編集作業は恐竜の化石を掘り出す作業に似ている? [編集作業]
昨日の作業は結構進んだ。申告準備が終わり、精神的に楽になったからかもしれない。編集やシナリオという作業は小さなことでも、気になること、イライラ、トラブルがあると阻害される。
「些細なことは気にしなければいいんだよ」
そうはいかない。編集やシナリオというのは感度を高くして作業する。小さな部分もあれこれ考えて、あらゆる面から見つめる。そんなときに、余計なことを言ってくる関係者がいると、怒りもいつもの10倍になってしまう。怒りが収まるのも、日頃の何倍も時間が必要。
タイトルマッチ前の、闘争心を盛り上げて、野獣のようになって練習するボクサーに、いちゃもんをつけるようなもの。殴られても仕方ない(ボクサーが殴ってはいけないけど)そんな感じなので、申告準備が終わったのは大きいかもしれない。まだ、手直しはあるけど。
作業はまだ本格編集ではない。
証言の切り出を途中で止めて、ナレーション書き。摩文仁の丘の戦いまで。そこまで切り出した分をナレーションに合わせて並べて行く。その要所要所に記録映像と現代の沖縄映像を入れる。
もちろん、摩文仁の丘も訪れた。牛島中将たちが篭った豪にも行った。それら撮影した映像に、当時の記録映像を重ねていくことで、その戦闘を感じてもらう構成だ。まあ、これは王道なのだが、それプラス....で考えていることもある。
6月23日の牛島中将自決で組織的な沖縄戦は終結する。
だが、この作品はそのあとに、時間を巻き戻したあるエピソードを紹介。そのあとにエピローグとする。昨夜はその前まで作業した。現時点で6時間を超える。まだ、証言部分のほとんんどはそのまま繋いでいる。これを短く編集して70分から90分くらいにする。ここまでくると全貌が見えてきた。というとまた
「え? 全貌が見えずに編集しているの?」
と驚く人がいると思うので説明すると、映像編集はプラモデルではない。書類の通りに組み立てるものではない。むしろ、彫刻のような仕事。木や石を掘っていくとき、彫刻家はどんな仏様を掘ろうか?とは思わず。「この石の中にいる仏様を彫り出す」と考えるという。化石掘りならもっと分かりやすい。
「この化石は恐竜だな。アロザウルスか? チラノザウルスか?」
そう思って掘る。編集も同じだ。自分であーするこーするではなく。その作品が主張する。声を上げる。それを聞き、生まれてくるのを助けるのが編集という仕事なのだ。それがここまできて、全体のカラーやトーン。匂いを感じるようになって来たという意味である。
1月も下旬に突入。時間は十分にない。本日も作業を続ける。
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