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漫画と違い、文章はなかなか進まない。頑張る。 [戦争について]

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漫画と違い、文章はなかなか進まない。頑張る。



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カツカレーではなく、 かつハヤシライス! [2021]

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カツカレーではなく、

かつハヤシライス!



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LA留学時ー最初に住んだ大学のドミトリー。 [思い出物語]

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Google マップは凄い。アメリカの建物さえ画像で見ることができる。で、留学時代に住んでいたアパートを探してみた。写真ー上側の白いビルは1985年5月に初めて住んだ場所。USC(南カルフォルニア大学)のドミトリー。4人部屋のアパート。トイレ、風呂共同。2ベッドルーム。キャンパスまで15分ほど。

正面入口を入るとポストがあり、その横にエレベーター。それで3階へ。廊下を直進した右側が部屋。アメリカ人2人、香港1人。そして僕だ。2ベッドルーム。それぞれにアメリカ人はすでに入居、残りの部屋がアジア組になった。僕よりあとで入居したのが香港から来たピーター君。中森明菜のファンですぐに仲良くなった。

ここからLA生活がスタート。まずは英語コースで勉強。ただ、この地域は危険で夜歩くのは危険。ここに4ヶ月ほど暮した。最初は憧れのアメリカ生活だったが、数ヶ月で様々な困難が始まる。


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Facebookでは批判、反論、議論は出来ない=それらが成立しないメディアなのだろう。 [2021]



Facebook友達の記事、書き込まれるコメントを見ていると、明らかな勘違い? 思い込みの指摘がよく見られる。いや、もちろん、その人が正しくて、僕が勘違いのこともあるだろう。が、その記事、コメントを読むと整合性がない。論理性がない。決めつけている。真面目に物事に向き合っているのは感じるが、おかしな答えを出している。

それが、コメントをくれる常連さん。あるいはよく知る「友達」である場合。その指摘が違うことを伝えようか? と思うことがある。ちょっとした事実を紹介することで、その指摘が間違いであることが分かる。でも、考えてしまう。以前にそうやってお伝えしたことがあるのだが、反論が来て長々とやり取りすることになった。短く事実を伝えることで理解してもらえると思ったが、その方は思ったより事実関係も知らず、事件の発生から経緯を説明せねば分からないことが発覚した。

通常、記事にするくらいの長い長い文章が必要。それを1人のためにコメント欄にあれこれ書き込む作業はなかなか大変。一言で済むと思ったのがハズレ、延々レクチャーしなければならなくなった。こちらから返事をし、書くのが面倒だからと投げ出すのも失礼だが、その人のために時間をかけてレクチャーするように文章を書くのもどうか?「後は自分で調べてください」と言うのも無責任だ。

でも、その方は礼儀正しく受け答えしてくれて、自身に思い込みがあったことを理解してくれた。ところが、一言伝えただけで「***はどうなんだよ!」「あいつは嫌な奴なんだよ」と感情的に猛反発。やりとりが出来なくなったこともある。いつも言う「議論が出来ない日本人」論理ではなく感情で物事を考える。いずれも昔々の話だが、そんな頃からコメントに対しても、「友達」の記事にしても、あれこれ言わないようにしている。

また、問題を指摘することは「大きなお世話」でもあり、考えようによってはネトウヨと同じ行動。頼まれもしないのに「違うんだよ」「分かってねえなあ」と寄ってくる。最近は「陰謀論好きだね〜」という輩がいるが、中には丁寧に指摘してくる人もいるが、その種の人たちの指摘は往々にして思い込みであることが多い。つまり、頼まれもしないのに、あれこれ言う人はネトウヨでも、そうでなくても、思い込みが強い人で、何ら迷惑をかけられてもいないのに「違うよ」と言いたくなる。別の言い方をすればお節介な人たちなのだ。

僕が「この人、勘違いしている」と思ったように、彼らも「こいつ、分かってねえなあ」と思っているのだ。が、指摘して納得する人は少なく感情的になる。理解してくれる人でも時間と労力をかなり取られてしまう。いずれにしてもプラスはない。そんなことがあるので、他人に対してあれこれ言わないようにしている。あるいは別記事にして、その指摘が間違っていることを解説する。

これが現実の友達なら、どんな思考をし、どれだけの知識があり、どんな性格か? 分かるので説明しやすいが、Facebookでは顔も本名も分からない。年齢も、職業も非公開。分かるのは性別だけ。そんな状態であれこれ説明するのは難しい。にもかかわらず、あれこれ議論をしたがったり、批判や反論をしたがる人が多い。が、そもそもFacebookでは出来ない環境なのだろう。同じ趣味の人が語り合うとか、近況を伝え合うとか、そのためのメディアだと思える。


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相変わらず、過労からの回復 [2021]

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「3歩進んで2歩下がる」だ。ここ数日、毎日サラダを食べて、少しでも歩くようにして、駅までの往復もできるようになった(以前は途中でリタイヤ)春の訪れも感じ、もう復活だ!と思ったら、昨日は体調悪く、ランチの後に胃がもたれて、自宅に戻って仮眠。気付いたら日暮れだった。

これでは昨年暮れと同じ。どーなってるの?と思うが、それでも以前の健康状態は地下9階。そこから毎日、階段を1つずつ上がるような形でようやく地下2階くらいまで来た感じ。振り返ると確実に良くなっているが、毎日1段ずつくらい、たまに調子良くてもまた1階下に転げ落ちることもある。緊急事態宣言が終わる頃には動き出したいのだが。気持ちばかりが焦る。


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個性派俳優、脇役が大切=「半沢直樹」を見終わって感じたこと? [映画&ドラマ感想]

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悪役メンバーについて記事にしたが、その他の俳優についても書きたい。このドラマ。本当にいい俳優がたくさん出ている。堺雅人については別の機会に長々と書くが、その他の人たちについて語りたい。おっと、一応僕もドラマを作る仕事をしている。ジャーナリストや評論家ではない。俳優さんとお仕事する立場だ。だから、評論や批評ではない。そして監督業は誰よりも俳優たちの凄さ。彼ら彼女らの力を知っている存在でなければならない。そんな立場からの思いを綴る。

前半戦で半沢と同僚のモロ師岡さん。仕事でお一緒したことがある。とても素敵な俳優さんで個性的。この手の俳優さんが周りにいてくれてこそ、いい作品ができる。二枚目や美女だけではドラマは出来ない。どうしても主役に目が行くが、その主役を輝かすのが脇の名優なのだ。昔の映画で言うと、大島組。つまり、大島渚監督のレギュラー俳優たちは本当に個性的で芸達者な人たちがいた。佐藤慶、小松方正、戸浦六法、出てくるだけで胡散臭い。何かが起きそうな気がする。

が、その手の俳優さん。多くが亡くなり本当に残念。岸田森さんも大好きな俳優で、彼が出演していると聞くと、作品が何でも見てしまった。あの樹木希林さんの昔の旦那さん。(その後、裕也さんと結婚)だから、自分が監督する時、知名度のある有名俳優も大事だが、芝居ができる個性派に出てもらうことが大事と考える。ご存知の方も多いと思うが、わが太田組も個性派が揃っている。メインどころは有名で演技派の俳優さんが何人も出ているので、気づかないかもしれないが、脇もメインに負けない個性がいる。

ガンマニアの酒屋さん。頭の硬い担任の先生。顔を見せない死神さん。枝野官房長官? 書道が嫌いな学年主任。熱血先生の親友。皆、個性的だ。そして本当に素敵な役者さんだ。そんな人たちがいてくれるから、感動作になる。とても大切な存在。その意味で「半沢」でもその手のキャストを真剣に探したことを感じる。繰り返しになるが乾先生はよかった。壇蜜もよかった。2枚目の若手があまりうまくなかったが、頑張ってはいた。この手のドラマは脇がとても大事。そこをしっかり決めていたところも、大成功の一員だと思える。

なので僕もその手の実力派、個性派を探すため、ここ数年、ワークショップをしていた。すでに数人の実力派を見つけている。次回作が決まれば、お願いしたいと思っている。



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「半沢直樹」2013年版。4日で全話見てしまった。=その魅力を解説。悪役編 [映画&ドラマ感想]

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「半沢直樹」2013年版。4日で全話見てしまった。=その魅力を解説。悪役編

見出すと止まらない。1日2話にしようと思ったが、後半に入ると1日で全話見てしまった。テレビドラマはもう見るべきものがないと感じていたが、やはり思い込みで判断してはいけない。これは見ないと現代を語ることが出来ない。

8年前とは言え、視聴率が2桁で大成功という時代。それなのに40%前後を取るのは物凄いことだ。そこに時代の反映がある。それがなければ数字は取れない。いかに多くの人が会社や組織で理不尽を感じ、屈辱を噛み締め、「倍返ししたい!」と思っているかがよく分かる。いろいろ魅力があるが、まずは悪役の皆様の話から行く。

日本の俳優は昔のような個性的な脇役。悪役がいなくなったと思えていたが、このドラマではそれらのキャラがとても大事。見ているだけでムカつく俳優が必要。そして演技力。悪役は力がないと演じられない。そこで番組ではまず、これまでにその種の悪役を演じたことのあるベテラン俳優を大集合。「金八先生」の乾先生、「相棒」の伊丹刑事。これも「金八」ラサール石井、利重剛(近々では「相棒」の犯人。谷村美月ゲストの時)他にもどこかで見た人たち。

そして無名だが、なかなかの俳優が数多く出演。「こいつら許せんぜよ!」と視聴者が思ってこそ、ドラマが盛り上がり、半沢を応援したくなるのだ。その敵のトップが香川照之。さすが先の猿之助の息子。軽めの芝居で大ボスを演じるのは見事。ただ、前半戦・大阪編の悪役・宇梶、ラサールが最初は関西弁なのに途中から標準語になるのはなぜか?シナリオは関西弁で書かれていたはず。あまりに出来ないので標準語でOKにしたのか? 関西人の私はとても気になる。

確かに関西弁は難しい。大阪近辺で育たなければなかなか出来ない。もし、関西弁が無理なら最初から標準語にすればいい。それを途中で変えるのはスタッフ、ディレクターの怠慢。その意味で並行して見ている「どてらい男」の出演者は皆、関西弁がうまい。というか?ネイティブな俳優がほとんど。関西テレビ制作なので地元から選んでいる。「半沢」に出ていた鶴瓶、の師匠・松鶴が猛造の師匠役で出ているが、かなりいい。その辺「半沢」でも関西系の芸人や俳優を起用すれば、あれらの役はもっと強烈になったはずだ。あのお二人がいけないのではない。とてもいい俳優さんだ。ただ、関西弁の役なら最初からできる俳優を選ぶべきだ。あるいはセリフを標準語にすればいいのだ。

このドラマには出ていないが、僕がよく知る俳優さん2人(誰もが知る有名な女優さん)ご両人共に関西出身ではないのに、関西弁が抜群にうまい!驚異的にうまい!多分、リズム感がずば抜けているのだと思うが、次回出演時は関西弁の役を用意したいほど。関西弁は俳優にとって大きな武器。もちろん、東北弁や九州弁もあるが、それらだと全国には聞いていて分からない人が出る。その点、関西弁は馴染みがあるので、ほとんどが理解する。そして標準語では伝えられないものを表現できる。

僕が映画を撮るとき。必ず、関西弁枠を作る。舞台がどこでも関西キャラを登場させる。そのことで笑いを取る。テイストや空気を変える。いろんな展開ができる。ハリウッド映画もよく見ていると、イタリア系のお笑いキャラがよく出ている。イタリアなまりのセリフで、コメディリリーフ。同じ役割なのだ。だが、関西弁は笑いだけでなく、涙も誘う。

僕の前作「明日にかける橋」では板尾創路さんに関西人のお父さん役で出て頂いた。娘(鈴木杏)と社の前での会話。あれは関西弁だから余計に泣ける。娘の彼氏との場面も心に染みる。あれが標準語ではあの感じは出ない。そして関西弁の出来ない俳優があの役を無理して演じたら、感動は生まれなかっただろう。板尾さんのネイティブな関西弁と見事な芝居があの場面を最高のものにしたのだ。

話がそれた。「半沢」の脇も皆良かった。先の板尾さんの話によると「悪役は演じていて楽しい」らしい。分かる気はする。が、「半沢」の番組サイド。ベテラン俳優たちにあれだけ嫌な役を頼むこと、気が引けたのか? どの悪役も見せ場があり、俳優として楽しい場面がある。そして悪いばかりでない面もあって、「エー、俺が悪役やるの〜」と思わないシナリオになっている。ここが憎い。

特に乾先生(誰だか分かるかな?)が最終回の会議で大逆転する場面とか、本当に見事。あのシーンの芝居ができること、役者身寄りに尽きるはず。それくらいにいい役だ。ある意味で香川照之の常務より、美味しい役かもしれない。さて、悪役について長々と書いたが主役の堺雅人についても書きたいが、さらに長くなるので別の機会にする。彼の凄さ。どう凄いか?意外に指摘する人がいない気がする。それは次回に。



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昨日、本日、共に19度。もう、春だ。 [2021]

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昨日、本日、共に19度。

もう、春だ。


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日本の戦争映画の遍歴を解説。その辺を知ることができた1冊。 [戦争について]

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GHQ統治を終えて日本は一応、自由に映画が作れるようになる。そこで作られた戦争映画。初期は反戦。「軍の暴走」「日本人は被害者」「悲劇の結末」という三要素が色濃く出ていた。これが後々までの1つのジャンルとなる。敗戦間もない時期。後悔と反省。軍に対する憤りが強い時代。脚本家には特攻隊の生き残りもいた。同じ過ちを繰り返さないことを彼らは映画と通じて伝えようとした。

その後。戦争を舞台にした喜劇。軍記物としての戦争映画が作られる。幅が広がって行く。興味深いのはその後、反戦というより、「日本人はいかに素晴らしい戦いをしたか?」的な日本万歳の映画が登場する。その代表が「明治天皇と日露戦争」である。その解説を読むと、まさに10年ほど前からに日本と酷似。小林よしのりの「戦争論」がヒットしたのと同じ背景なのだ。なぜ、「戦争論」がウケたか?は以前、詳しく記事にしたが、「明治天皇と」も全く同じ理由。敗戦でアイデンティティを失った日本人が「強い日本」に憧れ求めた背景があったという。

「戦争論」の場合は、20年を超える不況からアイデンティティを持てない日本人が強く勇ましい日本に憧れたのが背景。そういえばドイツも第一次大戦で敗北。巨額な賠償金を払うことで不況。そこに登場したのがヒトラー。「強いドイツを取り戻す」と主張する彼を多くの国民が支持し、第二次世界大戦へと踏み出す。日本も「戦争論」が支持され、「強い日本」に憧れる若者たち(だけではないが)の前に現れたのが「日本を取り戻す」と言ったあの人であり、若い層が強く支持した。

いずれもアイデンティティを国民が持てない時代に、独裁者が登場。国民はそれを支持してしまう。そして「強い」=戦争と重ねて行く。安倍政権も戦争の一歩手前まで進んだこと。思い出す。ま、気付いていない人も多いけど。話を戻す。そんな「日本は素晴らしい」という戦争映画も登場。今でもその種のバラエティ番組が多い。自信を失った国民はそのように自分ではなく誰かが頑張ることで、自尊心を満たそうとするのだろう。

そして戦争大作の登場。オールスターキャスト。巨額の制作費がかかった作品。松林宗恵監督の「太平洋の嵐」「太平洋の翼」等の作品。だが、彼を初め、当時の映画人の多くは戦争経験者。スペクタクルとして描いても、その背後には「戦争はいけない」という思いが流れている。が、予算のかかる戦争ものはやがて作られなくなって行く。それが復活したのが「動乱」であり「203高地」。その後、数年、戦争大作が作られた。「連合艦隊」「大日本帝国」「零戦燃ゆ」

だが、大作路線もやがてヒットしなくなり、戦争からの年月の経過で戦争を知らない世代が増える。映画でも「ウインズオブゴッド」のように現代の若者がタイムスリップして戦時中に行くというような作品が増えてくる。観客にとっても、戦争はリアリティのない遠い世界の話になってしまったのだと著者は指摘する。この本はこの時代で終わる。この後の解説こそを知りたかったのだが、時間が立たないと客観的判断ができないとのことだ。

そこで僕が続きを解説する。この後に登場する戦争映画。戦争ではなくファンタジーとして描かれたものが主流となる。戦後生まれ、それも僕より若い人たちにとって、戦争はビデオゲームと同様の位置づけ。「宇宙戦艦ヤマト」や「ガンダム」のような世界としてしか理解できないから。体験していないので、そういうアプローチしかできない。そこには悲惨さや反戦メッセーはなく、カッコよさ、スペクタクルというまさにビデオゲームでしかない戦争ドラマを描いている。

さらには先の「戦争論」あるいは「明治天皇と」と同じ背景にある「永遠のゼロ」という作品も登場。「日本人は素晴らしい」「日本は凄い」というアイデンティティを確認するために戦争を美化した作品も作られた。「男たちの大和」も近いものを感じたが、安倍政権前後はその種の作品が増えた。また、戦争をしたい政治家たちがいることで、テレビも萎縮。毎年、終戦記念日に放送されていた戦争ドラマが年々、減って行く。映画でも戦争の悲惨さを訴えるものが作りにくくなったと聞く。

それが戦後から現代に至る日本の戦争映画の系譜。戦後すでに「日本凄い」映画があったことには驚いたが、時代背景を考えると、今と同じ。国民はそのようなものを求めることがよく分かった。が、戦場にも行った経験のある松林宗恵監督もなくなり、戦争を知る多くの映画人はもう現場にはいない。だから、ファンタジーとしてしか描けない作家ばかりなのだ。そんな時代にどう戦争を伝えるか?大きな課題だと感じる。


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「半沢直樹」後半戦。ホテル再建編を見ている。 [映画&ドラマ感想]

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このドラマは殴り合ったり、撃ち合ったりはしないが、半沢は様々な人物と対決する。理不尽な方法で彼を追い落とそうとしたり、罠にはめたり。汚名を着せる。あらゆる手を使って、プロジェクトを邪魔。手柄を横取り。あるいは責任を押し付ける。が、半沢は毎回、全力でぶつかる。

それら場面を見ていて思い出すことがある。映画化作りでも同じことがある。映画は撮影だけではなく、それ以前に様々な対決がある。プロデュサーの対決。スポンサーとの対決。スタッフとの対決。地元との対決。対決して分かり合える時と、そのまま遺恨を残して終わりまで対決が続く時とがある。

特にPの対決は数えきれない。会社と癒着している俳優を押し込もうとする。すでに決まった俳優を下そうとする。製作費を抜く。表現の変更を強要。必要な場面をカットしようとする。「それはあんたの趣味でしかない!」ということを押し付けてくる。あるいは作品を利用して金儲け、関係者へ恩を売る。ピンハネして利益にする。そんなウジ虫のような輩は少なくない。その度に対決した。

他にもスポンサーが映画のことを知らずに、自分の業界のルールを押し付けてくる。スタッフに入り込み、自分の利益に繋げようとする奴。気に入らないからと、理不尽な文句を言って足を引っ張る輩。古い価値観を掲げて、強要するベテラン。デマを振りまいて喜ぶ人。いろんな人と対決した。

殴り倒すだけで済めば簡単なのだが、相手を理屈で押さえ込み、筋の通る理由で止める。自分の意見を通す。単に追放するだけだと、事情を分からぬ別の輩が騒ぎ出したりもする。時には僕が追い出されそうになる。自身が用意した企画を乗っ取られそうなこともあった。バカが相手でも時間とエネルギーをかけて説得、説明せねばならない。作品の演出の何十倍も労力と時間を費やした。

半沢ではないが、明らかに先方の責任であるのに、こちらに押し付けて謝罪を求められたことがある。土下座させられたこともある。だが、それで先方が満足して邪魔するのをやめれば、それでいい。映画が無事完成して、公開されれば、世間が評価を下してくれる。素晴らしい作品を作れば、時代が認める。

作品の中身だけでなく、映画を作ること自体が戦い。様々な対決を超えて完成させる。最近は多くのスタッフ、キャストが信頼してくれているので、対決することは少ない。だから、素晴らしい作品ができる。が、最初の頃は対決の連続だった。そんなことを思い出す。会社員なら、そんなことが必ずある。だから「半沢」を見ていて他人事ではなくなるのだろう。そして彼は見事に勝利する。それがこのドラマのカタルシスなのだ。


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