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Facebookでは批判、反論、議論は出来ない=それらが成立しないメディアなのだろう。 [2021]



Facebook友達の記事、書き込まれるコメントを見ていると、明らかな勘違い? 思い込みの指摘がよく見られる。いや、もちろん、その人が正しくて、僕が勘違いのこともあるだろう。が、その記事、コメントを読むと整合性がない。論理性がない。決めつけている。真面目に物事に向き合っているのは感じるが、おかしな答えを出している。

それが、コメントをくれる常連さん。あるいはよく知る「友達」である場合。その指摘が違うことを伝えようか? と思うことがある。ちょっとした事実を紹介することで、その指摘が間違いであることが分かる。でも、考えてしまう。以前にそうやってお伝えしたことがあるのだが、反論が来て長々とやり取りすることになった。短く事実を伝えることで理解してもらえると思ったが、その方は思ったより事実関係も知らず、事件の発生から経緯を説明せねば分からないことが発覚した。

通常、記事にするくらいの長い長い文章が必要。それを1人のためにコメント欄にあれこれ書き込む作業はなかなか大変。一言で済むと思ったのがハズレ、延々レクチャーしなければならなくなった。こちらから返事をし、書くのが面倒だからと投げ出すのも失礼だが、その人のために時間をかけてレクチャーするように文章を書くのもどうか?「後は自分で調べてください」と言うのも無責任だ。

でも、その方は礼儀正しく受け答えしてくれて、自身に思い込みがあったことを理解してくれた。ところが、一言伝えただけで「***はどうなんだよ!」「あいつは嫌な奴なんだよ」と感情的に猛反発。やりとりが出来なくなったこともある。いつも言う「議論が出来ない日本人」論理ではなく感情で物事を考える。いずれも昔々の話だが、そんな頃からコメントに対しても、「友達」の記事にしても、あれこれ言わないようにしている。

また、問題を指摘することは「大きなお世話」でもあり、考えようによってはネトウヨと同じ行動。頼まれもしないのに「違うんだよ」「分かってねえなあ」と寄ってくる。最近は「陰謀論好きだね〜」という輩がいるが、中には丁寧に指摘してくる人もいるが、その種の人たちの指摘は往々にして思い込みであることが多い。つまり、頼まれもしないのに、あれこれ言う人はネトウヨでも、そうでなくても、思い込みが強い人で、何ら迷惑をかけられてもいないのに「違うよ」と言いたくなる。別の言い方をすればお節介な人たちなのだ。

僕が「この人、勘違いしている」と思ったように、彼らも「こいつ、分かってねえなあ」と思っているのだ。が、指摘して納得する人は少なく感情的になる。理解してくれる人でも時間と労力をかなり取られてしまう。いずれにしてもプラスはない。そんなことがあるので、他人に対してあれこれ言わないようにしている。あるいは別記事にして、その指摘が間違っていることを解説する。

これが現実の友達なら、どんな思考をし、どれだけの知識があり、どんな性格か? 分かるので説明しやすいが、Facebookでは顔も本名も分からない。年齢も、職業も非公開。分かるのは性別だけ。そんな状態であれこれ説明するのは難しい。にもかかわらず、あれこれ議論をしたがったり、批判や反論をしたがる人が多い。が、そもそもFacebookでは出来ない環境なのだろう。同じ趣味の人が語り合うとか、近況を伝え合うとか、そのためのメディアだと思える。


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