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「思い込み」が強く何を言っても「俺は違うから!」「才能あるから!」と自信満々の若者。どう助言するべきか? [映画業界物語]

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「思い込み」が強く何を言っても「俺は違うから!」「才能あるから!」と自信満々の若者。でも、成功した例を知らない。どう助言するべきか?

「思い込み」の怖さについて前回書いた。それが子供の頃から強い人。強くない人がいる。強い人は「表現」の仕事に向いているが、強すぎると単なる「勘違い野郎」になってしまい人生を棒に振りがち。そう言う人を何人も見てきた。精神障害と紙一重、何の根拠もないのに

「俺は才能がある」「私は認められた」

「チャンスさえあればブレイクできる」

と思い込んで技術を磨く努力をせずにいる。それを笑えないのは、多くの若い者が

「飛行機事故に遭っても私は死なない」

と言う根拠のない自信を持っているのに近いものだからだ。ただ、僕は夢を追う若い人に「世の中厳しいので、現実を見ろ」とは言わないことにしている。若い頃に散々言われた言葉だからだ。でも、僕は10代からの目標である映画監督の仕事に就いた。だから今、

「俺は俳優になりたい」「私は作家になる!」

と言う人たちも、その思いを実現する可能性は十分にある。だが、思い込みが強く、技術を磨く努力をせずに、監督やPに取り入ることしかせず。何の実績もないのに

「見る人が見れば私の才能は分かる」

と思っている人たちが多い。その種の人は残念ながら目的を果たすことはできない。そんな若者にどう助言すればいいか?時々考える。考えたのは、まず、ありもしない「才能」や「実力」をなぜ信じてしまうのか?以前にも紹介したが精神病、精神障害ではそんなことがある。

「俺は霊能力がある!」

と主張する人。「私は神だ」と言う人もいる。その辺は医学の問題だが、そこまで行かないが強い思い込みで

「才能があるから、いつからブレイクする」

と言うありえないことを信じている若い人もいる。そのメカニズムを解説する。以前にも説明したが「思い込み」は「考える」工程で妄想や想像を交えて、無理やりたどり着かないはずの結論に結びつけてしまう。その場合、経験のなさ。知識のなさ。状況判断力の低さ。分析力の甘さが存在する。「小学校の楽劇会で褒められた」とか、これはまだ可愛いが、テレビドラマを見ていて、

「人気のアイドルがの演技が下手過ぎる。これなら私の方がマシ!だから、私の方がいい芝居ができる!」

と言う思いから、「女優になれる!」と思い込む若い人もいる。これのおかしな点は、テレビドラマは演技が上手いからと出演できるとは限らない。アイドルとして人気があれば下手でも、視聴率を取るために起用される。もし、仮に「下手だ」と思う人がそのアイドルより演技力があったとしても、人気、知名度はないので、ドラマに出演することはできない。そんな業界の事情を知らずに

「アイドルより私の方がマシ」=>「だから私ならドラマに出られる」

と言う間違った結論を出し、女優を志してしまう。そのアイドルの事務所の力で出演したかもしれない。その役は簡単そうに見えても、難しい役かもしれない。また、何より、すでにアイドルというのは大きなプラスであり「マシ」くらの演技力でドラマに採用されることはない。そのレベルは全国に何万人もいる。その中で自分のスペシャリティは何か?負けないものは何か? そこまで考えてはいないだろう。つまり、状況を分析し、なぜ、それが成立するのか? を理解する力がないので、

「演技下手なのにドラマに出ている」=>「私の方がマシ」=>「ドラマに出られる」

という都合のいい思考をしてしまう。だが、そんな若い人は多い。その背景となるのが、いつも書くことだが日本の教育だ。「考える力」を育てない。与えられたことを言われた通りにするのが今の教育。

物事のあり方。展開を客観的に考える。推理するという能力を育てる授業はない。与えられないと何もできない。やり方を教わらないと動けない。そんな教育の影響が大きい。テレビドラマを見る。演技力のないアイドルが出ている。先のような間違った解釈をしてしまうのは当然かもしれない。

また、「私は才能がある」とこれまた何かの間違いで思い込んだ若者は、技術を磨くということをせず「世の中コネだ」とか世間で言われることを真に受けてしまう。また、素人がよくいうように「大手事務所に入れば売り出してくれる」とまあ完全な間違いではないが、そんな簡単なことではないのに、それを信じ込んで事務所を探したり、PやDに取り入ろうとする。就職と同じ構図で考えてしまう。ある俳優事務所のマネージャーが言っていたが、

「事務所に入れると全てを段取りして、売り出してくれて、アイドルになれると思っている子が物凄く多い。ほとんどがそんなタイプ」

とのこと。これも与えられる教育の悪影響だろう。幼い頃から

「勉強しろ」「宿題しろ」

「単語を覚えろ」「数式を暗記しろ」

と言われて育って来たので、誰かがあれこれ言ってくれる。従えばいいと思い込んでいるのだ。芸能界はそんな世界ではない。いくら有名な大学を出ていても、与えられたことしかできない子達、考える力を持たない子たちが通用する場所ではない。しかし、そんな子は多い。

僕は夢追う子は応援するが、この手の子たちにかける言葉はない。そして説教しても理解しないことがほとんど。だから自分で気づくしかないと思うようになった。俳優になりたいなら、1年頑張ればいい。多少の現実が見えてくる。2年3年やれば答えは出る。

「なぜ、上手くいかない?」

その理由を考えればいい。が、多くはそこで「世の中甘くないんだ」という最も安易な結論を出して諦める。

でも、そこで「なぜ?」を考えれば次の道が見えてくるはず。甘くないのは当然のこと。実力や技術がないものが営業だけで認められるはずがない。それに気づいて本格的に俳優でも、歌手でも、アイドルでも目指せばいい。やり直しは効く。本当の戦いは「思い込み」が逃れ、自分で考える力を付けるところからがスタートなのだ。



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「思い込み」の強さは表現者に必要。だが、同時に「思い込み」で人生を失うこともある。 [映画業界物語]

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「思い込み」の強さは表現者に必要。だが、同時に「思い込み」で人生を失うこともある。

上から目線で偉そうに言う人は「思慮深くない。単純発想。いろんな角度から考えない。テレビ報道を鵜呑みにするタイプが多いと先に書いた。が、プラスして「思い込み」が強いタイプでもある。思い込みは芸術活動。クリエーターには武器になると以前に書いた。俳優なら

「俺は殺人犯だ」

「恋人は目の前にいる女優だ!」

と思い込むことで、役になり切れる。が、それは諸刃の剣。役の上ではなく、以前の記事で書いた新人俳優のようにテレビディレクターにちょっと褒められただけで、

「俺は認められた! 未来は明るい!」

と思い込み、有名俳優でも言わないような横暴な発言をするようになることがある。その構図と、上から目線が非常に近いものに思える。どちらも、大したことのないことを拡大解釈して、身の丈に合わない言動や態度を取ってしまう。そんな「思い込み」の強さは俳優を始めてとする表現者には大切だが、一つ間違うと命取りにもなる。

俳優だけではない。例えば、あなたが若い頃。飛行機に乗り、もし、墜落しても「私だけは助かる!」と言う根拠のない自信を持ってはいなかったか? 中学時代に「真剣に勉強すれば東大にだって行ける!」と考えてはいなかったか? それも「思い込み」の一種だ。

「この女の子は僕のことが好きなんだ....」

そう思ってアタックしたら、全然その気が無かったとか? そんな経験は誰しもあるだろう。その構図を解説するならこうだ。人が物事を認知し考える行程。

①その子は僕に親切だ。
②よく話しかけられる。
③僕を好きなのかもしれない。
④可愛い子だ。彼女にしても恥ずかしくない。
⑤彼女は僕が好き。でも、女から言い出せない。
⑥よし、僕から「付き合って!」と言おう!
⑦「勘違いしないで!そんな気ない」ビシ!と振られる。

本来なら、①②の段階で考えるべきだ。その子は男子とも平気で話をするタイプかもしれない。趣味が共通するだけかもしれない。それなら、いつもどんな話題になるか?を考えてみる。趣味か?勉強か?テレビの話か?

勉強のことなら、自分の成績がいいから分からないことを教えて欲しいだけかもしれない。趣味の話だとしても、女の子でその手の話ができる相手がいないとか、新しい情報が欲しいかもしれない。

それを「よく話しかけられる」=>「僕が好き?」と解釈するのが「思い込み」だ。根拠なく、勝手な憶測や想像で都合のいい結論を導いてしまう。もちろん、だからこそ、俳優は自分が政治家ではないのに「政治家だ!」と思い込み役を演じることができる。でも、それを日常生活でしてしまうと問題が生じてくる。

その想像力が常識を超えてしまうのが、精神病。例えば統合失調症の患者には「俺は神だ!」と言い出すことことがある。そのメカニズムを説明すると、ある時、街で車を走らせていると、目の前の車。ナンバープレートが「06ー30」だった。

「6月30日? 僕の誕生日だ....」

普通なら「偶然だなあ」で終わる。が、統合失調症は一言で言うと情報処理能力の欠如。狂うと言うことではない。情報処理ができない。と言って知能が下がると言うことではない。日常生活は送れる。でも、ナンバープレートを見る。

「なぜ、俺の誕生日なんだ? もしかしたら、これはお告げかも?」

そんな風に勝手な想像をしてしまう。さらに、

「神様からのメッセージ。何で、俺に? 平凡な会社員なのに?」

「そうだ。今は会社員だが、本当は特別な存在なのかもしれない!」

「だから、神様がメッセージしてきた。いや、俺自身が神かもしれない....」

そうやって「私は神だ」と主張するようになる。そう聞くと「バカじゃないの?」と思うだろう。では、若い頃に飛行機事故でも死なない。頑張って勉強したら東大でも行けると思ったのはどうだろう? 何の根拠もない。どちらも似た構図だ。経験値のないことを想像(あるいは妄想)で補足して結論つけているのだ。

それが「思い込み」のある意味で正体なのだ。以前紹介した新人俳優も同じ。撮影でディレクターに褒められた。

「俺は才能あるんだ!」

と思い込んだのも同じ。彼は病気ではないだろう。でも、俳優は「思い込み」の力が強い。そのディレクターがお世辞で褒めたかもしれず。「素人にしてはうまい」と思ったかもしれない。そして別の仕事を頼まれたわけでもないのに

「俺は認められた!」

とあちこちで触れ回り、身の丈を超えた発言を始める。これも「褒められた」=>「認められた」の間を勝手な想像と妄想で埋めて結論を導き出しただけ。俳優でなくても、歌手志望、画家志望、作家志望、映画監督志望の人たちに時々いるのだが、

「私には才能がある。プロになれば成功するはず!」

と言う何の根拠もない自信。だが、それも先と同じで、妄想と想像で繋げただけの結論。「見る人が見れば認められる」とか「チャンスがあればブレイクできる」と思い込み、肝心な表現力をつける事をしない。努力して技術を磨くことをしない。

「だって、私は才能ある。ないのはチャンスだけ...」

しかし、その多くは勘違い。思い込み。その種の病気でなければ、1年、2年、3年やって目が出ないことで、現実に気づくはずだ。何が間違っているのか? 第1線で活躍する人に会えばすぐに分かる。彼ら彼女らは物凄い努力をしている。

「俺は才能あるからね〜」

と思っているアーティストなどいない。だが、それを知る機会は少なく、若者はマスコミが紹介するカッコイイ部分だけに憧れて、何の努力もせずに、あるいは出会いだけを求めて努力をしない。そして数年後に現実に気づく。

知り合いの女優の卵でも表現力を磨くより、監督やPの集まる飲み会にばかり顔を出して売り込む子がいるが、もう40代のはず。はっきり言って実力はない。全然、努力していないから。なのに

「チャンスさえあれば、私もブレイクする....」

と思い込んでいるようだ。その意味で「思い込み」は恐ろしい。表現者に必要な資質だが、同時にそれはその人を滅ぼすことになる。大事なのは現実を知ること。どんな努力をするべきか?考えることだ。


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静岡県の袋井市、磐田市、森町を舞台にした感動映画
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上から目線で話すムカつく人たち。その背景と理由を探る? [MyOpinion]

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上から目線で話すムカつく人たち。その背景と理由を探る?

上から目線という言い方をよく聞く。実際、そんな言い方をする人ともよく出会う。映画製作について記事を書いても

「それは古い方法論ですよ。今の映画作りはそんなではありません!」

とコメントしてきた人がいた。その人のFacebookプロフィールを見ると映像関係ではない会社員で、少々映画好きのような人だった。僕は現役で映画界で仕事をしており、企画、撮影、ポスプロ、宣伝、興行まで全て関わっている。

その体験を記事にした。案ではなく現実である。それを「違うと思います」ではなく「そんなではありません」と否定。しかし、現実にその方法で映画を作った。何をかいわんや。多分、映画雑誌等で読みかじった知識を鵜呑みにして、信じ込み

「この映画監督。分かってないなあ〜」

と思ったのだろう。二重に間違っている。で、上から目線。その手の人と話して共通すること。思慮深くない。単純発想。いろんな角度から考えない。テレビ報道を鵜呑みにするタイプだろう。それと違うことを言う人がいると「分かってないなあ〜」と思え、自分より下にいる愚かな人だと認識。上から目線で偉そうに発言してしまう。

以前、新人俳優でも同じタイプがいた。テレビドラマにエキストラ出演。現場でディレクターに褒められた。それをあちこちで言って回る。

「俺は認められたんだよ!」

30代のいい大人が有頂天でなっていた。どの程度の評価か?正確にには分からないが、「君、なかなかいいね?」かもしれない。その新人をディレクターは素人と思ったかもしれない。あるいは

「君は才能あるよ。僕の担当するドラマに出てくれ」

ーこれなら大喜びするのも分かるが、そうではないようだ。新人君は「褒められた」とは言うが「次の展開がある」とは言わない。そのことがあってから彼は態度が大きくなり、僕が担当する低予算映画への出演を依頼しても、あれこれ条件をつけて来た。

「この役では俺の出演は難しいな。描き直すなら考えてもいい」

とか言い出した。無名の、映画出演経験のない俳優の言葉とは思えない。でも、彼の中では

「俺はテレビのディレクターに認められたんだよ! 才能があるんだ!」

と思い込んでいるようだった。それですっかり上から目線になってしまった。やはり彼も思慮深くなく、単純発想で、いろんな角度から考えない。ある意味で「考える力」を育てない日本の教育の被害者なのかもしれない。しかし、皆が上から目線になる訳ではない。「考える力」の欠如+何か?が彼らを勘違いさせてしまうのだろう。

そこには大きなコンプレックスがあるように思える。それを埋めるために小さなことを拡大して

「こいつはそんなことも知らないのか? 俺の方が上だな!」

と解釈。上から目線でものを言うようになってしまうのだろう。では、そのコンプレックスとは? それは長くなるので別の機会に。ともあれ、上から目線の人はコンプレックスが強く、単純で、多角的にものが見れないタイプが多いように思える。



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ひねくれ者が真実を見抜く?「本当はどうなんだ」「別に目的があるんじゃないか?」 [MyOpinion]

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ひねくれ者が真実を見抜く?「本当はどうなんだ」「別に目的があるんじゃないか?」

ミステリー小説は好きで昔からよく読んでいる。ある時、そんな若手作家(有名な方です!)とお会いすることがあった。爽やかな青春ミステリーも書く方なので、きっと爽やかな二枚目であろうと思っていたら、全然違って「鬼太郎」に出てくる妖怪のような人だった。なんとも失礼な表現だが、それが後々「いい意味」になるので許してほしい。

ベストセラーを連発した別のミステリー作家もあるテレビ番組で見かけたが、見るからに面倒臭いタイプで、関わると大変!と言う妖気を放つ人だった。ミステリー作家だけではない。画家でも、彫刻家でも、漫画家でも、そして何より映画監督も、活躍する人は見るからにややこしいタイプが多い。

そう考えていて、我が身を振り返ると、僕もまた面倒臭いタイプだ。とにかく疑ってかかる。信用しない。裏を考える。高校時代も教師から「文句が多い!」とよく言われた。文句ではなく疑問なのだが、あれこれ言う生徒は教師に嫌われる。大人しく従うのがいい生徒なのだ。

とにかく僕は捻くれ者。

テレビで「***が今、ブーム!」と報じると、「本当かよ?」「ブームにしたいだけじゃないのか?」「スポンサーに言わされてんだろ?」とか考えていた。

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とにかく疑ってかかる。本質は別にあるんじゃないか?と思ってしまう。あとあと気づくのだが、それはジャーナリズムの基本だった。例えば政府が

「福祉充実のために、消費税を上げます」

と言うと、多くは「そうだよな。高齢化社会だから財源が足りないもんな」と納得するが、ジャーナリストは

「本当に福祉に使うのか? 別の目的があるんじゃないか?」

と疑う仕事だ。それと同じ発想がクリエーターにも求められることを後々知る。「あの事件。新聞報道では事故だが、本当にそうか?」と言う思いから松本清張はミステリー小説を書いている。疑うこと。真に受けないこと。鵜呑みにしないこと。否定すること。そこから小説だけでなく、芸術が生まれて行く。絵画も、音楽も、漫画も、映画も。

そんな意味で活躍するミステリー作家さんが妖怪のように見えるのも分かる気がした。疑う、否定する。裏を考える。そもそもが捻くれている。毎日、そんなことを繰り返しているのだから。ただ、現代のような時代。テレビや新聞の情報はフェイクニュースばかり。むしろ、作家のように

「本当はどうなんだ」「別に目的があるんじゃないか?」

と考えることが大事だ。本来、それはジャーナリストの仕事なのだが、今の報道は裏を暴くことではなく、フェイクニュースを発信する企業や政府の広報に成り果てている。原発事故でもそうだったが、

「直ちに健康には影響しません...」

つまり、今は影響しないけど、10年後は知らないよと言う意味。それを大丈夫なんだ!と信じた結果が今、各地で露呈している。テレビや新聞。政府の主張を信じていたら大変なことになる。そんな時代に必要なのは、「本当はどうなんだ」「別に目的があるんじゃないか?」と疑うことだと思える。



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