時代は変わるー大きく変わる予感。戦後以来の変化ー11月11日 [「沖縄狂想曲」]
今、僕は病気で部屋にこもっている。が、時代が急激に変化するのを感じている。1980年。僕が高校を卒業した年だが、その時も急激な変化を感じた。日本がバブル時代に突入する前夜だった。
また、1990年代。僕がアメリカ留学から帰国した頃。日本の没落を感じた。バブル時代は終わり、政治家と資本家が庶民を踏みつけ。生き残ろうとした。その後押しをしたのが安倍内閣。
そして2014年。それら時代以上の変化が起こりそうな予感。もしかしたら、バブル崩壊。いや、戦後以来の大変革が起こるのではないか[?]例えば自民政権の終焉。アメリカ軍が沖縄から撤退。その予兆は僕の次回作で描いた。いずれにしろ、大きな変革が訪れると思える。
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必ず再開したい。沖縄戦が背景の映画ーが、時代の変化。中身の改訂が必要。−11月11日 [「沖縄狂想曲」]
数年前に沖縄戦を背景にした映画。依頼を受けた。準備を進め、シナリオが完成。ロケハンも進み。いよいよキャスティングという段になり、スポンサーが投げ出してしまった。準備にかかった膨大の額。僕が個人的に借りていたのだが、スポンサーは払おうとせず。中止。
快く準備金を貸してくれた方のためにも、そして沖縄戦を伝えるためにも、いつか再開せねばならない。当時はリアルに沖縄戦を再現することで、多くの日本人が知らない史実を伝える映画ーにしたかった。が、新型コロナ旋風が吹き荒れた後の日本。何かが変わろうとしている。
その時代にリアルに、沖縄戦を描くだけで良いのか[?]今後、製作が再開できたとしても、物語を今の時代に合ったものにする必要がある。そのことを病気で寝込みながらも、あれこれ考えていた。当初、予定していた2つのガマの物語。1つに絞る。戦闘場面等を避け、多額の製作費なしでも撮影できる内容にする。
ただ、昨年公開された「島守の党」のように、史実を歪めて、戦争犯罪人を美化。英雄にするようなことは、避ける。クライマックスであるチビチリガマの場面は、「乱」の城、内部シーンのような形で描きたい。かなりヘビーだが。ガマを1箇所にすることで予算は抑えられる。だが、何かが足りない。それを考え続けている。
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本日より冬物。−11月11日 [「沖縄狂想曲」]
風邪と蕁麻疹ー攻防。−11月11日 [「沖縄狂想曲」]
学生時代。物凄い変わり者の友達がいた。−11月11日 [「沖縄狂想曲」]
僕も変わり者だが、彼もかなり変わっていた。その意味で気があった。が、唯一の違い。僕は彼以外にも多くの友達がいた。でも、彼の友達は僕だけだった。
彼は日頃からクラスメートも、世間の人もバカにしていた。「知的レベルの低いバカたち」という。確かに彼はよく本を読み、いろんなことを知っていた。が、映画のことは詳しくない。その点で僕のことは認めていたようだ。
が、卒業後。10年以上経って再会したとき。彼の変人度はさらにパワーアップ。僕に対しても、あれこれ批判をするようになった。「あなたは何も分かってませんねー。もっと勉強してから出直して来なさい」とか言い出す。学生時代の同級生とは思えない発言。僕の先生ではない。
次第にその態度がエスカレート。会うたびにバカ扱い。高校時代のありもしなかったことを上げて、僕の愚かさを指摘。努力を求めるようになった。そして自分の優秀さを誇る。次第に人格を踏みつけるようになり、付き合えなくなった。あれこれ調べると、彼はある種の精神病だった。
同じ病気の人は100人に1人いるという。それも先進国にしか病人はいないと言う。その後、彼はどうなったか[?]分からない。でも、FBには彼と似たようなタイプの人物がいる。そして意味不明の批判を書き込んでくることがある。そんな時、あの友人は今、どうしているのか[?]考えてしまう。
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知らない人から辛辣なアドバイス=その背景を推理 11月11日 [「沖縄狂想曲」]
FBで辛辣な意見を書き込んで来る人がいる。それはいつも「いちげんさん」だ。背景を考えてみた。彼ら彼女らは日頃、コメントをくれない。なのに「常連さん」が絶対に書かない、辛辣て的外れの意見を書き込むことがある。
その背景を考えた。「上から目線」「私は絶対に正しい」「教えてあげる」「あなたは分かってない」「私は分かっている」文章に、いろんな思いが見え隠れする。
なぜ、彼らは日頃、コメントをしない相手に、突然あれこれ指示するのか[?]いや、本人に言わせれば「指示ではない親切な提案」なのだろう。だが、その多くは人生や価値観を、押し付けるようなコメントである。
だが、アドバイスとか助言というのは、信頼関係がないと成り立たない。敬愛する先輩。付き合いの長い友達。それらからの言葉は素直に受け入れる。例え厳しいものでも「彼がいうのだから、一理あるかも[?]」と考える。では、かつてコメントをくれたこともないFB友達では[?]
あれこれアドバイスしたとしても、素直には聞けない。むしろ「お前。誰だ。偉そうに」と思えてしまう。意見を受け入れるには、その人に対する信頼や尊敬が不可欠。プロフィールも書かれていないFB友達が、プライベートなことを上から目線で語っても、素直には聞けない。
その種の人たちはなぜ、あれこれ提案したり、説教したりするのか[?] 多分、狭い世界で生きているのだろう。友達が少ない。或いはいない。テレビばかり見ている。本ばかり見ている。そんな環境にいるのではないか[?]
多くの友達がいれば、会社で働いていれば、自分の意見がいつも、正しい訳でないことを実感する。偉そうに意見したりしない。そんなことをしたら顰蹙を買う、嫌われることもある。だがもし、友達がいない。会社で働いてない。本やテレビばかりの生活をしていたらどうか[?]
バラエティ番組を見て「タレントってバカだなあー」と思う。本を読んで分かったつもりになる。対人経験が少ない。他人がバカに見える。FB記事を読むと「この人。分かってないなあー。教えて上げよう」と、上から目線でコメントするだろう。
こちらから見ると「誰やお前[?]何様や」となる。上限やアドバイスをするには、信頼関係が必要なこと、理解してないのだ。だから、知らない人に対して、あれこれアドバイスしてしまう。例え正論であったとしても、知らない人から、あれこれ指摘、指示されるのは不快。
でも、対人経験が少ないと、そこに気づかない。それどころか拒否されると「親切で言ってあげてるのに、愚かな人ね」と感じてしまう。それが、その種の「いちげんさん」の背景ではないか[?] いきなり説教コメントが来る背景。それだとと考える。
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手術前なので、暖房をつけようー電気代、気になるけど。−11月11日 [「沖縄狂想曲」]
病人にこんなコメント送るかなーどう言う人なのだろう。ー11月11日 [「沖縄狂想曲」]
大きなお世話コメント。もう1人紹介しよう。ここしばらく僕は「闘病日記」を書いている。病気をすることで、どんな気持ちになるか[?]どんな辛いことがあるか[?]いろんな面から綴っている。いつか映画にするときの資料にもなる。
だが、友人の励ましコメントで、心傷つくこともある。病人の気持ちが理解できない人もいる。それらの記事を読んだ、ある「友達」。こんなコメントをしてきた。「もう、いい加減。愚痴を書き続けるのは、やめませんか[?]」ーー意味が分からない。
その「友達」も例によって「いちげんさん」だ。いつもコメントを、くれる人ではない。若い女性のようだが、背景は分からない。医者でもない。業界の先輩でもない。映画関係者でもないだろう。街角で、急に「愚痴はやめませんか[?]」と言われるような感じ。
何より、僕が書いているのは愚痴ではない。悪意のない言葉でも、病人は傷つくことがあるーと言う話。その背景には60代以上の男性は、相手の気持ちを察する力を失いがちである社会背景を分析した記事だ。
その友達は、それを愚痴だと解釈したようだ。日本人はよく「愚痴」と「分析」「反省」を混同する。「終わったことは忘れて、未来のことを考えよう」とか言う人もよくいる。だが、それでは同じ失敗を繰り返すことにも繋がる。
別の記事でも書いたが「愚痴を言うな」は支配者にとって都合のいい言葉でもある。「文句を言わず、働け」と言う意味現実で、あることも多い。分析し反省することは大切。それを「愚痴」と決めつけ「書くべきではない」と提案した来たようだ。
例によって「いちげんさん」ー愚痴を書いているのではないこと。返信で伝えた。が、その答えには触れず「私は批判していませんよ」と返事。さらに、皮肉が並び「あなたは、そういう人だと思ってました」と書かれていた。
さらに気になったのは、「脳梗塞で長文は読めない」とお願いしているのに、そのコメントはかなりな長文。そのことを再度、伝えると「保存して、長文が読めるようになったら読んでください」と返事が来た。
なぜ、いちげんさんのコメントー配慮のないものに対して、そこまでせねばならないか[?] また、そこまで要求するのか[?] かなり変わった人とは思うが、人に何かを提案する態度とは思えない。だが、極々たまに、その種の理解不能のコメントは来る。
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大きなお世話コメントー書き込むのはいつも「いちげんさん」−11月11日 [「沖縄狂想曲」]
時々だけど、日頃コメントをくれない「友達」が辛辣のメッセージを書き混んでくる。脳梗塞の発症時。病院でもらった大量の薬を飲んでいる記事を書いた。「薬が多しぎますね。どれか一つにしませんか[?]」というコメントが来た。
同じ薬を多量に飲んでいる訳ではない。それぞれに必要なもの。さらに投稿者は医学関係の人ではない。単に「薬が多い」→「いけない」→「減らした方がいい」→「でも、医学の知識なし」→「単なる印象」なのだ。
もし、それで僕が薬を減らして病状が悪化したら、どうするつもりか[?]責任を取ることは出来ない。おまけに、その友達。かつてコメントをくれたことはない。言い換えれば、街角を歩いていて、薬を飲む人がいた。声をかけて「薬はやめた方がいい」と言うのと同じ。
医学や薬学の知識もない。その人と親しい訳でもない。なのにプライベートなことを提案するのと同じ。これはテレビを見ていて「このタレント、バカだな。こんな仕事は断ればいいのにー」と呟くのと同じ。大きなお世話ーでしかない。
テレビに囁くのなら、誰も迷惑はかからない。それを歩FBで本人にコメントしてくる。テレビとネットの違いが、把握できてない人たちなのだと思える。
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