誘導されては行けないー自分の思いを伝える大切さ。−11月10日 [「沖縄狂想曲」]
いろんなことを僕はfbに書く。映画製作日記としてだけでなく、考えていること、感じていることも書く。それを批判する人もいる。「愚痴を言うな」「悪口はやめろ」「不満をfbで、ぶつけるな」というのだ。昔から思うが、その発想は、ある種の人たちに乗せられている。
支配する人たちにとって、都合のいい言葉ばかり。つまり国民は「愚痴を言わず」「悪口を言わず」「文句を言わず」黙って働け。支配者に従えといってるようなもの。どうも日本語は支配者側に都合のいい文言が多い。
まとめると「文句を言わず、黙って働け」と言うこと。さらに僕が書いているのは「愚痴」ではなく「反省」。「悪口」ではなく「分析」。「文句」ではなく「批評」だ。乗せられてはいけない。黙っていたら、利用されるだけ。あれこれ考えて、発信しよう。
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病気の時は友人に電話すべきではない[?]ー説明しても治ったと思割れる。?11月10日 [「沖縄狂想曲」]
一時は極々、親しい友達には電話していた。が、何人もの勘違い。病気が回復したと思い込んだ。そんなことは一言も言わないのにー「おめでとう」と言われたりした。
中には「あと、半年ほど入院してれば良かったのに−」とか冗談を言う友達もいた。が、全く笑えない。嫌味にしか聞こえない。多くは「電話してきたのだから完治したんだ」と判断しがち。説明しているのに「声が元気そうだから」と治ったと思い込む人もいた。
誤解する友人を責めるべきではない。電話した僕がいけない。だから、完治したと思われたのだ。いつものつもりで冗談を言う。特に関西の友達は辛辣なことを言う。なのに電話した僕がいけない。だから、電話は控える。それが大事なのだ。
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障害があると言うことーなかなか理解されない=11月10日 [「沖縄狂想曲」]
今朝からある人の住所を探していて、名刺ファイルを取り出した。いろんなフォントの文字が溢れていて目眩。脳梗塞で文字があまり読めないので、多量の文字に拒否反応が起きるようだ。
直後は全く字が読めなかった。その後、リハビリを続けて、二行まで読めるようになった。が、それ以上は厳しい。一行空けて文章が続くなら何とか読めるが、かなり消耗する。
そのことは何度か書いたが、長いコメントを書いてくる人はいる。中には「読み辛ければ、コピーして分割して読んでください」と書いてあるコメントもある。でも、内容は重要なことではない。
ただ、書くーは短期間で回復した。それだけに「これだけ書けるんだから」と当然、読めると思う人もいる。だから、繰り返しお願いするしかない。しかし、文字が読めないだけで、大変なのだ。目の見えない人たち。もっと大変のはず。そのご苦労を考えると、あれこれ考えてしまう。
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新作映画の宣伝で悩んでいる。ー沖縄基地問題への関心度=11月10日 [「沖縄狂想曲」]
やっと見つけた ハードディスクの中で行方不明の動画=11月10日 [「沖縄狂想曲」]
新作映画のマスコミ発表。来週に延期。−11月 [「沖縄狂想曲」]
今週中に発送したかったが、メインスチールが決まらなかった。映画を象徴する1枚の写真だ。「ジョンウィック」なら銃を構えるキアヌスリーブスの写真。「インディジョーンズ」ならあの帽子を被ったハリソンフォードの顔写真。だが、こちらはドキュメンタリーだ。
インタビューした方の写真だと、その人のドキュメンタリー映画と重和がち。米軍の戦闘機だと、戦闘機を紹介する映画に思える。米軍基地の写真も難しい。ゲートの写真を見ても、それが米軍基地だと分かりづらい。
では、何がいいのか[?] あれこれ考えながら沖縄で撮った大量のスチール写真を確認。それでも足りず、映像素材もチェック。それで昨日は終了。今朝も起きてすぐに作業開始。現在5時半AM。両目ともに半分が失明しているので、長時間パソコンに向かうと疲れが酷いー。
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体調は少しずつ良くなっている。が、そう書くと−11月10日 [「沖縄狂想曲」]
この数日、朝起きると頭痛ー風邪の兆候か[?]?11月10日 [「沖縄狂想曲」]
新作映画のマスコミ発表。来週に延期ー11月9日 [「沖縄狂想曲」]
僕のFBは日記ではないー記録であり、反省の場である。−11月9日 [「沖縄狂想曲」]
このFacebook。皆、いろんな使い方をしている。日記として日々を記録する人。宣伝ツールとして商品報告や仕事の展開を伝える人。映画の感想を載せる人。いろいろだ。
僕は主に映画制作の進展を伝えるツールにしている。映画とは別に日々の生活の報告もする。が、同時にそれは友達への近況便りだけではなく、自身の記録としての意味もある。
辛かった。嬉しかった。苦しかったーも綴る。いいことだけではない。今回の病気も克明に報告している。ある意味で人生の記録。いつかシナリオを書くときに資料にもなる。辛い思いは忘れる。物語を作るときに思い出せるように記録するのだ。
それを「愚痴を書いている」「情けない」と批判する人。極々たまにいる。先輩で「人前に愚痴を晒すな」と怒って来た人もいたが、そんなつもりはない。自信を取材した記録なのだ。
「人の悪口を書くべきでない」と言う人もいたが、悪口ではない。誰であるか[?]分からないように、あれこれ脚色して書いている。誰かを批判したいのではない。どうも日本人は辛い話を繰り返すと=「愚痴」と解釈しがち。辛いことを見つめることで、ドラマが生まれる。
そこから目を逸らしていては「表現」の仕事は出来ない。何が原因で、誰の責任で、問題が起こったか[?] それを把握することが、次の仕事に繋がる。「終わったことをグジグジ言うな」というが、グジグジと反省しなければ、同じ失敗を繰り返すのだ。
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