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「ドキュメンタリー沖縄戦」 2月6日〜大塚シネマハウスで再上映。 [2021]



昨年、LAの映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。

日本全国28館で公開。大ヒット。

2月6日〜大塚シネマハウスでアンコール上映。

hp=> https://mikata-ent.com/m-cinema/709/


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監督が語る「沖縄戦」なぜ、この作品を製作したのか?  [2021]



いよいよ明日6日から

東京・大塚シネマハウスで再映!(12日まで)

太田監督が語る「沖縄戦」なぜ、監督したのか? 

何を伝えたかったのか? 

苦労したことは何か? 

全てを語る動画。

https://youtu.be/ag63_cmK2Q8


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「えんとつ町のプペル」 [映画&ドラマ感想]

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感動した!

日本のアニメは凄い。



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太平洋戦争=日本人は加害者か被害者か?背景にあるのは何なのか? [戦争について]

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漫画家小林よしのりの「戦争論」を読んだ90代の老人、著者に感謝の手紙を送ったという。戦争に行き、傷つき、多くの仲間を亡くした。が、今の時代になり、日本人はアジアで多くの人を殺した残虐な存在と言われ、孫にも軽蔑されていた。が、この本は「自分たちが国を守るために戦ったこと」を伝えてくれて嬉しかった。孫も理解してくれたというもの。

その老人は国策で戦争に送られた。殺さねば殺される戦場に行った。それを平和な時代になって、それもGHQの洗脳政策で「日本軍が暴走した」「日本が悪かった」という教育を受けた戦後世代から批判されると悔しいものがある。それを「戦争論」で「じいさんたちは勇敢に戦った」「日本を守った」と称えた。著者は言う。「日本人は被害者だという作品しか描けない。そんな空気がある。が、国を守るために戦った爺ちゃんたちを称えたい」この作品はそこからスタートしたと思える。しかし、そこが難しいところでもある。

戦後、その種の元日本兵は苦渋を強いられただろう。だが、称えると「戦争」自体に賛同することになる。だから、映画でもドラマで「日本軍」が悪かった!という方向で描く。「戦争論」の著者は「アメリカの罠にはまった」と主張。それは正しいが、今や同盟国であるアメリカを気遣い、多くの映画では米兵は登場せずに弾丸だけが飛んで来る。確かに著者の指摘通り日本はアメリカの罠にハマり太平洋戦争に参戦した。その意味では日本兵は犠牲者である。だが、戦闘で死んだアメリカ人も少なくない。その意味では加害者なのだ。

両方の面があるのに「立派だった」と称えることには疑問を感じる。ただ、著者のように直接、体験者と会い話を聞いて「あなたは加害者でもある」とは言えない。そして日本軍や政府の方針はどうだったか?は別にして、彼らは日本を守るために戦ったと考えているはずだ。その人たちに「戦争はいけないことです。犠牲者のことを考えなさい」とは言えない。命を賭けて戦った体験談を聞き、感動した著者が「立派だった」と描く。そこに戦争を語る難しさがある。被害者に会えば悲惨な生活を聞き「戦争はいけない」「アメリカ軍は酷い」と思う。が、立ち位置によって、いろんな正義や意味。価値観が存在する。

沖縄戦の取材をした時、若手の研究者からこんな話を聞いた。「戦争体験者からよく言われました。戦争を知らないくせに偉そうに語るな」彼らは戦後の生まれ。だから、体験はしていない。話を聞き、書物を読み、戦争を把握しようとする。それで意見を言うと体験者に批判される。死ぬような思いをした人がその経験を簡単に分析されれば気分が悪いだろう。「お前のあの怖さが、苦しみが分かるか!」と言いたくなる。だが、その研究者は言う。「体験がないからこそ、できることもあるはずです」ーその通りだと思う。あまりに酷い体験をすると、その事件を客観的に見れなくなる。家族を失っていれば敵を憎むはずだ。そのことで冷静な視点をなくす。

その研究者の指摘は大事。僕も戦争を知らない世代。爺さんは年寄り過ぎて戦争には行ってない。父親は若過ぎて徴兵されていない。身の回りには体験者がいない。だが、だからこそ「アメリカ軍にじいさんを殺された!」と言う憎しみはない。それどころか子供の頃からアメリカ映画にアメリカの音楽。ハンバーガーを食べて、毎日、コーヒーを飲む。おまけにアメリカの大学で学んだ。でも、だからアメリカの視点でも見れる。日本にいれば「アメリカ大好き!」と言ってられるが、実際に住むとアメリカの醜さも思い知る。そのことで別の視点で戦争を見つめられないか?

また、留学中の同級生は中国、韓国、台湾、インドネシアとアジアの人たちが多かった。彼らと知り合い、交流し、あれこれ学んだ。彼らの親、祖父母は日本軍に酷めに遭った人かもしれない。日本にいて勇敢な戦いをした元日本兵の話を聞けば、立派だと思うだろう。だが、そこで日本兵に殺されたかもしれない中国や韓国の人たちのことも想像してしまう。あのクラスメートの祖父だったかもしれない。英語クラスのアメリカ人の先生の父親が真珠湾にいたかもしれない。そう考えると、単純に「立派だった」とは思えない。

あれこれ考えていて、それら背景にあるもの。少しずつ見えてくるような気がしている。「日本人は被害者だ」「いや、加害者だ」「軍が暴走した」「日本を守るための戦いだった」いろんなことが言われるが、特定の背景にこだわり、一方的な見方をしても戦争の全貌は見えて来ないことを感じる。

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戦争論シリーズを読み終えて=戦争を賛美する作品から見えてくるもの。あえて反対側から考える大切さ? [戦争について]

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「新戦争論」というタイトルではあるが、何だか「世界情勢ー私はこう見る」的な作品になっており、初期とは方向が変わっている。さらにシリーズへの批判、賛同などに対する著者から総括的返答の章もある。第1巻が発売されたのが1998年。それから2015年まで17年に渡って描かれたシリーズ。それを今、読んであれこれ批評するのも違う気はする。小泉政権から安倍政権まで、日本の環境も大きく変わった。が、あえてそれらを俯瞰して考えてみた。

シリーズ第1巻はかなりの反響があり、多くがこの作品に熱狂したという。「日本軍は頑張った!」「特攻隊は素晴らしい!」「日本は悪くない」そんな側面を描いたことで、当時自信をなくしてた日本人たちは励まされプライドを取り戻した。が、同時にネトウヨを大量に生み出すことになる。そして著者は右翼と批判された。それがイラク戦争批判を描くようになると、今度はネトウヨたちから攻撃を受ける。結果、著者のいうところの右からも左からも否定されるようになる。

様々なバッシングもあり「3」では著者がかなり情緒不安定に陥り、意味不明のエピソードも多々あった。が、この「新」ではこれまでと違い加害者としての日本軍を描くなどの展開がある。ただ、漫画と映画。業界は違っても同じ表現の仕事をする者として、それも先輩であり、知名度も高く、僕の何千倍も稼いでいる作家を若輩者があれこれ批評するのは憚られるが、なぜ、このような作品を描いたか?を想像してみた。

先にも書いた通り、著者は幼い頃から体が弱く、相撲大会でも屈辱を経験(本人が作品内でも描いている)。そんな思いが命を捨てる特攻をした日本軍兵士に感動。称賛する作品を描いた。さらに背景には日本では「加害者としての日本人」を描きづらい環境ー「日本人は被害者である」であらねばならないという空気(映画の世界も同様だ)それとは違う側面を著者は探していて、特攻隊に憧れを投影した作品を描いたのだ。

それに感動したのが、のちのネトウヨたち。著者はそれを「本当の意味で作品を理解していない」と批判する。批評家も「戦争賛美」と批判したが、著者が反論する通り日本軍を賛美しても、戦争を肯定してはいない。これも著者のいう通り「読む力のない読者が勝手な解釈をして暴走した」(それがネトウヨ)読む力のない人たちは自分の都合のいいように解釈。そして、イラク戦争を著者が批判すると、あれだけ賛同していた彼への攻撃を始めた。

同時に「戦争を賛美している」と著者を批判していたマスコミがイラク戦争には反対せず、黙ってしまう。それらをまとめて、この巻では反論を描いている。マスコミや読者というのはいかにいい加減でご都合主義であるか? 特に読者というか、ネトウヨや一部の市民は「敵を作り、攻撃し、自分が社会に貢献しているかのような気分になる。安全圏から顔も名前も隠し、自分と意見の異なる者を叩く。要は日頃の不満解消であり、正義中毒。社会に参加しているという意義を感じたいだけの人たちが数多く存在する。

著者も同じような批判を綴っており、その辺は共感する。さらに著者が指摘するのは「人は信じたい情報しか信じない」これもその通り。例えばトランプの件でも、反対派は「彼が差別主義者で、ありもしない不正選挙で騒いでいるだけ」というニュースを見て「やっぱそうだよ!」と納得。支持者はちょっと怪しげなYouTuber情報を聞き「なるほど、そういうカラクリか!反撃あるな〜」と喜ぶ。反対派はメジャーマスコミでない情報を探したりしない。いずれも都合のいいニュースを聞きたい。他はブロックしがちなのだ。

そんな意味で、厳しく言えば、著者自身も作品初期の頃は同じようなところがあり、勇敢な兵士の話は取り上げても、犠牲になったアメリカ人兵士を見ようとしていない。「特攻は美しい」と言いながら、その攻撃で死んだアメリカ兵の家族のことは想像していない。先の著者の言葉通り「人は信じたい情報しか信じない」のだ。著者自身も同じことをしていた。

だからと言って著者を否定するものではない。「日本人は被害者である」と描く方が無難であり、受け止めてもらえる。「それは違うのではないか?』というのが著者の最初の思い。ただ、そこに個人の思いをダブらせたことから、ある種の方向に進んでしまった。が、彼は学者ではなく表現者であり「思い込み」の強さが必要な仕事。それを否定するならばクリエーターでなくなってしまう。自分が知らない生まれる前の時代の人たちに共感したり、同情したりできるのは「想像力」であり「思い込み」の力だ。それ無くして表現はできない。

ただ、「日本人は被害者だ」というだけでないベクトルを模索したにも関わらず結果、戦中と同じ「国のために命を捨てることは尊い」という価値観に行ってしまった。どんな意見も価値観も自由だが、表現として進むべきは、そちらではなかったように思える。それは「戦争」を見つめることではなく、無意識の中で著者は自分の心や過去を癒す作業にしてしまったのではないか?

もちろん、それが作家という人種の一面ではあるのだが、時代を逆行した価値観に向かったのは違うだろう。賛同されなければズレた価値観の作品で終わっていたが、多くの読者が賛同した。自分が日本人であるというだけでプライドを持てる、誇れる。不況時代の喪失感を癒すためにこの作品を読んだのだ。その辺のこと、実は著者も理解しており「啓発本」のからくりとして描いている。つまり、著者は自分の心の推移を把握理解したのだと思える。

作品を描くことは上から下に提供するということではなく、自身との戦い。自分が抱える暗闇や傷との対峙である。まさに著者はそんな格闘を15年ほど続けて来たのだ。また、題材である戦争というものが巨大で一言では語れないバケモノであることも大きい。様々な解釈があり、いろんな意味で利用される。多くの人々は騙され、そこにロマンや愛を感じたりする。が、その背景に大きな誘導があることを見ぬけない。そんな戦争を知る一つの道標として、僕はこの「戦争論」シリーズを読んだ。

ここから真実の歴史を学ぼうと思った訳ではない。むしろ「戦争賛美」(著者は違うというが)であり、ネトウヨのバイブルと言われる作品を読むことで何かが見えてくると思った。それは正解であり「日本人は被害者だ」というだけの作品では分からないものが感じられた。次は僕なりに戦争とは何か?に迫る番だと思える。



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アメリカが戦争を始める時のパターンを思い出してみよう。 [戦争について]

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アメリカが戦争を始める時のパターンを思い出してみよう。

太平洋戦争ー日本を経済封鎖、戦争に踏み切るしかないように追い詰める。1941年12月。真珠湾攻撃を受けたことで、当初は戦争反対が多数派だった国民が「リメンバーパールハーバー」と叫び、参戦を歓迎する。

第二次世界大戦ーナチスの台頭を様々な面で支援(フォード、デュポン、ウォールストリート等)、暴走を始めたら叩く。

ベトナム戦争ー南北の戦争。ストップ・コミュニズムを主張。南軍を軍事支援。1964年8月トンキン湾でアメリカの潜水艦が攻撃されたことをきっかけに参戦。のちにそんな潜水艦は存在しないことが分かる。

湾岸戦争ーイラクはクエート侵攻をアメリカ領事館に通達。返事は「我々は感知しない」とのことだった。1990年8月イラクはクエートに侵攻。その後、クエートの少女が国連でイラク軍の蛮行を訴え、アメリカが参戦する。が、その少女はアメリカのクエート大使の娘でクエートには行ったことがなかった。

イラク戦争ー2003年3月。イラクが大量破壊兵器を所持していると言うことでアメリカは戦争を開始。国連の承認なしに米軍独自で攻撃を始める。フセイン大統領は囚われ処刑されたが、大量破壊兵器は見つからなかった。

あと、戦争ではないが、似たような事件を紹介する。

チリの軍事クーデター=1973年。南米チリで起きた軍事クーデターは時のアジェンデ政権を倒した。彼はアメリカ支配に反対。独自の路線で進めようとしていた。アメリカCIAが画策、軍を裏から操り政権を倒し、アメリカに都合のいい政権にすげ変えた。

ピッグ湾事件=共産国で反米のキューバ=カストロ政権を倒すために、キューバからの難民をCIAが組織。軍事訓練をして、政府を倒す作戦を1961年4月に実行。が、キューバ軍が優勢。CIAの長官だったアレンダレスはアメリカ軍の援助を大統領に求めるが、拒否され作戦は失敗する。

その大統領こそがケネディ。その件がきっかけでダレス長官はクビになる。のちにケネディは暗殺され、その背景を調査するウーレン委員会のメンバーになぜか?クビにされケネディを恨むダレスが入っていた。

このようなことが10年に1度起こっていたのがアメリカ。どの戦争もアメリカが仕掛けている。敵が戦争を始めたら「世界の警察」「共産主義を倒すため」と攻撃。その国を支配下に置く。アメリカに都合の悪い政権があると、あれこれ工作して倒す。そんな戦争が止まったのが4年前から。そう考えると、あれこれ裏が見えてくるね。


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残るはこの二つのシリーズ。 [戦争について]

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残るはこの二つのシリーズ。




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