お役所から書類不備の連絡。 [2021]
大きなお世話コメントを毎日してくる人=誰にも相手にされない定年オヤジの悲哀? [社会政治]
大きなお世話コメントを毎日してくる人=誰にも相手にされない定年オヤジの悲哀?
facebookのコメントを見ていると、人との接し方が分からない。下手な人がいる。その人は毎日、コメントをくれる。批判や中傷ではない。好意的なもの。僕の映画を褒めてくれる。意見に賛同してくれる。着眼点を評価してくれる。だから「いいね」を押す。返信でお礼を言う。
その内に、意見を言い出す。提案をしてくる。注意をしてくる。「もう少し***勉強した方がいいですね〜」「その点は***を読みなさい」「その指摘は前にも外れたでしょう?」「努力が足りませんよ」いつしか先輩になり、師匠になっている。1ヶ月もかからず、会ったこともない人(それも年齢、職業、住居、全部不明ー男性ということしか分からない。顔写真なし)が、僕に対して苦言、説教をしている。
職業、年齢も分からないので、その人の指摘が正しいかどうか分からない。食生活に対する指摘でも、医者とか専門家ならまだ分かるが、それが分からないので信用できない。そもそも、こちらから相談はしていない。この種のタイプ。高齢の人に多いようだ。定年で仕事を辞め、家族にも相手にされず、それでも自分は知識があり、人の役に立てることを証明したい。それが自己の存在証明になる。
で、Facebookで面白そうな人がいると最初は応援。礼節があるが、次第に部下や弟子のような扱いをしていく(その変化を自身で認識していないことが多い。慣れてくるとかつての職場と同じモードになるのだろう)だが、それは仕事でも家庭でも相手にされない寂しさを癒す行為。苦言し、説教することで感謝されたい。自分も役に立ちことを証明したい。無意識にそう感じている。ただ、意識の上では「私は親切だから」「若い人を応援している」と思っている。だから悪気はない。
が、会ったこともないオヤジにあれこれ言われても、こちらはムカつくだけ。それが分からないようだ。どんどんエスカレート。「それでは立派な映画監督にはなれませんよ」とか言い出し「うるせえ! お前は何者だ!」ー結果「友達削除」。その人はまた、別の相手を探す。多分、反省はない。「親切に教えてあげたのに、残念だな...」と考える。そんな人を時々、見かける。
今、子供たちに伝えるべきは何なのか? =騙され続けた戦後70年。日本の教育、本当の目的は? [日本の教育]
今、子供たちに伝えるべきは何なのか?
=騙され続けた戦後70年。日本の教育、本当の目的は?
(2019年6月 再掲載)
学生時代。NHKの「若い広場」では「受験戦争」とか「学校」とかをテーマに討論する真面目な番組があった。「何のために勉強をするのか?」という話で、ある生徒が言った。
「何だかんだ言っても自分のためじゃないかなあ。勉強は嫌だけど、好きなことばかりやってられないし、自分を鍛えると言うことだと僕は考えています」
一方でアメリカ人は「楽しむ」と言うことを大事にする。「Aer you enjoing?」(楽しんでいるかい?)とよくいう。だが、日本では「楽しむ」と言うことに罪悪感を持つ部分がある。皆が働いているときに、俺だけ遊んでいていいのか?というような。
「遊んでばかりいたらダメだ。勉強(仕事)しなきゃ!」
そんな強迫観念はないだろうか? 僕より若い世代になる程、その意識が少なくなっているとは思うが、「遊ぶこと」「楽しむこと」はいけないことで「努力する」「学ぶ」「頑張る」と言うことが人として大切なこと。と言う意識が日本人には強い気がする。
だからこそ、戦後、お父さんたちは夜遅くまで働いて、日本を経済大国した。優秀な電化製品を次々に開発して、世界マーケットをを独占した。当時は漫画を見てもスポ根ものが盛ん。ひたすら努力と練習を続ける星飛雄馬がいて、ボクシングに青春をかける矢吹丈がいた。そんな漫画を読んで育った僕らの世代は「遊んでいてはいけない」「努力しなきゃ」と言う思いが強いのだろう。
勉強することは努力すること。自分を鍛えることと思い込んでしまったのではないか? 花形満が体を壊してでも鉄バットで大リーグボール1号を打つ練習をしたり(よく分からない方は読み飛ばしてください)星飛雄馬が腕の筋が切れるのを承知で、大リーグボール3号を投げたり(説明大変なので気にしないでください)力石徹が体重を落とすために倉庫に寝泊まりしたり(先と同じです)
そんな努力を「苦しくても頑張る!」と言う解釈にして、大人は遅くまで仕事をし、子供たちは勉強をした。ある先生がよく金八先生を真似て言っていたこと。
「勉強と言う字はー勉めてー強くなるーと書く。それが勉強だ」
「嫌だと思っても、勉めてやるから強くなる」
それは飛雄馬であり、丈であり、力石だ。そこまで子供が考えてはないが、無意識に感じた。そして大人たちは司馬遼太郎の小説の武将や勤皇の志士たちに自分を重ねた。
先の「若い広場」の生徒の発言。今、考えれば、勉強は「自分のため」ではなく、国が経済大国を目指す重要な戦力(優秀なサラリマン)となるための訓練だった。与えられたことを確実にする優秀なサラリマーンになる努力させられていることに気づかず。「自分のため」と思い込んでいたのだろう。
国のため、経済大国を目指すため、それ自体は悪いことではない。が、そのために猫も杓子も動員、国のためではなく、自分のためと思い込んでいる。思い込まされていることが恐ろしい。それは戦時中と同じ構図。だが、良い大学=>一流会社=>安定した生活という流れはもう過去のもの。これからは「与えられことをするだけの会社員」では通用しない。大人は、親は、子供達に何を伝えればいいのか?
春の訪れ、復活の足音 [2021]
まだ2月。一番寒い時期だが、ここ数日は春の訪れを感じる。風は冷たいが以前ほどではない。ヒーターをつけずに部屋で仕事できることが増えた。そんな春の足音と共に、体調もよくなってきた。と言っても3年間で2本の映画を撮った疲労困憊による過労は深刻で、この数ヶ月、自宅入院状態だった。緊急事態宣言とも重なったので助かったが、引退老人のような体力と気力しかなく、昨年末は映画館に行くのも大ごと。0時前には体力が尽きた。
一時よくなったこともあったが、過労は「三歩進んで二歩下がる」というパターン。翌週はまた自宅入院という繰り返し。だが、この数日は調子良く、走り出したい気持ちになって来た。これまでは横断歩道で信号が点滅すると、次の青を待とうと思ったが、今は「走って渡ろう」という気持ちなる。細かいことであれこれ弱気になったが、最近は「関係ねーよ」と思える。病んでいると気弱になるが、元気だと跳ね返せる。
何が良かったのか?考える。先日、訪れたいつものレストラン。コロナのためにサラダばーが休止。そこで自分で野菜を買って来て、毎日、大量のサラダを食べている。ま、「自分で買って来て」というところで、すでに復活の予感。これまではキャベツ刻む気力もなかった。で、大量に野菜。あと「どてらい男」。毎晩見ている。元気なる。励まされる。考えると今は、元気な時の5分の1位のパワーしかない。1日でできることが5日かかる。
まあ、何年も問題ある団体と仕事をすると、体力だけでなく、精神的にボロボロになる。映画「フォードvsフェラーリ」思い出す。F1でフェラリーに勝ちたい!というフォード社が、それを依頼した外部チームの足を引っ張るという現実にあった物語。まさにそれだった。間も無く60代になろうとしている。体力も落ちる。今度こそ過労死するかもしれない。相手は選ぶようにしたい。それでも次こそが遺作になるかもしれない。緊急事態宣言は3月まで続く、いずれにしても仕事はできない。もう少し養生して春には戦いを始める。
「どてらい男」見ていて思い出した、監督を目指していた若き日のこと? [思い出物語]
1973年から放送されたドラマ「どてらい男」amazonを通して、あるサイトで配信されている。これがめちゃめちゃ面白い。見ていて元気なる。高校時代に見ていた。先日までの展開。主人公・山下猛造が大阪の問屋に就職。初めての営業で散々な目に遭う。そして「立売堀の将軍さん」と言われる伝説の営業マンに言われる。「こうてくれ!(買ってくれ)と言うて、こうてくれる店なんてない。どーしたら品物をこうてくれるか?考えてみ?」ー思い出したことがある。
アメリカ留学を終えて帰国。映画監督を目指して行動を開始した頃。どうすれば監督になれるか考えた。そこで有名監督たちはいかにして監督になったか?調べた。日本の場合は助監督を10年務めて監督。でも、それは黄金期の話で、1980年代以降はそのパターンは激減。変わって学生映画出身の監督が抜擢されることが続いた。が、それも5年ほどで下火。その後は、別の業界で成功した人が監督したりと言うことが続いた。やはり、監督業は何か作品がないと、認められないようだ。
僕も学生映画をやっていたが、その頃の仲間は皆、夢破れて東京にはおらず、8ミリ機材がもう手に入らない時代。と言ってビデオでやるにはまだまだ機材が高価であり、難しい。仲間も、機材もない。金もない。どうすれば監督になれるか? 映画会社は「監督募集」なんてしない。「デューダ」や「とらばーゆ」にも募集はでない。考えた。実は高校時代に日本の映画事情だけでなく、アメリカの事情も調べていた。スピルバーグやルーカス。コッポラがどのようにして監督になったか?そんな中で印象的だったのがこれ。
USCで映画を勉強したロバート・ゼメキスとボブゲイル(両方とも先輩だ)はコメディの脚本を書き、スピルバーグに送った。それが気に入られて映画化。「1941」である。そこでチャンスを掴んだ2人はスピルバーグの製作であの「バックトウザフューチャー」を作る事になる。シルベスタースタローンは売れない俳優だった。その時代にボクシングの試合を見て閃き、脚本を書いた。ユナイトに売り込む。「俺が主演でこれがやりたい!」それが「ロッキー」だった。
映画を作るのは金がかかる。でも、脚本は原稿用紙とペンがあれば書ける(当時、まだワープロさえ普及していない時代)アルバイトをしながら夜、シナリオを書いた。朝まで書いた。1年がかりで1本。それを営業しよう。どこに営業すべきか? 当時はまだ制作会社なんて知らない。大きいところから当たろうと、東宝、東映、角川、松竹に順に連絡することに。「シナリオを読んでほしい。会社を訪ねたい。時間をいただけないか?」しかし、答えはこうだ。「そのようなことはしていない」「そんな暇な奴はいないんだよ!」
もう、全社に連絡し終わる前にショックで打ちひしがれて塞ぎ込んだ。ハリウッドは先にも紹介したような対応もあるのに、日本は門前払い。いや、電話の段階でアウト。どーすればいいんだ.......。と言うことがあった。「どてらい男」の主人公・猛造は将軍さんの助言で考えた。「どうしたら、品物をこうて売れるんやろ? ワシにできるプラスaって何やろ?」当時の僕も同じだった。「どうすればシナリオを読んでくれるのか?」この後、猛造は奇想天外な手を考え、行動を始める。失敗しながら、ついに注文を取り付ける!
このドラマは実在の会社・山善の創設者をモデルにしている。事実を踏まえた物語。だから、説得力がある。おまけに僕も似たような経験をしている。だから、余計に共感する。しかし、まあ、僕も、思い出すと、よくあんな八方塞がりの状態から、本当に映画監督になれたなあと思える。当時、誰もが「無理」「不可能」「お前、才能あるのか?」「いつまで夢見てるんだ!」「現実を見ろ!」「就職しろ!」と言われて続けた。が、今では6本の劇場映画を監督。
猛造もそうだが、周りの人たちがあれこれ言って、頑張る若者を潰してしまう日本の環境があるだろう。きっと、いろんな世界で可能性がある若者がいるはずなのに、大人たちが潰してしまう。漫画や作家の世界はまだ新人賞等の窓口があり、若手を探す気があるが、映画界は超閉鎖的。それに挑戦したのが、帰国した29歳の時だった。だから「どてらい男」他人事ではない。え? で、どうやって脚本を売り込んだのかって? 長い話になるのでまた別の機会にしよう。今晩も「どてらい」見なければ。