。話かけただけで殺されそうになったという。そのくらい集中しているのだ。

僕はそこまでいかないが、その世界に入らないとやはり編集はできない。編集というと映像と映像を繋ぐ作業を思われがちだが、そうではない。むしろ、荒野で恐竜の化石を掘り出す作業とか、巨木から仏様を掘る彫刻家のような仕事だと思える。日本刀の刀鍛冶。時代劇で時々見るあれ。深夜の森。小さな掘建小屋で白い着物を着て刀を叩き続けるーあの作業にも近い。

物凄い集中力が必要。

そして自分との戦い。数ヶ月間、誰にも会わず、話さずに作業。ときには友人に会って飲みながら盛り上がりたいと思う。でも、そんなことをしたら、編集モードに戻るのに、また1週間以上。気分転換にどこかに行くと、やはり編集モードが抜ける可能性があるので、気分を変えてはいけない。

日常の怒りも、喜びも、悲しみも、

全て押さえて、その世界に入り作業する。そんなときに、とんでもないメールが来ると、怒り心頭で集中できない。昔は連絡しないでくれとあちこちに伝えていたくらいだ。毎回思うが、タイトルマッチ前のボクサーもこんな感じだろう。ジムに寝泊まりして、トレーナーとしか会わない。友達にも恋人にも会わない。話さない。ひたすら相手のボクサーを倒すことだけを考える。

食事も、水分も控える。ビールなんてとんでもない。それに比べると編集作業はアルコールOKだ。食べるのも問題ない。それでも孤独との戦いだ。まだ、編集の霊は降りて来ない。抜き出しの段階だし、それは構わないが、あれこれ関係者に連絡をせねばならないし、申告準備もある。そこでモードが変わり、また、元に戻すのが物凄く苦しい。編集室に篭り、あとはPやマネージャーがやってくれると助かるのだが、ギャラを払う余裕がなく全部自分でやらねばならない。

戦いは続く。



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「ウォーキングデッド」シーズン9=第5話でまさかの号泣!凄かった。 [映画&ドラマ感想]

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「ウォーキングデッド」シーズン9第5話でまさかの号泣!凄かった。

昨日も作業終了後にNetflix。「ストレンジャーシング」終了後は「ベイツモーテル」あのヒッチコックの名作「サイコ」の前日譚のテレビシリーズである。が、昨日はちょっと気分を変えて、ストップしていた「ウォーキングデッド」シーズン9をamazonプライムで見た。

シリーズは長く続けると、どーしても面白さが失われる。

新しい要素やキャラを導入するが、決められた設定の枠内でやらねばならず、ネタがなくなってくるものだ。「HEROS」の新シリーズもあれこれ努力していたが、本当にダメで続きは製作されていない。

「WD」もかなり厳しく、先行きが難しいので盛り上がる二ーガン編を2クールも続けていた。が、とうとう、そのエピソードも終わり、全く新しい展開を始めることになる。テーマとしてはなかなか素晴らしいもので、これまでのように人間VSゾンビ。人間VS人間ではなく、「憎しみ合うことの無意味」「いかにして共存するか?」という物語になっている。

文芸物語のような崇高なテーマではあるが、ゾンビものとしてハラハラドキドキで見せるシリーズとしては、地味で難しいものがある。果たしてこのドラマを見て来た人たちがそんなテーマを求め、理解するだろうか? 確かにこのシリーズの根底にはそのテーマが初期からあった。が、極端なことを言うと「西部警察」で差別問題をテーマにした話を作るようなもの。やるなら「特捜最前線」でしょう? と言う感じだ。

視聴者が求めているものなのだろうか? 

ただ、そのテーマは今の時代にとても大切であり、まだ多くの作品が扱っていない。アメリカ自体が問われている問題。ひと昔前までのハリウッド作品は「悪い奴をぶっ殺して万歳。これで平和だ」と言うものが多かった。だが、少し前から「悪人を殺しても問題は解決しない」と言う現実的な作品が出て来た。

「スパイダーマン」では敵を殺さないし(結果として敵は死ぬが、スパイダーマンは手を下さず、事故や自らの失態で死ぬ)、「ダークナイト」でも悪人を殺さない主義(ジョーカーも死んでいない)で主人公は一貫している。昨年の北朝鮮問題でも、アメリカは戦争に踏み切らず、南北和平に進めたのも、同じ構図だと思える。ドラマは現実の反映。時代は殺し合いを止める方向だ。

「WD」でもあいつを結局、殺してはいない。そのエピソードはシーズン9の第4話でも繰り返される。夫を殺されたあの女性が男を殺そうとする展開があるが、*****となる。そこに殺し合いをしても平和にはならない。共存はできないと言うメッセージがある。

そんな意味で素晴らしいテーマなのだが、物語が地味になる。それが第5話で驚きの演出があった。主人公リックがゾンビ軍団を街に来させないために、1人で別の場所に誘導すると言うエピソードになる。途中で瀕死の怪我をして、意識が遠くなる。流れ出る大量の血液。ゾンビたちが意識を失ったリックに迫る。その数は数百!!!! リック絶対絶命。

(その回近々見る予定の方は以下、読まないように、ネタバレあり)

ここからの演出が素晴らしい。リックは夢を見る。そこに現れる死んで行った人々。リックはいう。

「俺は家族を探しているんだ」

そう、リックの妻も、息子も、失って、今は1人だ。そんな彼の前に現れたのは、かつての親友で同僚の警官。或いは牧場に匿ってもらい、しばらくは一緒に暮らしたマギーの年老いた父。そして、自ら犠牲になり皆を救おうとしたサーシャ。死んだキャラが次々に登場する。この辺から、もう涙が止まらない。これは夢ではなく、リックが天国に行こうとしているかのようだ。死んで行った人たちと語りかけるリック

「本当にこれでよかったのか? もっと違う選択があったのではないか?」

死んだ人たちは皆、悩める彼を慰め、賞賛する。そしてこういう。

「リック。起きるんだ!」

目を覚ますと、すぐ側までゾンビたちが迫っている。血が吹き出す傷口を手で押さえ、起き上がるリック。よろめきながらまた歩き出す。あの場所まで行けば、ゾンビの群れを止めることができる。ここで死んでしまうと、ゾンビは街に行ってしまう。仲間が皆、殺されてしまう。歩き続けるリック。だが、出血多量。意識が遠のいて行く...。果たして....。

という展開なのだが、もうシリーズ中、最高に涙が止まらない場面が続く。何がそんなに感動したのか?分からない。そして、普通ならハラハラドキドキのシーンとして描くパートを、死者が出て来て語り合うという演出が本当に凄い。僕も幽霊が出て来て語る。手を振るという場面を何度か演出しているが、夢の中で死者が出てくるのは考え付かなかった。

なくてもいい場面だ。なくても物語に支障ない。だが、この演出で、というより、シナリオなのだろうが、感動の名シーンとなっている。それにふさわしく、これまでのエピソードはこの回で完結する。次回からは数年後が舞台になる。そこが不安だが、先のテーマで行くと、そうしないと、小さな小競り合いが続く地味な展開にしかできないだろう。

時間を飛ばしても、この先はとても大変そうだが、まずはこの回の展開。本当に凄かった。監督業者として「恐れ入りました!」という感じである。



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