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日本人を縛る過去の習慣ーそれから脱却してこそ、日本人は希望をつかむことができる! [ムラ社会ルール]

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日本人を縛る過去の習慣ーそれから脱却してこそ、日本人は希望をつかむことができる!

そもそも、なぜ「ムラ社会」ルールのことを考えたのか?というと、僕は本当にその種のことに関わることが少なかったからだ。一つの町で生まれ育っていない。10年以上同じ町で暮らしていない。例外は東京だけ。住んだ街も衛星都市が多く、新興住宅地。横に繋がりがあまりない。おまけに捻くれ者で変人と言われている。近所付き合い、親戚付き合いというのをしない。

引っ越しが多かったので、近所の人と20年の付き合いなんてない。友達関係は本当に気が合う奴とだけ。そんな身軽な?孤独な?境遇なので、周りの顔を立てるとか、協調とかする必要がなかった。さらに村ルールでは、

④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを避け、協調を大事にする」

というのがあるが、僕は全て逆をやっている。人がしないことばかりしている。田舎にいれば嫌われ者の村八分になっていただろう。映画界で仕事を始めてからはまさに「トラブルメーカー」と呼ばれていたし、常に問題を起こして来た。

と言って、人を利用したり、ハメたり、騙したりというのではない。製作会社が理不尽なことをする。Pが誤魔化しをする。そのためにプロジェクトが停滞する。約束のギャラが払われない。そんな時は抗議し、批判し、問題を解決しようとする。当然、相手は「すみませんでした」と非を認めて謝るはずもなく、さらに誤魔化す。嘘をつく。圧力をかける。開き直る。

ここでも同じ構図がある。

先輩にトラブルメーカーと言われていたが、僕がトラブルを起こすんじゃない。会社側やPがやってはいけないことをする。そこで雇われた僕たちが我慢し、泣き寝入りをすればトラブルにはならない。ここも村ルールと同じ。

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」

でも、僕は対決する。それがトラブルを起したと見えるようだ。多くの人は会社やPとはことを構えない。また次も仕事をもらうから。仲良くせねばならない。嫌われたくない。だから、泣き寝入り。我慢する。ただ、僕は我慢しない。交渉する。解決策を考える。仕事をもらえなくて結構。

当然、次の仕事はない。しかし、映画界は村社会とは違う。他にも会社はある。それに自分で仕事を立ち上げることもできる。決裂した会社のほとんどは、その後倒産している。誤魔化し嘘。それは経営が厳しいからだ。前向きに利益を上げることより、フリーの人間から搾取してピンハネしている会社だ。結局、潰れる。

もし、僕が地方の田舎町で生まれ育ち。ムラ社会ルールの中で育ち、それを体得していたら、そんな対応はしなかったかもしれない。その対応こそが上手な生き方で、トラブルを起こさず、平穏に生きられると判断したかもしれない。いや、そうではないかも? そもそも平穏な人生を送ろうとは全く思っていない。いくら安定していても毎日、会社に通い、好きでもない仕事をして、残業して、くたびれ果てて家に帰る。

そんな生き方は絶対に嫌だった。

小学生低学年の頃は報道記者になり、事件を追う仕事をしたい!と思ったことがある。刑事になりたいということもあった。もちろん、ドラマの影響。何か波乱万丈、戦いがある人生を望んでいたのだろう。戦国時代か幕末に生まれていれば!と思ったこともある。坂本龍馬の海援隊に参加したかもしれない。

それが映画と出会って、観客を感動させる映画を作りたいと思うようになった。毎回、遺作だと思って全力投球する。完成披露試写会で死んでもいい。それはそれで楽しい人生だ。退屈な仕事をしながら、平穏無事に何十年生きても面白くない。つまり、ムラ社会ルールの「通念」と真逆にいる。「平穏無事」=村社会が一番大切にすること。僕はそれを望んでいない。

望んでいないもののために、理不尽な人の面子を立てたり、被害を受けても我慢し泣き寝入りすることはできない。問題を解決することで、多くの人が喜び、街全体がハッピーになれるのなら、理不尽な者は罪を償い、反省するよう求めるべきだ。平穏より大事なものがある。それは町全体のメリットであり、多くの人がハッピーになること。一部の人たちの悪行を見逃して、その被害者を責めるのは間違っている。

原発問題がまさにそうだ。

エネルギーは足りている。既得権益を求める一部の人たちのために原発は推進されている。そいつらの立場を心配し、面子を考える必要はない。トラブルになっても止めるべきだ。何より原発自体がトラブルなのだ。沖縄問題も同じだ。本土の人間は見て見ぬ振りをしている。沖縄に泣き寝入りを求めている。それはいけない。必要のない基地を作る必要はない。トラブルになっても違うと伝えるべきだ。

そもそも問題を解決する途中経過を「トラブル」と呼ぶのだ。そこで原因を考え、責任者を追求し、改善する。結果、全体のプラスになる。見て見ぬ振りをしても解決しない。もはや日本人は小さな村。小さな日本だけでは暮らしていけない。世界との繋がりがある。そんな時代に過去の習慣に縛られていてはいけない。そんな悪習はかなぐり捨てて、本当に大切なことは何か?を考える時期なのだ。

(ムラ社会のルール?)

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」
②「問題を起こした責任者を追求しない」
③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルに触れず、無かったことにする」
④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」
⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」



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映画の「音効」とは何か?どんな仕事なのか? [映画業界物語]

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映画の「音効」とは何か?どんな仕事なのか?

昨日、音効さんと打ち合わせ。温厚というのは音響効果の略。劇映画の場合だと、パトカーのサイレンの音とか、銃声、爆発音とかが音響効果。というのも公道を走る時、劇用のパトカーがサイレンを鳴らしてはいけないのだ。本物と勘違いする人がいるから。だから、赤ランプだけ回して、サイレンの音は後で入れる。

銃声や爆発音も同じ。モデルガンも火薬を使っているのでパン!という音がして煙が出るが本物と音が違う。なので、激しい本物の音をスタジオで入れる。爆発も同じ。それだけではない。例えば撮影現場で音を録れない時がある。そんな時はアフレコをし、音は画面に見えるもの一つ一つに音をつける。それも音効さんの仕事。

「明日にかける橋」でいうと、高校生みゆきが二階で家での準備をしている時、一階のダイニングでは家族がテレビを見ながら食事をしている。そのテレビで「ニュースステーション」(?)を放送しているのだが、撮影時にそのニュース原稿をスタッフが読む。それにより俳優たちがニュースを聞き、テレビを見ている感を出した。

ということはスタッフが読む声が現場に流れる。それを録音すると当然、その声も入ってしまう。なので、後でその声を消して、久米宏?役を演じてくれた俳優さんのセリフに入れ替え(これは後日撮影したもの)さらに、ご飯を食べる時の茶碗や箸がぶつかる音を音効さんが作って、画面に合わせて入れてくれている。

映像の中で当然ある音が聞こえると観客は疑問を抱かない。当然だと感じ気づかない。が、その音がないと誰もが「あれ?」と思う。だから、一つ一つ、そんな音をつけていく。ケンタが立ち上がりコロッケを持ち去る部分なら、当然、椅子を引いて立ち上がる。その音も入れる。ダイニングから出て行く足音も入れる。音効さんの仕事は地道だが、本当に大変なものだ。

以上が劇映画の場合。では、ドキュメンタリーではどんな作業をするのか? それは映画を見た時のお楽しみ。これで音楽もお願いし、音効さんにも依頼した。いよいよ、最終段階である。


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日本人を縛るもの。そのルールが日本をダメにしている⑦=自分たちで自分の首を絞める地方の構図? [ムラ社会ルール]

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日本人を縛るもの。そのルールが日本をダメにしている⑦
=自分たちで自分の首を絞める地方の構図?

「故郷をPRする映画を作りたい!」そう思っても、昔から地方の人たちを縛るムラ社会ルールが、それを邪魔することが多い。まず、

ルール④「人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」

地方映画は多くの町で作られるが、どこでもここでもということではない。まだまだ、新しい動きだ。「だから、よく分からない。だから、やめておこう!新しいものは危険だ」と考える。それを勉強して研究して、効果を考えるということをなかなかしない。

中には「観光協会や役所の観光課があるのだから、余計なことをして睨まれたくない」と考える人もいる。「協調が大事」なのだ。また、映画を作ってトラブルが起きたらどうしよう?と考える。これもルール④にある「トラブルを避け、問題を起こさないこと」だから、結局やらない。

もし、それらをクリアできて準備が始まったとする。しかし、映画製作は困難の連続。いや、映画だけでなく、何をするというのは壁を超えて進まなねばならない。問題やトラブルは当然出てくる。すると、

ルール①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」

そんなことでは問題は解決しない。そこから綻んでプロジェクトが中断。崩壊する。それに

ルール②「問題を起こした責任者を追求しない」

ルール③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルには触れず、無かったことにする」

そんな対応をしていては問題は解決せず、でも、最後にこれがある。

⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」

これでは映画製作だけでなく、町のプラスになることは何もできない。ということで地方は過疎化に悩まされ、安易に原発を誘致するkとことを考えたりしてきたのだ。国や県にすぐ何かを頼みこむのは同じ。地域の中で何かするとトラブルが起こり、協調が壊れるから何もできないが、お上が何かしてくれるのはOK。ということなのだ。

これは自治体や役所。大きな会社でも同じ構図が見られる。経済的に上手く行っていて、何かを犠牲にしたり、競争しなくても、安定した生活が送れる場合。例えば公務員は頑張っても手抜きをしても、給料は同じだ。大手の会社も似た構図。高度経済成長時代はそんな感じ。それより社内、部内で揉め事を起こしたり、仲間とトラブルにならないこと。平穏に仕事ができることを優先する。

毎日顔を合わす同僚への気遣い。上役のメンツを潰さない。新たな企画を立ち上げたりしない。前例に従い、目立たないようにする。ムラ社会そのもの。しかし、それでは行かなくなってきた。会社が倒産。アジアの国に技術でも売り上げも抜かれしまう。もう、今までと同じことをしていては日本は生き残れない。なのに、政治もビジネスも過去と同じ方法論で進めようとしている。

それはまさに町のPRのために故郷映画を作ろう!と言いながら、皆の顔色を見て、問題が起こっても見て見ぬ振りをして、プロジェクトを潰したり、完成しても活用ができない地方の人たちと同じ構図なのだ。公務員は大丈夫!という人もいるが、近い将来、公務員の大量リストラが噂されている。地方自治体だけでなく、多くの会社で一番大きのが人件費だ。それが今、AIに取って変わろうとしている。

スーパーのレジも機械化が進み。従業員がレジにいない店が増えた。その内、役所もそうなり、戸籍謄本や住民票は全て機械で発行。税務署なども、オートメーション化されていくだろう。そうなれば大量リストラ。その時に切られるのは、新しいことをしようとせず、周りの顔色ばかり見ていて、トラブルを見て見ぬ振りをする。役に立たない。ムラ社会ルールに縛れてている人たちではないか?

大胆に言えば、その種の人たちがいるから、新しいことができず、トラブルや問題が解決できず、全体のメリットになることができないのだ。つまり、今、日本が陥っている20年に及ぶ不況。経済問題。政治不信は、国民がそんな古い習慣に縛られているからではないか?
問題ある政党が与党を続けるなら、変えればいい。別の党に投票すればいい。なのに、文句を言いながらも投票には行かない。

特に地方ではルール⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」と、いつもお世話になる。あの先生に投票する。そのことで新しいことの出来ない。協調しかできない議員がまた生き延びてしまうのだ。どうすればいいのか? もう少し、ムラ社会ルールについて考えたい。

(ムラ社会のルール?)

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」

②「問題を起こした責任者を追求しない」

③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルには触れず、無かったことにする」

④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」

⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」





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日本人を縛るもの。そのルールが日本をダメにしている⑥ 原発事故でもムラ社会ルールで対応? [ムラ社会ルール]

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日本人を縛るもの。そのルールが日本をダメにしている⑥ 原発事故でもムラ社会ルールで対応?

そもそもは、狭い社会で平穏無事に暮らすための知恵だった。そのルール、習慣に従えば、争わず、仲良く?生きていける。だからこそ、条例で決めたり、書き出して毎日、復誦させなくても、各地に根付き。現代の日本人にも受け継がれたのだろう。

地方で長年暮らしていれば、自然と身に付き実践できるようになる。日本人が「空気を読む」というのと似たようなもので、教えられなくても多くが体得する。それができる人が、その地域でうまい世渡りが出来るようになるのだろう。

しかし、このムラ社会ルール。トラブルが表面化しないというだけのもので、根本的な解決にはならない。迷惑を我慢する。被害者を批判するというのは、本質から考えると歪んだ形の収拾法でしかない。思い出すのは原発事故。東京の電力を賄うために地方に原発を作り、その原発が事故った。困るのは地方だけ。東京は知らん顔で他人事という構図に近い。今、国がやっているのは

「原発事故は収束した。大きな被害はなかった。死者は出ていない。食べて応援」

=①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」

②「問題を起こした責任者を追求しない」

③「トラブルには触れず、無かったことにする」

全く同じ。やはり、ムラ社会ルールというのは非常に日本人的と思えてしまう。また、昔々ならその歪んだルールも機能した。が、日本が農業主体でなくなり、狭い地域でトラブれば都会に出て行き別の生活をスタートすることもできる時代になり、狭い村だけでなく、交通手段の発達で近隣の町との交流も可能になった現代。もはやムラ社会ルールに縛られなくても大丈夫な時代になっている。

それどころかルールが町をダメにする側面が増えているのに、今も縛られたままという町が多い。現在、多くの地方が直面しているのは税収の低下だ。そのために大手企業の工場を誘致する地方が多い。税金を安くして、工場に来てもらい、市民を雇用してもらい、税も払ってもらう。H市にはかつて大手企業の工場がいくつもあった。が、この数年で、大手自動車会社のHと、楽器メーカーのYが他の町に移設した。

より税金の安い近隣の市に移ったのだ。しかし、そんな誘致ができる自治体は少ない。税金が安くても交通の弁が悪いと企業は来てくれない。そこで目をつけたのが観光だ。元手が要らず、他県から来てくれれば宿泊、食事、お土産と多くのお金を落としてくれる。だが、これも奈良、京都のような古都なら放っておいても観光客が来るが、小さな無名な町に来てくれる人は少ない。

そこで20年ほど前から注目されているのが、町おこし映画。そのことは何度も記事で紹介した。地元の映画を作ることで、町をPRする。大林宣彦監督の「転校生」が大ヒット。その後の尾道シリーズによって尾道は有名ロケとなり多くの観光客が押し寄せた。にも関わらず、故郷映画を作る地方の多くは失敗している。理由は僕がいつも書く、不勉強である。別の業界の論理で映画製作するからだ。

そして、もう一つはムラ社会ルールに縛れられて、自らチャンスを潰してしまう。努力して作品をダメにすることが多いからだ。その件は詳しいので次回、書いてみる。

(ムラ社会のルール?)

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」
②「問題を起こした責任者を追求しない」
③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルに触れず、無かったことにする」
④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」
⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」


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日本人を縛るもの。そのルールが日本をダメにしている⑤ なぜ、地方の原発反対デモは多くが参加しないのか? [ムラ社会ルール]

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日本人を縛るもの。そのルールが日本をダメにしている⑤ なぜ、地方の原発反対デモは多くが参加しないのか?

あれこれ振り返ると、「あれ?」と思ったことの多くはムラ社会ルールに縛られた人たちの行動や反応であることに気づく。そもそもは農業主体の地方が多く。狭い村でトラブルを起こさずに平穏に暮らしていくための知恵でもある。では、都会でも同じルールや習慣があるのだろうか?

地方は同じメンツが何十年も顔を合わせて生きて行かねばならないので、見て見ぬ振りをしたり、責任を追及しないことでトラブルを沈静化させたりという習慣が出来てきた。対して都会では人口が多く、会社というところで仕事し、家は帰って寝るだけという形。隣近所に誰が住んでいるか?分からない。交流がない。

そんな環境だとムラ社会ルールが必要なくなる。会社で仕事すれば給料がもらえる。昔の農業のように村の人たちの力を借りたり、協力を得なくてもいい。近所の人たちと協力して村祭りをする必要もない。周りに配慮しなくても、気遣いしなくても困ることは基本ない。そんな都会で生まれ育った子供は地方と違い、トラブルを見て見ぬ振りをしたり、責任者を追及しないという習慣を学ぶ機会も少ない。

それが背景なのか? 原発反対デモ。東京では数万人が集まるが、地方ではかなり少ない。100人以下というところもある。僕が以前に取材させてもらったデモは20人だった。近くに大きな原発があり、そこが事故ると、その街は全滅と言われている。決して小さな町ではない。誰もが知る有名観光地。人口も多い。でも、デモ会場には20人。

「原発の危険性は市民はみんな分かっているんですけど、集まる人数はいつもこんなものです...」

と話していた。この背景にあるのもムラ社会ルールではないか? 

④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」

これに当てはまる気がする。デモをすれば電力会社や自治体と対立になり、トラブルになるかもしれない? だから避けたい。「人と違うことをしない。新しいことを毛嫌い」日頃しないデモに参加する。原発反対という311以降の動きを拒否。参加してもし、近所の人に何か言われたらどうしよう? トラブルに巻き込まれたら嫌だ。近くの原発が事故れば大変なことになる。観光地なので実害がなくても、風評被害だけで収入は激変。生活ができなくなる家庭も出る。それでも

⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合いを大切にする」

周りの目を気にしてしまう。そんな思いが参加者を増やさないのでは?対して都会のデモに参加したからと言って、隣の人に「デモに行ったのね?」と言われたり、会社でトラブルになったりはしない。次原発が事故れば東京は危ない!止めなければ!という思いが行動に結びつく。東京の人口が多いからデモ参加の人数が多いというだけではないと思える。

しかし、東京はそのルールに縛られていないか?というと、そうでもない。お役所や大手企業。そして国会でも、その習慣から抜け出せないでいることが多い。そして日本全体で見ると、その体質、習慣が世界から置き去りにされつつある現実を助長していると感じてしまう。それはまた次回に。

(ムラ社会のルール?)

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」
②「問題を起こした責任者を追求しない」
③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルに触れず、無かったことにする」
④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」
⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」

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