時代は変わるー大きく変わる。幕末、明治維新以来の変革 −11月18日 [「沖縄狂想曲」]
今回の大病。神様が仕組んだことかーあのままだと、死ぬまで仕事していたしなあ。11月18日 [「沖縄狂想曲」]
もし今回、脳梗塞を発症しなければ、どうなっていたか[?] もちろん、心臓に続く3本の血管にも問題がなかった場合だ。健康状態は良くても、大きな問題に直面しただろう。
そもそも、コロナ禍前は依頼を受け準備していた作品がある。なのにスポンサーが投げ出してしまった。撮影準備にかかった費用も補填されず。膨大な借金に。。その直後からコロナ禍。映画界自体の仕事がなくなり、最悪の日々となった。
それでも低予算ドキュメンタリー制作の依頼。また例によって製作費の2倍以上の、内容の作品に仕上げてしまった。毎回、そんなことをしているので、体が壊れるのだ。
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だが、その頃すでに余裕をなくし、目先のことに囚われいた気がする。あれこれ見えなくなっていたかも。生活は苦しい。仕事は山ほどある。7人分働く。60代になり体力は落ちる。コロナ禍で未来が見えない。
「それなりの予算の劇映画を作りたかったが、この辺が僕の限界だろうか」
もう、僕らの世代は若手ではない。昔は上の世代。深作。大林。崔。森田と年配の監督が君臨していた。が、彼らは順にいなくなり、今は僕らより若い世代がメジャー映画の大作を監督している。そんな中で僕はチャンスを掴めずいた。
「仕事依頼さえなくして、消えゆくだけなのか」
そんな不安を感じたりしていた。今思うと、焦りと不安で未来が見えなくなっていたのだろう。そんな時の病気。目が見えなくなり、脳が壊れたとき。「もう、終わりか」と思えた。
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だが、目は半分だけ見えるようになり。記憶力も少しずつ戻って来た。手足の機能や言葉は失われなかった。大島監督は同じ病気で引退した。が、僕はまだやれそうだ。やはり、神様からのメッセージを感じる。
「少し休んで、また戦いを始めればいい」
ただ、人生で一番辛い月日だったが、大きな節目とも感じている。車だって長年乗れば整備する。オイルを変える。人間も同じだ。毎回、低予算で倍以上の内容に仕上げた。先が見えなくなっていた。
そんな時に大病。人生を振り返る機会になった。今年62歳。人生80年として、あと20年。そんなこと考える余裕さえなかった。病気をしたことで、あれこれ考える時間も出来た。
もし、この機会に病気にならず、60代後半で、70代になってから病気をしていたら[?] もっと酷いことになっただろう。そこに至るまで、近視的な視野で仕事をしていたかもしれない。神様は信じないが、運命は存在すると思う。
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自分が進むべき運命はあり、やるべきことがある。それを果たすためには、まだ人生を修了することは出来ない。そう神様も思ったのかも。
「あいつは言っても止まらないから、病気にしてしまえー。今、病気で止めないと、完全に壊れてしまうぞ」
と思ったのかも。と言って重すぎる病気だと、再起不能。そのギリギリ。嫌なやり方だ。でも、そうでもしないと僕は、止まらない。神様は僕のことをよく理解しているようだ。再起不能ギリギリで復活。とにかく、監督業は続けられそうだ。よし。
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太田隆文監督作品、最新作が完成。月曜日にプレス発表 =11月18日 [「沖縄狂想曲」]
病人に無神経な言葉をぶつける人ーなぜ、60代以上の会社員なのか=11月18日 [闘病日記]
病気をして、辛辣なことを言う人に気づく。60代以上のおじさんが圧倒的だ。その背景は前回の記事で書いたが、多くがサラリーマン。その仕事を続けるには心を捨てて、機械の一部にならねばならないからだろう。
では、女性はどうか[?] 今の時代。女性も多くは会社で働く。結婚しそた場合、男は会社員を続ける。が、女性は主婦になるーあるいは子供を育てながら働く形となる。日本では子育ては今も女性が中心。
そんな女性の交友範囲。子供のクラスメート。その親との付き合いもある。気近所の付き合い。親戚との交流もある。いろんな人たちとのコメニケーションを持つ。対して男性は、会社の上司、同僚。取引先。そのくらいだ。
つまり女性の方がより、多様な人たちと交流がある。違った価値観の人たちと接する。対して男性は限定的。子供の教育は、今も妻任せになることが多い。ご近所付き合いもしない。交流は同僚だけ。
それが30年以上続く。歳を取り脳が硬くなる。そうすると何に対しても、自分の価値観だけで対応するようになる。無神経な対応になることもある。妻が怒る。子供たちに嫌われる。ご近所さんとの、接し方も分からない。
こうして中年以降の男性。「無神経」と言われるようになる。当然なのだ。戦場での戦い方しか、知らないランボーのようなもの。普通の日常生活は送れない。時々、個人の店で、無神経な年配の定員がいる。定年後のアルバイトだろう。
あるいは息子の店を手伝う父親。とても客商売とは思えない。気が回らない。不親切。多分、客と接することない仕事、長年していたのだろう。親父たち。長年、家族のために働いたのに嫌われる。だが、心してて部品になった代償でもある。あれこれ感じることがある。
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おじさんたちが、時代に取り残される背景ー会社員は心を捨てて安定を買う仕事=11月18日 [「沖縄狂想曲」]
何度も書いたが、人は歳を取ると気が回らなくなる。特に男性。特に50代以上。友人を見ていても40代あたりから、気が付かなくなって来る。
その背景にあるのは、これまでに得た知識や経験に照らし合わせて「どーせ、〇〇だ」「まあ、〇〇と同じだろう」と判断してしまう。だが、時代は変化。新しいものが出て来るのに、古いカテゴリーに嵌め込んで納得してしまう。
もう一つは「思考停止」状態になる。一昔前、お年寄りに「水戸黄門」が人気だった。分かりやすいからだ。正義は正義。悪は悪。だが、今の時代は複雑怪奇。でも、年取った脳が新しい判断をできないので、単純化して理解しようとする。
特に会社員はそうだろう。与えられたことを、疑問を持たずに推敲する。だから、年配の男性は脳が硬直化。単純発想でしか考えなくなる。だから一昔前のお年寄りは「水戸黄門」を好んだ。が、時代がもう違う。その中で、オジサンたちは正確な判断ができない。
おかしな判断をしてしまう。正義悪では判断できない。裏の裏が存在する時代。それを見た目と面だけで、判断。あるいは過去の価値観に当てはめて分かったつもりになる。だから、ズレてしまう。だから、理解しやすいプロ野球を好む。
巨人ファンなら巨人を応援。ルールは子供の頃と同じ。選手が時々、変わるだけ。オジサン向きの娯楽なのだ。選手が離反したり、別チームを立ち上げたりしない。平成「仮面ライダー」の方がよほど複雑な展開をする。
そんなおじさんたち。裏の裏。つまり、相手の心理や立場を考えるのが苦手。だから、良かれと思い病人を傷つけることをいってしまう。70代になって妻が離婚を言い出す。ただ、そんなサラリーマン男性を責めづらい部分もある。家族のために、機械の部品になることを強要されたのだ。
心を捨てて生活を支えた。結果、妻や子供たちに嫌われ批判される。だが、多くのおじさん。ロボットにならない努力もしない。野球に時代劇。古い価値観のものにしか触れない。時代に置き去りされるのも当然ではある。
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なぜ、60代代以上の男性は、病人を踏みつける見舞いコメントをするのか=11月18日 [「沖縄狂想曲」]
今回、病気をして感じたこと。FB、X友達の多くは心配し、応援してくれた。が、リアル友達の方は結構、無神経な反応をする者がいた。
手術直前に「完治。おめでとう」と電話してくる高校時代の友人。嫌がらせにする感じた。手術だけでなく、目や心臓は一生治らない。嫌がらせなら100点だ。また、応援のつもりで「生きているだけで丸儲け」とコメントして来た人もいる。
限りなく障がい者に近い状態になったのに、そんな励まし方はあり得ない。そんな無神経なコメントするのは全員男性で50代以上だ。悪気がないのは分かる。僕も元気なら説教をしまくっただろう。
だが、大病で元気がない。反論する気力もなく、数日寝込むばかり。それら事件から友人との連絡を止めることにした。病気の時はショックも10倍。立ち直れなくなる。同時になぜ、彼らは病人に対して無視系なコメントをして来たのか[?] もう一度、その件を考えてみた。
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退院はしたが、親しい友人にはまだ報告しないーその理由 11月18日 [闘病日記]
頂いたコメントには出来る限り、お礼を返しています。が、逆に親しい友人たちには、退院のお知らせはしていない。なぜか[?]というと、「退院しました」とメールすると、多くが「おー完治したのかー、良かった良かった。と、こんな返事が来ることもある。
「再起不能かと思ってたよー」「えー監督業。引退じゃなかったのー」
もし、軽い病気なら「ははは、私は不死身だからな」とか冗談で返すのだが、今回はそんなことは言えない。本当に再起不能の可能性があった。人生でこれほど苦しい月日はなかった。
さらに、両目は半分失明。脳の一部は死んだ。今も文章がほとんど読めない。そんな障害を背負って残りの人生を生きねばならない。そこに「再起不能かと思った」なんて冗談は笑えない。
逆に「完治。おめでとう」というのもキツい。完治は一生しない。だが、多くの友人は「太田はめげない」「砂漠でも生きて行く」と思われている。障害を背負うことになるとは想像もしない。だから、そんな冗談を寄せてくる。が、今も笑顔で帰せない。
手術は終わったばかり回復もこれから、もう少し元気になるまで。笑って言い返せるようになるまで、友人関係には連絡しない。ご理解をお願いしたい。
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若い頃は「いつでも死んでやる」と思って映画を作っていた。ーでも、完成前に死んだら後悔する=11月18日 [「沖縄狂想曲」]
退院した翌日。新しい人生のスタート−11月18日 [「沖縄狂想曲」]
2回目の手術を終えて昨日、退院した。無事成功。しばらくは静養だが、これで心臓は良くなる。担当医の先生が「おめでとう」と握手を求めてくれた。彼には感謝するばかり。
心臓から出ている太い動脈3本。その全てが狭まり、つまりかけていた。あのまま行けば、どれかが詰まったはず。急に胸が苦しくない垂れる。救急車で搬送。いずれそうなるはずだった。
が、脳梗塞が起きたことで、心臓に問題あることが分かった。あれがなければ気づかずにいて、血管がつまり死んでいたかもしれない。ただ、脳梗塞のせいで脳の一部が死に、文章の読み書きが出来なくなった。
両目ともに半分しか見えなくなった。これらはもう治らない。とは言え、その犠牲があったから、心臓の危機を知ることが出来たのだ。障害者認定はされなかったが、これから不自由な生活となる。
でも、脳梗塞の場合。手や足が動かなくなることもある。言葉を失い。話しづらい。それらは一切ない。神様が「健康に気をつけて、もう少し映画を作れ。人のためになる作品を作れ」と言ってるのだろう。今日から、新しい人生のスタートだ。
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