「日航123便墜落 遺物は真相を語る」凄い。ほぼチェックメイト!事件の真相はこれだろう! [日航123便撃墜事件]
「日航123便墜落 遺物は真相を語る」凄い。ほぼチェックメイト!事件の真相はこれだろう!
前作「日航123便 墜落の新事実」を読み終えたのでamazonで注文。着いたら翌日に1日で読んでしまった。とにかく取材が凄い。そして事件に対する作者の真摯な姿勢、死んで行った人たちへの思いが執念となり真相を追求する。どれほどの年月と費用とエネルギーを使ったか?想像するだけでも物凄いものがあるだろう。
さて、今回の指摘だが、事故現場に残された遺物を検査。あれから30年以上。わずかな量でも成分を特定できる時代。そこで分かった事実。
①遺物にベンゼン環が付着。それは航空機の燃料には含まれない可燃物質。それと硫黄。
そして炭化した遺体の謎。湿気の多い夏の森。そこでストーブの石油に近い航空機の燃料では死体を炭にすることはできない。さらに、地面に面した死体の背中側まで炭化している。それが可能なのは火炎放射器。その成分がベンゼン環と硫黄なのだ。さらに、それを所持するのは日本で唯一、自衛隊だけ。
②機長の制服だけが見つからない謎。スチュワーデスの制服は全て燃えずに見つかっている。炭化もしていない。なのに機長の遺体は部分的にしか見つからず。燃えたとしてもその一部さえも発見されていない。
③さらに事故現場近くの上野村の住人の多くが目撃した赤い飛行機?の存在。そして、事故機が発見される前夜に現場上空を何度も飛び交ったヘリコプター。そこから降ろしたり上げたりしたものとは何か?
④相模湾で行われていたミサイル訓練。123便の航路近くである。
⑤アメリカ軍は墜落場所を確認していたが、日本政府は協力を拒否。米軍は基地に引き返し、その後、協力要請は受けていない。
⑥事故機の事故部分であろうと言われる箇所を自衛隊が現場に着くなりエンジンカッターで5つに切り裂いていた。
⑦交信記録が全て記録してあるブラックボックス。そのオリジナルデータを未だに日航が公開していない謎。「遺族の気持ちを考えて」というが、その遺族からも公開の希望は強い。
⑧遺体の検視をした医師が撮影したビデオテープ。警察は資料にと提出を求めたが、未だに返却していない。返すように催促しても「あれは凄すぎて返せません」と拒否している。
❾123便墜落前に追尾する自衛隊のファントムが2機。多くの人に目撃されているが、全く報道されていない。墜落現場近辺まで追尾し、その後、埼玉方面に向かったとのこと。
以上が2冊の本で明らかになったこと。ここから著者が遠回しに指摘することは以下の通りだ。相模湾のミサイル訓練。そのミサイルが間違って123便を撃墜した。そのミサイルこそが「赤い飛行機」。しかし、当時、中曽根総理は軍事費を1%から上げようとしていた。そんな時にこの事故は大きなマイナス。
そこで、ミサイルの痕跡を隠すため、目撃者を葬るために、密かに自衛隊を送り込む。時間稼ぎのために、場所が分からないとする。それが16時間。生き残った乗客を火炎放射器で焼き殺し、同時に証拠も隠滅。それが123便墜落事故であったのでは?と遠回しに示唆している。
ただ、それだけでは説明できないものもあるが、基本はその線だと思える。先のNHKスペシャルもそうだが、警察もマスコミも16時間、現場を発見できなかったとしたら間抜け過ぎる。政府からの圧力で、両者は抑えられたのではないか?
当時は、いくら政府でも....と思えただろうが、今の政府を考えると、マスコミに圧力を掛け、批判を抑え込み、警察に指示して逮捕を取りやめさせることをしている。当時だってやろうと思えば、できたはずだ。その本では直接指摘はしていないが、その判断をし、生き残った乗客の殺害を命令じたのが、あの人だと読み取れる。
別からの情報だが、その事実をアメリカに掴まれたので、中曽根はプラザ合意で、厳しい提案を受け入れ、円高が始まる...。事件について中曽根はこう語ったと言われる。
「事件のことは墓まで持って行く」
血圧を下げるための水生活生活⑥ー変化の実感なし? [健康]
血圧を下げるための水生活生活⑥ー変化の実感なし?
6日目。毎日、ほぼ目標の2Lを達成。体調はというと少しずつ良くなっている。が、今は過労でダウンしており、10日以上も自宅入院生活。それによって健康が回復しているだけで、水の効果かどうかは分からない。
水を飲まないより回復が早いのかもしれないが、それを検証することはできない。実感するのはトイレに行く回数が増えて、大変なことだけ。
ただ、川でもそうだが、水が常に流れているので綺麗なワケで、水の量が減ればゴミが溜まったり、ひからびたりしてしまう。血管も同じだと思う。たくさん水分を取ることで、ドロドロ血が流れやすくなっているはずだ。
体調の変化というのは1週間くらいでは分からない。とりあえず1ヶ月続けて見よう。
Facebookで「友達」と言う呼び名が勘違い、一線を超えてしまう人たち。 [MyOpinion]
Facebookで返事をしない理由。改めて説明=「友達」と言う呼び名が勘違い、一線を超えてしまう人たち。
いつも多くのコメント、メッセージありがとうございます! 全て読ませてもらっている。が、毎回、お伝えしているようにお返事はできない。今回はそのことを少し詳しく書かせて頂く。
Facebookをスタートして初期の頃は、全てにお返事していた。が、いろんな人が同じ質問をして来ることが多く、そのたび同じ答えをせねばならなかった。
「監督の映画はどこで上映していますか?」「何時からですか?」
「横浜でも上映しますか?」「苦労した場面はどこですか?」
と記事内ですでに書いていることを聞いて来る人も多くいた。それでも最初は「僕の映画に興味を持ってくれるのだか!」と対応していたが、次第に数が増え、返事をすると、次の質問。答えると次の質問と延々と聞いて来る人もいた。
僕の過去の作品や新作のこと。好きな映画。影響を受けた映画。そんなことを聞いてくれるのだが、それもほとんどは記事で書いている。それを繰り返しメッセンジャーで訊かれる。そのたびに答える。そのために時間が奪われる。午前中はFacebookの返事で終わるくらいに時間を取られるようになった。
最初は好意的に解釈していていたが、次第にこれではいけないと思えてきた。でも、その頃はまだ「友達」の数も少なく、常識ある人がほとんどだった。数が増えるとこんな人も増えて来る。映画の質問ではなく、プライベートなことを訊く。
「結婚は?」「彼女は?」「年収はいくら?」「家賃は?」
ー何でそんなこと答えにゃならん!さらに
「女優の**さんは本当に性格悪いの?」「**さんって大根だよね?」
ーうるさい! あんたらにとって芸能人は酒の肴かもしれないが、こちとら仕事仲間だ。知っていても悪いことなんて言えない。また、何で会ったこともない人にそんなことを言わねばならないのか?
が、ネットの世界は恐ろしい。それで「友達」削除したら、ストーカーのようにつきまとわれたり、あれこれ悪い噂をあちこちに書き込まれたりしても敵わない。
しかし、毎日、あれこれ不満を書き込む人。メッセンジャーで長文の批判を送って来る人まで出てきた。次第にFacebookを見るのが苦痛になって来た。一度、半年ほど休止もした。で決断する。
「返事はしません」「批判、中傷のコメントは即、削除します」
と宣言した。すると、ピタリとその手のものが止まった。というのは、どう読んでも否定としか取れないコメントでも、本人にすると
「この監督、分かってないから教えてあげよう」
という親切心から書き込んでいる人もいたのだ。
「この監督は優しいから、何を訊いても答えてくれる!」
と質問を続け、ある一線を超えてしまうことに気づかない人。彼らにとって芸能人はテレビで見て、批判したり、悪口を言ったりする対象。会うこともない。おもちゃのようなもの。意識の差が大きい。それを理解できずに、友達と飲み会で話すように「あの女優。性格悪そうだよな。どうなの?」とかコメントしてしまうのだ。また、僕が無理して質問に答えることで
「この監督。いい人!」
と勘違い(いい人ではない!)さらなる質問やコメントをしてしまう。僕の側にも問題があった。答えるから相手を勘違いさせてしまう。特に1ー2度会ったことがある人は親しみを感じてくれて、いろんな頼みごとをして来る。
「東京に行くので会ってください」
「シナリオを送るので読んでください」
「曲を作ったので聴いてください」
最初はそれらも返事をしていた。「今は忙しいのでシナリオを読む時間はありません」というと「では、いつならいいですか?」と言われる。断ると、
「そんな人とは思いませんでした」「失望しました」
「最低ですね」「いい人だと思ったのに!」
と攻撃的になる。僕も昔はシナリオを持って回っていたので気持ちは分かる。何度も断られた。が、映画製作にかかっているときに、シナリオを読む余裕はない。また、Facebook関係でない方々のシナリオを頼まれて読んだことがあるが、非常に読みづらいものが多く、基本ができていないことがほとんど。
「感想を聞かせてください」「映画化してもいいですよ!」
とさらに連絡が来る。でも、「基本から勉強してください」と言うしかない。「あなたには見る目がないようですね?」と言われたり、親切で対応してもバカを見ることが多かった。
そこで感じたのは「良かれ」と思って答えたり、「応援してくれているんだ」と思って返事したりすることで、相手が「これで俺は監督と親友だ」とか解釈してしまい、長年の友達にしか頼まないようなことまで言って来たりする。
答えることで、もっともっと!になって行く。「友達」は気づかぬ内に一線を超えて、常識を逸脱した言動や行動を取ってしまう。が、それを本人はなかなか気づかないこと分かった。実際の友人でも、僕が映画監督業を始めた頃は、話した映画会社批判をそのまま実名を使いブログに書いてしまったことがある。
俳優の名前も全部実名。でも、彼にとって芸能人は別世界の人。それがいけないことだと実感できなかった。慌てて連絡。削除してもらった。もし、彼が会社に不満があるからと、僕がその話を聞き実名でブログ書くと困るだろう
さらに友達が増えると、明らかに頭おかしい人も続々登場。明確な悪意を持って近づいて来たり、記事に対する上から目線の批判、否定、皮肉。
「もっと勉強しろ」「何も分かってないな」
そんな人も出てきた。揚げ足取りをして喜ぶ人。シェアして、そこに悪口を書く人。それが目的で申請して来る奴もいた。
いろいろ考えて、質問にも答えないし、返事もしない。と言うのが一番いいことに気づいた。日常で考えればとても失礼なことだ。が、考えてほしい。日曜の午後に突然、ピンポンを鳴らし、訪ねて来た人から、あれこれ質問されたり、頼みごとをされるのと近い。地方なら「はい!」と相手を確かめずに出るが、都会は覗き穴から見て知らない人だと無視する。都会には危険な人がいっぱいいる。Facebookの世界も同じなのだ。
それをFacebook社は「友達」と言う呼び名にした。勘違いしてしまう。「承認された。友達だ!」と実社会と同じ解釈で、あれこれ親しく訊いてしまう。それに対応し、勘違いされないように「いい人」だと思われないことが大事と考えた。それには返事をしない、答えないと言うこと。それ以来、定期的に
「返事はできません」「質問には答えられません」
と告知する。時々、素敵なコメントやメッセージを頂くこともある。でも、感謝の気持ちを伝えることで、相手が勘違いし、いろんな質問をして来られてもいけない。本人は一線を超えることに気づかない。知らない内にプライベートに踏み込んだり、一般的な芸能人批判をしてしまう。一線を超えてから返事をしなくなると「無視された。騙された」と激怒返事をしたことで悲しい結末となる。
そうならないようにするには、交流をしないとことが大事。批判や中傷コメントは削除。問題ある人は「友達」から外れてもらう。でないと、他の友達まで嫌な思いをさせることになる。悲しいが、それがFacebookの現実。その中で得られる何かを大切にしたい。