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日本人を縛るものー補足 そのルールを終わらせることが日本を救う? [ムラ社会ルール]

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日本人を縛るものー補足 そのルールを終わらせることが日本を救う?

久しぶりに長いシリーズを書いた。この10年ほど、ずっと気になっていたことだ。多分、記事を読んでくれた人の中には「???」という人もいただろう。都会育ちで田舎の習慣に縁のない人なら「監督は何を言っているのだろう?」と思っただろう。地方に長く住んでいる人なら「何言ってんだ。そうしないと田舎では暮らしていけないんだよ!」と感じた人もいるだろう。

ある海外体験のある人が「超いいね」[黒ハート]くれた。思い当たることがかなりあったのだろう。そう、ムラ社会ルールは海外から見たときの日本人イメージにかなり近い。

●日本人は何を考えているのか分からない。

●いつも集団行動。責任者が分からない。

●顔に感情が出ない。

よく言われるそんなイメージも、そのルールが背景にあるだろう。地方で映画製作をしていた初期の頃、とんでもないことを言い出す人がいたこと思い出す。映画のことを知らないのは分かる。そうではなく、常識を超えたことを言い出す。社会人の発想とは思えない。いい大人が子供みたいなワガママを言い出す。無責任なことをしてしまう。だが、町の人は誰も注意しない。咎めない。黙ってしまう。そんな光景を何度も見た。

それがムラ社会ルールなのだ。トラブルは見て見ぬ振りをする。関わらない。ただ、その人のためにプロジェクトが混乱することは見えている。理解してもらうか? 抜けてもらうか? しないといけないのに誰も何も言わない。その人に僕が説明する。説得する。が、本人は屁理屈ばかり。あるいは黙り込む。連絡しても返事がない。決められたことをやらない。そうすると他の人から

「仲良くやりなよ?」

と言われる。はあ? 彼を攻撃しているわけでも、批判しているわけでもない。説明し、やるべきことを連絡しているだけ。なぜ、できないか? 返答があれば、別の人にお願いする。が、その返事もない。だから、何度も連絡する。それがなぜ「仲良くやれ」になるのか? サークル活動ではない。仕事なのだ。責任を果たさない人には催促するのは当然。するとこう言われた。

「あれこれ、うるさい!と評判が悪いよ」

監督がうるさい存在であるのは当然だ。それが仕事。問題を見つけ解決し、作品をよりよくする仕事だ。だが、その人たちは町の生活ルールを当てはめてきたのだ。

⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」

映画製作を推進するより、仲良くすること。製作に支障が出るよりも仲良くすること=トラブルを起こさないことが大事なのだ。だから、最初は問題を起こす人がいても何も言わず黙り込んだ。ルール①だ。

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」

なのに僕はその人が責任を果たすように何度も連絡した。これは

②「問題を起こした責任者を追求しない」

これに当てはまる。僕はそれをしてしまったのだ。そして、「仲良くやれよ」「評判悪いよ」と言われたのは。

③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルに触れず、無かったことにする」

ということなのだ。理由や原因はとにかくトラブルを嫌う。巻き込まれるのを嫌がる。

「狭い街で今後も付き合って行かねばならないのに、揉めないでくれ!」

という思いなのだ。いや、無意識にそう考えて対応しているのだろう。「トラブル」=>「見ない振り」「責任追求」=>「叩いて潰さないと」そんな感じさえした。だが、それなら町おこし映画など作らなければいい。何もしなければトラブルは起きない。

でも、街をアピールしたい!このままじゃいけないという思いもある。長年の習慣にしばられているのだ。ただ、映画作りは違う。決められたことをせねばならない。責任あるものは責任を果たさなければならない。それをしない、放棄する人たちを庇うことだけでは前に進めない。

「やりたくない!」という人に何かを頼むべきではない。でも、「やる!」といったら、やらなければならない。もし、できないなら「できない。担当を変えてくれ」と言えばいいのに、何も言わずに引きこもったり、逃げ回ったり、筋の通らぬ言い訳をする。

要は「アイツは投げ出した」と思われたくない。それを周りは察して指摘せず、庇う。それなら内内で話して、担当を変えればいい。そうすれば前に進める。なのに触ろうとしない。コンタクトを取らず。解決しようとする人を批判する。

「仲良くしろ」

つまり「うるさくいうな」ということ。それを表向きの言葉で注意してくる。当時は意味が分からなかったが、古くからの田舎の風習とも言える防衛法。トラブル処理法だったのだ。すでに書いたが、昔はそれでも何とかなったのだろうが、今の時代はそれでは何も解決しない。大きな客船に乗り、それが沈没しかかっているのに、原因を究明せず、問題を解決しようとせず。トラブルを見ない振りして、知らない振りして、船に乗り続けるようなものだ。

今の政府がまさにそれ。問題はあの人だと誰もが気づきながら、責任を追求する議員やマスコミを潰しにかかり、目の前の問題を見て見ぬ振りをする。それどころか公文書や調書を改ざんしてまで問題がないと思わせようとしている。沈もうとしている日本丸を「問題はありません。以前より良くなりました」とアナウンスし続けている。

そして多くの国民もそれに気づきながら、見て見ぬ振りをする。トラブルを知らない振りをする。トラブル=国難は何なのか? 誰が国難なのか? もう、北朝鮮は脅威ではない。ムラ社会ルールから脱却して、本当のトラブルを見つめること大事。見ない振り、知らない振りはもう終わりにしよう。日本のムラ社会ルールを終わりにするのは今なのだと思えている。

(ムラ社会ルール?)

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」
②「問題を起こした責任者を追求しない」
③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルに触れず、無かったことにする」
④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」
⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」



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俳優の力。作品レベルが数段アップ! ナレーションの第一弾をスタジオで録音。 [編集作業]

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俳優の力。作品レベルが数段アップ! ナレーションの第一弾をスタジオで録音。

ドキュメンタリーのナレーション。最近は報道番組でも俳優が担当することが多いこと。以前にお伝えした。正確な発音や聞きやすさについてはアナウンサーやナレーターの方がうまいが、表現力においては俳優に敵わない。それとプラスして、NHKのドキュメンタリー等は男女2人のナレーションを使うことが多い。

作品で扱われる人物の男性の気持ちは男性。女子の気持ちは女性が語るとか、経済の話を男性。市民の話を女性とすることで、聞いている方も分かりやすいという狙いがある。これは非常にうまいやり方で、同じナレーターが延々語るよりも、いろんな表現が可能になる。

今回の「沖縄戦」ドキュメンタリーもその手法を採用。男女2人のナレーションで行く。そしてもちろんナレーションは俳優さんにお願いした。そのお1人に先日、正式な依頼をお願いしたところ。3月のスケジュールがかなり塞がっているとのこと。しかし、沖縄に想いのある彼女にお願いすることは取材開始の3年前から決めていた。代わりはいない。そこで時間のある内に録音をすることにした。

幸い。女性パートのナレーション原稿は出来上がっている。編集はまだ進めるが、大丈夫だ。ということで、急ぎスタジオを予約。先日、録音をさせてもらった。多くの人が知る女優さんだが、名前はまだ内緒。しかし、感じたのは、やはり俳優の表現力は凄い! 声を入れただけで、作品が数ランクUP!説得力や見やすさが倍増した。

言葉が心に伝わってくる。これがアナウンサーだと聞きやすいが、そのまま言葉が抜けてしまう。悲しみや喜び。苦しみや葛藤は伝わらない。そもそも、アナウンサーは感情的にならず、客観的に正確に伝えるという訓練を受けてニュース原稿を読む仕事なので、目的が違うのだが、その意味で心を伝えるのが俳優の領域なのだ。

この作業で確信が持てた。今回の作品は今ある沖縄戦ドキュメンタリーなら「決定版」と言われるものになる! 歴史の教科書のように、事実を羅列するだけでなく、沖縄で何があったか?を本当の意味で伝える作品になるということ。ぜひ、多くの人に見てもらいたい。



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