時代の大激震が始まったー日本が変わる。−11月19日 [「沖縄狂想曲」]
手術が終わったばかりーここ数日は大人しくしている。−11月19日 [「沖縄狂想曲」]
明日。11月20日(月)新作映画。公開のプレス発表❣️ [「沖縄狂想曲」]
時代が変わる予感ー来年、大激震か? 11月19日 [「沖縄狂想曲」]
さて、病気以外のことを書こう。昨日、あの方が死亡したニュースが流れた。もう何年も前に亡くなっているーとの話も聞いていた。だとすると、今回この時期に発表した理由。何だろう?
ジャニーズ事務所の崩壊も、ジャニー喜多川が死んで何年も経ってからだ。宝塚の件も長年、闇に葬られていたのにスポットが当たった。光を当てることが出来なかった組織に、次々にスポットが当たっている?
自民の不人気。米国ではトランプが大人気。全てが繋がっているのではないか? ウクライナ問題もすでに、ロシアが勝利しているという話。プーチンが中心に、国連以上の団体をスタート。米と欧州は孤立?
世界的な変革が、密かに進んでいる?江戸幕府の崩壊も、庶民はすぐに気づかずにいたと聞く。今また同じことが、展開しているような気もする。
・
心臓血管手術。始末記ー発症から手術成功まで。まとめた。−11月19日 [「沖縄狂想曲」]
あれこれ病気のこと以外。記事にしている。が、もう一度、今回の手術について報告させてもらう。ほぼ今年一年、闘病。全ての原因は心臓。20年にも渡り、無茶な仕事ばかりしていた。なので、心臓機能が低下し20%になった。
もう、心臓停止になっても、おかしくない数値。そのために血がしっかり流れなくなる。脳にも血が届かなくなり、脳梗塞。脳の一部が死に、両目を半分失明。それで慌てて検査。心臓機能が低下していることが判明した。
実はそれまで「喘息」と診断され、その治療を続けていた。が、実は心臓機能の低下により起こる心臓喘息だった。それに気づかず、気管支の薬を飲み続けていた。脳梗塞が起こり、徹底検査をしてようやく原因が判明した。
*
そこで心臓機能の低下。原因を探らねばならないのだが、弱り過ぎていて検査が出来ない。おまけに心臓には水が溜まっている。それを排除し、機能回復からスタート。半年近くにも渡り薬を服用。ようやく水が出て、機能回復が始まる。
が、これで完結ではない。なぜ、心臓が悪くなったか?その理由を解明せねばならない。そのためのカテーテル検査。なんと血管にカメラの付いた管を入れて撮影。そのことで血管が数箇所、狭まっていることが分かる。
そのせいで血の流れが悪くなる。心臓にも血が十分に届かずに機能低下。そこで血管が狭まっている3箇所を広げる手術。だが、心臓から出ている太い血管3本全てが、細くなっている。
まずは最初の2本。カテーテル手術。金属を入れて血管を広げた。1回目は簡単な手術。だが、2回目は大変。レントゲン撮影したものを見たが。血管が細くなっていると言うより、枝分かれしていた。まるでヒヤシンスの球根の根。
*
どれが元の血管か?分からないほど細い。こんなものを治療できるのか?担当医も言葉を失っていた。が、その難しい手術を数日前に受けた。枝分かれした血管。その中のオリジナルの部分にカテーテルを挿入。
かなり長い距離が細くなっている。その上、折り曲がっている。そこで3本のカテーテルを血管に差し込み、細くなったところを広げる。これが大変だったらしい。
血管が細く硬くなっていて、カテーテルが入らない。予定時間を超えて作業。でも、何とか成功した。これで狭まった血管が通常の太さになり、血を流すことができる。
手術後。1日経過を見た。今回は熱も出ない。痛みもない。薬の副作用で少し蕁麻疹が出たが、痒みは出なかった。予定通りに翌日は退院。こうして8ヶ月に渡った治療は一応、完結した。
*
あとは経過を見る。月一で病院には通うし、大量の薬はまだ飲み続けなければならない。が、体の中をしっかりと血は流れ出した。ま、これまでも苦しい!とか、血が足りない!という自覚症状はなかった。良くなったという実感はない。
が、もし、喘息にならず。脳梗塞も起きずにいたら? ある日、突然に心臓が苦しくなり、バタンQということもありえた。あれら症状は危険を知らせるものでもあったのだ。まあ、そのせいで限りなく障がい者に近い状態で、杖を使うことにはなった。目もよく見えない。
それでも監督業は何とか続けられる。脳梗塞で手足が動かなくなること。話がしっかり出来なくこともある。大島渚監督がまさにそれ。そのことで引退した。僕もそうなっていても、不思議ではない。が、目が半分見ない。脳の一部が死んだだけで済んだ。
これからの人生不自由ではあるが、仕事は続けられる。新作映画も来年早々に公開だし。新たな戦いも始まる。あれこれ考えることの多い病気体験だった。
・
病人になり理解したー壮年男性の悲しき人生。無自覚に周りの人を傷つける?=11月19日 [闘病日記]
2日前に退院。まだ、親しい友達には連絡していない。でも、多くの友人はfacebook、x、ブログのどれかをやっている。僕の近況を知っているはず。
ただ、友人たちも高齢化。ネット対応できない連中も、増えている。「メール以外は使わない!」というアナログな友人もいる。その辺の友人には少し前から連絡を止めている。
ま、通常、重い病気の時は本人から連絡しない。病人は連絡より治療第一。また、友人たちも、気を使い病人には連絡しない。だが、僕は親しい友人には、連絡していた。それがよくなかった。
中には勘違いする者もいて、手術前に「完治。おめでとうー!」とか電話してくる者もいた。僕が何度か連絡したので、勝手に「元気なった」と思い込んだのだ。
今回の手術。心臓は回復したが、脳と目は一生治らない。障害者の一歩手前だ。なのに「完治。おめでとう〜」は、最大級の嫌がらせにしか思えない。他にも無神経なコメントを送ってきた者がいた。
*
「再起不能かと思ったよ〜」「あと1ヶ月くらい入院じゃないか〜?」冗談にならない。どれだけ病気に苦しんだか? 現状を理解しない友人たちが、冗談のつもりでコメント。だが、それらは嫌がらせ、中傷にしか感じられない。
だが、そこに2つの背景がある。僕は61歳になるまで、大きな病気をしていない。入院もない。病院通いもない。骨折もない。歯医者でさえ、30年以上行かなかった。いつも元気。映画製作では7人分の仕事をする。友人たちには「太田は不死身!」という印象さえある。
「お前は殺されても、死なないよな」「ジャングルで遭難しても、生き残るタイプや」と言われる。高校時代から、そんな印象。だから「大病で再起不能になる可能性がある」という現実。想像できなかった。
それらのタイプの友人は、ネットをやらない。詳しい状況を知らない。昔のイメージで判断している。対して今回のことを詳しく伝えているのに、理解しない友人もいた。「ブログを毎日、書いている」「声が元気そうだ」という理由で「元気そうだ。問題ない」と判断したという。
だが、ブログには詳しく病状を書いている。電話でも、かなりヤバい状態を伝えている。なのに「問題ない」と判断した友人たちもいる。文字や言葉で伝えているのに、なぜ理解しなかったのか?
*
一つには先のグループと同じ。「太田は不死身!」という印象。その思い込みで、言葉や文字でいくら伝えてもピンと来ない。あるいは、別の理由。これは僕に対してだけではなく、歳を取ると落ち入りがちな発想だ。
「どーせ」「結局は」「しゃせん」と、過去のパターンに当てはめて判断してしまう。それで現実を分かったような気になる。これは脳の老化でもある。年取ると。多くの人がハマりがち。頭が硬くなるーと言うあれ。
親しい友人は「太田は元気。大病とは無縁」という固定概念。そして「どうせ大したことない」「元気そうに話している。完治したんだろう」という思い込みをした。中には病状を正確に知りながら「生きているだけで、丸儲け!」という応援コメントを送って来た者までいる。
これには心底、落ち込んだ。明石家さんまの言葉を引用したのだが、見舞いにも応援にもなってない。言い換えれば「失明しても、脳が死んでも、生きてるだけでラッキーだ」というのと同じ。彼はそこまで考えず。励ましになると思ったのだ。
50代以上の男性には、この種の無神経な発言をする者がいる。元気な時なら、2倍にして言い返す。だが、病気で弱っている。2日間、寝込んだ。信頼している人に、この種のことを言われるのは応える。あれこれ見ていると、60代以上の男性にこの種の発言が多い。
*
想像してみた。彼らは長いサラリーマン生活。自身の仕事をこなすために奮闘する。他人の気持ちを思いやる余裕がなくなる。高校時代の友人でも、会社員になった者は30代、40代、50代と歳を取るたびに無神経になり、気が回らなくなって行った。
多くの会社員は与えられたことをする仕事。あれこれ気を回したり、裏を読んだりしても疲れるだけ。だから、「考える」のを止める。と言うと、友人の1人が「失礼なことを言うな。俺だって考えている!」と怒っていた。だが、その友人こそが「考える」のをやめた代表だった。
商売人や芸能関係。出版関係。あるいは会社員でも、違う部署の者。彼らは、その種の反応をしない。客相手に、仲間に対してあれこれ考えることが求められるからだ。対して多くのサラリーマン。あれこれ気遣いをしていては、自分が壊れてしまうのだ。
対して飲食業は客の気持ちを考えて、サービスせねばならない。ところが平均的なサラリーマンはあれこれ考えず、指示された作業をやるだけ。それぞれに30年以上も続けると、その思考が基本になるだろう。あれこれ気を使わない年寄りになってしまう。
それが熟年離婚とも、関係するように思える。定年後に妻と2人切りになる。そこで会社モードで話をすれば、妻は怒り出す。うちの両親もそうだった。「70歳を超えて離婚しようと思った」と母はボヤいていた。
*
会社員一筋の父は、思いついたことを何でも言ってしまう。会社でも同僚や後輩にそう言っていたのだろう。社員なら我慢する。そんな男たちが、家庭に戻る。妻に疎んじられ、子どもたちにも嫌われる。家族を経済的に支えて来たのに無視。あまりにも悲しい。
そんなこと。病気をしたことで、友人たちの対応を見ることで、感じた。だから、彼らを傷つけないためにも、僕が彼らの失言に傷つかないためにも、もう少し健康を取り戻してから連絡する。
。