新作のマスコミ発表と手術が重なる ー11月14日 [リアル入院生活]
「文句を言うな」ー支配者階級が庶民を抑え込むための言葉=11月14日 [「沖縄狂想曲」]
先輩で「文句を言うな」が口癖の人がいた。僕は細かいことにうるさい。あれこれ分析してしまう。その言葉に反論できなくなると、先輩はいつも「文句を言うな」と言う。
便利な言葉だ。先輩は論理的に僕の意見を否定、反論することができない。だが、先輩としての意地がある。後輩に言われて「はい、おっしゃる通りですね」とは言いたくない。だが、反論できない。そんな時はこれ。
「文句を言うなー」
そもそも、文句ではない。先輩の判断が間違っているのだ。だが、その会話を第三者が見ていたら「先輩の指示を聞かず、屁理屈を言って働こうとしない後輩」と言う構図に見えるだろう。同じような言葉に「屁理屈を言うな」「愚痴を言うな」と言うのもある。
これらの言葉。本来は文句ばかり言う子供、筋の通らぬ主張をする部下に対して使う言葉。なのだが、問答無用で、理不尽なことを強要するときにも使われがち。むしろ、その場合が多いのではないか[?] 本当に意味があり、必要なことなら「文句を言うな」と言う言葉ではなく、本来の意味を伝えればいい。
「陰謀論」と言う言葉は、CIAが流行らせた言葉。ケネディ暗殺の真相に近づかないようにだ。あれこれ暗殺の真相を考えいる人に「陰謀論。好きだね」と馬鹿にするとこによく使われる。論の苦手な人が優越感を感じることができる。同じように「文句を言うな」も、説得力のない支配者が自己正当化し、庶民に指示するために作られた言葉だったりはしないか[?]
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文句言わずに国民を働かせる言葉ー意図的に広めたのかも =11月14日 [「沖縄狂想曲」]
ここ数日、気になり考えていた。「愚痴を言うな」という言葉。若い女性がコメントして来たことがきっかけ。先の記事で解明したように、日本という国は支配者層に都合の悪いこと。権力を使わなくても、庶民が庶民を黙らせてしまうシステムが出来上がっているようだ。
国や企業を批判すると「愚痴を言うな」「文句を言うな」といかにも正論であるような言葉で抑え込む。問題点を振り返り、原因を追求していても「愚痴を言うな」と止める。理不尽な仕事を強制され、異議を申し立てると「文句を言うな」と抑えこむ。
何も支配者、会社側に都合のいい言葉。正統な講義や質問であっても、第三者から見ると、非があるように見える言葉なのだ。支配者層にとって実に都合のいい言葉。会社側がどんな無茶を命じても、理不尽な対応をしても「愚痴を言うな」と言えば、相手に非があることになってしまう。
やはり悲しいのは、その言葉を庶民が使うこと。同じ庶民が怒り苦しんでい発言しても「愚痴を言うな」と抑え込む。「非国民」も同じ。国や軍が動かなくても、戦争遂行に都合の悪い国民は、国民自身が抑え込んでしまう。「非国民」も「愚痴を言うな」も同じ目的で使われている。
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「愚痴を言うな」といって、庶民を黙らさえる支配者層ー同じ言葉で自身を縛る庶民たち。−11月14日 [「沖縄狂想曲」]
「愚痴はやめませんか」コメントをきっかけに、あれこれ考えている。その投稿者に関わらず、勘違いする日本人は多い。過去の反省ー分析を「愚痴」と批判人。意外に多い。
僕も何度か、年長者から「愚痴は聞きたくない」と言われたことがある。愚痴ではなく反省なのだが、過去の問題を語ると「愚痴」と解釈されがち。だが、反省を愚痴と解釈し止めてしまうと、過去の失敗を反省しないーと言うことに繋がる。
まさに戦時中の日本軍。大本営発表で全線全勝と自画自賛。だが、ミッドウェイ海戦のシュミレーション。実際に起きた日本軍完敗のパターンを想定していた。なのに「それは忘れよう」と検討しなかった。そして完敗。良い部分ばかり見て反省、分析していなかった。その後は敗戦にまっしぐら。上層部の責任なのに特攻攻撃、兵隊に犠牲を求めた。
そんな伝統は日本の企業に引き継がれている。上層部で計画。兵隊である社員は深く考えず、与えられたことをするだけ。バブル時代はよかったが、その後は落ちるところまで落ちた。だが、日本企業がやっているのは内部留保。消費税を悪用して補填。社員の給料は据え置き。
そもそもバブル時代の企業に、先見性がなかったことで、日本はここまで落ちたのだ。まさに日本軍。初期は全戦全勝だった。ミッドウェイから敗北の連続。それでも軍部は責任を取らず、特攻を命じるようになる。軍も企業も自分達の失敗を下に押し付けている。
「欲しがりません。勝つまでは」とか教え込んで国民に負担を強いた。「愚痴はやめませんか」も似たような背景を感じる。サラリーマンには考えるな。言われた仕事をしろ。と言うのが日本の会社。不平を言うと「愚痴を言うな」と抑え込む。事業が失敗すると、リストラ、給料を上げない。でも、内部留保で上層部は安泰。
戦争も企業も、上層部の判断ミス。その失敗のツケを、どちらも兵隊や社員に押し付ける。そこで反論、反対されないために使われるのが「愚痴を言うな」と言う言葉ではないか[?] それを庶民である我々までが「愚痴を言うな」と互いを黙らせようとする。上層部が抑え込まなくても、自分達で仲間を黙らせる。そんなシステムになってはいないか[?]
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いよいよ、新作映画の宣伝活動が始まる。−11月14日 [「沖縄狂想曲」]
まだ、これから入院せねばならないのに? ポスターとチラシが間も無く印刷されてくる。それを関係者に送る。あるいは僕が受け取ってから届ける。まだ、これから手術なのでキツい。
昔はよく行く店などにポスターを貼ってもらったが、最近は難しい。チェーン店はまずダメ。街角に無断で貼ることも出来ない。今、僕が住んでいるのは関東の田舎町。近所の店にお願いしても、新宿の映画館まで行く人はいない。
なので東京ではなく、ポスターは地方で活用する。もちろん映画館には貼られるが、東京はそこくらい[?]沖縄の友人に問い合わせると、店に貼りますよーと返事を頂いた。ありがたい。
今回の作品は是非是非、沖縄の皆さんにも観てほしい。基地問題の大変さを描く、沖縄こそが日本の希望であることを描いている。それを伝えたい。
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反省すると「愚痴を言うな」と批判する日本人ーだから、同じ失敗を繰り返す=11月14日 [「沖縄狂想曲」]
ここしばらく「愚痴発言」について、何度も考えている。あるFB友達。かつてコメントをくれた記憶がない人。「もう愚痴はやめませんか」というコメントが来た。愚痴なんて書いた覚えはない。
よく良くと経験したことを分析した記事。それを愚痴だと解釈。さらに「やめませんか」と提案。というよりも指示して来た。まず「あんた誰[?]」の世界。そして事実ではない指摘をし、やめろと指示。どのような立場でコメントしているのか[?]
そのことを昨日、詳しく分析した。だが、その人だけではなく、多くの日本人は「愚痴」と「反省」を混同している。愚痴は「言っても仕方のないことをグチグチ言い続けること」であり「反省」は自分の行為を顧みて、何が問題であったか[?]を確認することだ。
明らかに違うのに、反省を愚痴と解釈する人は多い。「終わったことは忘れて、次に進もう」という友人もいたが、彼は同じ失敗を繰り返していた。反省しないからそうなる。が、そんな日本人は多いだろう。反省を愚痴と思いみ、問題点を把握しないからだ。その辺。もう少し考えたい。
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