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沖縄戦を知ることのむずかしさ。本を読んでも体感できることの少なさ? [沖縄の現実]

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沖縄戦を知ることのむずかしさ。本を読んでも体験できることの少なさ?

この企画がスタートしたのは、もう3年前になる。前々から沖縄のことは勉強したい!と思っていたのだが、原発問題と同じで何か機会がないと、調べることはなかなかできない。旅行が趣味なら学生時代に1度は沖縄に行っているだろうし、森高千里の歌を歌いながら

♫「沖縄の、海へ、いーこーをー」

と。ANAでビールのみながら青い珊瑚礁を見に行ったかもしれない。が、若い頃は映画監督デビューのために自主映画を作っていたし、留学から帰ってからはアルバイトとシナリオ書き、食うや食わずの生活。監督デビューしてからは、もう忙殺。目の前のことで精一杯だった。

今回、ようやく沖縄を知るチャンスを得たわけだが、当初は大変だった。沖縄戦の本を読んでも全く頭に入らない。

「米軍は読谷村に上陸。その日の内に読谷村飛行場、中飛行場を占領。さらに首里城の32軍司令部に向かい、進撃を開始した」

そう書かれていても、まず読谷村がどこか?分からない。首里城って聞いたことあるなってレベル。さらに飛行場があったの? あとで分かるのは、中飛行場というのは、のちに嘉手納基地となる場所である。

いろんな地名。名前。それらがどこで? 誰で? 何のことなのか? 全く分からず、いくら沖縄戦の本を読んでも頭に入らない状態だった。あ、そんな経験。昔もあったな! そう、高校時代の教科書を読んだときだ。

日本史は得意だったけど(大河ドラマや戦国ドラマを見ていただけだけど)化学や数学の教科書を読んでも全く頭に入らなかったのを思い出す。無理やり暗記しようとしても覚えられない。昔から興味あるものは物凄くよく覚えるのに、興味がないとダメ。

のちに記憶は「好き」「嫌い」で脳内の海馬が選択するので、「嫌い」なことは脳に蓄積されにくいと知り納得した。やはり、興味あることを勉強すること大事なのだ。

話を戻す。沖縄戦の本。いくつか読んだが頭に入らなかった。が、沖縄取材にいくたびに、それら本を読み直した。平和記念資料館も最初に訪れたとき、

「へーーー...」

という印象しかなかった。沖縄戦の経緯を説明したパネルや映像。資料が展示されているのだが、ピンと来なかった。それが少しずつ勉強して、2度、3度、訪れると「あーなるほどー」になってくる。

原発事故や書道の勉強をしたときも同じ。最初は「????」それが次第に見えてくる。現地を訪れて、その場所であった戦闘を調べ、当時を知る人に話を聞く。当時の映像や写真を確認する。さらに映画。小説。漫画。それらの世界に浸ることで戦場とはどんなものか?を体感する。

人の想像力は大したことない。

他人がどんなに悲しんでも、苦しんでも笑っていられる。特に現代人は想像力をなくしている。身の回りのことにしか関心がない。おまけにテレビ報道の多くはフェイクニュース。想像力のない市民はコロッと騙される。

自分が被害に遭うと泣き叫んでも、他人の不幸には無頓着。東京の電気を作るために建てられた福島の原発。それが事故で大変な目に遭った人たちを「気の毒ねー」という東京都民。それが多くの日本人なのである。

だが、人の不幸を体感すること。悲しみを知ることは簡単ではない。僕自身、いくら沖縄戦の本を読んでも頭に入らない。「悲しみ」や「苦しみ」を体感できなかった。ひとつには文章では「悲しみ」を伝え辛いということがある。資料館の展示も同じ。パネルにビデオ。模型に資料。それだけで人は戦争を体感することはできない。

1つではダメだ。文章だけではダメ。写真だけでもダメ。

現地を訪れる。体験者の話を聞く。いろんなアプローチをすることで現実が見えてくる。ただ、多くの人がそれをできるか?というとむずかしい。沖縄旅行のついで摩文仁の丘を訪れても、美し整備されたあの公園を見て、強い悲しみを感じるだろうか? 公園の一番奥にある牛島中将が自決した豪まで行くのだろうか? そもそも牛島とは誰か? 知っているのか?

そんな状況の中で、まず僕自身が沖縄戦を学び、知り、どうすれば、その悲しみを伝えられるか? 考えることが、今回の仕事なのである。



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