沖縄の戦後が分かる映画ー終戦から基地問題。オスプレーまで。10月15日 [「沖縄狂想曲」]
病気を経験して分かったことー余計なことを患者には言わない。10月15日 [闘病日記]
病気を経験して分かったことー余計なことを患者には言わない。
重い病気経験のない友人たち。無神経なことを言うことがある。悪気はない。が、容認していたら、心がボロボロになる。病気がさらに悪くなる。深く考えず、あるいは善かれと思い、信じられないことを言う。
悪気がないのは分かる。が、あまりに酷いコメントをしたTwitter友達。1度ならずも2度までも。心を抉る書き込み。本人は応援のつもり。でも、ブロックした。注意しても理解できないようだ。それを機会に仕事以外の連絡を全て止めた。
彼だけではない。必要のないこと。あれこれ言ってくる友人がいる。両目ともに半分失明。一生、治らない。励ます言葉はない。なのに、あれこれ無神経なこと書き込む。そんな時は距離を置くのが最善の対応。
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昔はエンタテイメントを目指していたが、すっかり社会派監督−10月15日 [2023]
昔はエンタテイメントを目指していたが、すっかり社会派監督
映画監督を目指した時。僕は初期のスピルバーグのような、娯楽映画を作る監督になりたいと思った。ハラハラドキドキして、感動。最後は泣ける。僕のデビュー作「ストロベリーフィールズ」はまさに、そんな映画だった。
でも、同時に社会派映画が好きな自分もいた。若い頃から「Z」「戒厳令」「シャンチャゴに雨が降る」も好き。オリバーストーンの「J F K」「チャイナ・シンドローム」に影響を受けた。その面が発揮されたのが原発事故を描いた「朝日のあたる家」
そして「ドキュメンタリー沖縄戦」。最新作は沖縄の戦後を描いたドキュメント。ま、スピルバーグだって「ジョーズ」や「未知との遭遇」を取っていたのに、今は社会派。「カラーパープル」「シンドラーのリスト」「プライベートライアン」あれこれ感じるものがある。
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山田太一作品「車輪の1歩」ーいつかあんなドラマを作りたかった。−10月15日 [2023]
山田太一作品「車輪の1歩」ーいつかあんなドラマを作りたかった。
高校時代に大好きだった、脚本家の山田太一さん。彼の名前が付くドラマは必ず見た。中でも一番好きだったのが「男たちの旅路」1年に3話しか放送されないドラマ。でも、全て名作。
そんな1本「車輪の1歩」障害者の若者たちの物語があった。そのヒロインが当時、大人気だった斉藤とも子さん。のちに僕の映画「朝日のあたる家」に出てもらい超感動。そのドラマ。魂が震えるくらい感動した。僕もいつか「障害者の作品を作りたい」と思った。
以前にスタッフとして参加したある映画。車椅子の方々と接することがあった。物語にする難しさを感じた。徹底取材から始めなければならない。でも、あれこれ仕事が続き、時間も労力も取れなかった。それが今年になり、僕自身が病気になり、障害者となってしまった。
車椅子ではないが、脳の一部が死に、両目ともに半分見えなくなった。そのことで想像しなかった体験をしている。目が半分しか見えない苦労もあるが、それ以上に周りの人たちの対応。信じられない無神経なことをする人がいる。悪意はない。障害者の気持ちが分からないのだ。
同時に、あれこれ応援をしてくれ、情報をくれる人たちの親切。行政に障害者向けのサービスがあるのに、どこでどうすれば受けられるか[?]分からない。情報をくれる人も、多くが説明不足。そんな体験を映画にできないか[?] 僕なりの「車輪の1歩」を作る時期が巡って来たのだと思えている。
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友人のコメントから、障害者への対応を考える。−10月15日 [闘病日記]
友人のコメントから、障害者への対応を考える。
友人が見舞いの電話をくれた。が、見舞いというより、病人を批判する内容だった。僕はこんな話をした「文章は書けるようになったけど、長文がまだ読めない。なのに、長文のコメントがいくつも来るので困る」と話す。すると友人。
「そりゃ仕方ないわー。お前はあれだけ文章を書けるんだ。読めないなんて、誰も思わないよ」
別のケースで考えよう。学校で心臓の悪い生徒に教師が「走れ」と命じる。その後で事実を知る。「健康そうに見えたから、心臓が悪いとは分からないよー」そんな言い訳が通用するだろうか[?]病気を知らないのは仕方ない。が、それを反省せず。自分を正当化するのはどうか[?]
知らぬとは言え、相手に無理を強要したこと。反省するべき。友人のケースも同様。自己弁護より、自分の発言を顧みるべき。だが、友人のような発想をする者は多い。僕も自身が障害を抱えて、初めてそんな意味を実感した。
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僕の場合。脳の8分の1が死んだー読み書きが出来ない。−10月15日 [闘病日記]
僕の場合。脳の8分の1が死んだー読み書きが出来ない。
損傷したのは言葉を司る部分。そのために文章の「読み書き」が出来なくなった。だが、別の部分が損傷していたら、手足が動かない。話せない。という症状になったのだ。大島渚監督がその症状。リハビリをしていたと聞くが、結局は引退された。
大先輩の事情を知るだけに、不安と恐怖に苛まれた。僕の場合は「読み書き」の障害。そして両目ともに半分失明という結果。一生ならない障害を抱えてしまったが、手足は動くし、言葉も話せる。
言葉がすぐに出て来ないーという症状はあるが、次第に改善されている。文字の読み書きも2年くらいかかるが、リハビリで改善中。映画監督業を続けるには、ギリギリセーフという所。不便はあるが、神と仏に感謝せねばならないだろう。
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脳の働き。一部でも死ぬと実感する。10月15日 [闘病日記]
脳の働き。かなり回復してきた。−10月15日 [闘病日記]
脳の働き。かなり回復してきた。
脳の8分の1が死んだ。そのことで、脳全体に影響が出た。記憶力が減退。昔の友達の名前が思い出せない。言葉が出て来ない。脳のほとんどが死んだ感じだった。
最初は「坂本龍一」の名前も出て来なかった。顔は覚えている。「YMO」「戦メリ」「君に胸キュン」と関連の用語は思い出す。なのに名前が出ない。その頃は自分の部屋の電灯スイッチがどこにあるか[?]さえ思い出せなかった。4年も住んでいるのにだ。
長年、仕事で使っていた編集ソフト。Final Cut Pro Xの使い方も忘れてしまった。ネットの入門動画を見て勉強。記憶障害はとても辛い。病気前はマシンガン・トークと呼ばれたのに、言葉がでて来ない。「鬼滅の刃」の無一郎状態。それから半年。かなり言葉が出るようになった。詳しくはまた。
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