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罪なき人を責め追い詰めているのに、励ましていると思う人々=その背景にある無知と貧しい経験値? [健康]

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罪なき人を責め追い詰めているのに、励ましていると思う人々
=その背景にある無知と貧しい経験値?

過労でダウンした時。回復度の目安がある。と言って数値ではない。病気ではないので熱が下がるとか、咳が止まると言うこともない。だからこそ、他者からその苦しみが分からず、サボっていると言われがちなのだ。また、過労の症状はうつ病に近い。とにかく何もできない。1日中寝ている。頑張って何かしようという気が起こらない。食事も、風呂も、テレビもダメ。そんなことから後輩が

「監督。失礼ですけど、過労ではなく。うつ病かもしれませんよ?」

と言われたことがある。が、以前に一度、心療内科に行ったことがある。症状が似ている。僕自身、その時が過労で倒れた初めてで、過労を理解していなかった。あと、精神病に興味があったので、一度、精神科を訪ねてみたい!と思った。いつか映画で扱うかも?でも、精神科ではなく心療内科だと言われた。

面白いのは医者は白衣を着ているが、聴診器も当てないし、脈も計らない。ただ、話をするだけ。で、症状を話すと先生は大笑いした。

「それはうつ病ではありませんよ!」

僕は動けなくても「ここぞ!」というときは根性で起き上がり、何事もなかったように仕事に行く。でも、うつ病は根性で仕事には行けないという。なるほど。それは大変だ。その後、うつ病を少し勉強した。よく「心の風邪」という言い方をする。特別な病気ではなく、誰でもかかる可能性がある。症状に気づかないこともある。

簡単にいうと、心が「もう限界だ」と叫び出している状態。これ以上耐えられないと体に緊急指令を出し、全てを止めたようなことらしい。ある意味で病気ではなく、自分を守る作用なのだ。その意味では「過労」も同じだ。体が限界を超え、

「これ以上働くと死んでしまう!」

緊急指令を出して動けなくしてしまう。どちらも自身を守るためのものなのだろう。(「ウルトラセブン」最終回のモロボシダンのような状態なのだ。あれも誰か脚本家の過労経験から書かれたものかも?)

記憶喪失というのは、あまりに酷い体験をして、思い出すと生きて行けないような場合に起こるという。それも自身を守る作用だ。ただ、うつ病の場合は個人差がある。ある人には平気という環境でも、別の人には耐えられないものもある。個人活動なら人一倍できるが、集団活動だと強いストレスを感じるとか。

そんな状態を知らずに、「うつ病」というだけで非難したり毛嫌いしたりする人がいる。また、僕が過労で倒れた時(前回の記事で紹介)のようにステレオタイプの批判

「さっさと医者に行け」

という人もいる。過労は医者では治療できない。厳しい状態にいるときに、元気な者がさらに追い込むようなことを言う。人は本当に自身が経験していないことを理解するのが不得意な生き物だと痛感する。

話を戻す。うつ病でないことが分かったので、その後は映画が完成した後に倒れても、過労だと理解した。特効薬はない。とにかく休む。休めと言われなくても、何もできないが、時々、突発的に緊急事態が起きて駆けつけることもある。その後はまた振り出しに戻り、ゼロから静養になることもある。が、映画を撮るたびのことなので、回復状態も把握できるようになった。

回復① テレビでバラエティ番組を観れるようになる

回復②映画を観れるようになる(こちらの方が集中力が必要なのだ)

回復③近所のコンビニまで行ける

回復④近所の駅まで行けるようになる

回復⑤電車に乗れるようになる

回復⑥大きな街(新宿とか)を歩けるようになる

回復⑦映画館で映画が観れるようになる。

回復⑧長いメールが書けるようになる

回復❾友人と会って飲み会ができる!

という感じだ。「おー⑦まで行ったぞー」と思っても、また、②に逆戻りということもある。油断するとダメ。もともと、休みに日でも部屋でゴロゴロして、ビール飲みながら、テレビ観て.....なんてことが苦手なタイプ。なのに過労になると、本当に寝たきり老人。年齢も年齢だし。いずれ過労死するのかも?

しかし、沖縄戦の映画館公開を見届けずには死ねない。まだ、細かなことは決まっていないが、それを実現させずに終われない。



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過労でダウンと言っても10年前は理解されなかったが、なぜ、今は分かる人が増えたのか?=その怖い背景? [健康]

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過労でダウンと言っても10年前は理解されなかったが、なぜ、今は分かる人が増えたのか?=その怖い背景?


過労でダウン。と、記事に書くと多くの人が「ゆっくり休んでください」とコメントをくれる。ありがたい。が、10年以上前。「過労死」と言ってもピンと来る人が少なく、僕の周りではこんな意見が返って来た。

「疲れて動けなくなることなんて、ありないよな。そんな奴見たことないし!」

そう。動けなくなるまで働く人は少ない。が、こちとら毎回、7人分の仕事をしている。限界を超えない方がおかしい。そうなれば人はダウンする。体が悲鳴を上げ「もう無理!」というのが「過労」なのだ。ま、そういう僕もそんな症状があるとは知らず、あまりに体調不良で寝込んだので医者に行くと「過労」と診断された。

「過労を舐めたらダメだよ。休みなさい。出ないと本当に過労死するよ!」

そう強く言われた。が、友人たちは

「働きすぎで死ぬなんて、あり得ねえよ」

と笑っていた。こうも言われた。

「本当はサボりたいだけじゃねえの? 仕事したくないから理由つけて。だろ?」

彼らの共通点。経験がない。その友人も倒れるまで働いたことがない。だから「過労」を実感できない。彼自身が時々使う「言い訳をしてサボる」という経験に当てはめるしか理解できなかった。会社員の友人はいう。

「会社で100%の力を使うことなんて絶対ないよ。いつも60%。たまに忙しい時でも70%だな。それだけの給料しかもらってないしね?」

それが多くの会社員の発想なのだ。そんな人たちに倒れるまで働くと言っても想像できないだろう。映画の世界は違うのだ。特に監督は全身全霊でかかる。黒澤明監督だって、映画が完成したら毎回、入院していた。それが監督業だ。もちろん、手抜きして適当に仕事をする監督もいる。が、監督でなくても、多くのスタッフ、キャストが命がけで仕事する。それが映画作り。

そんな世界を知らない。自身で倒れるまで仕事したことがない。だから、「過労でダウン」と言われても実感できない。経験値に当てはまるのは「嘘をついてサボる」ということだけ。本当に人というのは、自分が経験してないことを実感するのが苦手なようだ。ある映画の時は関係者からこんなメールが来た。

「最近連絡がないと思っていたら、やっぱりね? そんなことだと思っていました。体が悪いなら悪いで、さっさと病院に行って治して、やるべき仕事をしなさい!」

この方も過労というものを理解していない。過労は病院に行っても無意味。医者にこう言われるだけ。

「とにかく仕事をせずに休みなさい!」

それしか手立てがないのだ。薬を飲んでも入院してすぐに良くはならない。働き過ぎで体の機能が低下。免疫力が落ち、内臓が弱る。機械だって連続して使えば壊れてしまう。機能が回復するまで休むしか方法がない。医者は言う。

「とにかく休めるだけ休みなさい」

また、その人が「やるべきことをしなさい」というのも不可解。僕は全ての仕事を終えるまで絶対に倒れない。毎回、全てやり終えてから。映画が完成、宣伝作業も終えたから、あるいは映画館公開を終えてから倒れる。そこまで精神力で支えるのだ。だから「やるべきこと」はもうなく、安心してダウンした。

このメールから分かることは、映画の関係者でありながら、僕の仕事内容や行動を把握していないということ。また、映画制作とはどんなものか?も理解していない。この人も過労で倒れるほど働いたことがないこと。過労も病気も一緒に考えて

「病院へ行け。さっさと仕事しろ!」

という定番の解釈できないということ。そして、その種の人がとても多いということだ。当時から過労死は新聞等でも騒がれており、猛烈サラリーマンが朝元気で自宅を出たのに、夜には会社から妻に電話。

「夫が過労死」

という記事は時々見かけた。が、多くの人はピンと来なかったのだろう。近い経験がないのだから。それがここ数年、ブラック企業で働かされて過労死や自殺が相次いでおり、働き過ぎで死ぬことを実感する人が増えたのだ。

実際、派遣労働者や契約社員は長時間働かされて、給与は低い。生活できるだけ働くと、とんでもない長時間働かなければならなくなり、疲労困憊。

「このままでは死んでしまう...」

という危機感を持った人が増えたということかもしれない。「過労」に倒する理解は増えたが、それはあまり喜ばしい世情ではない。ただ、僕は好きで映画作りをしており、毎回、遺作だと思ってかかる。だから、過労死しても構わない。

しかし、派遣業者にピンハネされるために給与が安く、そのために長時間働き、過労死したり、追い詰められて自殺するのは違う。間違っている。多忙だと目先のことしか見えなくなるが、大事なのはその背景を見ること。そこで笑っている奴らが必ずいるのだから。



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