編集作業は孤独との戦い。また、試合前のボクサーの気持ちを思い出す。 [編集作業]
編集作業は孤独との戦い。また、試合前のボクサーの気持ちを思い出す。
何度も書いているが、編集中は人と会わない。電話もしない。コンビニでも店員さんと会話しない。話をしてしまうと、脳が編集モードから、トーキング・モードになってしまい、作業ができなくなるからだ。
「そんなことある訳ないだろう。おかしいじゃないの?」
そう思う人もいるだろう。もちろん、そうでない人もいる、友人のディレクターは会社に置かれた編集機で、同僚と世間話をしながら作業する。よく出来るなあ〜と思うが、そういう人もいる。当然というか、彼の編集は大したことない。ある巨匠が編集するときは絶対に訪ねてはならない。というのも有名な話。話かけただけで殺されそうになったという。そのくらい集中しているのだ。
僕はそこまでいかないが、その世界に入らないとやはり編集はできない。編集というと映像と映像を繋ぐ作業を思われがちだが、そうではない。むしろ、荒野で恐竜の化石を掘り出す作業とか、巨木から仏様を掘る彫刻家のような仕事だと思える。日本刀の刀鍛冶。時代劇で時々見るあれ。深夜の森。小さな掘建小屋で白い着物を着て刀を叩き続けるーあの作業にも近い。
物凄い集中力が必要。
そして自分との戦い。数ヶ月間、誰にも会わず、話さずに作業。ときには友人に会って飲みながら盛り上がりたいと思う。でも、そんなことをしたら、編集モードに戻るのに、また1週間以上。気分転換にどこかに行くと、やはり編集モードが抜ける可能性があるので、気分を変えてはいけない。
日常の怒りも、喜びも、悲しみも、
全て押さえて、その世界に入り作業する。そんなときに、とんでもないメールが来ると、怒り心頭で集中できない。昔は連絡しないでくれとあちこちに伝えていたくらいだ。毎回思うが、タイトルマッチ前のボクサーもこんな感じだろう。ジムに寝泊まりして、トレーナーとしか会わない。友達にも恋人にも会わない。話さない。ひたすら相手のボクサーを倒すことだけを考える。
食事も、水分も控える。ビールなんてとんでもない。それに比べると編集作業はアルコールOKだ。食べるのも問題ない。それでも孤独との戦いだ。まだ、編集の霊は降りて来ない。抜き出しの段階だし、それは構わないが、あれこれ関係者に連絡をせねばならないし、申告準備もある。そこでモードが変わり、また、元に戻すのが物凄く苦しい。編集室に篭り、あとはPやマネージャーがやってくれると助かるのだが、ギャラを払う余裕がなく全部自分でやらねばならない。
戦いは続く。
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