「アベンジャーズ」シリーズをほとんど見てないのに「エンドゲーム」を見たい人への入門編=ネタバレなし! [アベンジャーズ]
「アベンジャーズ」シリーズをほとんど見てないのに「エンドゲーム」を見たい人への入門編=ネタバレなし!
せめて「インフィニティー・ウォー」をDVDで見てから映画館に行くことをお勧めするが、「明日、見る!」と言う人のための入門講座。とりあえず、数人のヒーローたちを把握しておけば最低限オーケーだ。
まずアイアンマン。日本で言えば「テッカマン」に近い。ロボットの中に人間が入る(というか機械を人間に貼り付ける?)アイアンマンこと、トニー・スタークは元々は兵器産業で大儲けしていた科学者だが、兵器を平和利用しようとアイアンマンで敵と戦っている。
両親は子供の頃に交通事故で死んだと思っていたが、実はナチスドイツの特殊部隊であるヒドラによって殺されていた。それに利用されたがキャプテン・アメリカの親友バッキーだ。そのことで「シビル・ウォー」でキャプテンと対立。「エンドゲーム」で和解できるのか? という状態。さらにトニー・スタークの父親も科学者でキャプテン誕生に立ち会っている。
キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャーズは第二次世界大戦時に青年だったが、体が小さくひ弱で、軍隊に入れなかった。でも、そのガッツを買った科学者によって特殊な薬を投用されて、強靭な体と力を持ったキャプテンアメリカとなる。ナチスやその別働組織ヒドラと戦い戦果を上げる。上官でもある恋人ペギーとダンスに行こうと言う約束したままミッション中に飛行機が墜落。氷の中に閉じ込められる。目覚めたのは現代。
あれから70年。友人も家族も皆死んでしまった。唯一、当時の恋人だったペギー・カーターが生存していたが、老齢で脳軟化症。スティーブのことを思い出すことができない。時々、記憶が戻るが、やがて死去。その彼女が現役時に作った組織フィールドに参加。人類の脅威と戦うことになる。
だが、共に強敵と戦ったアイアンマンの親友バッキーが両親を殺した犯人だと知り、アベンジャーズ・チームは分裂する。そんな時に地球を襲うのがサノス(宇宙の帝王のような存在)。その強大な力にアイアンマン破れ、ドクター・ストレンジ、スパイダーマンも倒れる。そしてアイアンマンは遠い惑星に壊れた宇宙船と共に取り残された。
ブラック・パンサーの国・ワカンダにキャプテン、ブラック・ウイドウ、ハルク、ソーらが集結して戦うが、サノスに叶わず。彼が狙った全ての魔法の石が揃い、全人類の半数が消されてしまう。
ヒーローたち、スパイダーマン、ストレンジ、ファルコン、ブラック・パンサーらも消されて落ち葉となる。多くの仲間を失ったアベンジャーズ。死の街となった地球は、反撃できるのか?
そんな「アベンジャーズ」シリーズの完結編「エンドゲーム」は、前作で姿を見せなかったアイ・ホークの家族シーンから始まる。得意のアーチェリーを教えるアイ・ホーク。その目の前で幼い娘と妻が消えて行く...。そして、これも前作では登場していないアントマンの復活。
遠い惑星に取り残されたアイアンマンは無事に地球に戻れるのか? キャプテンは? ハルクは? そして失意から立ち直れないソーは?ブラック・ウイドウとハルクの恋の行くへは?
(ブラック・ウイドウこと、ナターシャはロシアのスパイ教育を受けたエリート。しかし、不妊手術を受けて子供を産むことができない。そんな彼女が心を開いたのがハルク。変身前のブルースはハルクになることで意識を失い、何をするか分からない恐怖を抱えて生きている。結婚なんてできない。人を避けて生きていた。そんな彼をスカウトしたのがナターシャ。十字架を背負ったもの同士、互いに心惹かれて行くが、戦いの日々が続く。そんな2人のラブストーリーの結末は?)
さらに前作の最後でフューリー長官(サムエルLジャクソン)が消される前に送った信号は? その相手は「キャプテン・マーベル」で解明されているが、そのヒーローは地球に戻ってくるのか?
全ての謎が解き明かされ、全てが見事に完結する。後半は涙と感動の連続。そして想像を超えた展開に! 「エンドゲーム」はアメリカ映画ーひとつの時代の終わり。そして始まりでもある。ぜひ!
日本人はトラブルがあっても、見て見ぬ振りをする国民なのか?(下) =政権、原発事故も同じ構図だ。 [MyOpinion]
日本人はトラブルがあっても、見て見ぬ振りをする国民なのか?(下)
=政権、原発事故も同じ構図だ。
あとになって聞いたのだが、A君は撮影帰り、僕が翌日の撮影準備をしているとき、他のメンバーを誘って飲みに行っていたらしい(当時は知らなかった)こんな感じの批判をしていたらしい。
「撮影を手伝ったのに、あれこれうるさく言われて気分が悪いんだよなあ」「バイト料が出るわけでもなく、こき使われている」
「あいつは何様のつもりだ。たかだか学生映画なのに、黒澤明気取りだぜ〜」「みんなで一斉に辞めて困らせてやろうぜ!」
さらにA君が辞めてからも、彼はメンバーとはよく飲みに行き。こう言っていたらしい。
「挙げ句の果てにクビされ、切り捨てられた!」「親切で応援したのにバカをみたぜ」「ほんと許せない!」「今後はあいつの映画は絶対に手伝わないおこうぜ」
ロクに手伝いもせずに主演女優を追いかけてばかりいた男の言葉とは思えない。なのに、メンバーの1人でもあるB君はこう言う。
「2人とも犬猿の仲だからなあ〜 どっちもどっちだよ!」
はあ? なんでそうなるの? 彼は両者ともに長い付き合い。細かい経緯も知っている。なのに、そんな認識。「事情なんて関係ない。トラブル起こす奴はどちらも同じ!」と言いたいかのようだった。
そんなB君も困りものだが、その事実を伝えてくれた。だが、他のメンバー。プロを目指している友人たちは誰1人。当時、その事実を教えてはくれなかった。
「みんなで一斉に辞めて、困らせてやろうぜ!」
と言う危険な輩がいても、何もしようとしなかった。プロになるための1歩として映画作りが破綻するかもしれないのにである。
それから40年近くが経ち。先日「村社会ルール」の記事を書いたていて、その件を思い出した。僕らは当時まだ20才前後だったが、もしかして友人らはそのルールをすでに習得していたのかも?と思えた。
と言うのも、A君が遅刻して、主演女優を口説いたり、トラブルを起こしても誰も注意しなかった。映画を破綻させようとしても何もしない。「ムラ社会ルール」でいうと、トラブルが起こっても知らん顔して、なかったかのように振る舞う。決して注意したり、問題を解決しようとはしない。
もう少し詳しく振り返ってみる。友人らにとって映画作りは「遊び」と同等であり、それより彼女を作ること。楽しくやることが優先されただろう。それは分かる。大学生の価値観だ。
だが、トラブルが起きた時、多くがそれに目を向けず、知らない振りをして、トラブルを起こした当事者とも仲良くする。批判しようとしない。中傷を聞いても黙り込む。僕にも伝えない。流石に「皆で辞めよう」と言い出し時には
「これは良くないなあ。映画作りのために集まったグループなのに...」
と思ったという友人もいたとらしいが、何も言わない。遊び半分の大学生なら分かるが、プロを目指す連中も同じだった。僕を批判するA君の話を聞きながら、翌日は知らん顔で撮影に参加していたのだ。まさにムラ社会だ。
なぜ、プロを目指しているのに、トラブルを防ぐ、避けると言う言動や行動を取らなかったのか? まさに「ムラ社会ルール」見ざる、聞かざる。自分たちの夢であるプロ・デビューのための練習である撮影を潰そうとしている奴がいても何もしない。「これは良くないなあ〜」と思うばかりだった。
その後の話をしよう。メンバーでプロを目指した友人ら。結局、プロにはなっていない。問題のA君はヤクザの女に手を出して、追われる身となり、その後、消息を知る者はいない。最後にB君に会った時には
「あいつは自業自得だよ〜」
と笑っていた。B君は結婚して平凡な田舎生活を送っている。僕はプロの世界で映画を作るようになった。が、田舎で撮影すると、似たような事件と出会う。
問題を起こす地元の人が時々いる。が、他の人たちは決して批判しない。注意もしない。見て見ぬ振りをすることが多い。街のための映画なのにだ。映画製作が破綻しそうになったこともある。でも、何もしない。あの時と同じ構図。
これは「ムラ社会ルール」というだけではなく、日本人の悪癖なのではないか?と最近は思える。「政権が悪い。あの党は酷い。公約を守らない。金持ち優遇の政策」内輪では文句を言うのに、それを正面切って批判しない。それを変える努力をしない。
日本がとんでもない方向に進んでいるのに、経済はさらに酷くなり、金持ちが優遇され、餓死する家族がいて、戦争を始めるかもしれないのに多くが気づかないふりをしている。あの時と同じ。自分たちの夢である映画業界を目指すための学生映画。それを潰そうとする奴がいても、何も言わない。知らない振りをした友人たちと同じだ。
昨日、テレビ各局が流していた「平成を振り返る」番組。どの局でも原発事故は触れられなかった。事故はなかったことにしたいのだろう。そして国民は忘れた振りを続ける。もし、戦争が始まったら、多くがこう言うだろう。
「こんなことになるなんて、全く知らなかった...」
そうなってしまいそうな気もするが、そうではないと信じたい。(了)
日本人はトラブルがあっても、見て見ぬ振りをする国民なのか?(上)=40年前の思い出の答えを見つける。 [MyOpinion]
日本人はトラブルがあっても、見て見ぬ振りをする国民なのか?(上)
=40年前の思い出の答えを見つける。
80年代。昭和だった頃。学生映画をやっていて、こんなことがあった。学生が集まり8ミリ・フィルムで映画を作るのだが、中心メンバーは映画学校に通い、将来は映画監督を夢見る若い連中(僕もその1人)だが、映画は人手が必要。大学生とか、フリーター(当時はまだそんな呼び名はなかったが)も参加して映画を作っていた。
映画撮影というと、多くの友人が面白がって手伝いに来てくれた。が、中には困った奴もいた。A君(大学生)は集合時間に毎回、遅刻する。文句が多い。撮影中にバカ話で盛り上がり邪魔になる。本番中にも喋る。もともと映画界を目指す友人ではないので、映画作りのルールが分からないのは仕方ない。が、遊び半分。注意してもまた別のバカをやらかす。
撮影中盤になり主演女優(演劇学校の生徒)に翌日の連絡をしようと夜、自宅に電話したら(当時、携帯はない)何時間も繋がらず、家族が長電話しているのかと思い、どう連絡をつけようか?と困ったことがあった。実はA君が彼女に電話して延々話をしていたことが分かった。彼女もスタッフの人だからと、なかなか切ることができずに困ったという。
さらに、彼女の出番のない日、A君も来ない。撮影は続くが彼女の撮影が終わって帰そうとすると、彼も「バイトあるから、ここで抜けるわ」と帰ろうとする。駅まで着いて行き、あれこれ話を続け、飲みに行こうと誘われたという。彼女にその気はない。が、A君は彼女を必死に口説こうとするばかりで、撮影の手伝いにならない。で、注意した。
「だったら辞める!」と彼は言う。映画は無事に完成したが、A君はあちこちで僕の悪口を言い触れ回っているらしい。その後、彼と会うことはなかった。共通の友人でB君がいた。もともとA君は彼が連れて来た奴だ。B君は言う。「Aはもともと調子が良いだけの奴だけど...」そしてこう続ける。
「お前らは、犬猿の仲だからなあ〜」
はあ? 両者をよく知っていて、撮影にも参加。経緯を知っている奴がなんでそんな表現をするのか? 「犬猿の仲」と言うのは犬と猿が仲良くなれないように、相性が合わない。と言う。が、その表現は正しくない。困ったちゃんが女狙いで撮影に参加。真面目に手伝いをせず、彼女にアプローチするばかり。結局、僕に注意されて、途中で辞めてしまったのだ。
それを歪めて、自分を正当化して、僕を批判しているだけ。その両者を知り、経緯を知る友人が「犬猿の仲だから」なんて言うか???もしかしたら、意味を分からずに使ってるんじゃ?とも考えた。が、答えは分からなかった。それから40年弱。その答えが見つかった。それは20歳前の学生と言うだけではなく、日本人。日本国の本質がよく分かる答えだった.... 。(続く)
「インフィニティ・ウォー」再見して分かったこと=いろんな融合。うまくいってないのも? [アベンジャーズ]
「インフィニティ・ウォー」再見して分かったこと=いろんな融合。うまくいってない?
これで「アベンジャーズ」シリーズを全て2回ずつ見た。すでにここの作品については書いたが、DC コミックの方が好きで、どちらかと言うと元気な優等生的イメージが強いマーベルのヒーローにはあまり好感が持てなかったが、見直すとそうではないことが分かった。
キャプテンも、アイアンマンも、ブラックウイドウも、悲しみを抱えており、その中で真実を探す戦いを続けていることが分かる。その辺の伏線はシリーズをバラバラに見たのでは分かり辛いものがあった。が、それらが全て「エンドゲーム」で完結するのだ。
ただ、その意味では「インフィニティ・ウォー」はそれら伏線がほとんどなく、ひたすらサノスとの戦いに時間が割かれている。言い換えればネタ振りは前作の「シビル・ウォー」で済んでいて、「インフィニティ」はエピローグのための前半としての物語に徹底したのかもしれない。
とは思うが「悲しみ」がないことで単なる「SFアクション」に見えてしまう側面もある。クライマックスのワカンダの戦いは派手だし、スケール大きいし、「スパルタカス」の現代版で、面白く見れる。ソーの登場は拍手喝采。
対して、他の惑星の戦い、ソーの斧作りの星が絵本の世界に見えたのは僕だけか? 「スターウォーズ」では惑星タトウインはチェンジニア。惑星ホスはノルウェーでロケされいたが、こちらはスタジオでCG合成だ。そのせいで絵本のような世界に見える。「スターウォーズ」で言えば「帝国の逆襲」のダゴバ星(ヨーダの星)の感じで、やはりスタジオ感が強く、現実味が薄くなる。
つまり「インフィニティ」ではワカンダのみがロケ。そのために派手な戦いをしても、もう一息盛り上がらない。「エイジ・オブ・ウルトロン」の時は韓国ロケもしている。1作目はニューヨークだ。知った街が出てきて、そこで建物が壊れ、爆発が起こるとおーーと思うが、絵本のような惑星ではその現実味がかなり弱くなる。
そして何より「悲しみ」で言うと、キャプテンが愛するカーターは前作で死んでいるし、親友のバッキーは元気になり、味方だし、アイアンマンの両親の話は出て来ない。ブラック・ウイドウとハルクの恋も全く描かれない。(もちろん、それらを描く余裕もないだろう)唯一、ワンダとビジョンの恋だけが泣かせてくれる。
プラスして「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」のメンバーもここから登場。コメディテイストの強い作品なので、「アベンジャーズ」世界とうまくマッチしていない気もする。ガモーラは重要なキャラとなるので、浮いている訳ではないが、コミック・リリーフがたくさんいると、ドラマ自体を停滞させることも感じる。その意味でほとんどが消されてしまい、アライグマだけが残ってコミックリリーフをするのは正解で「エンドゲーム」でそれは生きていた。
そんな意味でも一番出来が良くないのが、「インフィニティ」かもしれない。ただ、このシリーズは全部を繋げて初めて物語が出来上がるので、その1つだけ取り上げても意味はないかもしれない。そして、このエピソードがあるからこそ、完結編の「エンドゲーム」が盛り上がるのは確かだ。
「ドキュメンタリー沖縄戦」を楽しみにしてくれている皆様へ [お知らせ]
「ドキュメンタリー沖縄戦」を楽しみにしてくれている皆様へ
いつも、このブログを読んでくれて感謝。作品は今年3月に完成しているが、未だに上映準備が進んでいない。特に圧力がかかっていると言う訳ではないが、色々あって止まっている。
問題を解決。まずは、沖縄で完成披露試写会を計画。うまくいけばこの秋。それが実現できるように頑張っている。
すでに沖縄取材のエピソードは記事にしているが、上映が決まれば、沖縄戦に関することを詳しく書いていきたい。それまでは、あれこれ別の話も書いて行く。
戦後の全ては沖縄戦と関連しており、それらを見つめることで日本という国が見えてくる。上映に関しては決まり次第。また、このブログ上で発表させてもらう。
血圧の話。やはり陰謀は存在する?=国や企業は信用できない。 [健康]
血圧の話。やはり陰謀は存在する?=国や企業は信用できない。
水生活を続けているので、血圧を知りたくなり血圧計を買い、毎日測定している。その話をここしばらく書いているのだが、血圧が非常に高い。で、調べてみると、年々、標準値が下げられている。健康である基準が厳しくなって行く。それは同時に「私は不健康だ」と多くの人が感じるということ。そこに疑問を感じた。
購入した血圧計も、健康ランドの業務用に比べて高めに数値が出る。おかしい。あれこれ調べて行くと、やはり製薬メーカーの陰謀を指摘する声がいろいろあった。血圧高めでも健康に影響ないのに、「危険だ」と思わせることで薬を買わせる=>儲かる。
血圧の標準値を少し下げるだけで、何百万人が「俺は血圧高過ぎだ」と危険を感じる。その内の何パーセントかが薬を買うだけで製薬メーカーは莫大な収入を得ることになる。薬とか医者とかいうと聖職でもないのに、圧倒的な信頼をしがちだが、彼らも仕事であり、大儲けしたいと考える。
病院に行き、大量の薬を出されるのも、その方が儲かるから。診察料より薬の方が国から多くの金が出る。健康保険があるからだ。だから、できる限りたくさん薬を出す。薬は体をよくするものだとと思いがちだが、ある箇所は良くなるが、他に必ず悪影響を及ぼす。でも、そのことは医者も教えてくれない。
テレビ番組で健康特集が増えているが、スポンサーの多くは製薬メーカー。マイナスになることは絶対に言わない。前回も書いたが薬害エイズ事件は製薬メーカーが人命より利益を優先して起こっている。厚生省もそれに加担した。となると、血圧だって、同じ構図があるのではないか?と思える。
それを指摘する人は多く、医療関係者でも疑問を呈する人がいる。実際、僕自身が血圧高めだが、健康状態に異常はない。調べると低すぎる方がいろんな病気になる可能性があり、危険があるという。まだ、血圧が高い方がいいという話も。そして何より薬で血圧を下げるのは余程でないと危険。との情報多数。薬は絶対にやめた方がいいようだ。
そもそも血圧高い=>薬という発想が間違っている。原因を確かめることが大事だ。僕の場合は日常的に塩は使わない。というか台所に塩はない。醤油も刺身にしか使わない。ソースはコロッケの時だけ。外食はランチだけ。その店も冷凍食品を使わない家庭料理風。塩分取り過ぎはない。カップラーメンも本当に時々。外でもラーメンは食べない。
とすると血圧高めは体質と老化が原因だろう。あと、ストレス。これは思いっきりあるので、今のような静養期間はとても大事。なんて考えている。とにかく、国や製薬メーカーに騙されてはいけない。
令和元年。1日目。ーそんなの関係ない!と思う捻くれ者。 [2019]
令和元年。1日目。ーそんなの関係ない!と思う捻くれ者。
昨日は疲労で早い時間に眠ってしまい。今朝起きたら「平成」から「令和」になっていた。めでたいとか、何とかとは思えず、平成になってからは西暦しか使ってないので、特に感じるものはない。むしろ来年は2020年。その方があれこれ考える。
僕はひねくれ者なので、昔からXマスとか正月と言っても特別なことをしない。また、仕事柄、日曜日や祝日に休めないことが多いので、それらも特別感はない。誕生日を祝ってもらうのも好きじゃない。だから誕生日は誰にも言わない。ただ、撮影現場で俳優さんの誕生日があれば、率先してサプライズ・パーティをする。
最近は盛り上がっているハロウインもそうだし、バブル時代のクリスマスは異常とも言える状態で、1年前からイブの日のホテル予約をした人が多かったという。そもそもはキリストさんのお誕生日。日本にそんなにキリスト教信者がいたのか?と思えたり。
それでいうと、昔から言われていることだが、Xマスを祝い、正月に神社に行き、葬式は坊主を呼んでお経というのが日本。不思議な国民。僕はそもそも宗教を信じないし、疑問を感じている。信仰心のある人の気持ちが分からない。
ある宗教の勧誘を20年も受けたが、その団体が余計嫌いになった。友人の1人で、友達としては信頼しているが、その教義を聞けば聞くほど、胡散臭く、信用できず、裏側があることが明確になって行った。宗教だけでなく、企業でも、政治でも同じ。大義名分を掲げているが多くが嘘八百で、人を踏みつけて犠牲を出しても、自分たちの利益を追求していることがほとんど。
だから、何ごともまず疑う。いい話を聞くと「裏がある」「魂胆は何か?」と考えてしまう。ま、ひねくれ者だからね。でも、そんな性格が「ドラマ作り」には向いている。映画でもドキュメンタリーでも、まず、疑うことから始める。検証する。多角的に見る。そうすると真相が見えてくる。
その意味でXマスだ!正月だ!と単純に喜べないひねくれた性格は仕事にはプラスなのだ。令和の初日...そんなことを考えている。
再びダウン? でも、ご心配なく。アドバイスもいらないからね! [健康]
再びダウン? でも、ご心配なく。アドバイスもいらないからね!
過労でダウンしていたが、少しずつ回復。先日は久々に友人と会った。盛り上がって話をしたら翌日またダウン。1日寝ていた。3年間休みなしで7人分の仕事をすると、1ヶ月弱の静養では足りないこと。感じる。世間もGWだし、安心して休む。数年前にこんなことを書くと、あれこれ大きなお世話のコメントが来た。
「いつまでも寝ていると、怠け癖が付きますよ。さっさと仕事を始めましょう!」
「病院に行った方がいいです。何か重い病気かもしれません!」
「うつ病の可能性がありますね。怖がらずに心療内科に行きましょう!」
「ちょっと仕事したくらいで大袈裟だですよ。私も休みなしに何年も仕事しますが、寝込んだことなんてありません」
なんてコメントがいくつも来た。どれも直接会ったことのないばかり。それら「友達」の基本データを見ても年齢、職業は分からない。顔写真なし。そんな人たちにあれこれ言われても素直に受け取れない。
また、心配しているのか? 嫌がらせなのか?分からないもも。そして以前の僕の記事をほとんど読まずに、コメントする人も多い。それどころか僕が映画の仕事をしていることさえ分かってない人もいるようだった。
今回で言えば原因は過労。3年間に2本の映画を監督。それぞれに7人分の仕事をすること。映画製作は物凄い体力と気力が必要であること。毎回、遺作のつもりでやっていること。映画は撮影だけでなく、その前後の方が大変であること。すでに記事にしている。
明らかにその辺の文章を読んでなく「1ヶ月近く寝込んでいる」という記事だけを見て、あれこれ想像して「怠けている!」「重病かも?」と思い込んで、素性の分からない人があれこれ言って来たのだ。
人はなぜ自分思い込みが激しく、知らないことを身近に経験に当てはめて分かった気になり、自分のことを相手は知らないことを忘れて、当て外れなアドバイスや説教をしたがるのか? 毎回、そう思えたが、今ではそんなコメントはなくなり、ありがたい。心配頂くのは恐縮だが、何度もダウンしたので対応は熟知し回復に向かっている。アドバイスは必要ないので、よろしくね!
「エンドゲーム」は新しい時代の始まり。「スターウォーズ」時代の終焉を告げる作品だ。 [アベンジャーズ]
「エンドゲーム」は新しい時代の始まり。「スターウォーズ」時代の終焉を告げる作品だ。
「シビルウォー」まで全部見直した。「アベンジャーズ」シリーズはすでに映画館で全部見ているが、「キャプテン・アメリカ」だけは見ておらず、後でDVD。そして「ファースト・アベンジャー」は今回が初。それらを順番に見ると、いろんなことに気づいた。
緻密に物語が作られており、キャラクター設定もしっかり出来ている。それを見た上で「エンドゲーム」を見ると最高に盛り上がるようになっている。1本と1本の間が何年もあると忘れている。気づかなかった点も多く、それらがも良く分かった。
キャプテンとカーターの悲しいラブストーリー。アイアンマンが忘れられない両親の死。そして現在の妻と子。この流れも「エンドゲーム」で完結する。で、気づいたのだが、「アベンジャーズ」は「家族と友達」の物語なのだ。キャプテンとバッキー。アイホークの家族。ブラック・ウイドウとハルクの恋。アイアンマンとスパイダーマンはある意味で親子関係。家族の絆の物語なのだ。
90年代に「ロード・オブ・ザ・リング」を見たとき。あの時も強い興味はなかったけど、3部作が大ヒットしたので連続上映に行って、感じたことがある。
「70年代からのハリウッド映画の時代は終わった」
あれはニュージランドの映画。そしてアカデミー作品賞まで取ってしまった。「スターウォーズ」や「未知との遭遇」から始まったイベントムービー連発のハリウッドの時代の没落を感じた。しかし、「ダークナイト」シリーズでハリウッドも逆襲を始める。そして「スターウォーズ」シリーズの復活。さらにエピソードⅶ&Ⅷの製作。完結編が年末に公開されるが、今回の「エンドゲーム」の公開で、
「スターウォーズ時代は終わった」
と痛感。「ダークナイト」あたりから始まったアメコミ映画。その決定版というべき「エンドゲーム」が時代を塗り替えてしまったこと。感じずにはいられない。一つの時代の終わりなのだ。「エンドゲーム」はそのくらいの意味を持った映画である。
日本は時まさに今日で平成が終わる。「アベンジャーズ」シリーズを見直してそんなことを感じた。では、何が今までのハリウッド映画と違うのか? 次回、解き明かして行く。