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「ドキュメンタリー沖縄戦」とはどういう映画か? [告知]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」とはどういう映画か?

今、見ることができる沖縄戦のドキュメンタリーは意外に少ない。全貌が分かるものはほとんどない。その意味で今回の作品は、いろんな意味で決定版になるはず。特徴を挙げる。

① 沖縄戦の全貌が分かるー様々な角度から戦争を見つめる。

②沖縄戦がどうスタートし終結したか?の歴史的な流れが分かる。

③沖縄戦を体験した人たちが証言。どれだけ酷い戦争だったか?

④研究者、専門家たちが解説する。どれだけ理不尽なことが?

⑤沖縄戦があった場所が現在、どうなっているか?紹介。

⑥米軍がどんな風に攻め、どんな状況に陥ったか?を紹介

⑦なぜ、多大の犠牲が出たか? その背景を説明

⑧日本軍は何を考え、どのような思いで軍を派遣したか?

❾沖縄戦の教訓は何か? 同じ悲劇を繰り返さないためにすること?

以上のことを全て紹介、描いている。この映画を見れば、とりあえず沖縄戦が分かる。そして教科書的な上部だけを紹介したものではなく、どれだけ残酷で、理不尽な戦争であったか?を描いている。そこがあのテレビ局のドキュメンタリーとは違うところだと自負している。

夏ー秋に完成披露上映会を計画。沖縄、東京、関西の3カ所で実施予定。お楽しみに!



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ドキュメンタリー沖縄戦。映画館公開に向けて始動開始。 [2019]

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ドキュメンタリー沖縄戦。映画館公開に向けて始動開始。

MAを終了。残りいくつかの作業はあるが、いろんなことが決定した。完成後、沖縄等で完成披露上映会を行うことは決まっていたが、その後の展開はまだ正式には決まっていなかった。

それが決まったのでお知らせする。まず、全国の映画館での公開が正式に決定。配給会社を通して準備していくことになった。やはり、完成披露の上映会だけで終了ではあまりにも悲しい。作品の出来もいいし、映画館で上映することで、多くの人に沖縄戦の事実を知ってもらうことができる。

ただ、やはりドキュメンタリーなので、大手映画会社のシネコンで上映されることはない。この手の地味な作品を上映してくれるミニシアターやインディペンデントの映画館だ。全国に10館ほどある。あと、沖縄戦に関心を持ってくれる映画館にも配給会社からアプローチ。数を増やしていきたい。

映画館公開ができれば、その後、衛星放送、ケーブル、プライムムービー、ネット配信といろんな形で見てもらことも可能になる。さらに海外の映画祭への出品。海外での上映。僕の「朝日のあたる家」は6カ国で上映したので、今回も期待できる。

公開時期などはまだ決まっていないが(というか配給会社とこれから検討)沖縄戦が終わった6月23日、終戦記念日の8月とか、その前後に完成披露上映会を沖縄、東京で行うという案。映画館は先方のスケジュール次第だが、夏〜秋公開で行きたい。そんな具合に、正式に映画館での公開が決まった。ぜひ、多くの方に見ていただきたい。



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60代を目前の徹夜作業は堪える? [2019]

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60代を目前の徹夜作業は堪える?

先日、50代になっていいこと?という記事を書いたが、MA作業を朝の5時までやって、初電で帰ってきた日はさすがに疲れた。翌日はずっと寝ていたし(といって若い頃のように十数時間は眠れない)仕事にならなかった。と書いて40代の時に、打ち上げで朝までカラオケに行くとき、参加するのは30代のスタッフだけ。40代の同世代は

「翌日、仕事にならないから帰る」

と言っていたのを思い出す。あの頃は平気だったが、60代に近い50代になると結構堪える。あと、徹夜というより、この数ヶ月の疲れがどど!と出たことが原因かもしれない。12月の最終取材を終え、通常、3ヶ月かかる編集をほぼ2ヶ月でやり。その後も様々な作業。締め切りが3月末日というのもプレッシャーだった。

と書くと無事に完成したようだが、まだ別班でカラコレ作業をしてもらっている。これが完成し、先日のMAで仕上げた音データを合わせて初めて完成である。あと一息だ。



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沖縄戦ドキュメンタリー。M A③ー音の演出とは何か? [編集作業]

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沖縄戦ドキュメンタリー。M A③ー音の演出とは何か?



ドキュメンタリーというと事実を伝えるものなので演出をしてはいけないと思う人がいるかもしれない。歴史等のを脚色するのは当然、いけない。でも、作品を演出することは大事。それができていないドキュメンタリーが多いので、退屈なものになるのではないか?と考える。

演出のセンスも大事。なかなか、いい例が見つからないので説明しづらいが、例えば、無音の演出がある。無音というのは映像は流れているが、音がない状態。テレビでは10秒だったか以上音がないと放送事故と思われるので、やってはいけない決まりがある。

が、10秒と言わないまでも、3秒でも5秒でも無音の映像を入れると、衝撃音や音楽を入れる以上にハッとして、その絵を強調することができる。安易なのは「ドーーン」という効果音を入れること。その同じ効果を音を入れないことで見せることもできる。でも、下手なやり方をすると「あれ? 音でないの」と思われる。

また、音楽を流すシーンでも、そのシーンの頭から流すのではなく、数秒後に流す。あるきっかけで流す。そのタイミングこそがセンス。

それらを決めるのが演出なのだ。その辺がドキュメンタリーではイマイチなことが多い。どうしてもディレクターがおじさんで、センスがない人だからかもしれないが。いや、ドキュメンタリーでなくても、劇映画でもセンスのない監督が日本は多い。とは言え、昔ほどではないのは若手がどんどん出てきたからだろう。ということは、次は僕らがその「センスのないオジさん監督」と呼ばれることになるのだろう。

とか考えながら、作業。MAはセンスと感覚だ。「これが正解!」というものはない。が、音楽が流れるのが1秒遅れると「あー違う」と思われることもある。1秒早ければ泣けるが、遅いとダメというのが演出だ。これが劇映画もドキュメンタリーも同じ。その辺を毎回、注意する。歴史や事実を伝えるだけがドキュメンタリーではない。

そんな意味で、僕は劇映画の時は「ドキュメンタリー」タッチの演出を、ドキュメンタリーの時はドラマの演出を持ち込む。そうするとドラマなのにドキュメンタリーを見ているようなリアリティを感じる。ドキュメンタリーは客観的に見てしまいがちなのに、感情移入して、ドラマのような感動を感じたりさせることができる。

さて、「沖縄戦ー知られざる悲しみの記憶」どのような作品になり、どのように観客に感じてもらえるのか? でも、まだ、完成はしていない。通常はMAで完成なのだが....その辺は次回報告。


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沖縄戦ドキュメンタリー。M A②ー音の演出とは何か? [編集作業]

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沖縄戦ドキュメンタリー。M A②ー音の演出とは何か?

音作業で大事なのは、聞きやすくすることだけではない。そこにも演出が必要だ。まず、映像演出を説明すると、特にドキュメンタリーは同じような場面が続くと観客は退屈する。いくら素晴らしい証言であっても、それが延々と続くと興味を失う。だから、証言ばかりでなく、歴史や背景の説明。専門家による解説。記録映像等を交互に見せて行く。

同じように音演出も、証言=言葉が続くと、次は音楽を入れる。次はナレーション。時々、衝撃音を入れる。そうして、観客の興味が切れないように引っ張って行く。なのにドキュメンタリーの多くは延々と同じパターンで見せて、退屈する観客に「見る」努力を強要するものが多い。

「これは大切な歴史の証言です。見なければなりません」

というかのように、ダラダラ見せる。それは制作側の努力が足りないだけ。大切なことなら、それが分かるように観客が受け入れやすいように、演出を加え(事実に対する演出ではなく、見せる演出)観客を引っ張って行くことが仕事のはず。でも、ドキュメンタリーの場合は教師のような立場になりがち。高校時代に教科書を読み上げるだけの退屈な授業をする先生がいたが、まさにそれ。

対して、いろんな話を交えて学科に興味を持たせる話し上手な先生もいたが、ドキュメンタリーもそれが大事ではないか? 音関係でもそんな努力が必要。

音楽が流れる場面にしても、どう流れるか?も大事。劇映画の場合は場面に合わせて1曲1曲作ることが多いが、今回は同じ曲を繰り返す形にした。その曲が流れることで、ある種の場面であることに気づいてもらうのが狙い。

沖縄戦の流れを説明する時に必ず流れる曲を用意した。だが、何度も同じ使うと「また?」と思われるのも良くない。そこで、この場面は曲の途中から、こちらは途中までとかいう風に使う。そうすれば曲は同じだが、退屈せずに見ることができる。



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沖縄戦ドキュメンタリー。M Aー音作業はどう進めるの? [編集作業]

沖縄戦ドキュメンタリー。M A①ー音作業はどう進めるの?

編集作業を終えたので、次の作業。MA、マルチ・オーディオの略。MA。音楽を入れ、効果を付け、音を直し、音声関係を完成させる作業だ。すでに音楽は1ヶ月前ほどに依頼。数日前に完成している。あと、音効さんには効果音を作ってもらい、映像に合わせて付けてもらった。それらデータをスタジオに送り作業する。

スタジオは都内某所。実はここ10年前に「青い青い空」の作業をしてもらったところ。そこに関係者が集合。音関係を仕上げる。まず、ナレーション。ナレーターを担当する俳優さんがブースに入り録音。次に音楽。出来上がった曲をどのシーンのどの場所につけるか? 僕が指示する。

その次に、音効さんが作ってくれたデータを貼り付け。これで音関係は全て入った。次は音レベルと微妙なタイミングを直して行く作業。20分ごとに作品を分けて、スタジオの大きなモニターで見て行く。

音関係は先に挙げたものだけでなく、同録したものもある。沖縄の風景を撮る時に、そのあたりの環境音も同時に録音されている。風景撮りの場合は録音部が立会わないことが多い。インタビューの場合はプロが本格的な録音をするが、風景の場合はそこまでしない。

そのために風が吹けばマイクがゴワゴワいうし、美しい風景でも近所で工事が行われていれば、その騒音も拾ってしまう。その辺の音をスタジオ側で「整音」してくれる。そうすると、うるさすぎる音を抑えたり、映像に写ってない音が消えたりと、見やすくなる。

この作業。意外に一般には知られていない。テレビでバラエティ番組を見ていて、街角で俳優が話していても、何を言っているのか?言葉はクリアーに聞こえる。が、繁華街や交通量の多いところで撮影すると、騒音を入ってしまう。もちろん、マイクは単一指向性のものを使うが、それでも拾ってしまう。

その素材をスタジオで整音するので、放送時は聞き取れるものになっている。聞こえて当たり前と視聴者は思うので、整音作業に気づかない。

少し前に総理が街頭演説を行った時に「帰れ」コールが起こったことがある。それを某国営放送(?)が報じた時、「帰れ」が消えていて、聴衆が静かに演説を聞いているようなニュースになっていたが、あればスタジオ・スタッフが必死で整音。コールを消して放送したのだ。そんな風に音もあれこれ作業して、視聴者や観客が聞きやすいよう加工するのである。

そんな風にして作業を進める。(続く)


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沖縄戦ドキュメンタリー。今の日本と重なることがいっぱい? [2019]

沖縄戦ドキュメンタリー。今の日本と重なることがいっぱい?

いよいよ作業が、僕の手から離れて専門スタッフへ。カラコレ作業の開始である。音楽、音、効果もすでに専門職の手で作業が進んでいる。その全てが集約されるMA作業は今月末。いよいよ完成だ。

昨日もテロップ確認をしていて思ったのだが、今回のドキュメンタリーは単に沖縄戦の悲劇を紹介したものではない。なぜ、沖縄ではあそこまで酷いことになったのか? あんなに犠牲が出たのか? を追求、説明してある。

「戦争なんだから、酷いのは当然だろ?」

と思う人もいるだろう。が、それだけではない。沖縄戦は戦闘行為だけでない、歪んだ構図や歪んだ教育、指導があったことで、さらに凄惨な展開をしてしまったのだ。その部分。今の日本にも当てはまる。危機的な状況なのに、それを把握し、解決することができない環境を作り出している。

沖縄戦を見つめることで、単に歴史を知るだけではなく、今の日本が抱える問題点、そこからの脱却法も見えてくるはず。4月には完成する。


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MA準備でこの3日間、百人組手状態。 [編集作業]

MA準備でこの3日間、百人組手状態。

5−6社と何度もやりとり。質問、要望、連絡、苦情、と、ガンガンとメールが入る。それに対応し、答え、行動する。それぞれに別分野。ナレーション関係、俳優関係、音楽関係、音関係、音効、スタジオ、スポンサーと、全部専門が違う。

本来、こちらも専門家3ー4人で対応すべきなのだが、僕1人しかいない。物凄い専門的なことを連絡受けて、意味分からないこともり、大苦戦。とは言え、ドキュメンタリーも何本もやっているので何とか対応。ただ、同時に何人もと対応するのが聖徳太子的な気力と体力と、切り替えが必要なので、大変なのだ。

映像は昨日、別の担当者に渡した。カラコレをお願いする。ということで、直し編集をしたくても、もうデータが手元にない。で、余裕あり!?かというと、現在はシート書き。

ナレーションがどこからスタートするか? 音楽はどの曲がどこから、何分何秒から始まるか? あれこれ、それを見れば分かる表を作成中。ああ、音楽家さんに送ったものをコピーすればいいだ!と思い出すが、その書類がどこにあるのか? パソコンの中で迷子?

そう言いながら、映像データを書き出し中。えーあとやることは.....。



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50代になっていいこと。意外にある。アゲイン。 [MyOpinion]

50代になっていいこと。意外にある。アゲイン。

「歳を取るって嫌だな」という人が多いが、意外にいいこともある。まず、朝早く目が覚める。昔から低血圧で朝が苦手、高校卒業後、1人暮らしを始めてからは、誰も起こしてくれないので、起きると夕方!ということがよくあった。まあ、若い内はよく寝るものだが、朝早い撮影があるときは辛かった。

それが50代になった頃から目覚ましがなくても、早朝に目が覚める。お年寄りが夜明けと共に起きると聞いていたが、それに近い。深夜遅く寝ても早く目が覚める。実は長時間寝るにも体力がいるので、歳を取りその力がなくなって来たということ。それでも起きたら夕方!というのは損した気がするし、「早起きは3文の得」と思える。

あと、若い頃はめちゃめちゃたくさん食べていたが、流石に今はどか食いができない。これも老化で体が弱ってきているからだが、食費が安くついて助かる。20代は日本の1人前では足りず、アメリカの1人前は量があり嬉しかったが、それでも満足とは行かず。それが40代まで続いたが、さすがに50代になると食べられる量が減り、食べ放題に行っても元を取れなくなった。

あと酒も以前ほど量を飲まない。これも経済的?以上の3つは体力が落ちているということなのだが、特に実感はない。20代の頃、撮影現場で50代のオヤジたちがガンガン働いていて、「20代の俺の方が体力あるはずなのになあ」とよく思ったが、まさにそんな感じ。現場では若者の方が疲労困憊している。とは言え、あと数年で60代。これは流石にジジイの年齢だ。

先日、亡くなった内田裕也さんが知事選に立候補したのが、なんとか今の僕より若かったと知り、少々ショック。「駅」の高倉健も当時50歳くらい。そんな人たちの年齢を追い越してしまったのだ。まあ、でも、矢沢永吉も間も無く70歳。内田裕也さんは享年79歳。僕もロックン・ロール・オヤジを目指して、寝たきりになるまで、映画作りするしかない。


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「最近の若い奴」はこうして作られる。「沖縄戦」を勉強して答えが分かった? [MyOpinion]

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「最近の若い奴」はこうして作られる。「沖縄戦」を勉強して答えが分かった?

「最近の若い子はダメだなあ」と同世代の友人たちが言いだしてから、もう10年以上経つだろう。でも、僕らが若い頃も上の世代からそう言われていた。いつの時代も下の世代はダメに見えるものだ。そう話すと友人はいう。

「でも、最近の若い連中は本当に酷いよ!」

彼はある会社で新入社員の面接係をやったという。そこで出会った若い人たちと話して心の底から失望したという。

「御社で私の中にある隠された力を、引き出してほしいんです!」

「会社は学校じゃない。お前の力をどう会社に生かすかが仕事だ。そんなだったら啓発セミナーに行け!」と思ったそうだ。或いは、芸能関係の会社で働く友人。と言っても直接芸能人とは仕事しない。完全な裏方。会社でPC相手の仕事。面接でそう説明したのに、半年も経つと。

「想像していた仕事と違いました。芸能人と仕事ができる訳ではないこと分かったので辞めます...」

そんな勘違い野郎が多いので怒鳴りたくなったそうだ。友人たちがいうことは共通している。若い人たちは自分で努力しようとせず、自分が持つ力を探してほしい。それを生かしてほしいと希望する。説明会で詳しく伝えているのに勝手な想像で楽しい仕事だと思い。現実を知り挫折してしまう。

確かにそんな若者が多い。いや、ほとんどがそうだ。だから、カタギの友人も、映画界の友人も、皆、若い人たちに対して否定的な意見が多くなる。僕も昔、「最近の若い奴らは」とよく言われたので、年取っても絶対に同じことは言わないでおこうと考えていた。が、友人たちがいうこと。よく分かる。では、なぜ、そんな若者が多いのか?

答えは簡単だ。

間違った「教育」だ。今の教師は管理教育。与えられたことを確実にこなす能力を育てるだけのものだ。想像力とか、洞察力とか、本質を見抜く力とか、そんなものを養うための教育ではない。優秀なサラリーマンを育てる教育だ。だから、自分から何かをすることはない、言われたことだけを確実にこなす、サラリーマンロボットを作る教育だ。

そんなシステムの学校で10年も教育を受ければ、上記のような大人に成長するのは当然のこと。何か与えられないと自分ではできない人たちなのだ。与えられることが当然、物事を見る目がない、まさに今時の若者が出来上がる。つまり、最近の若い奴がダメなのではなく、教育が間違っているということ。

もちろん、そんな教育でもトップクラスの連中は優秀であり、一流企業や国家一種試験を通り、キャリアになる。が、それほど優秀でなかった人たちは、与えられないと動けない上に、与えられたことも満足にできないということになる。それなら別の能力を磨く、技術を学ぶということをすべきだったのに、現在の教育ではそんなカリキュラムはない。

学校を辞めて修行して手に職をつけるか? 

専門学校で技術を学ぶか?しか道がない。が、世間の風潮に乗ってしまい、大学くらいは出ておかないと!と4年間もバイトとコンパで過ごしてしまい、与えられたことを確実にする能力が高くない人たちも、それを求められる会社というところに就職しようとする。おまけに言われたことしかできない。自分で考えて行動することもできない。

「では、僕らの世代は何が違ったのか?」

それはまだ教育システムが確立していなかったので、そこからはみ出して、好き勝手なことをする子供たちがいた。親たちは「勉強勉強」というが、子供たちは隠れて遊び、趣味の世界に浸っていた。そんな中で学校では学べないことを学び、様々な能力を養った。枠にはまらない元気な子たちは不良になり、暴れたりしていた。

でも、今の教育。管理教育が進み、その枠からはみ出す子供たちが少なくなった。反抗したり、疑問を持ったりしない、言われたことを大人しくやる。子供達のロボット化が僕らの時代より進み、確立したのだ。僕らの世代が今、学生なら、同じような洗脳教育で、与えられたことしかしないロボット人間に育っていただろう。

沖縄戦を勉強して強く感じた一つに「軍国教育」がある。それが最大限に効果を発揮、日本人は皆、戦争に突き進んだ。反対する者は「非国民」と言われ、役人や軍人があれこれ言う前に近所の人たちが粛清してかかる。日本が勝つためなら犠牲を惜しまない。命さえも捧げてしまう。そんな教育が悲劇を加速させた。

近代の教育を見ていると、戦中と同じことをしていると思える。今はそれが受験戦争になっているだけで、戦争を反対しない、疑問を持たない子供を育てる。戦時中は疑問を持たず、自ら戦場に赴く子供達を育てたように、今は受験戦争に疑問を持たず、与えられたことを確実にやるサラリーマンを育成しているのだ。親も子も、皆、それに乗せられて疑うことなく突き進む。逆らう人を当時は「非国民」と呼び、今は「落ちこぼれ」と呼ぶ。

しかし、日本はもう経済大国ではない。

落ちぶれて行く後進国だ。韓国にも抜かれた。そして時代が大きく変わろうとしている。サラリーマン・ロボットでは対応できない。なのに国は今も同じ教育をしている。考え力がない子供たちが育ち、社会に出てくる。自分では何もできない。与えてくれるのを待っている。僕の友人たちは自分から行動することがまだ許された時代に育っているので、その様子に落胆する。それが「最近の若い奴ら」の構図なのだ。

では、どうすればいいのか? 

その答えも「沖縄戦」を見つめることで見えてくるように思えている。



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