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夢を追う若者たち。それを否定する大人たち② その背景にある想像を超えた存在とは? そこに日本の未来が見える。 [MyOpinion]

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夢を追う若者たち。それを否定する大人たち② その背景にある想像を超えた存在とは? そこに日本の未来が見える。


なぜ、日本では夢追う人を否定し、批判するのか?

「現実を見ろ!」「世の中甘くない!」「どーせ無理だ!」

と言いたがるのか?考えてみた。背景にあるのはムラ社会だろう。その昔、交通も発達していなかった頃、狭い村で生活するには協調が大切だった。農作業は皆の協力が必要だ。仲良くせねば。トラブルを起こしてはいけない。それを破る者は村八分にして懲らしめる。だから、皆、目立ったことをしない。人と同じように地味に生活する。波風立たせない。トラブルを避け、村八分にされないため、村で生活できなくなるから。

そんな傾向は今の地方でもまだまだ生きている。地方だけではなく日本という国全体全体にもある。その国で夢を語るというのは、目立つことであり、波風を立たせるということなのだ。特別なことは危険。皆、同じでないといけない。調和が大切。昔々からの村社会のルール、習慣が根付いた日本人は皆で本人を説得。夢を諦めさせる。嫌がらせではない。本人のためと思って厳しく言う。

もう一つ。大きな意思が背景にある。例えばアメリカで赤狩り旋風が吹き荒れた時。共産主義者は弾圧された。ハリウッドも例外ではなく、あのウォルト・ディズニーさえ国会で喚問された。その背景にあったのはソ連の台頭。脅威を排除するために共産主義を排除するしようとしたのだ。

太平洋戦争中も同じ。戦争に反対する者は「非国民」と呼ばれ処罰された。これは国民を総動員して戦争をするためだ。両方の国に言えるのは国家が目標をとすることを推し進めるために、主義主張を抑えつけ自由を奪っていたこと。さらに、両国とも国家が取り締まるだけでなく、国民も隣人や友人を監視。

「あいつはアカだ!」「非国民だ!」

と国と一緒に批判した。国の政策に乗せられて国民自らが、国の目標達成に疑問を持たず参加したことだ。さて、日本は戦後、優秀なサラリーマンを育成する教育を始めた。成績で国民を分けて、優秀なものから国や大手企業が採用する。そうやって経済大国を目指した。その中でサラリーマンにならず、

「ミュージシャンになろう! 作家になろう! 映画監督になろう!」

というのは、国の方針に逆らうこととも言える。真面目に勉強する人からすると「勉強が嫌だから逃げているだけだ」と思える。心ある人からは「このままでは苦労する」と思われる。ここで先の村の発想が出てくる。

「説得してやめささないといけない...」

同時に、戦中の「非国民」発想と同じものが出てくる。

「戦争に行かずに(勉強をせずに)世間に逆らい勝手なことをする(夢を追う)のは非国民(落ちこぼれ)だ。現実が見えてないから、注意してあげなければ! きっと困ったことになるはず」

同じ構図だと思える。資本主義を貫くことが大事。共産主義は敵、世界を滅ぼすと考えた赤狩り時代のアメリカ人。戦争に行くことが大事だ。戦争に反対するのは非国民だと考えた戦中の日本。そして今、受験勉強をして大学に行き、一流会社に入ることが大事だ。それを拒否するのは現実逃避だ。

全部、同じ構図。国の政策に従わない者は国があれこれ指摘する以前に、友人や隣人たちが説得してやめさせてしまう。それが国策の凄さであり、構図なのだ。戦時中は

「戦争に勝つことが大事」

と多くの人が信じ、違うと思っても口にできなかったように、近年の日本は受験勉強をして一流大学に行くことこそがステイタスであり、その方針に逆らい夢を追うなんて、現実を知らない奴がすることという発想と思い込んでしまう。

しかし、後で振り返るとアメリカの赤狩りは間違っていた。共産主義者だからと弾圧するのは人権侵害。戦争を推し進めた日本政府は間違っていたこと。軍部の暴走であったことを日本人は今も反省を続けている。では、優秀なサラリーマンを育てる制度はどうか? 確かに日本は経済大国になった。が、今は? なぜ、電化製品の世界シェアは韓国に抜かれ、20年にも渡る不況から脱することができない? 現在の学校教育で育った人たちでは、新しい問題を解決できない。通用しないということなのだ。

与えられたことが出来るだけの教育を受けた人たちに、新しい時代を乗り切る力がないからだ。にも関わらず、そんな教育を日本は続け、国民の多くがそれを信じて、線路から外れようとすると、寄って集って、みんなと一緒の道に引き戻そうとする。その背景にあるのは「ムラ社会の構図」と「国策」。多くの人がそれらを意識していないにも関わらず、縛れ、国策の番人や憲兵隊のような発言をし、行動してしまう。

日本という国に生まれ育つと、それが当たり前のものとして身に付き、その思想を共有してしまう。僕はたまたまアメリカに行き、別の発想があることを経験した。そこから日本の仕組まれた構図、古くからの考え方に縛れらていたことに気づいた。が、海外に行かねば気づかなかったかもしれない。

「映画監督になるなんて、やっぱり夢だよな〜」

と諦めたかもしれない。しかし、これからの時代。芸術家やクリエーターを目指すということでなくても、与えられたことをするだけの教育を受けているだけでは、新しい時代を生き延びることはできないだろう。今までとは逆になる。引かれた線路に沿って歩いていると先は谷底だ。いかにして、そこから離れ、与えられないこともできるスキルを身につけないと生き延びることはできないだろう。そんなことを考えている。



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夢を追う若者たち。それを否定する大人たち①=その背景を考える? [MyOpinion]

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夢を追う若者たち。それを否定する大人たち①=その背景を考える?

「俺は会社を作り世界と商売をするぞ!」

と、あたなが言ったする。まわりは必ずこういうだろう。

「どうーせ無理!」「世の中甘くない!」

多くの人はなぜか?夢や目標を否定しようとする。夢を語ると相談してないのに、いろんな人がやってきて説教する、注意してくる。本人たちは助言やアドバイスのつもりなのだが...。その背景には日本人的な考え方がある。

「現実は厳しい」「夢は所詮、夢」

それが大人の発想であり、世間を知っていることだという意識がある。だから夢を語ると、

「こいつは世間を知らない。まだ子供みたいなことを言っているのか?」「現実を教えてやらないければ」

と多くの人があれこれ言って来る。僕自身も経験がある。高校時代に「映画監督になりたい!」といったら、友達や先生、親、大人からもの厳しく批判、否定を受けた。

「世の中、そんな簡単にいかない!」「もっと現実を見ろ!」「小学生みたいなことをいうな!」「お前、才能あるのか?」

と、総攻撃。その後は夢を語らないようにした。それがアメリカ留学し、大学の先生やクラスメートに「夢」を訊かれて答えたときは全然、違う反応だった。

「映画監督か!グレート。がんばれよ」「グッド!いいね!」

「絶対になれるよ。応援する!」

ほとんどが好意的な意見で、背中を押すものばかり。日本は止めようとする人ばかりだったのに、何が違うのか? 僕が留学したのは23歳。日本なら大学卒業、就職の歳。後ろめたいものがあった。大学でそんな話をしたことがある。

「僕はもう23歳だから…」

「何いってんだ。まだ、23歳じゃないか!」

「まだまだ、これから、何だってできるさ!」

と、これまた何人もから言われた。アメリカは楽天家ばかりなのか? でも、とても励まされた。ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースも60歳を超えてからフライド・チキンを始め成功したと聞く。さすが、アメリカン・ドリームの国。

大学で出会った人たちも、皆前向きだった。で、気づいたのは日本は何で夢を語ると否定したがるのか? なぜ、夢を否定する? 厳しい現実を受け入れることを大人の考え方だと思い、特別なことをやろうとすると「いい加減、大人になれ!」などというのか?

日本に帰ってからも、僕は「映画監督になること」を目標にして、アルバイトをしながら、シナリオを書き続けた。相変わらず、友達も、親も、知人も、声を揃えてこういった。

「いい歳なんだから、早く会社に就職しろ!」

そして相も変わらず「世の中、甘くない」と言われた。身のまわりでも、ミュージシャンになりたい! 俳優になりたい! 小説家になりたい!という友人がいたが、1年、2年で脱落。故郷に帰る者。会社に就職する者が出てきて、5年も経つと皆、いなくなった。

「やっぱ、食って行けないから...」「しょせん夢は夢なんだよな....」

そんな言葉を残して消えて行く。大人たちは、そんな彼らを見てこう言う。

「世の中、甘くない。諦めが肝心だよ...」

しかし、それは違う。夢を追いかけた友人たちは全力で努力したがダメで諦めたのではなく、ほとんどが努力不足。見ていると、少しばかり足掻いてみて駄目だと、落ち込んで悩む。その期間の方が長い。そして彼らは自身を批判する大人たちと同じように、他人に対しては

「どーせ無理だ!」「世の中、甘くない!」

と言っていた。「俳優になりたい!」といいながらも、現実は厳しいと思っていたのだ。だからこそ、2年3年で諦めてしまった。だが、数年で俳優や小説家になれる訳がない。そして自分の努力が足りないのではなく「世の中が厳しい。だから無理なんだ」という解釈をした。

僕も何度か挫折しそうになった。いろんな努力をしても、なかなか映画監督になるチャンスは掴めない。でも、人が机の上で考える方法論なんて、ものすごく限られたもの。本当は別のところに、違った方法論があるものなのに、多くはそう考えず「世の中は甘くない。厳しいんだ」と解釈して諦めてしまう。

成功した友人たちを見ると「もう少し、がんばれば、別の出会いがあるかもしれない。別の方法論が見つかるかもしれない」と考えて、諦めなかった。そう、この「諦めない」ということが大切だ。なのに多くの日本人は「世の中甘くない」と決めつけて諦める。それで終わらせる。つまり、自分の努力が足りないのではなく、世の中が厳しいから夢破れたと考える。

実際、僕は5年目で脚本家になるチャンスを掴み、2年後に監督になる。そして、さらに8年後に映画監督デビューする。それから5本の映画を撮り。毎回、日本全国20カ所の映画館、シネコンで公開される。有名俳優も出演。作品は海外でも上映される。

もし、あの頃に諦めていたら今の僕はない。なぜ、友人たちと同じように2−3年で諦めなかったのか? アメリカ時代にもらった言葉に支えられた。

「まだ、23歳じゃないか!」「今からだってできる!」「映画監督。グレート。がんばれ!」「絶対になれるよ。応援する!」

特別の人たちではない、普通のアメリカ人から何度もそう言われた。だが、僕がずっと日本で生活していたらどうだったか?バイトを続けながら、映画監督を目指していたら? ほとんどの大人、そして友人たちがこう言い続けたはず。

「世の中、甘くない」「夢は所詮、夢だ」

「どーせ、無理だ!」「可能性は低い!」

そんな言葉を何年も何年も聞いていると、

「そうだよな。やっぱ無理だよな...」

と思えたはずだ。そして、夢を諦めることこそ、大人だと思い、就職。そして、がんばる若い人を見れば「甘いんだよなー」といいたくなったろう。それが日本社会の構図なのだ。では、なぜ、そんな風になったのか? 次回、分析する。(続く)

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」
②「問題を起こした責任者を追求しない」
③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルに触れず、無かったことにする」
④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」
⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」


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音楽聴き放題のamazon。恐るべし。音楽天国♬ [2019]

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音楽聴き放題のamazon。恐るべし。音楽天国♬

amazon musicのエクステンデッドというのを昨年暮れから使っている。一度記事にしたが、月2000円弱で5000曲くらいを聴き放題!というサービス。もう、俺のため?というような制度で狂喜乱舞。昔から部屋にいる間だけでなく、外出するときもウォークマンで1日中音楽を聴いていたからだ。

詳しくは前回書いたが、CDは2500円ほどだし、レンタルでも5枚1000円。1枚200円。安いとも言えるが、月に50枚、100枚レンタルするのは厳しい。それを2千円ほどで聴き放題。凄い!

TUTAYAで(会員辞めたけど)で、マリリン・マンソンや下衆の極み乙女を借りるのは少し恥ずかしい。それらのアーティストもAmazonでは聴くことができる。

昨年からしばらくは前から勉強したかったJAZZを聴いいていたが、編集で暗い思いをしているので、ここしばらくは、朝起きると「カントリーミュージック♬」 昔はウイリー・ネルソン、ドリー・パートンくらいしか思い浮かばなかったが、西部劇の主題歌等があり、馴染みは深い。このジャンルもいつか徹底して聴こうと思っていたので、ありがたい。

トランプ大統領を批判した歌手のテイラー・スイフトもアメリカでは人気だが全然知らなかったので、この機会に聴いた。実はトランプも彼女のファンだったらしく「今後、曲を聴くときに辛い思いをする」とコメントしていた。僕の洋楽レパートリーは80年代で止まっており、アメリカ留学時代に毎日見ていた「MTV」や「VH1」を帰国して見れなくなり情報がなくなったようだ。

前回も書いたが、高校時代。横浜時代に聴きたくても経済的な余裕がなく聴けなかったアルバムもバンバン流れているので、狂喜乱舞だ。生きてて良かった!という感じ。高校時代に買えなかったバーブラ・ストライザンド主演の映画「スター誕生」(ガガのはそのリメイク。でも、オリジナルはジュディガーランド)のサントラ版とか。同映画に出演していたクリス・クリストファーソンのアルバムとか

ダイア・ストレイツ、ブームタウン・ラッツ、カンサス。この辺は前回にも書いたか? もちろん、クイーンのアルバムもほとんどあるので、映画を観たあと聴きまくった。ただ、デビッド・ボウイの「グラス・スパイダー」がない! なぜだ? マニアなアルバムはあるのに〜。


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沖縄戦ドキュメンタリー報告 何があっても完成し公開せねばならない作品!沖縄を見る目が変わる [編集作業]

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沖縄戦ドキュメンタリー報告 何があっても完成し公開せねばならない作品!沖縄を見る目が変わる

現在は音の張り替え直し作業。ドキュメンタリーの場合はカメラマイクで録音することが多い。インタビューはそれなりのマイクを使うが風景撮りはカメラに付いているマイクで撮る方が早いし便利だからだ。ただ、風が吹くとゴワゴワ、バリバリいう。周りの騒音も拾ってしまう。それらを調整、差し替え、静音することで聞きやすい状態にする。

が、一般の人は普通に録音すればテレビで見るような音に録れると思いがち、逆に音の悪い映像を見たことがほとんどないはず。実はスタッフが苦労して音を直しているのだ。

その作業の一部を僕がやっている。これがなかなか大変。そのこと昨日も書いたので本日は省略するが、本当に面倒だ。そしてもちろん、僕が直した部分をさらに専門スタッフが直す。でも、僕が直しておくことで、時間が短縮できる。専門家がスタジオでやる作業は1時間いくらかを払わねばならない。その時間は短く済む方がいいからだ。

ついでに書くと、これも本来、監督がやるべき仕事ではない。が、毎回、やるべきことではない仕事をたくさんすることで、製作費がかなり助かる。その浮いた分、節約した分が僕のギャラになればいいが、そうではなく、今回で言えば取材費用を回すことができた。

ドラマは1週間撮影すれば、ほぼ1週間分の予定が消化できる。が、ドキュメンタリーは1週間取材したからと1週間分の予定が紹介できないことがある。取材相手がドタキャンしたり、雨で現地の撮影ができない。船が出なくて島に渡れない。ということが今回も何度かあった。

だから、何度も取材に行くことでチャンスも多くなり、思いもかけない人と出会えて取材できたり、繋がったりする。それは作品レベルを上げることだ。しかし、一度取材に行くと、スタッフのギャラ、交通費、宿泊費、食費とかなりな費用がかかる。それかける人数分。なのに空振りすることもドキュメンタリーではあるので、回数行くにはそれなりの費用が必要。

5回より6回。6回より7回。でも、低予算ものでは、2回で終わりということもある。それでいいものができる訳が無いのだが、予算は変わらない。なら!と、ポストプロダクションの費用を抑える。僕が数人分の仕事をする。それしかない。と予算表を見ると、「俺のギャラこれだけか....」という額。ブラック企業を遥かに超えている。ボランティアに近い。

でも、今回の「沖縄戦」は僕が思う以上に重要な仕事だと思えてきた。こんなドキュメンタリーは他にない。これからも簡単には出来ないだろう。完成させ、多くの人に見てもらう意味がある。はっきり言ってこの作品を見れば沖縄を見る目が変わるはずだ。本当に沖縄戦を知ってもらえる。だから、やらねばならない!

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いろんな縁が交差する想い出の映画館ジャック&ベティ [編集作業]

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いろんな縁が交差する想い出の映画館ジャック&ベティ

「向日葵の丘」2015年、横浜シネマ・ジャック&ベティで上映してもらった時の写真。この映画館は学生時代に通った元・横浜名画座。10代の時に行った映画館で自分の監督作が上映されること。毎回、感動する。

ちなみに、この映画館が「向日葵の丘」に登場する映画館・かもめ座のモデル。どちらも2階建。階段を上がって受付に行く。さらに映画で津川雅彦さんが演じた梶原支配人の名前はこちらの支配人さんからお名前を頂いた。

その数年後「向日葵」の主演・常盤貴子さんの「誰かの木琴」という映画をこの劇場で上映した時。舞台挨拶があり、お祝いに向日葵の花束を届けた。

その時に支配人の名前の話をしたら常盤さんは「あーー本当だ!」と笑っていた。その時の映画「誰かの木琴」は東陽一監督。実は初めて僕が見学した撮影現場が東監督の映画!37年ぶりに監督にご挨拶した。

そして、僕の監督作「朝日のあたる家」も「明日にかける橋」もここで上映して頂いた。感謝!



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