編集が終わり、何もしなくていい変な朝? [編集作業]
何もしなくていい変な朝?
パソコンに向かい、作業する日々が終わった。昨年の12月から3月終わりまで4ヶ月。毎日、休みなし。大晦日も、クリスマスも、連休もなしに作業して来たが、それが3月末で終了した。あと片付けと、今後の展開の打ち合わせ等はあるが、パソコンに向かうことはなくなった。
編集作業の終わりであり、「沖縄戦」制作の終わりでもある。そして、2016年から続いた仕事の終了でもある。この3年。「沖縄戦」「明日にかける橋」「沖縄戦」と交互に作業が進行。休みなしで働いて来たが、ついに完結。めでたいとも言えるが、この先仕事はないので、経済的に大変だ。
この10年くらい。何だかんだで依頼があったり、プレゼンした仕事がゴーしたりで、仕事が続いたが、とうとう失業状態となる。これも言い換えれば休養期間かもしれず、少しばかり休まないと本当に過労死するので、それも大切だろう。また、勉強したいこともいろいろある。こんな時に出会った事がのちのち映画化になったりもした。
しかし、不思議な感じだ。朝、起きてFacebookに記事を書いて目を覚まし、編集作業が開始。そんな毎日が4ヶ月ほど続いていたので、それをしないでいる生活が何か変な感じ。長年務めた会社を定年して、今日から毎日が日曜日という会社員もこんな気持ちなのか? ただ、それなら恩給が出るが、映画の仕事はそうは行かない。
映画でなくても次の仕事を探しつつ、休養しつつ、勉強しつつ、いろんなことをしてみる。それが次の10年のプラスになるはず。
次回作は決まっていないが、題材はいろいろある? [2019]
次回作は決まっていないが、題材はいろいろある?
今、映画化したい題材。いくつかある。それを書いてしまうとパクられる恐れがある。以前、大手テレビ局にネタをパクられ大変な目に遭った。が、以下のものは真似ができないものばかりなので紹介する。
①1980年代シリーズの最新作。
「向日葵の丘」が1983年。「明日にかける橋」が1989年。まだまだ、1980年代は残っている。と言っても当たり年と外れ年がある。興味深いのはやはり1985年と1980年。この2つは僕に取っても大きな転機であり、日本が大きく変わった年でもある。その時代を舞台にした作品。
②「明日にかける橋」のおばちゃんたちモデルの映画、
素人の女性たちが寄付集めからスタート。最初は周りの理解を得られないが、次第に輪が広がり、街を上げての映画作りになって行くという市民の奮闘物語。「俺たちの交響曲」とか「同胞」(どちらも山田洋次関係)のような感動作になりそうだ。
③地方を舞台にした感動作。
ーこれは地方から映画製作依頼が来た時のもの。その地方に合わせた物語。その町の魅力を紹介しながら、感動のストーリーを描く。ネタはSF、ファンタジー、文芸ものといろいろあるが、そのまちに相応しいものを選ぶ。ネタはいろいろある。ただ、その手のものが続いたので、できれば次回は別ジャンルに挑戦したい。
④境界性パーソナリティ障害。
これまでの路線とは違う社会派。実は多くの患者が存在するが、精神病に近いものなので、マスコミは一切触れない。そのため、患者が事件を起こしても、人間関係のもつれとしか解釈されず、被害者があらゆる面で追い詰められて破滅するという事件が起こりやすい。でも、周りの人は気づかず、むしろ被害者を追い詰める行動を取ったりする。
それを映画にしてみたい!という思いがある。その症状を劇中で紹介することで、被害者も患者も救われるきっかけとなって欲しい。また、被害者が糾弾され、加害者が同情されるという構図は非常に日本的だ。なぜ、日本人は加害者を守り、被害者を皆で叩くのか? それも描く事ができる。ただ、この手の映画はスポンサーが付きにくい。
⑤「沖縄戦」の映画
ドキュメンタリーを作った事で、沖縄戦をかなり勉強した。同時に気づいたのは沖縄戦を題材にした映画は2本しかないという事。「ひめゆりの塔」(複数)と「沖縄決戦」だ。どちらも力作だが、戦争の表側しか描いていないのが気になる。悲劇の背景が分からない。
その部分を「ドキュメンタリー沖縄戦」では描いたのだが、それを劇映画でやるのはどうか? もちろん、戦争映画なので億単位の製作費が必要だが、これは誰かが描くべき作品。映画にする事で沖縄戦の現実を後世に伝える事、大事だ。
他にもいろいろあるが、それらの題材。次回作にできればと思っている。