サラリーマンはつらいよー安定した生活の代わりに失うもの [「沖縄狂想曲」]
60代以上の男性。元サラリーマン。信じられないほど無神経な言葉を吐く。それも相手を応援するつもりで、見事なくらいに最悪の言葉をぶつける。背景を考えた。
友人が信じられない暴言。応援のつもりでコメントしてきた話。先に書いた。僕が映画の仕事をしているのを、応援してくれている。なのに、そんな発言をする。少し言葉を選べばいいのに、いい大人がなぜ、それが出来ないのか[?]
高校時代の友人にも同じタイプがいた。若い頃は多感な青年だったが、長年サラリーマンを続ける内に、無神経なことを言うようになる。その背景にあるのは会社生活。上司から無理難題を言われる。「業績を上げろ。もっと製品を売れ」それでなくても長時間労働。月給も安い。
「やってられないよー」と思う。が、上司に食ってかかっても無意味。「はいはい」と言って注意は聞かない。転職しようか[?]と考えたが、条件のいい仕事はない。仕方ないから今の会社にいる。あれこれ考えても暗くなるだけ。なるべく考えない。給料分だけの仕事をする。
そうして、よくいる疲れたサラリーマンに成長。あれこれ気を遣わない。分析しない。背景を考えない。考えても無駄。ため息が出るだけ。それは仕事だけでなく、日常や友人関係も同じモードになってしまう。要は会社員というのは、会社の歯車になるということなのだ。
高校時代に作家を目指していた友人。いつしか夢を語らなくなる。無神経な発言が増える。感性も鈍くなり、的外れな意見しか言わなくなった。あれこれ相談する存在だったが、感性が錆びきっていた。僕は当時から映画監督を目指していたが、彼と会う機会は減って行った。
高校時代はあれこれ、教わることが多かった友人。愚痴を言うだけの、鈍いおじさんになってしまった。そんな友人と同じような生活をする人たち。60代になると、どうなるのか[?] 信じられないような妄言を笑顔でしてしまう。熟年離婚の背景も似た構図だと思える。
、
60代を超えた男性ー人を踏みつけているのに気づかない −11月8日 [「沖縄狂想曲」]
死んだ母が晩年。もう80近くになってこう言った。「今からでも離婚しようかと思った」そう憤っていたことがあった。長年暮らしていて、父の無神経さは熟知しているだろう。なのに、そこまで激怒する理由が分からなかった。
が、この数年。その意味が分かってきた。60代以上の男性。本当に気が回らない。長年のサラリーマン生活の影響。失言などというレベルではない。人の魂を踏みつけるようなこと、平気でいうことがある。批判ではない。良かれと思って発言した言葉だ。
ある友人。僕が今回の病気になって、こんなコメントした。「生きているだけで丸儲けー」明石家さんまの言葉だが、病人に言うべきものではない。両目ともに半分失明。一生治らない。脳の一部が死んだ。こちらも生涯治らない。一生背負う障害だ。なのに「生きてるだけで丸儲け」とコメントして来た。
五体満足な友人が、障害者となった者に送る言葉だろうか。「目が見えなくても、脳が死んでも、生きてるだけで丸儲けだよー」そんなことが励ましになるのか[?] 励ましになっていない。嫌がらせでしかない。
だが、似たようなコメントを送る友人は、他にもいる。全員、60代以上の男性。元サラリーマン。母が80代で離婚しようと思ったのも、似たような背景だろう。サラリーマンを長年していた男性に、同じようなことを言う者が多い。その背景。いずれ解説する。
、
普天間基地は移転しない[?]ー辺野古は新基地建設。そのトリックを解説。 [「沖縄狂想曲」]
F社の陰謀[?]ー基地問題には拡散したくないのか 11月8日 [「沖縄狂想曲」]
障害を持つ人の悔しさーその一端を痛感したこと 11月7日 [闘病日記]
言葉を司る脳が損傷すると、うまく話せなくなる。その様子を見て「知恵遅れ」であると判断してしまう人もいる。幼い子供に話すかのように「それでー。もう、朝ごはんは食べたのかなー」とか言ってしまう。
本人は言葉が出ないだけで、知識もあり、大人の考え方が出来る。が、自分より若い人から、そんな言い方をされることがある。まるで子供扱い。悔しい。が、言い返せない。そんな思いをすると聞いた。
僕もこのFBで似たような体験をした。「わー長文が書けるんですねー」「凄いじゃないですかー」とか、幼い子供と会話しているような口調のコメントが来た。僕はもう60代。脳梗塞直後、文章が書けなくなり、リハビリしている時期だった。
物凄く腹が立ち。そのことを伝えたら「すみません。そんなつもりはなかったんだけど」というかと思った。それが「ムカつくーーー」と、物凄い批判コメントが来た。
どうも、その人は子供扱いした意識がなかったようだ。無意識に反応していただけ。でも、こちらからすると、子供扱いどころか、バカ扱いされた思える。文章が書けないと聞いて、無意識に知的障害だと思い込んだ。だから子供に話すような言葉を使ってしまう。
以前に聞いた話を思い出した。子供扱い、バカ扱い。言葉が不自由なだけで、上から目線。障害を持つ人たちの苦しさ。言い返すことも出来ない。その悔しさの一端を感じた。
。
重い病気は理解しずらいー悪気はないが、心傷つくコメントも来る 11月8日 [闘病日記]
かなり回復が進んでいるーと書くと、また「完治。おめでとうー♪」とか「もう大丈夫だねー」と慌て者の友人がコメントしてくる。だが、2回目の手術はこれから。治療も続く。その種の早取りりの言葉。悪意はないが、本当に傷つく。
一部ではあるが、重い病気が想像できない人もいる。脳梗塞に心臓機能も低下。一つ間違えば僕は、再起不能だった。それは回避したが一生名乗らない障害も残った。そんな状態で「完治。おめでとう」という電話をして来た友人がいた。
「目が見えない」と伝えても「大丈夫だろう」と思った友人もいた。ま、僕は昔から「太田は殺されても、死なない」と思われていた。だから、そんな解釈をされる面もある。
だが、今回は1つ間違えば再起不能。尊敬する大島渚監督と同じ病気。彼は言葉が不自由になり、車椅子。手を動かなくなった。監督業を引退した。僕もその可能性があった。
実際、両目ともに半分を失明。心臓も危険な状態。手術はこれから。なのに「完治。おめでとうー」は最大級の嫌がらせにしか感じない。もちろん。それら友人たちに悪意はない。だが、ことらは絶えられない。まだしばらくは、友人との連絡は控える。
。