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病人になり理解したー壮年男性の悲しき人生。無自覚に周りの人を傷つける?=11月19日 [闘病日記]

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2日前に退院。まだ、親しい友達には連絡していない。でも、多くの友人はfacebook、x、ブログのどれかをやっている。僕の近況を知っているはず。

ただ、友人たちも高齢化。ネット対応できない連中も、増えている。「メール以外は使わない!」というアナログな友人もいる。その辺の友人には少し前から連絡を止めている。

ま、通常、重い病気の時は本人から連絡しない。病人は連絡より治療第一。また、友人たちも、気を使い病人には連絡しない。だが、僕は親しい友人には、連絡していた。それがよくなかった。

中には勘違いする者もいて、手術前に「完治。おめでとうー!」とか電話してくる者もいた。僕が何度か連絡したので、勝手に「元気なった」と思い込んだのだ。

今回の手術。心臓は回復したが、脳と目は一生治らない。障害者の一歩手前だ。なのに「完治。おめでとう〜」は、最大級の嫌がらせにしか思えない。他にも無神経なコメントを送ってきた者がいた。

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「再起不能かと思ったよ〜」「あと1ヶ月くらい入院じゃないか〜?」冗談にならない。どれだけ病気に苦しんだか? 現状を理解しない友人たちが、冗談のつもりでコメント。だが、それらは嫌がらせ、中傷にしか感じられない。

だが、そこに2つの背景がある。僕は61歳になるまで、大きな病気をしていない。入院もない。病院通いもない。骨折もない。歯医者でさえ、30年以上行かなかった。いつも元気。映画製作では7人分の仕事をする。友人たちには「太田は不死身!」という印象さえある。

「お前は殺されても、死なないよな」「ジャングルで遭難しても、生き残るタイプや」と言われる。高校時代から、そんな印象。だから「大病で再起不能になる可能性がある」という現実。想像できなかった。

それらのタイプの友人は、ネットをやらない。詳しい状況を知らない。昔のイメージで判断している。対して今回のことを詳しく伝えているのに、理解しない友人もいた。「ブログを毎日、書いている」「声が元気そうだ」という理由で「元気そうだ。問題ない」と判断したという。

だが、ブログには詳しく病状を書いている。電話でも、かなりヤバい状態を伝えている。なのに「問題ない」と判断した友人たちもいる。文字や言葉で伝えているのに、なぜ理解しなかったのか?  

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一つには先のグループと同じ。「太田は不死身!」という印象。その思い込みで、言葉や文字でいくら伝えてもピンと来ない。あるいは、別の理由。これは僕に対してだけではなく、歳を取ると落ち入りがちな発想だ。

「どーせ」「結局は」「しゃせん」と、過去のパターンに当てはめて判断してしまう。それで現実を分かったような気になる。これは脳の老化でもある。年取ると。多くの人がハマりがち。頭が硬くなるーと言うあれ。

親しい友人は「太田は元気。大病とは無縁」という固定概念。そして「どうせ大したことない」「元気そうに話している。完治したんだろう」という思い込みをした。中には病状を正確に知りながら「生きているだけで、丸儲け!」という応援コメントを送って来た者までいる。

これには心底、落ち込んだ。明石家さんまの言葉を引用したのだが、見舞いにも応援にもなってない。言い換えれば「失明しても、脳が死んでも、生きてるだけでラッキーだ」というのと同じ。彼はそこまで考えず。励ましになると思ったのだ。

50代以上の男性には、この種の無神経な発言をする者がいる。元気な時なら、2倍にして言い返す。だが、病気で弱っている。2日間、寝込んだ。信頼している人に、この種のことを言われるのは応える。あれこれ見ていると、60代以上の男性にこの種の発言が多い。
  
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想像してみた。彼らは長いサラリーマン生活。自身の仕事をこなすために奮闘する。他人の気持ちを思いやる余裕がなくなる。高校時代の友人でも、会社員になった者は30代、40代、50代と歳を取るたびに無神経になり、気が回らなくなって行った。

多くの会社員は与えられたことをする仕事。あれこれ気を回したり、裏を読んだりしても疲れるだけ。だから、「考える」のを止める。と言うと、友人の1人が「失礼なことを言うな。俺だって考えている!」と怒っていた。だが、その友人こそが「考える」のをやめた代表だった。

商売人や芸能関係。出版関係。あるいは会社員でも、違う部署の者。彼らは、その種の反応をしない。客相手に、仲間に対してあれこれ考えることが求められるからだ。対して多くのサラリーマン。あれこれ気遣いをしていては、自分が壊れてしまうのだ。

対して飲食業は客の気持ちを考えて、サービスせねばならない。ところが平均的なサラリーマンはあれこれ考えず、指示された作業をやるだけ。それぞれに30年以上も続けると、その思考が基本になるだろう。あれこれ気を使わない年寄りになってしまう。

それが熟年離婚とも、関係するように思える。定年後に妻と2人切りになる。そこで会社モードで話をすれば、妻は怒り出す。うちの両親もそうだった。「70歳を超えて離婚しようと思った」と母はボヤいていた。

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会社員一筋の父は、思いついたことを何でも言ってしまう。会社でも同僚や後輩にそう言っていたのだろう。社員なら我慢する。そんな男たちが、家庭に戻る。妻に疎んじられ、子どもたちにも嫌われる。家族を経済的に支えて来たのに無視。あまりにも悲しい。

そんなこと。病気をしたことで、友人たちの対応を見ることで、感じた。だから、彼らを傷つけないためにも、僕が彼らの失言に傷つかないためにも、もう少し健康を取り戻してから連絡する。














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