夢を追うと言うこと。表現の仕事をすると言うこと−10月26日 [闘病日記]
高校時代の友人。作家を目指していた。鋭い感性を持ち。多くの本を読んでいた。大学卒業後。会社に就職、仕事をしながら作家を目指した。と言っていた。が、仕事に追われるばかり。次第に作家への夢を語らなくなった。
思うに、作家になるには「感じる力」が大事。だが、会社員を続けるには、ある意味で「無神経」であることが重要なのだ。上司から無理難題を言われる。その全てをこなす必要はないが、上司は尻を叩く。
実現できない目標を掲げられる。まともに対応すると体も心も壊れてしまう。だから、無神経になり自分を守る。何を言われても、返事だけして、そこそこの努力。自分のペースで仕事をする。
だが、作家を目指すなら鋭い感性が必要。壊れるような感受性が大事。しかし、そんな感性を持っていると、会社員はできない。壊れてしまう。自分を守るために、無神経になるしかない。機械の部品になると言うこと。それは作家への夢を諦めることに繋がる。
高校時代はその友人から、教わることが多かった。が、次第に時代から置き去りにされ、的外れな意見が多くなる。アムロ・レイの父のような感じ。「何、振り子と言ってるの」そんな感性で作家は無理だ。が、それを言うまでもなく、彼は気づいていたようだ。
「俺は作家にはなれない、、、」
本人が何より、感じていたようだ。その後、若くして病気で亡くなった。奥さんからそのことを知らされた夜。泣きながら、朝まで一人で酒を飲んだ。夢を追うことの厳しさ。
いや、夢を追うより、彼にとっては、理解ある女性と結婚。安定した生活を送ることも幸せだったと思える。夢を追うだけが、全てではない。ただ、ささやかな幸せを手にできない者もいる。平凡な生活ができない者もいる。そんな連中は血を吐きながら、夢を追うしかないのだろう。
。
罪の意識なしに、親しい人を踏みつけるおじさん−その背景にある会社生活。10月26日 [闘病日記]
おじさん達。女性や子供に嫌われがち。無神経。セクハラ。上から目線。今回、僕がもらったメッセージにも、「見舞い」どころか「嫌がらせ」のようなものがあった。もちろん、おじさんから。
でも、悪気はない。良かれと思って、応援のつもりでのコメント。その背景を考えてみた。その種のコメント。ほとんどが男性会社員。彼らは一生懸命に仕事する。それでも上司はうるさい。不況で業績は上がらない。
ある営業マンはいう「また、課長が勝手なこと言ってる。と受け流している」10年20年と、そんな日々が続く。やがて上司だけでなく妻や子供に対しても「話をする」「話を聞く」行為が似たものになる。相手の言葉の「真の意味」を考えたり「裏の理由」を探ったりしない。
そんなことを仕事でしても、疲れるだけ。が、他の人にも同じモードで対応するようになる。そのモードは病人に対しても、深くても発揮してしまう。僕の場合。両目ともに半分失明。脳の一部が損傷。いずれも一生治らない。
なのに友人からこんなコメント。「生きてるだけで、丸儲けー」信じられなかった。「片眼でも、半目でもいいだろう[?]生きてるだけで丸儲けだからー」という意味だ。友人はこれが応援だと思ったのだ。
言い換えよう。右手を失った人に「左手あるから、いいだろう[?] 生きてるだけで、丸儲けだー」ということだ。似たようなことを言う友人達。皆、50代以上の男性。想像力が欠如している。相手の立場に立ててない。似たようなことを、妻や子供にも、いうのだろう。熟年離婚の背景は、こうしたものではないか[?]
。
年配男性=自身が気づかない社会的な危機。−10月26日 [闘病日記]
病人への見舞いの言葉。相手を踏みつけるようなこと、言う人がいる。調べてみると、ほとんどが50代以上の男性。思い当すことがある。熟年離婚。一時期よく聞いた。
若い内は「好きだ。愛しているー」で盛り上がるが、結婚し子供も独立。残された夫婦。夫が無神経な発言をし、妻に嫌われる話をよく聞く。背景を聞くと、妻の立場に立てない夫の言葉。背景にあるようだ。
考えてみると、男性の交友関係は意外に狭い。妻。会社。学生時代の友達。仕事で子供と過ごす時間は少ない。対して女性は、子供達。子供の親。学校の先生。ご近所さん。PTA、教師。お稽古事の仲間。そして夫。夫の親。いろんな人と交流がある。
圧倒的に妻の方が、交流範囲が広い。コミニュケーション能力も育つ。対して夫。会社は未だに男社会が多い。ズレたことを言っても許される。そんな環境で60歳まで。定年後は大変。会社に行かないと、いる場所がない。近所との交流もない。飲みに行く友達もいない。
会社という狭い社会に長い間いたので、他の世界の価値観やルールが分からない。会社以外のコミニュケーション能力が育ってない。病人への対し方も分からない。励ますつもりで、踏みつけるようなことを言ってしまう。そんな不器用な大人になってしまう。
。
父親が嫌われる理由ー「病人の気持ちが分からない」友人から学ぶ。10月26日 [闘病日記]
前々から老化に興味を持ち、あれこれ考えていた。が、僕自身が病気になることで、また別の側面から痛感することがある。病人に対する接し方。僕はこれまで重い病、経験したことがない。
友人の見舞いに行くこともなかった。が、今回、見舞いに来られる側になる。そこであれこれ経験している。本当にありがたい見舞いメールもある。が、嫌がらせか?というコメントも少なくない。
いや、決して嫌がらせではない。本人は僕のことを心配し、励まそうとしてコメントをくれるのだ。が、神経を逆撫でするもの。嫌がらせなら見事としか言えない。それを真剣に見舞いと思ってコメントする。
これは見舞いのマナーとかではなく、加齢による想像力の老化だと思える。相手の立場に立てない。相手の気持ちを想像できない。パターンに推しはめて考えてしまう。子供達に嫌われる父親と同じような構図なのだ。非常に興味深い。
。
50代以上のオジサン。ご注意あれ=知らない間に相手を傷つけている 10月26日 [闘病日記]
多くの人は病気に踏み込まず。「お大事に」という定番で対応する。が、その辺に気づかず、無神経な発言をしてしまう人たちがいる。50代以上の男性だ。その背景を考えてみた。
父親が家族に疎まれる話をよく聞く。同じ背景だ。子供や妻は気づくのに、父親だけが気づかない。無神経な言動、家族で孤立。子供達が口を聞いてくれない。なるほど、同じ背景だと思える。
一つには脳の老化。新しいことを受け入れられない。過去の価値観で物事を判断。そのために親子で夫婦で問題が起きる。同じように、病人に対して、健康者の価値観で対応をしてしまう。いつもの冗談を言ってしまう。どれだけ相手を傷つけるか[?]が想像できないのだ。
セクハラと同じ構図だろう。昔は冗談や下品な挨拶程度、で済んだことが許されない時代。特に女性に対して、性的な表現は御法度。若い女性に対して「胸が大きくなったねえ」は立派なセクハラ。でも、少し前ののおじさんは「事実を言って、何が悪いー」と、理解できなかっただろう。
同じように病人に言っていいこと、と悪いことがある。僕も両目ともに半分失明。一生、治らない。なのに「硬めになるより、両目が半分ずつ見える方が良いのでは[?]」と言ってきた友人がいる。励ましにはならない。嫌がらせだ。だが、その友人は真剣に励ましているつもり。
家族で嫌われる父親も、似たような構図だと思える。僕も今回の病気で本当に辛辣なことを何度か言われた。が、その全員が50代以上のオジサン。背景はまた別の機会に考える。ただ、僕もその年齢。注意しよう。
。
脳の具合。良くなりつつある。回復の経緯。ー10月26日 [闘病日記]
脳梗塞により脳の一部、8分の1が死んだ。そのショックで、脳の全機能が低下。考える力。記憶力が急低下。痴呆症の老人のようになった。文章は書けるようになったが、読むのは今も2行まで。でも、今回は「記憶」「話す」についてのみ書く。
名前が思い出せない。考えることができない。最初は自分の部屋の電灯のスイッチがどこか思い出せなく、探し回った。坂本龍一さんが亡くなった日、顔写真を見ても名前が出て来なかった。今も細野晴臣に続く三人目の名前が思い出せない。
毎日、使っていた編集ソフトーFinal Cut Pro Xの使い方も忘れてしまった。ハウトウ動画で勉強し直し。勉強すれば、思い出す部分もある。が、1から学ぶことも多い。「言葉」も一時は辿々しく、「えーと、なんだっけー」を連発。「鬼滅の刃」の無一郎状態だった。
未だに人の名前や地名。映画のタイトルは、すぐに出ない。が、話すスピード自体は以前に近い。が、ほとんどの友人はそこに気づかず。「元気そうじゃん」という。ま、人の健康なんて感心ないからね。
。
本日の血圧。入院中には70前後に下がったが[?]ー10月26日 [闘病日記]
明日はヘルパーさんが来てくれる。買い物リストを作らねばー10月26日 [闘病日記]
手術後の静養も大切だが、仕事もせねばならないー10月26日 [「沖縄狂想曲」]
手術から1週間が過ぎた。−10月26日 [闘病日記]
おはようございます。ここ数日、とても良く寝られる。10月26日 [闘病日記]
友人からお見舞いを頂いた。大量の保存用食料。10月25日 [闘病日記]
脳梗塞後。僕の視野ー今はこんな感じ?−10月25日 [闘病日記]
脳梗塞で両目共に、半分しか見えなくなった。なかなか理解されないので、解説する。写真に映るファミレス店内。全景が通常の人の視野。右側の斜線部分ー僕が見えないところ。
もし、僕が画面奥に直進。右側から他の客が下を向いて歩いて来たら、両者共に気付かず。ぶつかる。これが駅とか、繁華街だと大変なのだ。
。