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沖縄戦ドキュメンタリー=タイムコードを入れる。何の意味があるの? [編集作業]

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沖縄戦ドキュメンタリー=タイムコードを入れる。何の意味があるの?

ついにタイムコードを入れた。よくテレビ局の調整室や編集室の風景(番組紹介等での)を見ていると、画面の上に数字が出ていて、めまぐるしく変わっていくのに気づくことがあると思う。あれがタイムコード。

どの場面のどの映像というより、数字で示せば間違いがない。撮影スタッフなら、あの日のあの場所の....といえば通じるが、編集、音楽、効果スタッフはロケ現場にいないので、分からない。そのためにタイムコードを入れて、共有する。

でも、これを入れてしまうと、もう、大きな変更はできない。そして小さな変更でもタイムコードに影響するので、その度に関係者に伝えなければならない。劇映画の編集では、よくこの段階でも僕は変更することが多く、関係者に迷惑をかける。編集というのは本当に最後の最後まで直してしまう。

現在、上映時間は1時間40分ほど。友人のPに話したら、

「えーーーー凄い〜。まじですか〜。太田組始まって以来じゃないですか!!」

と驚かれてしまった。僕の作品は長いので有名なのだ。1時間50分になる予定のシナリオでも、撮影すると2時間10分になってしまう。それが「明日にかける橋」。ちなみに「向日葵の丘」は2時間20分ある。それで無駄がある。カットできるか?というとないところまで切ってそれなのだ。

映画館や製作会社は2時間超えの映画を嫌う。1日の上映回数に影響するからだ。でも、だからといってストーリーに影響してまで短くはできない。そこでいつも戦い。だから、今回、2時間超えず。さらに40分台というのは関係者には驚きなのだ。

といってコンパクトに沖縄戦をまとめたのか?というと、そうではない。100分ほどに沖縄戦が詰まっている。これを見れば沖縄戦がとりあえず分かる!というレベルになっているはずだ。いよいよ、大詰めの作業だ。



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ドキュメンタリーも音楽はオリジナルを制作する? [編集作業]

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ドキュメンタリーも音楽はオリジナルを制作する?

音楽家さんはすでに作業を開始してくれている。素材を見てもらい、どの場面に音楽を入れるか?そして、どんな音楽を作ってもらうか?はすでに打ち合わせ済み。沖縄戦を描く上で必要な音楽とはどんなか?あれこれ考えて、戦争映画等のサントラ版を何枚も聴いた。

ドキュメンタリーなので、あまりドラマティックに音楽で盛り上げるのはいけない。しかし、音楽も現実を伝えるための表現手段の1つ。その辺を熟考して曲調を決めた。どんな風に仕上がるか?楽しみだ。

ドキュメンタリーとはいえ、既成の曲を無断で使うわけにはいかない。著作権というものがある。だから、曲はもちろんオリジナル。音楽家さんが演奏して録音してくれる。劇映画と同じだ。

沖縄で取材中にある方が忙しくてインタビューを受けてもらえなかったことがある。で、こう言われた。

「先日、NHKでもインタビューを受けたので、それを借りて使ってください〜」

でも、そうはいかない。NHKが取材した時点でNHKがその映像の著作権を持つ。ご本人が承諾しても、それを借りるためには許諾を取り使用料を払わなければならない。映像はいろいろ大変なのだ。

音楽も同じ。一つ一つの曲に著作権がある。勝手に使うことはできない。最近は個人で撮った動画をYouTubeに上げても、既成の曲を使うとブロックされてしまう。「せこいこと言うなよ〜」と思う人もいるだろうが、著作権は大事。無断で使うのは泥棒と同じだ。

最近はだいぶん理解が深まったが、まだまだ一般では無頓着、悪意がないのに違法行為をしてしまう人がいる。映像も、写真も、音楽も、文章も、絵も、デザインも、描いた人、作った人の権利が著作権法で守られており、無断で使うことはできない。この話はまた別の機会に詳しく書く。

とにかく音楽も制作中。編集もいよいよ追い込みだ。


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編集するとなぜ、腹が減るのか? パソコン前から動かないのに? [編集作業]

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編集するとなぜ、腹が減るのか? パソコン前から動かないのに?

お菓子とか甘いものは滅多に食べないのだけど、シナリオ執筆と編集の時は食べたくなる。お菓子どころか、めちゃめちゃお腹が空く。ずっとパソコンに向かって作業するだけなのに、なぜ腹が減る??と考えたら、物凄く頭を使う。脳は糖分しかエネルギーにならないので、甘いものが必要になる。その消費量が物凄いのでやたらお腹が減ることが分かった。

だから、編集しながらお菓子をかじる。だいたい、チョコレートかせんべい。でも、お菓子ってカロリーが高くて、気づくと体重が3キロも増えてしまった。編集終わったらジョギングでもしようか?と思っていて、久々に体重を測ったら、元に戻っていた。恐るべき編集作業でのカロリー消費。3キロ痩せるのは大変。それをパソコン前で作業するだけで消費してしまうのだ。

編集ダイエットというのを考案しようかな? 本日も作業。ついに終盤戦。


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編集は技術だけではない。センスと感性が勝負? [映画業界物語]

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編集は技術だけではない。センスと感性が勝負?

昔から編集にはこだわりがある。どんなに素晴らしい映像が撮影されていても、編集次第に名作にも駄作にもなるからだ。しかし、編集をしたことのない人には理解しづらいようだ。

「シナリオがあり、それに沿って撮影された映像。それを繋げば誰がやっても同じような編集になるのではないか?」

確かに昔の日本映画ならそれも言えた。日本式は編集を考えて、それに必要な部分だけを撮影する。なので、素材をつなげれば編集は終了。映画が出来上がる。ところがハリウッドでは同じ芝居をいろんな角度から撮影する。その素材を編集するので、担当する人の感性やセンスでかなり違ってくる。

引き絵から入り、アップの切り返し。アップから入って引き絵を見せる。いろんなパターンで編集できる。近年、そのハリウッド式。つまり、マルチカム方式で撮影される日本映画が多い。岩井俊二監督。行定勲監督らもこのスタイルと聞く。僕も監督デビュー時というより、学生映画の頃からそのスタイルだ。

だが、当初は日本映画の方法論とは違うため、ベテランの映画人には「邪道だ」と嫌がられることが多かった。が、最近では多くの監督が使う手法であり、若いスタッフは当然のことと理解し近年では全く問題ない。というか、僕らの世代が現場で最年長になり上がいなくなったというのが理由だろう。

そんなハリウッド式で編集するには、ただシナリオ通りに繋いではダメだ。一度だけ、ある作品でスタッフが仮編集をやってくれたことがある。が、もう、学生映画のようなノリで

「こんな風になってしまったのか〜」

と落胆したが、直すといつもの感じが出た。決してそのスタッフの腕が悪い訳ではない。正攻法の編集だとそうなる。気づいたのは、僕の編集が独特ということ。実は編集の勉強をしたことはない。映画学校ではそんな授業があったかもしれないが、その手の授業には出なかったし、本で勉強もしていない。

誰かに師事したこともない。8ミリフィルムを使った学生映画を作りながら、あれこれ試して覚えた。あとは、名作映画をビデオで録り(当時はDVDはなく、レンタルもまだ普及していなかったので、テレビ洋画劇場を録画)気になる編集を繰り返し見て、そのテクニックを覚えた。

ある時、気づいた。僕の映画。シナリオ時には1時間45分くらいなのに(ページ数で上映時間が読める)完成すると2時間超え。毎回、シナリオより長くなる? なんでだろ? と思っていたら、あるスタッフさんに言われた。

「太田さんの編集は間を伸ばすことが多い。だから、長くなるんですよ」

なるほど!自分では気づかなかった。が、これは編集テクニックの基本。例えば.....

男「君のことが好き!」

女「私もあなたが好き」

というセリフがある。この間が問題。もし「好き」と言われて間髪入れずに「私も」とくると、女も男のことが本当に好きだが、その間が長いと「本当は好きじゃないけど、傷つけたくなくて好きと言ったのかも?」という解釈もできる。あるいは「告白に胸打たれて、内気のその女性もついに告白した」という表現にも見える。

それは設定やキャラにもよるが、新人俳優の場合。そこまで考えずに演技することがある。その場合は編集で何とかすることができる。ただ、これが古い日本映画式撮影で、それも2人を真横からツーショットで撮っていたアウト。それぞれの表情を別アングルで撮って初めて編集でなんとかできる。あるハリウッド監督はいう。

「名演技は編集室で作られる」

その通り。さらにその監督はこういう。

「あの女優(S Sさん)。賞を取ってご満悦だが、素材を見たら目も当てられない演技だった。僕らが編集室で奮闘したので、あの演技になった。俺たちが受賞すべきだよな?」

これはかなり皮肉が入っているが、編集次第で作品は大きく変化する。泣けるはずの場面が泣けない。多くは編集だ。先にも書いた間の取り方。センスや感性のない人が編集すると、アウト。僕らが学生時代の日本映画は本当に酷かったが、考えると、当時の編集はかなりお年の方が担当していたのを思い出す。

もちろん、年齢だけではない。ただ、どうしても歳を取ると時代から遅れてしまうことはある。つまり「古臭い」となる。編集はテクニックや技術だけでなく、そんなセンスと感性がとても大事なのだ。とあれこれ書いて話を戻すが、スタジオの人がやってくれた編集に比べて、僕の編集はかなり個性的だと意識した。

例えればキースリチャーズがすでに調整されたギターの弦をあえて緩めて独自の状態のものにして弾いたり。ブライアンメイが手作りでギターを作り、ピック代わりにコインで弾くようなもの。それによって真似できない独特のスタイルを作り出す。そこまで行かないが、僕の方法論も普通ではないようだ。

と言って斬新とか前衛的ではない。編集にこだわらない人が見て僕の編集を「おおー」とは思わない。そして驚かれてはいけない。物語に集中してもらわないければならない。そこに太田組作品が他の映画と違う個性を作り出しているのだと想像する(?)なかなか、自分のスタイルは分からない。


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「本当に嫌な奴!最低!許せない!人間じゃない!」と思う人いませんか? 相手はもしかしたら***かもしれません。 [MyOpinion]

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「本当に嫌な奴!最低!許せない!人間じゃない!」と思う人いませんか? 相手はもしかしたら***かもしれません。

約束したことを守らないどころか、あとになり「あれは決意を語っただけ」と言い訳する人。みんなで決めたことなのに、勝手に反故にして違うことを始めてしまう。指摘すると「決定は覆したのではない、新しい判断だ」と言う。そんな人がたまにいる。それでは会社だろうが、プライべートだろうが、町内会でも、サークル活動でも混乱を来してしまう。

「私はそんなことを言った覚えはありません」

「私は前々から、そのことを繰り返し皆さんに言ってきました」

でも、その人は何度も繰り返しそう言っていたのに平然と「言ってない」と否定したり、一度も言ったことのないことを「前から言っていた!」と断定する。

180度違うことを平気でいう。ごまかすならもっとうまい嘘をつけ!と腹立たしい。嘘や誤魔化しをするとき、人はどこか後ろめたいものがあり、言葉に力がなくなったり、目を反らせたりする。が、その種の人は堂々と嘘をつく。

質問をしても、聞いていることには答えず、関係にないことを延々と話し続ける。「誤魔化してんだな?」と思え、

「聞いたことに答えろ!」

と言う。と、

「答えているじゃないか? お前こそ同じことを何度も聞くな!」

と怒り出す。話にならない。最初はこちらの勘違いがあるのかも?と思うが、事件が繰り返されるので、その人に問題があることは分かる。そんな人と会社や学校。仕事やプライベートで接したことはないだろうか? 

相手はそのことでどれだけ大変なことになるか?迷惑をかけているか?考えもしない。平気で追い込み、心を踏みにじり、辛辣なことを要求。約束は平気で破る。言ったことを言わないといい。言わないことを自分は言ったと主張。聞いたことに答えず、独断で勝手なことを続ける。

頭が痛いのは、第三者から見ると原因がその人であることが分からず「仲良くやれよ」と性格が合わないかのように言われる。人に話しても分かってもらえないで、1人で苦しむ。そんな経験はないだろうか? 

それは性格が曲がっているのではなく精神病という可能性がある。今回紹介したのは双極性障害。一言でいうと情報処理能力の欠如だ。決して頭がおかしいとか狂っているということではない。病気というより障害。以前の呼び名でいうと「躁うつ病」最近では「双極性障害」という。

ただ、マスコミは精神病を極端に避けたがる。人権問題に関わるので情報番組でもほぼ触れない。扱わない。そのために、多くの人はどんな病気か?障害か?知ることもなく。患者と揉めると障害とは思わず「嫌な奴」と認識してしまう。病状は先に紹介した以外にも

「私は経験がないことでもできる! どんなことでもやれる!」

という万能感を持ってしまうことがある。私財を投げ打って専門的に機械を購入したり。新しいビジネスを始めたりしてしまう。当然、できる訳がなく大失敗し財産を失う。そのために家族が路頭に迷ったり、社員がいるのに倒産して大変なことになる。まわりの人がそのたびに振り回される。

ただ、統合失調症のように「俺は神だ」とか「家族が宇宙人と入れ替わっている!」という誰が聞いても奇異に思う発言はなく、常識レベルのことなので、病気であることに気付きにくい。専門医でも診断がむずかしいので、多くの人が分からず。性格の不一致でもめているだけのように思われ、相手はは孤独感に苛まれる。

患者も自分が病気であることに気付き辛く。「相手の方がおかしい。私がこんなに誠実に対応しているのに、残念だ」とさえ思う。問題が起こっても自分のせいとは考えない。こうして誰が悪い訳でもないのに、トラブルが起こり、周りが巻き込まれ、不愉快な思いをし、ときには家庭や会社をメチャメチャにしてしまう。

僕が以前、仕事した会社の社長がまさにその症状。大変な目に遭った。今回の記事に書いた通りの発言行動ばかり。おまけにトラブル起こっても、社長に問題があることに気づかない人が多く、あちこちから「仲良くやれ」と注意された。似たような体験をされた方もいるだろう。そんなときはぜひ、一度、そのことを疑ってほしい。

精神病というとすぐに「差別だ。人格否定だ」と騒ぐ人がいるが、患者を差別するのではない。相手は病気。悪意はない。トラブルを避けることは患者のためでもある。できれば患者が気付いて病院に行くことになれば好ましいが、なかなか気づかない。相手を憎み、攻撃しても何ら解決はしない。一度「病気ではないか?」と考えてみるとこと双方にとって大事だと思える。



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