沖縄戦ドキュメンタリー報告 首里城には行くが、意外に気づかない第32軍司令部跡。 [沖縄の現実]
沖縄戦の資料本。涙しながら読んだ。心に突き刺さるとはどう言うことなのだろう? [沖縄の現実]
沖縄戦の資料本。涙しながら読んだ。心に突き刺さるとはどう言うことなのだろう?
昨年、「4回泣ける」と言うのがキャッチフレーズの映画があった。友人が見てきて、こういった。
「一度も泣けなかった〜。監督の「明日」の方がたくさん泣けたよ」
嬉しい話だが、観客を泣かせると言うのは本当に難しい。よく映画を見ていて、悲しい場面なのに全然泣けない。伝わって来ないと言う経験をしたことはないか? この数年、沖縄戦の本を読んでいるが、なかなか涙する...と言うものはない。想像力が足りないと言う側面もあるだろうが、書き手にも問題がある。
戦争体験をした方の手記。悲しみが綴られている。が、それが伝わって来ない。なぜか? 一つには筆者の周りで犠牲になった方々の記述。誰が誰か分からないことが多い。ご本人は家族だったり、友人だったりするので、よく知っているが、どんな人だったか? その人の背景や特徴が詳しく描かれていない。
例えば、こんな経験はないか? 旅客機事故があった。死んだ人の名前がニュースで読み上げられる。視聴者は
「可愛そうにねえ〜」
と思っても涙しない。知らない人だからだ。その中に自分がよく知る人の名前があれば、驚き、悲しみ、号泣するだろう。何が違うのか? その人の日常を知っている。子供の頃を見ている。一緒にご飯を食べた。旅行にも行った。そんな共通体験があるから、悲しいと思える。
それがない人に悲しみはさほど抱かない。それが人の感情。つまり、先の戦争体験者の手記は、筆者がよく知っている人たちなので、その辺を割愛している。戦争中に死んだこと。犠牲になったことをひたすら書いている。それも十人も二十人もの登場人物となると、読者は誰が誰か分からなくなる。映画や漫画なら視覚で説明できるが、文章で多くの人を描き分けるのはプロの作家でもかなり大変。
それを文章を書くことを仕事としない人が綴っているので、余計に分からない。ご本人は大きな悲しみを抱え、そんな戦争を繰り返してはいけないと手記を残したのだが、その悲しみが伝わって来ない。何より描かれた人たちのことを読者が把握できないのだ。
悲しみを伝えるには「技術」も必要。でも、技術だけでもダメなことも感じている。沖縄戦のドキュメンタリー。先日も書いたが、大手テレビ局が作った番組。金も時間もかかっている。なのに悲しみが伝わらない。ナレーターは
「多くの沖縄の人たちが、戦争に巻き込まれて行くのです」
と悲しそう説明する。が、全然、悲しくない。映画でも、悲しいはずなのに泣けないー先に説明したタイプの作品が多い。それは何か? 多くはディレクターや監督が、その題材に興味がない。悲しみを感じていない。
「ここまでやれば泣くだろう?」
と言う思いで作っていることがある。大手テレビ局の番組Dは明らかに悲しみを伝えようとは思っていない。本人も悲しみを感じてはいないだろう。史実を伝えると言う「仕事」をしているだけなのだ。
そんな中、今、読んでいる「沖縄県史 沖縄戦」ーある章を読んでいて涙が溢れた。その本は教育委員会が発行しているもので、どちらかと言うとお堅い資料本。教科書とか辞典に近いと思っていた。が、読んでいて涙した。
著書が「怒り」と「悲しみ」を感じながら、執筆しているからだと思えた。泣かそうとは思っていない。しかし、戦争への怒り、日本軍への疑問、犠牲になった人たちへの思い、
「同じ悲劇を繰り返してはいけない...」
と言う強い思いを持って書かれているのだろう。映画でも、小説でも、漫画でも、音楽でも、演技でも同じだ。技術も大事だが、思いが人の心を打つ。そんなことを思い返している。
沖縄戦を知ることのむずかしさ。本を読んでも体感できることの少なさ? [沖縄の現実]
沖縄戦を知ることのむずかしさ。本を読んでも体験できることの少なさ?
この企画がスタートしたのは、もう3年前になる。前々から沖縄のことは勉強したい!と思っていたのだが、原発問題と同じで何か機会がないと、調べることはなかなかできない。旅行が趣味なら学生時代に1度は沖縄に行っているだろうし、森高千里の歌を歌いながら
♫「沖縄の、海へ、いーこーをー」
と。ANAでビールのみながら青い珊瑚礁を見に行ったかもしれない。が、若い頃は映画監督デビューのために自主映画を作っていたし、留学から帰ってからはアルバイトとシナリオ書き、食うや食わずの生活。監督デビューしてからは、もう忙殺。目の前のことで精一杯だった。
今回、ようやく沖縄を知るチャンスを得たわけだが、当初は大変だった。沖縄戦の本を読んでも全く頭に入らない。
「米軍は読谷村に上陸。その日の内に読谷村飛行場、中飛行場を占領。さらに首里城の32軍司令部に向かい、進撃を開始した」
そう書かれていても、まず読谷村がどこか?分からない。首里城って聞いたことあるなってレベル。さらに飛行場があったの? あとで分かるのは、中飛行場というのは、のちに嘉手納基地となる場所である。
いろんな地名。名前。それらがどこで? 誰で? 何のことなのか? 全く分からず、いくら沖縄戦の本を読んでも頭に入らない状態だった。あ、そんな経験。昔もあったな! そう、高校時代の教科書を読んだときだ。
日本史は得意だったけど(大河ドラマや戦国ドラマを見ていただけだけど)化学や数学の教科書を読んでも全く頭に入らなかったのを思い出す。無理やり暗記しようとしても覚えられない。昔から興味あるものは物凄くよく覚えるのに、興味がないとダメ。
のちに記憶は「好き」「嫌い」で脳内の海馬が選択するので、「嫌い」なことは脳に蓄積されにくいと知り納得した。やはり、興味あることを勉強すること大事なのだ。
話を戻す。沖縄戦の本。いくつか読んだが頭に入らなかった。が、沖縄取材にいくたびに、それら本を読み直した。平和記念資料館も最初に訪れたとき、
「へーーー...」
という印象しかなかった。沖縄戦の経緯を説明したパネルや映像。資料が展示されているのだが、ピンと来なかった。それが少しずつ勉強して、2度、3度、訪れると「あーなるほどー」になってくる。
原発事故や書道の勉強をしたときも同じ。最初は「????」それが次第に見えてくる。現地を訪れて、その場所であった戦闘を調べ、当時を知る人に話を聞く。当時の映像や写真を確認する。さらに映画。小説。漫画。それらの世界に浸ることで戦場とはどんなものか?を体感する。
人の想像力は大したことない。
他人がどんなに悲しんでも、苦しんでも笑っていられる。特に現代人は想像力をなくしている。身の回りのことにしか関心がない。おまけにテレビ報道の多くはフェイクニュース。想像力のない市民はコロッと騙される。
自分が被害に遭うと泣き叫んでも、他人の不幸には無頓着。東京の電気を作るために建てられた福島の原発。それが事故で大変な目に遭った人たちを「気の毒ねー」という東京都民。それが多くの日本人なのである。
だが、人の不幸を体感すること。悲しみを知ることは簡単ではない。僕自身、いくら沖縄戦の本を読んでも頭に入らない。「悲しみ」や「苦しみ」を体感できなかった。ひとつには文章では「悲しみ」を伝え辛いということがある。資料館の展示も同じ。パネルにビデオ。模型に資料。それだけで人は戦争を体感することはできない。
1つではダメだ。文章だけではダメ。写真だけでもダメ。
現地を訪れる。体験者の話を聞く。いろんなアプローチをすることで現実が見えてくる。ただ、多くの人がそれをできるか?というとむずかしい。沖縄旅行のついで摩文仁の丘を訪れても、美し整備されたあの公園を見て、強い悲しみを感じるだろうか? 公園の一番奥にある牛島中将が自決した豪まで行くのだろうか? そもそも牛島とは誰か? 知っているのか?
そんな状況の中で、まず僕自身が沖縄戦を学び、知り、どうすれば、その悲しみを伝えられるか? 考えることが、今回の仕事なのである。
編集作業は恐竜の化石を掘り出す作業に似ている? [編集作業]
昨日の作業は結構進んだ。申告準備が終わり、精神的に楽になったからかもしれない。編集やシナリオという作業は小さなことでも、気になること、イライラ、トラブルがあると阻害される。
「些細なことは気にしなければいいんだよ」
そうはいかない。編集やシナリオというのは感度を高くして作業する。小さな部分もあれこれ考えて、あらゆる面から見つめる。そんなときに、余計なことを言ってくる関係者がいると、怒りもいつもの10倍になってしまう。怒りが収まるのも、日頃の何倍も時間が必要。
タイトルマッチ前の、闘争心を盛り上げて、野獣のようになって練習するボクサーに、いちゃもんをつけるようなもの。殴られても仕方ない(ボクサーが殴ってはいけないけど)そんな感じなので、申告準備が終わったのは大きいかもしれない。まだ、手直しはあるけど。
作業はまだ本格編集ではない。
証言の切り出を途中で止めて、ナレーション書き。摩文仁の丘の戦いまで。そこまで切り出した分をナレーションに合わせて並べて行く。その要所要所に記録映像と現代の沖縄映像を入れる。
もちろん、摩文仁の丘も訪れた。牛島中将たちが篭った豪にも行った。それら撮影した映像に、当時の記録映像を重ねていくことで、その戦闘を感じてもらう構成だ。まあ、これは王道なのだが、それプラス....で考えていることもある。
6月23日の牛島中将自決で組織的な沖縄戦は終結する。
だが、この作品はそのあとに、時間を巻き戻したあるエピソードを紹介。そのあとにエピローグとする。昨夜はその前まで作業した。現時点で6時間を超える。まだ、証言部分のほとんんどはそのまま繋いでいる。これを短く編集して70分から90分くらいにする。ここまでくると全貌が見えてきた。というとまた
「え? 全貌が見えずに編集しているの?」
と驚く人がいると思うので説明すると、映像編集はプラモデルではない。書類の通りに組み立てるものではない。むしろ、彫刻のような仕事。木や石を掘っていくとき、彫刻家はどんな仏様を掘ろうか?とは思わず。「この石の中にいる仏様を彫り出す」と考えるという。化石掘りならもっと分かりやすい。
「この化石は恐竜だな。アロザウルスか? チラノザウルスか?」
そう思って掘る。編集も同じだ。自分であーするこーするではなく。その作品が主張する。声を上げる。それを聞き、生まれてくるのを助けるのが編集という仕事なのだ。それがここまできて、全体のカラーやトーン。匂いを感じるようになって来たという意味である。
1月も下旬に突入。時間は十分にない。本日も作業を続ける。