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ムラ社会ルールで、問題に気づかない振りをするのではなく、原因を究明し解決することの大事さ。考えてみる。 [ムラ社会ルール]

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ムラ社会ルールで、問題に気づかない振りをするのではなく、原因を究明し解決することの大事さ。考えてみる。

同じ地方に長い年月住んでいたことがないので、この歳まで実感がなかったが、地方には「ムラ社会ルール」が存在すること。記事にした。その後、あれこれ考えて原発問題もムラ社会ルールでなかったことにしようとしていることに気づいた。地方だけではない、政府も企業も同じルール。つまり、日本人全体がムラ社会ルールに縛れているのだ。

その原因は以前に書いた。狭き地域社会で揉め事を起こすと、その人と何十年も顔突き合わせて行かねばならない。だから、トラブルがあっても知らないふりをする。関わらない。さらに責任者を被害者が追求したら被害者を叩き、泣き寝入りを強要する。その被害者さえ黙っていればトラブルにはならないからだ。それがムラ社会ルール。

そのルールは役所や大企業でも通用する。ことなかれ主義にも近い。市民や消費者にプラスになることをするより、何もしないことが一番大事。トラブルが起これば同じ対応。見ない振りして、なかったことにしてしまう。だから、腐敗して行く。汚職がはびこる。

映画の世界で生きる僕にとっては、見て見ぬ振りをすることはできない。正義感が強いてなことでもない。トラブルを解決しないとプロジェクトを前に進めることができないからだ。役所や企業ならプロジェクトが潰れても大きな問題ではない。それどころか新しいこと、面倒なことを潰して回る役所も多い。

だが、映画製作は1本1本が勝負。時間も、お金も、労力もかけて準備する。それが潰れれば多くの人が傷つき、落胆する。全てが無駄になる。だから、トラブルが起これば見て見ぬふりをするのではなく、原因を究明して解決せねばならない。そのためには人集めの段階からトラブルを起こしそうな人材を見抜きブロックすることも大切だ。

とは言え、監督デビューした初期の頃はそんな輩が必ず入り込んで来て、製作費を抜いたり、作品を歪めたりした。ノミ、シラミのような連中が映画界には多い。また、協調性がない。批判ばかりしている。主導権を奪いたがるという困ったちゃんもいた。

しかし、作品を作るごとに素晴らしいスタッフと出会い、問題ある者はブロック! 二度とチームにはいれない。あと、様々な対策をして今では邪魔をするだけの者はおらず、素晴らしい作品を作ろう!という思いのある素敵なメンバーばかりだ。

ただ、以前はトラブルの連続。何度も崩壊の危機があった。実際、そんなことで映画のレベルが低くなってしまった友人が何人もいる。トラブルを起こす人間がいると、その人自体ではなく、巻き込まれ、利用され、トラブルに加担する者も出てくる。

隠れて危険なことをする輩。トラブルの原因が見えなこともある。その原因を探り、誰に問題があるか? なぜ、問題が起きたか? その動機は何か?を考えることが大事。単にみんな仲良く仕事するだけではダメだ。トラブルに気づかない振りをするのは一番ダメ。問題を解決し、皆が作品作りに専念できる環境作りは絶対だ。

以前は映画を作る以上に、そちらに時間と労力を取られることが多かった。本来はPの仕事だが、そのP自身がトラブルの張本人ということも多かった。「ムラ社会ルール」で対応するのではなく、問題を解決するとはどういうことか?を考えるには過去の映画製作を思い返すことも有効ではないか?と思えている。


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探していた本が見つかった! [健康]

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探していた本が見つかった!




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日本人をダメにしている習慣、思い。これではないか? [ムラ社会ルール]

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日本人をダメにしている習慣、思い。これではないか?

①ムラ社会ルール

②「嫌われたくない」「みんなと仲良くしなければならない」

③みんなと一緒が安心!

この3つが大きいんじゃないかな? 

3つとも多くの日本人が抱えていて、心に染み付いている。これらが日本人を時代遅れにして、新しい時代に乗り遅れ、いろんなことを阻害しているように思える。

これらダメ発想を植え付けているのが地域社会、政治、そして教育ではないか? 

詳しくはいずれ記事で掲載。



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映画監督は嫌われ役。困ったちゃんに好かれても意味はない?=本当に大事なことは何か?考える。 [嫌われる大切さ?]

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映画監督は嫌われ役。困ったちゃんに好かれても意味はない?=本当に大事なことは何か?考える。

映画製作でキャスト、スタッフを決めるのは監督だ。テレビの場合はPだが、映画は伝統的に監督である。気の合うスタッフ(仲がいいということではない。センスがある、技術がある。意図を理解するという意味で合うだ)同じ意味でキャスト。もちろん知名度もあるが、スタッフと同じ条件だ。

このところスタッフはほぼ同じメンバーだ。皆、優秀な上に協調性があり、何より「いい作品を作ろう!」という思いを持っている。そもそも映画人はそういうタイプが多いのだが、そうでもない人もいる。「今回の撮影は早めに終えて欲しい。家が遠いので」なんて最初に行ってきたスタッフがいた。その段階でもういい!という感じだ。

古い価値観を押し付けるベテランもいる。「お前は映画がわかってない」と説教するが、デジタル時代にフィルム時代の方法論は通用しない。反論を許さないというのではない。意見は聞くが、それに納得できないものは却下する。なのに、それをいつまでも繰り返したり、不貞腐れたりする者もいる。

スタッフィングのときはいつも「七人の侍」を思い出す。毎日、飯が腹いつぱい食えるというだけの報酬で村を守る侍を探す前半。腕はよくてもプライドが高いとダメ。腕は中の下でも辛い時に役に立つとか「そーだよなー」と思う。僕の映画はいつも低予算であり、それでも「やる!」と言ってくれることが必要なのだ。

そうなると太田組スタッフは腕が悪いか、新人ばかりになるか?と思いきや映画テレビの第1線で活躍する人たちが数多く参加してくれている。「太田組は楽しいからね」「監督は絶対に手抜きしないし、必ず泣けるいい映画を撮るから」と言ってくれる。ありがたい。

僕は現場では怒鳴ったり、必要以上に粘ったりはしない。が、細かいことにうるさい。技術部には監督の指示に従わず勝手にカメラ位置を決めたり、照明を作ったりする人がいる。が、それは絶対にアウト。全て計算して演出をしている。パートごとに判断してはいい作品はできない。また、当然のことだが、他のパートにあれこれ文句や指示を出すのもアウト。照明部が撮影部に、録音部が演出部に口出すするのはダメ。

また、男の子に多いが、若い女優たちと仲良くなりたくて仕事をしている連中がいる。必死に携帯番号やメールを聞き出そうとしたり。隠れて夜のドライブをしたり。僕はそれを見抜くのが得意。厳重注意する。大学のサークルではない。彼女探しの場ではない。そのことで俳優たちのストレスにもなる。振られて仕事に力が入らなくなる奴もいる。何れにしてもアウト。

撮影中は仲良くやるべきだが、仲良くを優先して、わがままを許してはいけない。やってはいけないことを許すことはできない。大事なのは素晴らしい作品を作ること。だから、嫌われても何しても、やってはいけないことは止める。

止める余裕がない場合は二度と、その人をチームに呼ばない。それで批判されても構わない。たいてい、そんなスタッフは他でも事件を起こし仕事がなくなる。

大事なのは問題起こす人と仲良くやることではない。トラブルを見て見ぬ振りをすることでもない。困ったちゃんは排除して、本当に真剣な人たちと仲良く力を合わせること。それが素晴らしい作品ができることに繋がる。僕の映画が毎回、高い評価を受けるのは、そんな素敵なスタッフが毎回参加してくれるからなのだ。



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ムラ社会ルールに縛られ続ける地方の人たち。なぜ、未だに江戸時代からの習慣を? [ムラ社会ルール]

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ムラ社会ルールに縛られ続ける地方の人たち。なぜ、未だに江戸時代からの習慣を?

ムラ社会ルール5か条は以下の通り

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」

②「問題を起こした責任者を追求しない」

③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルには触れず、無かったことにする」

④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」

⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」

これらは全て江戸時代あたりからの地域社会でいかに平穏に暮らして行くか?揉め事を避けられるか?という思いから生まれて来た習慣だと思える。それが明治、大正、昭和、平成。そして令和時代にも引き継がれて行こうとしている。

不思議なのは、昔々なら田舎町から出ることは難しかった。交通も通信も不便。その村の中で交流するしかない。だが、今は交通の便も良くなり、通信手段も多様化。ネット時代でもある。隣町には車やバスで簡単に行ける。関所なんてないし。都会にも電車やバスで出られる。地元との交流がないからと生きて行けない訳ではない。

ただ、仕事が地元なら同僚。得意先としがらみができる。商売なら街の人たちが顧客だ。狭い世界で生きて行かねばならない。だが、そんなしがらみがなければ、トラブルを見て見ぬ振りをしなくても済むのではないか?と思える。なのに小さな田舎町ならいざ知らず。政令指定都市でも同じようなことを経験した。

時代が変わっているのに、江戸時代から(もっと前?)習慣から逃れられないでいるのはなぜか? 一つには長年に渡り、代々引き継がれたものはなかなか止めることができないということがあるだろう。ただ、都会では、その衛星都市では、その種の習慣はないとは言わないが、あまり見聞きしない。つまり、長年に渡って顔を合わせて生活している地区でその習慣が続いているということだ。

地方が活性化されないという問題がよく言われるが、その背後にムラ社会ルールが今も根付いていることで、新しい試みができない。あれこれ否定する人が出ても、誰も説得しないということがあるのではないか? それを多くの人は「ムラ社会ルール」に縛れているのではなく、「みんなと仲良くやらないといけない」「嫌われたくない」という思いにすり替えてはいないか?

役所も会社でもそうだが、狭い世界に長くいると、そんなルールに縛られてしまい、何もできなくなる。中から腐って行く。令和時代はその結末が見られるのではないか?と思える。では、どう考えればいいか? 別の機会に書かせてもらう。


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「嫌われることを恐れてはいけない」それが現代人に必要なこと? [嫌われる大切さ?]

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「嫌われることを恐れてはいけない」それが現代人に必要なこと?

「みんなに好かれる子になって欲しい」

子供が産まれる時、親はよくそういう。そして子供たちには親はこういう。

「みんなと仲良くして欲しい」

親としての願いだろう。そして人は大人になっても、その言葉を胸に生きて行く。誰もが正しいと思うことだ。だが、今、それは違うのではないか? それが日本人を縛り不自由にしているのでは?と思える。

それらの言葉は会社や役所のような閉鎖された世界では有効かもしれないが、その他ではもう通用しないことではないか?あるいは会社等の組織内でも、もう通用しない時代に突入しているように思えている。

それらの言葉はここしばらく書いた「ムラ社会ルール」に則ったものではないか?と思えるのだ。そのルールこそが日本人を縛り、ダメにしていること。何度も記事にした。そのルールから来た言葉なら通用しないのも当然だと思える。さらに言うなら、こう言える。

「嫌われることを恐れてはいけない」

「みんなと仲良くする必要はない」

これだけ聞くと不良の発想に思えるが、今の時代、それこそが正解だと思えている。詰まらぬしがらみ。役に立たない習慣。意味のないルール。そこから脱しようとすると、あれこれ批判される。嫌われる。

だから従う。おとなしくする。だから、新しいことができない。何もできない。何かをやってはいけない。だったら新しい挑戦をして嫌われる方が意味があるのではないか?

何もせずに踏ん反り返る奴がいる。何かにつけ批判して来る奴がいる。古い価値観を押し付けて来る奴がいる。自分だけ得をしようとする奴がいる。そんな奴らと仲良くする必要があるだろうか? そんな人たちのグループから排除されてこそ、やるべきことができる。

本当の悪人はいない。というが、詰まらない価値観にこだわり、そこから離れられない人たちも多い。無意味な価値観を振り回すことに意義を感じている人たちもいる。その人たちと理解し合うために時間を割くより、嫌われても自身が正しいと思う道を進むことに意味があるのではないか?

乱暴に書いたが「嫌われてもいい」「皆と仲良くする必要はない」そのことが、これからのテーマになるのではないか?と思えている。いずれ詳しく解説する。


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