友人で「小説家を目指す」「映画監督になる」と言う奴がいた。−11月6日 [「沖縄狂想曲」]
高校時代の友人。「将来は作家に」と言いながら、20歳を超えても執筆せず、サラリーマンを続けていた。20代でライターになったが、30歳を過ぎても書かず。その後、連絡がなくなった。その後、検索しても彼の名前がついた小説は見つからない。
同じく映画監督を目指していた後輩がいた。20代から「〇〇なシナリオ書くので読んでください」と言われていたが、何年経っても連絡がない。10年くらい経って、ある製作会社で再開。プロデュサーからこう言われていた。
「何でもいいから、まずシナリオ書けよ」まだ「書く書く」と言って書いてないらしい。それからさらに20年が経つが、いずれの友人も、本もシナリオも目にしない。
2人とも「俺はいずれ作家になるんだ」「映画監督になるんだ」と言うことで、周りから特別な存在と思われる。そのことで気分がいい。だが、書くと評価される。「作家を目指す凄い奴」ではなくなる。だから書けなかった。書かなければ批判されない。
しかし、50代、60代になると、そのレトリックは通じない。彼らはどうしているのか[?] もしかしたら作家になってるかもーと、時々は検索してみるが、まだ彼らの名前は見つからない。
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関西の「ぼちぼち、行きまひょ」という言葉ー本当に言葉通りの意味なのか 11月6日 [「沖縄狂想曲」]
もともと、この言葉は変だ。関西人はスピード感を大事にする。「イラチ」が多い。落ち着きがない。喋り方も早い。もちろん例外もあるが、スピード感を大事する。なのに「ぼちぼち、行きまひょ」という言葉がある。
僕の経験だと、この言葉を使う人は「焦らずに行きましょう」という意味では使わない。面倒臭い。やるのが嫌だ。という時に「ぼちぼち、行きまひょ」と言う印象がある。要は政治用語の「検討して行く」と同じ。「何もしない」と言う意味ではないか[?]
何年か前の知事選でも、この言葉をキャッチ付レースにした候補がいた。このスピード時代に、何を言うのか[?]という感じ。行政こそスピードが大事。その候補は橋下に負けて落選した。
以前、映画の協力を頼みに行って言われた。「焦っても、いいものは出来ない」静岡の人なので「ぼちぼち」とは言わなかったが、同じ意味。その時すでに映画準備は5年目。
その段階で「焦っても」ということ自体がズレている。映画は勢いが大事。結局、その人は何の協力もしてくれなかった。「焦るな」とか「ぼちぼち」という人が行動するのを見たことがない。時代に取り残されるだけ。そんなこと思い出した。
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