「ドキュメンタリー沖縄戦」を楽しみにしてくれている皆様へ [お知らせ]
「ドキュメンタリー沖縄戦」を楽しみにしてくれている皆様へ
いつも、このブログを読んでくれて感謝。作品は今年3月に完成しているが、未だに上映準備が進んでいない。特に圧力がかかっていると言う訳ではないが、色々あって止まっている。
問題を解決。まずは、沖縄で完成披露試写会を計画。うまくいけばこの秋。それが実現できるように頑張っている。
すでに沖縄取材のエピソードは記事にしているが、上映が決まれば、沖縄戦に関することを詳しく書いていきたい。それまでは、あれこれ別の話も書いて行く。
戦後の全ては沖縄戦と関連しており、それらを見つめることで日本という国が見えてくる。上映に関しては決まり次第。また、このブログ上で発表させてもらう。
「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」内容紹介 沖縄戦ではアメリカ軍50万人VS日本軍5万人。 [沖縄の現実]
明日にかける橋ー6月15日 北海道の映画祭で上映! 太田監督と俳優・栩野 幸知さんによるトークショーあり。 [2019]
俳優になるために見た方がいい映画=でも、名優の芝居を見ても勉強にはならない?その理由は? [映画業界物語]
俳優になるために見た方がいい映画=でも、名優の芝居を見ても勉強にはならない?その理由は?
「演技のために見た方がいい映画」をよく聞かれる。その方向でいうなら名優と呼ばれる人たちが出ている映画。ということになる。
ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ、ダイアンキートン。
彼らが出ている映画で言えば
「タクシードライバー」「レイジングブル」「狼たちの午後」「ゴッドファーザーPART1&2」「レインマン」「クレーマークレマー」「ミスターグッドバーを探して」等々
もちろん、本当に凄い人たちの芝居は観ておいた方がいいが、だからと言って、それは俳優にとってさほど勉強にはならない。なぜなら、凄すぎて真似ることができない。常人ではない俳優がいることを知ることは勉強だが、真似しても、同じことをしても、近づくことさえできない。厳しい話だが、それが現実。
僕もいろんな俳優さんと仕事するが、凄い人は本当に凄い。超人タイプの代表的な俳優を挙げてみる。
「ストロベリーフィールズ」の谷村美月、佐津川愛美、三船美佳。「青い青い空」の長門裕之、「向日葵の丘」の津川雅彦、烏丸せつこ。「明日にかける橋」の鈴木杏、みんな物凄い。(俳優は超人タイプばかりではダメ。個性、カリスマ性、人間的魅力。いろんなタイプがある)
スポーツ選手でいうなら、オリンピック級だ。ウルトラCができる人たち。撮影現場で演技を見つめるスタッフもが涙する。観客を泣かすのは、演技だけでなく、カメラ、照明、編集、そして音楽があって初めて泣ける。それらなしで現場で泣かされるというのはもの凄いこと。スタッフはいつも冷静沈着。現場で泣くことはまずない。
ただ、彼ら彼女らの演技を見て勉強しようとしても、真似できない。同じように台詞を言い、同じ動きをしても天と地の差が出る。何が違うか? 分からない。それが才能?と思いがちだが、才能なんて存在しない。昔からそう思っている。
「資質」と「努力」。あとは「センス」。
それが俳優の力の内訳。その意味で僕の映画には、そんな超実力派の俳優たちがかなり出ているので、見てもらえば勉強にはなる。が、本当に意味で勉強になるのは名優の芝居を見ることより、別の形がいい。
「自分が好きな俳優の作品を全部見ること」
例えば大竹しのぶさんが好きなら、彼女の出演映画を全部見る。樹木希林が凄い!と思ったら、彼女の出演映画を全部見る。できたら舞台も観にいく。よく
「***さんの出演作見たけど、素敵だった。あんな俳優になりた〜い!」
という人がいるが、2〜3本見ただけ。「全作見ています!」という俳優の卵に会ったことがない。それはその俳優に憧れているだけ。その段階でアウトだ。
「好き!」「あんな風になりたい!」
という思いの背景にあるもの。それは自分と似た何か共通点を発見した時。身近に感じる。感情移入する。それが「好き」の理由。だとしたら、その俳優が演じた役を徹底して見れば、そこに自分にもできる表現が見つかるはず。それこそが技術になる。
ただ、俳優としてスタートすれば、その好きな俳優がライバルになる。だから、次に考えるべきことは
「その俳優には演じられない役」「でも、自分には演じられる役」
を、映画を見ながら考えること。それを見つけた時に、それを実践する。舞台でやってみる。その表現を自分のものにすれば、自分しか出来ない役が演じられる俳優になれる。
天才的な俳優の演技は見た方がいい。でも、真似ることはできない。近づくこともできない。それより「好き」な俳優であれば、共通点がある。そこからは学ぶことあるはず。これはワークショップでしか話さない、とっておきの話なのだが、今回特別に披露した。ただ、この方法。一つだけ注意点がある。それに気づかないと意味を成さない。長くなるのでそれは別の機会に書かせてもらう。
勘違い。逆恨みで嫌われる=それも映画人の宿命か? =毎回残る辛い思い。 [映画業界物語]
勘違い。逆恨みで嫌われる
=それも映画人の宿命か? =毎回残る辛い思い。
先に書いたが、ロケ地に選ばれなかったことで逆恨みしたレンストランの店長。最初から見え見えの応援。「わが町のアピールのため応援したい」と言いながら、店の宣伝に映画を利用しようとした。なるべき身銭を削らず、ロケ地と決めていないのに
「友達に言ってしまったから、撮ってもらわないと困る!」
というようなことを言い出し、撮影せざるを得ない状況に持って行こうとする。ロケされないと、事実とは違うデマを流して、批判。そんな人には嫌われても仕方ないと思える。
その記事=>https://cinematic-arts.blog.so-net.ne.jp/2019-05-09
ただ、その店と繋がりのある人たち。映画を応援したい人たちまで、店長の目を気にして撮影の手伝いに来れなかった。あるいは一緒になって悪口を言ってるのは悲しかった。これも「ムラ社会ルール」だ。問題を起こした店長を悪くいう人はいない。見て見ぬ振りをする人が多数。あとは
「それは酷いなあ〜」「あの監督ってそういう人なのね?」
撮影に参加できない人たちの気持ちも分かる。今後も付き合いのある店長と映画を天秤にかければ、店長との付き合いを優先したくなるのは当然だ。撮影隊はいずれいなくなる。その時は撮影に参加できても、あとあと何年も店長から嫌味を言われることになる。
しかし、映画を作ったことで喜んでくれた人の方が圧倒的に多い。町のアピールにも役立った。とは言え少数が嫌な思いをしても多数が喜んだのだからよかったとは言いづらい。その店長だけではない。映画製作をすると必ず、批判する人がいる。
「隣の店は撮影されて話題になったが、うちは関係ないので全然アピールされなかった。不公平だ!」
「女優さんにサインをもらえなかった!」
「俳優の写真を撮ったら怒られた!」
そんなことで気分を害したり、怒ったりする人たちもいる。が、上記は迷惑を被ったのではない。俳優の写真を無断で撮るのは違法行為。注意されるのは当然。サインも現場ではもともと禁止だ。撮影の邪魔になるから。俳優が芝居に集中できない。ボランティア・スタッフなのに、後で
「お金をくれなかった!」「騙された!」
「利用された!」「酷い!」
と言ってくる人。言って回る人もいる。
「前売券をくれない!」「DVDをくれない!」
と怒る人もいる。ボランティアは何ももらわないのが常識。前売券は映画館扱い=米を植えるのを手伝ったからと、コンビニで米をタダでもらえないのと同じ。DVDも同等。事前に説明しても、聞いてなかったり、忘れて批判したり、恨んだりする人もいる。「私は被害者だ」と訴える。ごく少数ではあるが、撮影中は本当にガンバって手伝ってくれた人もいるので、勘違いとは言え怒らせたまま終わるのは辛い。
近年まで、あれこれ悩んだ。迷惑をかけるのはいけない。が、迷惑ではなく、本人が違法行為、あるいは常識から外れたことをしている。勘違い。逆恨み。映画製作の範疇ではないことを求める人たちもいる。彼らは決して悪気はなく、善良な市民。そんな人たちから誤解であっても嫌われること。覚悟せねばならない。
ま、それでも大半の市民が喜んでくれて、映画は全国に発信。何億円分もの宣伝となるのだが、毎回、苦いものも残る。